第二章:異界の洗礼
怪しい店に入ったはずの健二が辿り着いたのは、色濃い魔力が満ちる本物のダンジョンだった。電波圏外のスマホに起動したのは、デバッグコマンドが並ぶ謎のシステム。ブラック企業仕込みのメンタルとゲーム脳で状況を察した彼は、呆然としながらも不敵に笑う。童貞を捨てる前に、彼の人生は世界の調停者へと変貌を遂げた。
部屋の床には、目の粗い、赤黒い絨毯が敷き詰められていた。
照明は極端に落とされ、部屋の四隅に置かれた大ぶりのキャンドルが、ゆらゆらと血のような赤い炎を揺らしている。
奥のカウンターに佇んでいたのは、チャイナドレス風の衣装を纏った、信じられないほどスタイルの良い美女だった。タイトな布地から覗く太ももは、健二が普段画面の中で見ている「理想の3Dモデル」すら凌駕する、圧倒的な肉感を放っている。
「あ、あの……ネットで見て来たんですけど。コースは、その……」
緊張で声が裏返る。だが、女は妖しく微笑むだけだった。
「ええ、全て承知しております。当店は『お客様の望むすべて』を提供する場所。さあ、こちらの奥へどうぞ」
女が指差した先には、さらに奥へと続く、厚手のベルベットのカーテンがあった。
健二は促されるままに、カーテンをくぐる。
靴を脱ぐべきなのか、案内を待つべきなのか。混乱しながら一歩を踏み出した時、足元から「コツン」と硬い音が響いた。
絨毯の柔らかい感触ではない。
見下ろすと、いつの間にか足元は、滑らかに磨かれた、深い緑色を帯びた「石畳」に変わっていた。
「ん……? 石?」
違和感を覚えた瞬間、背後のカーテンが、すとん、と音もなく閉まった。
同時に、完全な静寂が訪れる。
都会の夜の喧騒も、ビルの換気扇のブーンという駆動音も、一切が消え失せた。
「おい、ちょっと待て――」
振り返り、カーテンを掴もうとした健二の手が、硬い何かにぶつかった。
そこにあったのは、布ではない。
苔むした、見上げるほどに巨大な「岩壁」だった。
「は……? え?」
慌てて前を向く。
そこは、怪しい風俗店の個室などではなかった。
遥か高くに広がる岩の天井。そこから、淡い青色の光を放つ鉱石がいくつも結晶となって突き出ている。空気はひんやりと冷たいが、どこか甘く、肺を満たすたびに全身の細胞が活性化していくような、濃密な魔力が満ちていた。広大な鍾乳洞、いや、本物の「ダンジョン」の中に、彼はいた。
パニックになりかけた健二のポケットの中で、――ブルッ、とスマホが激しく震えた。
恐る恐る画面を見る。
当然、電波は圏外のはずだった。しかし、画面には見たこともない洗練されたUIのアプリが自動的に起動していた。
【システム起動:世界の調停者モード】
【対象:佐藤 健二(30)】
【現在地:エルドラド大迷宮・最下層「境界の間」】
画面をタッチすると、健二の周囲360度の正確な3Dマップがリアルタイムで描画され、そこには「索敵」「アイテムボックス」「言語翻訳」「ステータス操作」といった、ゲーム開発者なら狂喜乱舞するようなデバッグコマンドが並んでいた。
「ゲームのバグ……じゃねえよな、これ。現実、か」
手の中のスマホは、いつも通り少し熱を帯びている。
健二は呆然と立ち尽くし、それから、ゆっくりと口角を上げた。ブラック企業で鍛え上げられた強靭なメンタルと、長年のゲーム脳が、異常事態を急速に受け入れていく。
「マジかよ……。童貞捨てる前に、人生のステージが変わりやがった」




