4汗
地球に比べて低重力の火星。その地表を跳ねるように進む感覚は、慣れてしまえばそれほど苦ではなかった。
なるべく無駄な汗をかかないよう、思考を冷却し、室温とヒドラジンの圧力計を凝視する。12機の黄色い『スウェッター』が、赤い砂塵を巻き上げて弾丸のように荒野を駆けていく。
音割れの酷いモノラルスピーカーからは、0050年のヒットソングが能天気に流れ、機内の殺伐とした空気を不自然に塗りつぶしていた。
『……脂モヤシちゃん、聞こえる?』
ピーマンの脂詰めさんからの通信だ。
『目的地まであと24km。そろそろ休憩を入れないと、新兵たちの「容器」が限界だと思うの』
「そうですね……了解。全機、ここで大休止! 立ち止まって息を整えて。いい? 汗をかき過ぎないように、静かに休むのよ!」
各機のステータスを確認する。
室温30℃、ヒドラジン圧力30hp。安定している。
機材の不調や、ちょっとした感情の昂ぶりで溶けて消えるのは御免だ。私が胸をなでおろした、その時。
『……班長殿……その……お腹が、痛くて……っ』
まだコードネームすら与えられていない新兵から、悲鳴にも似た懇願が通信回線に割り込んできた。
その声を聞いた瞬間、私の背筋を冷たいものが走った。
(……あ、こいつ、死んだわ)
ピーマンの脂詰めさんが、そっと彼の機体に寄り添うのが見えた。
彼女が個別に何かを伝えている。私はこっそりと周波数を合わせた。
『……遺言なら、聴いてあげるわ。早くしなさい。ほら、俳句を詠んで? 東洋人は死ぬ時に俳句を詠むんでしょ? 五・七・五よ、早く』
「ピーマンさん、不吉なこと言わないで! ……新兵くん、聞きなさい。死にたくなければ、今すぐ括約筋を活躍させて! それが無理なら、今すぐスウェットを脱いで岩陰へ走って! 息を止めて、一瞬で済ませるのよ! 命がかかってるの、あんたも見たでしょ、溶けて消えた仲間を!!」
必死の説得。通信の向こうで、新兵の荒い呼吸音が響く。
頼む、耐えて。あるいは脱いで。
数秒の、永遠のような沈黙。
『……あ……』
新兵の声が、力なく漏れた。
「退避ーーーッ!! 総員退避ーーーッ!!」
叫ぶのと同時だった。
彼のスウェットの装甲表面が、沸騰した大釜のようにボコボコと泡立ち、膨れ上がる。
次の瞬間、機体は白光と共に爆散した。
化学反応の暴走が生んだ、無慈悲な小規模爆発。逃げ遅れた隣の新兵2名が、その爆風で機体を損傷。火星の希薄な大気に晒された彼らは、全身の穴という穴から血を吹き出し、砂漠に朱をぶちまけて絶命した。
出発してわずか3時間。
戦ってもいないのに、仲間が3名、文字通り消えてなくなった。
「…………」
生き残った9名は、もはや一言も発さなかった。
ただ、足早に。
次に溶けるのが自分ではないことを祈りながら、死臭を振り切るようにして補給拠点へと歩を進めた。
【ユキナの手記】
俳句を詠む暇があるなら、腹筋を固めろ。




