第六章:アナログ・トラップ
憲兵に包囲され、光る手を見つめる健二。金庫の数字ばかりに囚われ、現物の罠を見落としたエンジニアの致命的なバグ(油断)。
「健二様、敵性個体を検知。迎撃しますか?」
「待て、セリア。力押しは悪手だ」
冷や汗を流しながらも、健二はポケットの中でスマホに指を滑らせる。魔導ランタンの波長をハッキングして視界を奪うか、空間跳躍で逃げ延びるか。初めて訪れたこの窮地を、チートスマホの力でどう切り抜けるのか?
バルタザール男爵の私邸。その最奥にある隠し金庫の前で、男爵は血管が浮き出るほどに激怒していた。
「まただ……! また金貨が消えている! 暗証番号を『8888』に変えたその日の夜に、なぜアッサリ盗まれるのだ! 魔術の痕跡すら残らんとは……!」
床を激しく踏みつける男爵の傍らで、一人の初老の私設憲兵隊長が冷酷な目を光らせる。
「男爵、どれほど強固な暗証番号も、身内に内通者がいれば無意味。あるいは、我々の想像を超える『覗き見』の魔術が存在するのかもしれません」
「ではどうする! このまま指をくわえて全財産が吸い取られるのを見ていろと言うのか!?」
「いえ」
憲兵隊長は不敵に笑い、懐から怪しく輝く紫色の粉末を取り出した。
「盗まれるのが防げぬなら、**『盗ませた後』**を追えばよろしい。今回、金庫に補充した金貨300枚には、すべて特殊な魔導粉末『追跡の鱗粉』を薄く塗布してあります。触れた者の皮膚に付着し、さらにその金貨が市場で使われれば、出所は一発で分かります。いくら泥棒が姿を消そうとも、我が街の流通網までは消せませんからな」
謎の暗号と、お気楽な消費
その頃、宿屋のスイートルームで、健二はスマホの画面をタップして鼻歌を歌っていた。
「あーあ、男爵のやつ、今度は『8888』かよ。せめてゾロ目くらいやめろよな。中世のセキュリティ意識、マジで平成初期のガラケー以下だわ」
画面の「転送」ボタンを押し、金庫からごっそりと金貨300枚をアイテムボックスへと引き抜く。
バルタザール男爵が裏で血眼になって仕込んだ「物理的な罠」が金貨に塗られていることなど、画面のログ(文字列)しか見ていない健二には知る由もなかった。
「よし、セリア。今日も美味いもんでも食いに行くか」
「はい、健二様。お供いたします」
奴隷市場から『買い受け』、ゲームのデータを上書き(コンパイル)したエルフの少女――いまや完璧に『純情☆アクア・プリンセス』のヒロインとなったセリアを連れ、健二はグラン・バザールの高級酒場へと繰り出した。
最高級の肉料理と、めったに手に入らない極上の果実酒。
至福の時間を過ごし、会計の際、健二は懐から男爵の金庫から引き抜いたばかりの、ピカピカに輝く金貨を数枚、テーブルにコトリと置いた。
「釣りはいらねえよ」
ブラック企業の元社畜にとって、この「成金ムーブ」こそが最高の癒やしだった。店主が揉み手をして健二を見送る。
だが、その店主が金貨を懐に仕舞い込んだ数分後。
酒場の重い木製の扉が、乱暴に蹴破られた。
――バァン!!
「憲兵隊だ! 動くな!」
乱入してきたのは、バルタザール男爵直属の武装憲兵たちだった。手には、怪しく紫に発光する魔導のランタンを握りしめている。
憲兵隊長がランタンの光を店内に浴びせると、先ほど健二が支払ったカウンターの上の金貨、そして――健二の指先と、セリアの白い手が、おぞましいほどの紫色の蛍光を放って浮かび上がった。
「見つけたぞ。男爵の金庫を荒らしていたネズミは……お前たちだな?」
ガシャガシャと音を立て、一斉に抜かれる長剣。
健二は自分の光る手を凝視し、一瞬で状況を理解した。
(クソッ……! デバッグ画面のデータ(数字)ばっかり気にして、現物の『物質』に仕込まれたマーキングを見落としたか……!)
「健二様、敵性個体を検知。迎撃しますか?」
セリアが鋭い目を憲兵たちに向け、腰の不可視の剣(データ武器)に手をかける。だが、ここは狭い酒場、しかも相手は街の正規兵だ。
「待て、セリア。力押しは悪手だ」
健二は冷や汗を流しながらも、脳内のギガヘルツの計算速度をフル回転させ、ポケットの中のスマホに指を滑らせた。
これまで完璧にイージーモードだった異世界ライフ。初めて訪れた、エンジニアの「バグ(油断)」による窮地。
さあ、ここから健二はどう切り抜ける?




