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日本が機動艦隊を整備した台湾有事。  作者: 如月 愁


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プロローグ 整備/第一話 灰色の海

※ 本作はフィクションです。登場する組織、人物、事件はすべて架空のものであり、実在の人物・団体・事象とは関係がありません。

※本作中の法律解釈、兵器のスペック、作戦の詳細はすべて架空のものです。

実際の防衛政策、自衛隊の能力、国際法の解釈とは異なる場合があります。



—2030年10月 横須賀


 護衛艦「かが」が横須賀の第一造船ドックを出たのは、水曜日の夕方だった。


 工事は十四ヶ月を要した。飛行甲板の耐熱コーティングが全面的に施工され、アングルド・デッキの概念を取り入れた発艦レーンが設けられた。艦首部分の形状が変更され、固定翼機の短距離離陸に対応できる構造に改められた。エレベーターは二基から三基に増設され、飛行甲板と格納庫の間の動線が最適化された。


 これらの改修によって「かが」は、正規の空母打撃群を構成する戦力として、公式に位置付けられることになった。


 防衛省の公文書に初めて「第一機動艦隊」という表記が現れたのは、この年の七月だった。文書の分類は「防衛秘密」ではなく「公開情報」とされており、その点が内外の関係者に対するシグナルとして機能したという分析が、後に複数の研究者によって示された。


 F-35Bが「かが」に最初に搭載されたのは、同じ年の九月だった。


 十八機。航空自衛隊が運用するF-35Aとは設計が大きく異なる短距離離陸・垂直着陸型で、折り畳み式の主翼を持つ。ステルス性能は母体となるF-35と同等であり、兵装搭載量はやや少ない。


 機体の整備マニュアルは英語版と日本語版が同時に作成された。パイロットの訓練はアメリカのエグリン空軍基地で先行して行われ、計六名が資格を取得して帰国していた。


「かが」がドックを出た翌日、防衛大臣は記者会見でこう述べた。


 第一機動艦隊の任務は、わが国周辺の海域における抑止力の維持と、有事に備えた即応態勢の確立である。


 質問に答える形で、大臣はさらに続けた。


 これは攻撃的な能力の保有ではない。専守防衛の原則の範囲内で、防衛力を実効的なものとするための措置である。


 記者会見は三十分で終わった。


 翌日、北京の外交部スポークスマンは定例会見で、日本の軍国主義化に対する強烈な懸念と断固たる反対を表明した。声明の文言は、過去のものとほぼ同一だった。


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 第一話 灰色の海


—2031年3月 沖縄本島南西三百四十キロ


 海は凪いでいた。


 護衛艦「かが」は速力十八ノットで南南西へ進んでいた。

艦橋から見る水平線は完全な直線を描き、空との境界だけが世界の果てを示していた。飛行甲板上にはF-35Bが六機、翼を折り畳んで並んでいた。整備員たちが機体の周囲を動いていたが、その動きに急いた様子はなかった。


 第一機動艦隊の編成がととのったのは前年の秋だった。「かが」を旗艦とし、イージス艦「まや」「はぐろ」、哨戒艦「もがみ」「くまの」、海中戦力として潜水艦「おうりゅう」「たいげい」、さらに補給艦「ましゅう」を含む総勢八隻。海上自衛隊が公式に「機動艦隊」という名称を用いたのはこれが初めてであり、防衛省が公表した資料にはその文字が明記されていた。国会ではおよそ三週間にわたって審議が行われ、四十七年ぶりの組織改編として記録された。


 艦隊の運動性能は、従来の護衛隊群とは異なっていた。補給艦「ましゅう」との洋上補給を組み合わせれば、艦隊は補給なしに約六千海里の作戦行動が可能だった。これは横須賀からグアムを経てフィリピン海全域をカバーする距離に相当した。


 同じ日、台湾海峡では別の動きがあった。


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—2031年3月 台湾海峡 北緯二十四度付近


 人民解放軍海軍の揚陸艦群が台湾海峡中間線から東へ二十二キロの海域に入ったのは現地時間の午前四時十七分だった。


 艦艇の数は十三隻。うち六隻が075型強襲揚陸艦だった。これらの艦は二週間前から福建省の港湾を離れ、東シナ海から南シナ海にかけて機動演習を続けていた。演習はすでに三回繰り返されており、中国国防部のスポークスマンは毎回同じ文言で「定例訓練」と発表していた。


 075型の排水量は満載で約四万トン。搭載できる兵員は最大で約千八百名、上陸用車両は三十両以上とされていた。これらの数値は公開情報から算出されたものであり、実際の搭載量は不明だった。


 台湾国防部の追跡データによれば、今回の進入は過去の演習と一点だけ異なっていた。中間線を越えた後、艦艇群は転針せずに東進を続けた。過去の演習では、中間線付近まで接近した後に反転するか、通過したとしても短時間で引き返していた。今回はそのどちらも行わなかった。


