1汗
火星開拓地の巨大な居住ドーム。その最深部に設けられた、錆びた鉄の臭いが漂う簡易キャンプ。
回収ポイントから戻り、スウェット2055のハッチがプシュッと情けない音を立てて開いた瞬間、私――脂モヤシことユキナ・ホソカワは、床に崩れ落ちた。
「ひ、ひ、ひぃ…………あ、暑い……」
汗ですぶ濡れになったスーツの内側から、這い出すようにして床に這いつくばる。周りを見れば、他の生き残りたちも同様だ。鋼鉄のサウナから吐き出された彼らは、もはや人間というよりは、干からびた肉片の集合体にしか見えない。
「だらしないぞ脂身共! 生きているならEAA(必須アミノ酸)を飲め! 筋肉の分解を最小限に抑えるんだ!」
無敵超人こと教官が、生身のまま冷たいEAAを煽りながら、土足で私たちの間を闊歩する。
「死んでいった奴らに報いる唯一の方法は、次の戦場までにキレッキレの筋肉を取り戻すことだ! 立て! 噛め! 飲み込め!」
労いの言葉の中に、優しさの欠片も、一ミリの論理も存在しない。
そんな中、私の隣に一人の女性が這い寄ってきた。男女比8:2という、この絶滅寸前の兵科では珍しい「同性」の生存者だ。
「お疲れ、脂モヤシちゃん。……初めての実戦、どうだった?」
「あ、どうも……その、渾名しか知らなくて。……ピーマンの脂詰め……さん、でしたよね?」
「あはは、いいよその名前で。本名なんて、とうに火星の砂に埋めてきたし……どうせ皆、最後は『山芋』になるんだから」
彼女は微笑んでいた。だが、その瞳にはハイライトなんて一欠片も存在せず、ただ虚無だけを映す黒い穴のようだった。
「そういえば、小枝君……あ、大トロ小枝君。彼、生きてたみたいよ?」
「えっ!? あんなに干からびてたのに!?」
「さっき無敵超人が『水かけたらまだ動く!』ってバケツでザバーッてやったら、本当にピクピク動き出しちゃって。釣り上げられたサバみたいに痙攣してたわ。あはは、てへっ!」
……笑えない。
てへっ、と首を傾げる彼女の瞳の奥が、あまりに深淵すぎて、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「ほら、一緒に行こう? 『増量食』の時間。……どうせ中身は高カロリーのプロテインとEAAの詰め合わせでしょうけど、死ぬよりはマシだからね」
引きずられるようにして食堂へ向かう道すがら、彼女はポツリポツリと、この地獄へ至るまでの経緯を語ってくれた。
彼女は元々、ホスト狂いだった。天文学的な借金を背負わされ、ついには「お風呂」へ落とされた。そこで「研修」と称して連れて行かれた先が、なぜかこの宇宙海兵隊の入隊受付だったらしい。
「お風呂よりも、こっちの方がずっと『熱い』んだから、皮肉よね」
……全部が、酷すぎる。
ふと、支給されたばかりの「増量飯」という名の謎のペーストを見つめた。
今朝まで一千人いたはずの部隊は、今や五百人足らず。三百人が死亡し、その二割は「山芋」と化して原形を留めていない。残りの二百人は重傷、あるいは精神を病んで軍病院へと送られた。
明日には、また新しい「脂身」が補充されるのだろうか。
「……あ」
隣で「ピーマンの脂詰め」さんが、スプーンを口に運びながら、ぼそりと呟いた。
「パンケーキ……食べたい……。甘くて、フワフワで、プロテイン入ってないやつ……」
私は答えられなかった。
WEBライター時代に書いた「月面カフェ特集」の記事が、まるで前世の記憶のように遠く、現実味を失っていく。
私たちは今夜、生き残った喜びではなく、明日もまた汗をかき続けなければならない絶望と共に、この味気ないプロテインを喉に押し込むしかないのだ。
食堂に響くのは銃声ではなく、誰かがクレアチンを噛み砕く「ガリリ」という虚無な音だけだった。




