2汗
信じられないことに、翌日は休暇だった。
昨日の今日でまた死ぬ気でバックランジをする羽目になると思い込んでいたけれど、どうやら開拓地を襲撃したタコどももしばらくは大人しくなるらしい。とはいえ、半数は待機という名目で結局キャンプに隔離され、スクワットをさせられているのだが。
私は幸運にも、第一陣の外出許可を勝ち取った。
「やったぁぁ! 乙女のピース! イェーイ!!」
ドーム内の寂れた通りで、私は一人でポーズを決めた。もちろん、ダブルバイセップスではなく、女子大生らしい普通のピースサインだ。
だが、浮かれたのも束の間。私は立ち尽くした。
ここは火星の、それも弩級の辺境にある開拓地だ。見渡す限り、錆びたパイプと強化プラスチックの壁しかない。
「……何があるっていうのよ、ここ」
ようやく見つけたのは、看板に細々と灯りが灯る、宿屋兼レストラン兼雑貨店。
中に入ると、やる気のかけらもない店員が私を一瞥した。
「……なんだ、客か」
それだけ言うと、彼はまた古いテレビに視線を戻す。
WEBライター時代の私なら、即座にGALAXYマップに⭐︎1レビューを書き込み、店員の態度の悪さを情緒的に批判してやるところだ。
けれど、入隊時に私の最新型スマートフォンは没収されている。
代わりに渡されたのは、無骨という言葉すら生ぬるい軍用端末。できることは通話、メッセージ、トレーニング記録、カロリー記録……そして、天気予報(火星の砂嵐情報)。
「死ねッ!」
思わず床に叩きつけるが、軍用規格のそれは見事に跳ね返り、私の脛を痛打した。
「……痛……っ! なによ、頑丈すぎて自傷武器にしかならないじゃない……」
私は泣く泣く席に着き、一種類しかない定食を頼んだ。
出てきたのは、パンケーキとは似ても似つかぬ硬さのパン。
そして、銀河全域でサンダルと揶揄される、ゴムのようなステーキ。
さらに、野菜を練り込んだと言い張る(絶対嘘だ)ビタミン入りのカロリーバーと、謎の甘いジュース。
「…………っ」
涙が出た。
毎日、ドロドロのプロテイン飯と、水3リットル、そしてクレアチンをガリガリ噛むだけの生活に比べたら、これは天国のフルコースだ。
「美味しい……生きてる……私、人間のご飯を食べてる……」
泣きながらサンダル(肉)を咀嚼する私を見て、流石に店員もテレビから目を離した。
「……あんた、もしかして『スウェッター』か?」
私が頷くと、店員は一瞬言葉を失い、あろうことか涙ぐんで、受け取ったばかりの代金をテーブルに差し戻してきた。
「……いいよ、金は取れねえ。アンタらみたいな、地獄のサウナに入る奴らからはな」
(……おいおいおい。どんだけ憐れまれてるのよ、銀河の汗かき共!)
プロのライターとして「憐れみ」で飯を食うのは不本意だが、背に腹は代えられない。
私がガッついていると、店員さんは声を潜めて、この界隈で生き残るための「秘訣」を教えてくれた。
「いいか、新兵。恥を捨てて『オムツ』を買え。それも超吸収型の最高級品だ。尿取りパットもだ」
「えっ……オムツ……?」
「特に女子は、それで山芋になる確率がグンと下がる。安物はヒドラジンに反応して発火するからダメだ。この『軍用スーパーDX・ドライ』にしておけ。あとは制汗剤だ。これもダースで揃えておけ。死にたくなきゃな」
「なんて……なんて優しい人なの……!」
私は感動した。火星の砂漠にも、情けの雨は降るのだ。
だが、その後に提示された合計金額を見て、私の感動は一気に蒸発した。
「まいどあり。ざっと1万クレジットだ」
「……はい?」
一万クレジット。地球や月のレートで言えば、約18
万円。
「ちょっと! オムツとスプレーで18万!? ぼったくりじゃないの!!」
「お嬢ちゃん、ここは地の果て宇宙の果てだ。輸送費だけで地球の10倍はかかるんだよ。それに……アンタの命は1万クレジットより安いのかい?」
「……っ!」
ぐうの音も出ない。
結局、私は支給されたばかりの給料のほとんどを、最高級オムツと制汗剤の山に変えることになった。
「まいどありー!」
店員さんの声のオクターブが、さっきより明らかに高くなっている。
……ご馳走してもらったし、情報を教えてもらったし。……うん。
(……これ、絶対ぼったくられてるわよね?)
私は、山のようなオムツを抱え、重い足取りでキャンプへの帰路についた。
明日からの私の出撃は、この「最高級オムツ」に私の尊厳を、そして「制汗剤」にヒドラジンEXの出力を全て託すことになるのだ。
WEBライター・ユキナ。
ついに、パンツを捨てて軍用オムツを履く決意を固める。
火星の夕焼けは、私の将来と同じくらい、ドロドロの赤色に染まっていた。