 台湾軍の沱江級ミサイル艇がその針路を横切るように展開した。距離は最短で三・二キロまで縮まった。


 沱江級は排水量約五百トンの高速艦で、雄風三型対艦ミサイルを十六発搭載していた。人民解放軍の揚陸艦に対して射程内に位置していたが、発射はしなかった。できなかったのか、しなかったのかは、後の分析でも決着しなかった。


 発砲はなかった。


 揚陸艦群は四時間、中間線の東側を移動し続けた後、午前八時過ぎに反転して西へ向かった。


 日本時間の午前六時、防衛省統合幕僚監部の作戦室にその情報が届いた。当直士官が定型フォームに入力し、上位に報告した。作戦室の壁面ディスプレイに表示された光点の位置は、前日の午後と比べて東へ移動していた。


 情報処理のルーティンは平時のそれと変わらなかった。


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—2031年3月 首相官邸 地下危機管理センター


 国家安全保障会議の四大臣会合は午前七時に召集された。


 会議室の壁面には、台湾海峡の海図が投影されていた。光点の位置が示され、艦艇の種別と推定速力が数値で表示されていた。会議に出席した四大臣のうち、防衛大臣と外務大臣が交互に説明を行い、内閣官房長官と総理大臣はその説明を聞いた。


 防衛大臣は、現時点での事態認定を「重要影響事態には該当しない」と報告した。根拠として、台湾側の軍事行動が防衛的なものにとどまっていること、中国艦艇群に揚陸作戦の実行を示す具体的な兆候が確認されていないことの二点が挙げられた。


「具体的な兆候」の定義については、会議の中で議論があった。揚陸艦のランプが降下された記録はないか、気象条件は上陸作戦に適しているか、先遣の潜水艦が台湾東方に展開している証拠はあるか、といった確認が行われた。その時点で確認されていた情報は、いずれも「なし」だった。


 外務大臣は、在台日本人の数を報告した。長期滞在者として登録されているのは七千二百名、短期滞在者を含めると推定で一万五千名を超えると述べた。台湾南部の高雄市と台北市に、それぞれ日本の在外公館が設置されており、両公館の領事部はすでに邦人保護に向けた情報収集を開始していると報告された。


 会議は三十分で終了した。


 記録に残る議事の内容は以上である。会議の終了後に非公式に行われたやりとりの内容は、記録に残っていない。


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—2031年3月〜4月 グレーゾーンの六週間


 その後の六週間で、事態は段階的に変化した。変化の一つひとつは小さく、単独では「有事」の定義に当てはまらなかった。しかしその積み重ねは、関係者の認識を確実に変えた。


 第一週。台湾南部の通信インフラに断続的な障害が発生した。高雄市の携帯電話基地局が六十二カ所において同時に機能を低下させた。原因は特定されなかった。台湾当局はサイバー攻撃の可能性を否定しなかったが、断定もしなかった。通信障害は四日間続いた後、原因不明のまま解消した。


 第二週。日本の海上保安庁の巡視船が尖閣諸島北方の接続水域内で中国海警局の船舶と対峙した。船舶の数は過去最多となる二十三隻だった。うち六隻は機関砲を搭載した武装型で、過去の事案では通常、非武装型が前面に出ていた。巡視船「いしがき」が船首を接触させられ、右舷前部に損傷を受けた。乗組員に怪我はなかった。接触から三十分後に海警局の船舶は離脱した。


 第三週。沖縄本島と宮古島の間の海域において、水中ドローンが海上自衛隊の哨戒ヘリコプターによって発見された。機体はすでに起動しておらず、水深三十二メートルの海底に沈んでいた。引き揚げ作業には潜水艦救難艦「ちはや」が投入され、七日間を要した。引き揚げられた機体は海上保安庁の鑑識に回された。機体の国籍は公式には発表されなかった。ただし、防衛省と内閣情報調査室の内部文書には「中国製と推定」と記載されていた。


 第四週。台湾の複数の商業港が「軍事演習に伴う航行制限区域」を設定した中国側の通告によって実質的に封鎖状態となった。台湾を経由していたコンテナ船の迂回が始まり、日本向けの半導体関連部品の入荷遅延が産業界から報告された。東京証券取引所では半導体関連株が軒並み値を下げ、電子機器メーカー各社が生産計画の見直しを検討し始めた。国内の一部メディアがこれを大きく報じたが、政府の公式見解は「日本の安全保障上の事態には該当しない」だった。


 第五週。日本政府は「重要影響事態」の認定を閣議決定した。


 認定の根拠とされたのは三点だった。人民解放軍の継続的な演習活動が台湾周辺海域において四週間以上にわたって断続的に行われていること、台湾の海上交通路が実質的に制限されつつあること、在外邦人の安全確保に懸念が生じていること。


