表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本が機動艦隊を整備した台湾有事。  作者: 如月 愁


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/4

第二話 封鎖線

—2031年5月第一週 台湾東部沖


 中国人民解放軍は台湾を取り囲む形で六つの海上封鎖ゾーンを設定した。


 ゾーンの設定通告は現地時間の午前零時に発信された。通告は国際海事機関(IMO)と国際航空機関(ICAO)の両方に送付され、関係各国の外交ルートを通じても伝達された。文書には「軍事演習区域」との記載があったが、演習の期間は「無期限」とされていた。


 六つのゾーンのうち、四つは台湾の西方と南北に設定され、台湾海峡と主要な接近路を封鎖する形状をとっていた。残る二つは台湾の東方に設定され、太平洋に向かう航路を遮断していた。設定された海域は台湾の主要港湾をすべて含んでいた。


 台湾の主要輸出港である基隆、台中、高雄、花蓮のいずれもが封鎖ゾーンの内側に入った。台湾の対外貿易はそのほぼすべてが海上輸送によるものであり、この封鎖によって台湾の経済動脈は一夜にして遮断された。


 世界の海運業界は即座に反応した。大手コンテナ船会社は台湾向けの配船を停止し、保険料率は従前の二十三倍に跳ね上がった。ロイズのアナリストは、この水準は第二次世界大戦時のUボート作戦期以来のものだと指摘した。台湾に在庫する石油の備蓄は、封鎖が継続した場合、六十日分に相当すると試算された。食料の備蓄は三ヶ月分を超えていたが、飼料や肥料といった農業資材は在庫が乏しかった。


 日本の機動艦隊に与えられた任務は三つだった。


 第一に、南西諸島から台湾東方にかけての海域における哨戒と状況監視。第二に、在台邦人の保護に向けた態勢の整備と必要に応じた輸送支援。第三に、米第七艦隊との連携維持と情報共有。


「かが」は台湾東部沖百五十キロに位置した。


 封鎖ゾーンの東端から外れていたが、ゾーンの境界線まで七十キロしか離れていなかった。その距離は、ゾーン内から発射された対艦ミサイルが十分に届く範囲内だった。イージス艦のレーダーには、ゾーン内を航行する人民解放軍艦艇の光点が継続して映っていた。


 F-35Bは昼夜を問わず飛行した。台湾東部の沿岸線を回り、人民解放軍の艦艇の位置と行動を観測し、データを送信した。データは艦の作戦情報システムに蓄積され、米軍のデータリンクとも共有された。


 飛行一回あたりの時間は二時間から三時間。一日に計十二回から十六回の出撃が繰り返された。パイロットは三交代で任務に就いた。


---


—2031年5月 国内の変化


 日本国内では、事態の推移に伴い、複数の変化が同時進行していた。


 南西諸島の与那国島、石垣島、宮古島では、島外への移動を希望する住民への支援が自治体によって開始された。希望者は民間航空便と海上保安庁の巡視船を利用して本土へ移動した。約八千名が最初の二週間で離島した。残留を選んだ住民に対しては、食料と燃料の備蓄物資が配布された。


 本土では、燃料と食料の買い占めが一部の地域で発生した。スーパーマーケットの棚からインスタント食品と水が消えた。ガソリンスタンドでは長蛇の列が生じ、一部の自治体が購入量の制限を設けた。政府は「物資の流通は正常範囲内にある」と繰り返し発表したが、SNS上では根拠の不明確な情報が拡散した。


 半導体の供給不足は製造業全体に影響を与えた。自動車メーカー各社が生産ラインの一部を停止し、電子機器の出荷が遅延した。その影響が実体経済に現れるまでには、一ヶ月から二ヶ月のタイムラグがあると予測されたが、株式市場はそれを先取りして動いた。


 日経平均株価は封鎖設定から二週間で約二十二パーセント下落した。為替は円高方向に動いたが、これは有事の安全資産として円が買われたためであり、日本経済の実力を反映したものではないと分析された。


---


—2031年5月 米第七艦隊との連携


 アメリカ海軍の空母打撃群「ロナルド・レーガン」は、グアムから西進し、フィリピン海に入っていた。


「ロナルド・レーガン」はニミッツ級航空母艦の九番艦で、満載排水量は約十万四千トン。搭載するF/A-18E/FスーパーホーネットとF-35Cの合計は約六十機。同艦を中心とした打撃群には、タイコンデロガ級巡洋艦一隻、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦四隻、攻撃型潜水艦二隻、補給艦一隻が含まれていた。


