平和の代償
「どうですか? この景色! 素晴らしいとは思いませんか!?」
「落ち着け。お主がそう騒がしいと、折角の景色が台無しじゃろうて」
場所は変わって、儂と七子はとある寺へ赴いていた。そこは儂が封印される前から存在した場所で、狐を祀る神社の次に行きたかった場所だった。
その寺から眺める京の街は、一段と美しく見えた。ワラワラと人が多いことに目を向けなければ、ここは中々良い場所だ。懐かしくも、しかし変わらぬ景色というものは、こんなにも染み渡るものなのか。
「雪が降っても、紅葉満ちても、今のように若葉が萌えても、いつだって此処は綺麗ですね……」
「ほう……? お主にそのような風情を感じられる感性があるとはな」
「むぅ……! 失礼ですね! 私、こう見えても才女なんですよ!? よく貸本屋さんで、本も沢山読んでるのです!」
……これは、どちらなのだろうか。単純に歴史が進んだ影響で、識字率が上がったのか、この少女の出自が高貴な出であるため、そのような教養を身に付けているのか。
どちらにせよ、少女が残念な子であるというのはよく分かった。前者なら胸を張るようなことでは無いし、後者なら隠し方がお粗末だ。
儂は得意げな顔をする七子の頭を撫でた。よしよし、お前を良い子じゃな。
「な、なんでそんな顔するんです……?」
「いやいや、お主は賢いなぁ。とても偉いぞ」
「や、辞めてください……! そんな目で私を見ないでぇ……!」
その綺麗な髪を撫で回す。七子は不満そうにしながらも、儂の手を振り払うことはなく、ただ騒がしく文句を言うだけだった。
「あ、おいっ! あんた辞めろっ!!!」
「きゃー!!! また飛び降りよ!」
そんな儂達の元へ、いくつかの悲鳴が飛び込んできた。一体何事かとみれば、一人の男が押さえつけられており、今もなおその身を投げ出そうと藻掻いていた。
「なんじゃアレは」
「あぁ……この場所から飛び降りると極楽浄土に行けるとか、恋が成就するとか、そういう噂があるんですよ」
「ほう……いつの時代も、奇特なことをする奴は居るものだなぁ」
儂からすれば、そんなものはただの現実逃避にしか見えなかった。全く、これだから人間は愚かなのだ。
「世が乱れているからです。元和偃武と言えば聞こえは良いですが、今の世は地獄のようですから」
「ふぅん……? お主にしては、真っ当な意見じゃな」
「奏さんも見たでしょう? 農村では飢餓が蔓延し、穢れがそこら中に満ちています。これが泰平の世とは、とても思えません」
悲しげなその瞳が、あまりに痛ましかった。少女は世の苛烈さを知りながら、努めて明るく振る舞っていると、分かってしまったから。
やはり、この世はクソッタレだ。時代が進もうと、いつだって悲劇ばかりが襲い来る。
「けれど、私は諦めません! いつの日かきっと、今よりもっと良い時代が来ます! 私はそのために、出来ることをするだけです!」
七子はそう言って、大輪のような笑顔を咲かせた。
反省しなければならない。儂はこの少女の純真を、物を知らぬからこそ輝くものだと思っていた。だが。それは全くの間違いだった。
彼女は正しくこの世を理解し、思い知り、痛感し、それでも足掻いている。その高潔さは、こんな地獄においても眩しく光っていた。
「そうか。そうなったら、良いな」
「はいっ! ……って、あぁ~!!! 奏さん! ようやく笑ってくれましたね!」
「やかましいな……そんなわけなかろうて」
「絶対笑ってましたよ! あ、ほら! 今顔隠した!」
「ええい鬱陶しいぞ! このっ──!」
願わくば……この少女の輝きが、曇ることがなければ良いと、心の底から思った。
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「奏さんっ! 今日は楽しかったです! また今度、一緒に街を歩きましょうね!」
「ふんっ、儂はうるさくてかなわなかったぞ」
「そんなこと言ってぇー! 奏さんってば、凄く楽しそうでしたよ!」
「う、うるさいわ……!」
正直に言えば、それは事実だ。醜悪なこの世を儚むだけかと思ったが、儂はその中にも高潔な精神を持つ者も居ると、知ることが出来たのだから。
たったそれだけのことで、この世界が美しく思えた。ただの暇つぶしが、かけがえのない時間となった。絶対にそんなことは言わぬが、七子との時間はそれだけの価値があったのだ。
「名残惜しいですけど、そろそろお別れですね……」
「……そうじゃな」
「でも、またすぐに──っ!」
夕暮れ時。人気の少ない裏路地を歩んでいると、七子がびくりと、その身体を震わせた。剣呑な雰囲気を纏わせた七子は、貼り付けたような笑みで儂に笑いかけた。
「私、用事を思い出しちゃいました! すみませんが、これで失礼しますね!」
「……? あ、あぁ……」
「では! また会う日を楽しみにしてます!」
そう言って、七子は足早に駆けていった。その先は、この場所よりも更に荒れた場所だ。決して、こんな時間に女子が向かうような場所では無い。
「……様子を見るだけ、じゃ」
ただの言い訳だった。だが、本心からの心配でもあった。もし、あの少女が悪意に晒され、その精神を穢されようものなら、それはあまりに悲しい。あまりにも認めがたい。
何もなければそれで良い。少し、ほんの少しだけ、様子を見るだけだ。そう言い聞かせて、儂は七子の後を追った。
辿り着いたのは、粗末な墓地だった。ここまで来れば儂にも分かった。この場所には、あの異形が居ると。
「なんで特殊型が……っぅ! こんな近場に……!?」
見つけた。そこに居たのは、右腕から血を流した七子と……腹がでっぷりと出た、醜悪な子鬼の集団だった。七子は短刀を振るい、必死に子鬼を追い払おうとしていた。
だが、多勢に無勢だ。彼女の後ろから、子鬼の手が伸ばされて──
「お前ら如きが触れて良い娘では無いぞ、下劣め」
蒼い炎を逆巻きながら、断末魔も響かせずに朽ちていった。
「奏さんっ!? どうして此処に!?」
「お主は嘘が下手じゃな、七子。まぁ、それも美徳の一つか」
パチンと、指を鳴らす。それだけで、周囲の子鬼が一気に炎上した。
「す、凄い……こんなの、どうやって……」
「さて、と……七子よ。お主、この異形共が見えておるようじゃな」
夜空に咲く花火よりも美しく、しかし何処までも生を否定するその焔は、瞬く間に異形を塵へと帰した。後に残ったのは、呆然と奏を見つめる七子だけだった。
「お主、一体何者じゃ? どうして此処へやってきた?」
「あ、わた、私は……」
七子は少し口ごもり、しかし意を決してその口を開いた。
「──私は、鷹司家巫女代表、鷹司七子。京を守護する巫女の一人です」
儂が巫女という存在を知ったのは、これが初めてのことだった。