 法律的な手続きは三時間で完了した。


 その翌日、第一機動艦隊は沖縄西方の海域から宮古海峡を通過し、南西諸島の南方へ進出した。


 艦隊は戦闘序列を維持したまま待機した。F-35Bはすべて飛行甲板上に展開されたが、エンジンはかかっていなかった。整備員が機体の外装を点検し、燃料充填の状況を確認し、兵装の搭載準備を行った。その作業は二十四時間態勢で続けられた。


 第六週。在台日本人の自主帰国が始まった。


 台北の日本台湾交流協会が帰国を希望する在留日本人に対して登録を呼びかけた結果、三千二百名が登録した。民間の航空便は通常通り運航されていたが、搭乗率は急増し、台北発の日本向き便はすべて満席になった。旅行代理店には問い合わせが殺到し、一部では航空券が市場価格の三倍以上で取引された。


---


—2031年4月下旬 台湾東部沖


 事態が変化したのは深夜だった。


 台湾東部、花蓮の沖合百二十キロ。海上自衛隊の潜水艦「おうりゅう」は深度百八十メートルで静止していた。リチウムイオン電池を主電源とするこの艦は、ディーゼル電気潜水艦でありながら長時間の水中行動が可能だった。二日前から同海域に展開し、周辺の海中音響を記録し続けていた。


 海中は静かだった。ソーナーが拾う音は、遠方を行き交う商船のスクリューと、生物音と、海流の低周波だった。


 二十三時四十一分。


 ソーナー員が異常な水中爆発音を探知した。音源は北西方向、距離にして約三十八キロと計算された。爆発は単発ではなく、六秒の間隔をおいて三回繰り返された。


 その三分後、台湾海軍の「田単」が発信する遭難信号が傍受された。


「田単」は台湾海軍の主力フリゲート艦だった。成功級の一番艦として一九九三年に就役し、排水量は満載で約四千トン。台湾海峡の防衛任務に長く就いていた艦だった。発信された遭難信号は国際コードに従ったもので、艦名、位置、損傷の概要が含まれていた。損傷の原因として「魚雷もしくは機雷」という表現が使われていた。


 信号は七分間続き、途絶えた。


「おうりゅう」の艦長は規定の手順に従い、総合作戦所に報告した。記録によれば、報告は「田単」の遭難信号が途絶えてから四分後に発信されている。報告が統合幕僚監部に届くまで十一分かかった。


 統合幕僚長は防衛大臣に連絡した。防衛大臣は総理大臣に電話した。


 アメリカ太平洋艦隊の司令部にも同時に情報が共有された。ワシントンのNSCは独自の情報収集を始めた。


 その夜、日本のNSCは臨時招集された。会議は午前二時を過ぎても続いた。その間、官邸の地下に向かう車が数台、マスコミのカメラに捉えられた。いずれも深夜の人気のない永田町で、その映像は翌朝のニュースで繰り返し流された。


「田単」の捜索は翌日に始まった。台湾海軍の救難艦が現場海域に向かい、アメリカ海軍のP-8哨戒機が上空から参加した。海上自衛隊のP-1哨戒機も飛行した。


 艦の残骸は、遭難信号が発信された位置から三キロ南西の海底に発見された。水深は千二百メートルだった。艦首と艦尾が分離しており、爆発が船体中央部に集中した可能性が高いとされた。


 乗組員の生存者はいなかった。


 乗組員の総数は二百十八名だった。


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—2031年4月 武力攻撃事態の認定


「武力攻撃事態」の認定が閣議決定されたのは、「田単」の遭難信号が途絶えてから十八時間後だった。


 手続きは武力攻撃事態法の規定に従って行われた。国会への事前報告は略式で行われ、与野党の代表者が首相から直接説明を受けた。採決は行われなかった。

法律の条文によれば、採決が必要なのは「自衛隊の防衛出動」に関する承認であり、事態認定そのものは行政の判断に委ねられていた。


「武力攻撃事態」の認定は、日本の安全保障法制において最も高い段階の一つだった。この認定によって、自衛隊は防衛出動の準備を行うことができ、国民保護法に基づく措置が発動可能となり、米軍との連携の枠組みが拡大された。


 同時に、「特定公共施設利用法」に基づく措置として、宮古島、石垣島、与那国島の民間港湾と空港について、防衛上の優先使用が閣議決定された。


 防衛出動命令が発令されたのは、その四時間後だった。


 国会の事後承認手続きが開始された。議院運営委員会が召集され、特別委員会が設けられた。審議は二日間を予定とされた。


 第一機動艦隊は待機状態を解除した。


「かが」の飛行甲板上で、F-35Bのエンジンが順番に起動した。排気の熱で甲板上の空気が揺れた。発艦作業は十七分かけて行われた。最初の機体が海面に向かって降下し、やがて上昇に転じたとき、空はまだ明けていなかった。


 六機が順番に発艦した。最後の機体が飛行甲板を離れ、航跡灯が夜空に消えるまで、甲板上の整備員たちは静止していた。









どうでしたか?


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それでは。

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