 二番目の空母打撃群として「カール・ヴィンソン」がハワイを出港し、西太平洋に向かっていた。到着予定は十日後と見積もられた。


 日米間の指揮統制に関する取り決めは、直前の一週間で急速に整備された。日本側の機動艦隊は独立した指揮系統を維持するが、作戦の調整は米インド太平洋軍司令部との間でリアルタイムで行われた。これは二〇一五年の日米防衛協力指針の改定以来、初めて実際の有事において適用される枠組みだった。


 指揮統制の統合において技術的な要となったのは、共通戦術データリンクだった。日本のイージス艦と米海軍艦艇が同一のLink 16およびCEC(共同交戦能力)ネットワークを介してデータを共有することで、双方のセンサーが捉えた情報がリアルタイムで統合された。「まや」のSPY-7レーダーが探知した人民解放軍の艦艇データが、「ロナルド・レーガン」の作戦情報センターにも表示された。


「かが」の作戦室において、日米の連絡将校が同一のディスプレイを参照していた。作戦の方針が変更されるたびに、双方の担当者がデータを確認し、記録した。会議は時間を決めずに行われ、深夜でも継続した。


 第一機動艦隊の戦力に加え、米空母打撃群が加わった編成は、太平洋戦争以来、日米が組んだ海上戦力としては最大規模だった。


 しかし艦艇の数は、台湾を取り囲む人民解放軍の艦艇数を下回っていた。


 人民解放軍海軍の表面艦艇は封鎖ゾーン内外に合計で八十一隻が展開していた。台湾海峡の西側には上陸を主任務とする揚陸艦が集結し、東側には制海・制空を主任務とする水上戦闘艦が展開していた。日米合計の艦艇数は十六隻。比率は約五対一だった。


 ただし、数の比率が戦力の比率を直接示すわけではなかった。質と配置と情報が、戦力の実効性を左右した。


---


—2031年5月 電子戦の始まり


 最初の攻撃は弾丸でもミサイルでもなかった。


 日本時間の午前三時十二分、南西諸島全域の携帯電話ネットワークに大規模な障害が発生した。与那国島と石垣島では電力供給も断続的に途絶え、離島の医療機関では非常用電源への切り替えが行われた。同じ時刻、海上自衛隊の衛星通信に断続的な妨害波が確認された。妨害波の形式は周波数ホッピング型で、通常の対妨害措置では遮断が困難だった。


 サイバー部隊と電子戦部隊による複合的な攻撃と分析された。攻撃の発信源は複数の国にまたがっており、そのうちの一部は東南アジアと東欧のサーバーを経由していた。最終的な発信源の特定には専門機関による分析が必要であり、確定に一週間以上を要した。


「かが」はその夜、バックアップ通信に切り替え、作戦を継続した。バックアップは短波と衛星の二系統が用意されており、どちらかが遮断されてもデータの送受信は維持できた。ただし通信帯域は通常の三十パーセント以下に落ちた。


 南西諸島の通信インフラ障害は四日間続いた。基地局の修復は民間の通信事業者と自衛隊の通信部隊が共同で行った。


 三日後、同型の妨害が沖縄本島の自衛隊基地にも及んだ。那覇の基地のレーダーシステムが三時間にわたって機能を停止した。代替として民間の気象レーダーと海上保安庁の航空機が補完的に運用されたが、探知能力は大幅に低下した。


 その時間帯に、中国軍のH-6爆撃機六機が宮古海峡を通過し、太平洋側へ抜けた。戻りの針路は確認されなかった。爆撃機が搭載していた兵装の種別は判明しなかった。


---


—2031年5月中旬 ミサイルの着弾


 午後二時七分。台湾北部の基隆市近郊に、弾道ミサイルが着弾した。


 着弾点は民間の港湾施設だった。岸壁に停泊していたコンテナ船一隻が炎上し、周辺の荷役設備が破壊された。死者の数は第一報で三十一名とされた。後の集計では百八名となった。うち七名は日本人だった。


 台湾軍の防空システムは着弾の九分前に発射を探知していたが、迎撃に成功したのは同時に発射された複数のミサイルのうち一発だけだった。発射された総数は七発と記録された。六発が着弾し、一発が海上に落下した。


 その三時間後、台湾南部の高雄港に第二波が着弾した。


 高雄は台湾最大の商業港だった。第二波のミサイルは港湾の燃料タンク群を集中的に攻撃した。タンクが爆発し、延焼した。消火活動は翌日の午前まで続いた。高雄港は機能を停止した。


 ミサイルの種別は、東風シリーズの精密誘導型と分析された。人民解放軍の公式発表はなかった。中国外交部は「われわれは台湾海峡の平和と安定を望む」という声明を繰り返した。


 在台邦人の避難は第一波の着弾直後から本格化した。


 海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」が花蓮港の沖合に停泊した。「おおすみ」は全長百七十八メートル、排水量八千九百トンの輸送艦で、ウェルデッキに上陸用舟艇を格納し、ヘリコプター甲板を備えていた。港外に停泊したまま連絡艇を港に送り込み、避難を希望する邦人と外国人を収容した。


 沿岸から小型船で接近してくる避難民の数は、初日だけで三百名を超えた。国籍は日本人のほか、欧米や東南アジア出身者が含まれていた。「おおすみ」の収容能力は約三百名だったが、この日は六百名以上を乗艦させた。


 二回目の入港は翌日に予定されたが、基隆への第二波着弾を受け、作戦の見直しが行われた。


「おおすみ」の護衛には護衛艦「くまの」が当たっていた。「くまの」は三千九百トンの多機能護衛艦で、兵装の即応態勢を維持しながら輸送艦に随伴した。任務の性質上、「くまの」の艦長は終始、緊張状態に置かれた。自衛隊の法的根拠である「武力攻撃事態」の認定は下りていたが、射撃の判断基準と手続きについては複数の解釈が存在し、統幕からの具体的な指針は事前に届いていなかった。


---


—2031年5月下旬 外交の膠着


 国際法上の議論は、封鎖設定から三週間が経過した時点でも決着していなかった。


 国連安全保障理事会は二度の緊急会合を開いたが、常任理事国の拒否権行使によっていずれも決議に至らなかった。一度目はアメリカとイギリスが共同提案した「台湾海峡の自由航行確保」決議案が中国のみの反対で否決された。二度目は中国が提案した「日米による軍事介入の非難」決議案が、アメリカ、イギリス、フランスの三カ国の反対で否決された。


 国際司法裁判所への付託を求める声明が十七カ国から出されたが、拘束力はなかった。台湾はICJの当事者資格を持たず、この枠組みでは台湾が直接申し立てを行うことができなかった。


 G7はオンライン緊急首脳会合を開催し、「台湾海峡の現状変更に反対する」共同声明を発表した。ASEAN各国の声明は分かれた。中国との経済的結びつきが強い国は中立的な立場をとり、安全保障上のリスクを重視する国は日米への支持を表明した。


 経済制裁の議論は二つの問題を抱えていた。一つは、対中制裁によって自国経済が受けるダメージの大きさだった。中国は世界第二位の経済大国であり、多くの国の主要輸出先でもあった。もう一つは、制裁の実効性についての懐疑論だった。過去の事例から、大規模な経済制裁が軍事行動を短期間で停止させた例は多くなかった。


 台湾の民間の食料備蓄は、封鎖から三週間で封鎖前の水準から約三割減少した。燃料については、台湾政府が厳格な配給制を導入した。自家用車のガソリン購入は週に三十リットルまでに制限され、工業用燃料は政府が直接管理した。


---


—2031年5月末 封鎖線への前進


 第一機動艦隊は東側の封鎖ゾーン境界線まで四十キロまで前進した。


 統幕からの命令は「境界線の近傍において対峙態勢を維持せよ」だった。前進の目的は二つあった。一つは、日本の機動艦隊が台湾東方の海域に実効的に存在していることを示すこと。もう一つは、封鎖ゾーンを突破する際の所要時間を短縮しておくことだった。


「かが」のF-35Bは連日、台湾東部の上空を哨戒した。人民解放軍の艦艇は境界線の内側に留まり、日本の航空機との直接的な接触は避けていた。ただし、電子偵察機のY-9JBが常時、機動艦隊の行動を監視していた。


 イージス艦「まや」のSPY-7レーダーは、封鎖ゾーン内に展開する人民解放軍のミサイル駆逐艦の数を捉えていた。数は三十一隻。そのうち十二隻がHHQ-9対空ミサイルと対艦ミサイルを搭載した055型だった。055型の排水量は約一万三千トン。アメリカ海軍の巡洋艦に相当する規模だった。


「まや」の対空防衛能力は、055型のミサイルを複数同時に迎撃できる水準にあると評価されていた。ただし「同時に」の数と実際の交戦距離については、平時の演習と実際の戦闘では異なる変数が働くと、専門家は指摘した。


 潜水艦「おうりゅう」は引き続き封鎖ゾーン境界線付近で活動を続けていた。水中からの接近は表面艦艇とは別の経路を通れるため、警戒態勢の穴を突くことが理論上は可能だった。「おうりゅう」のソーナーは、ゾーン内の人民解放軍の艦艇の動きと、海中の潜水艦の可能性がある音響の両方を記録し続けた。







どうでしたか?


感想、評価お願いします。

誤字があれば教えてください。

それでは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