2汗
無情な電子音が、モノラルスピーカーの割れた音響で私の鼓膜を震わせる。
『目標降下地点まで、あと60秒』
『……全機、固定ロック解除。……ヨーイ……降下!』
『宇宙海兵隊高機動歩兵! 降下はじめッ!!』
「いけぇ! 汗っかき共! 飢えたタコちゃん共に、鉄拳を御見舞いしてやれッ!!」
格納庫に響き渡る教官の檄。
止まって、なんて叫ぶ暇もなかった。母船の電磁レールに固定された私の『スウェット2055』は、意志を無視して強制射出される。
視界が上下左右にシェイクされ、網膜に真っ赤な火星の地平線が叩きつけられた。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
大気圏突入の摩擦熱じゃない。スウェット内部の加温装置が、私の恐怖を「燃料」に変えようと、容赦なく熱気を吹き付けてくる。
ふと見れば、横を並走して降下してくる影があった。
パワードスーツじゃない。ただの、薄っぺらい、頼りない宇宙服を着ただけの教官だ。
(……この人の頭、どうなってるの!? 生身で火星に降下するとか、脳筋を通り越してただの自殺志願者じゃない!!)
地上からは、開拓地を飲み込もうとするマーズ・タコたちの放つ熱線が、幾筋もの死の線となって空を切り裂いている。
運悪く直撃した同僚の機体が、一瞬でオレンジ色の火花となって散った。
鉄の塊が、塵になる。あの中にいた人も、きっと一瞬で――。
「(漏れる……漏れる……!)」
極限の恐怖。膀胱が悲鳴を上げる。
でも、その瞬間、教官のあの野太い声が脳裏をよぎった。
『いいか脂モヤシ! ヒドラジンEXは水分に反応する。だが、間違えてションベンなんか漏らしてみろ。化学反応が進みすぎて……お前は山芋になるッ!!』
「(括約筋……! 頑張れ、私の括約筋……っ! 今ここで活躍しなくてどうするのよ!!)」
失禁=死。
WEBライターとして「かく」仕事はしてきたけれど、「山芋になる」最期だけは御免被る。
必死に下腹部に力を込め、脂汗を流しながら、私は火星の砂漠へと叩きつけられた。
――ドォォォォォォォン!!
着弾。衝撃吸収装置なんて気の利いたものはない。
私の脊椎が悲鳴を上げると同時に、スピーカーから教官の怒声が響く。
「地表到達! 新兵ども、挨拶代わりにイオンパルスキャノンを叩き込め! 全員――ダブルバイセップスだッ!!」
「やるしかないのね……! いっけぇぇぇぇぇ!!」
私は狭いパワードスーツの中で、両腕を曲げ、渾身の力で力こぶを作る。
スウェットのセンサーが私の筋肉のパンプを検知し、肩部のイオンパルスキャノンが猛然とチャージを開始する。
「広背筋! 広背筋をしっかり広げなさいって言われたでしょ私!!」
必死に背中を広げ、排熱機構を強制開放する。そうしないと機内温度がさらに10度上がるのだ。
文字通り「命がけのポージング」。
次の瞬間、私の両肩から極太の雷光が放たれた。
――ズガァァァァァァァンッ!!
凄まじい爆風が火星の赤い砂を巻き上げ、巨大なクレーターを穿つ。
直撃を食らったタコどもが消し飛ぶが、奴らはすぐさまクレーターの縁を埋め尽くすように群れを成し始めた。
ヌルヌルとした触手が、砂を噛んで迫りくる。
「全軍突撃! 白兵戦の時間だぁ!! 汗をかけ! 敵を、人生の不安を、まとめて捻り潰せ!!」
「う……うらぁぁぁぁぁぁぁぁーーーッ!!」
もう、ヤケクソだった。
私は、高周波カッターを起動させるために「サイドチェスト」の構えを取る。
石鹸の香りは、もうしない。
立ち込めるのはヒドラジンの臭気と、私の、生存本能全開の汗の匂いだけ。
戦場に、筋肉と鋼鉄の咆哮が轟いた。
【ユキナ・ホソカワの現状】
現在地: 火星地表・白兵戦に突入
室温:55℃(絶賛上昇中)
心境: 頑張れ私の括約筋!




