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53.未完成の市場は、完成したふりをしません(上)

 

 翌日から、小ラズマイトでは、大きな工事を増やすより先に木札が増えた。

 緑は、そのまま使える場所。

 黄色は、仮補修まで終わっているものの、使い方に注意が必要な場所。

 赤は、立入禁止か、現地確認までに直すことを諦めた場所。


「ここは緑」


 ミラが修復済みの石畳へ札を立て、その少し先ではローデンが暗渠の上へ黄色い札を置く。


「ここからは黄色だ。荷車は一台ずつ。前との間を空けること」


 北へ続く未修復の道へは、ガルドンが迷いなく赤札を打ち込んだ。

 市場の入口に立ってそれらを見回したイデアは、しばらく黙っていた。

 道の端。古い石壁。屋根の支柱。

 まだ補強が終わっていない地下倉庫の一角。

 緑も確かに増えている。しかし、それ以上に黄色と赤が目立つ。


「……少々、赤が多すぎませんこと?」

「三日で全部直らなかったからです」


 ミラが当然のように答えた。


「隠す方法は?」

「あります」

「本当に?」

「管理所長が帰るまで、布をかける」

「……駄目ですわね」

「でしょう?」


 分かっていて聞かれたらしい。


「では、せめて赤札を少し小さく」

「危険が見えなくなります」

「黄色を美しく整えるというのは?」

「色の問題じゃありません」

「ですが、入口から見た印象が――」

「イデア」


 背後からアルゼルに呼ばれた。


「何ですの?」

「完成したふりはしないと、あなたが決めたのでしょう」

「ふりはいたしませんわ。少しだけ、整って見えるようにするだけです」

「人間は、それを取り繕うと言います」

「天使に人間の言葉を教えられたくありませんわ!」


 振り返ると、アルゼルは緑、黄色、赤の小さな木札を一枚ずつ持っていた。

 市場に立てたものよりずっと小さく、紐を通して手に持てる形になっている。


「それは?」

「あなた用です」

「なぜ?」

「管理所長をご案内している間、あなたがどこまで口を出してよいかを示します」

「わたくしにも区分がございますの!?」

「緑は、領主として発言してよい話です」

「黄色は?」

「担当者へ尋ねられた場合だけ」

「赤は?」

「市場会か作業責任者へ任せる」

「領主ですわよ!?」

「だからこそです」


 アルゼルは平然としていた。


「担当者が説明できることまで、あなたが先に答えないでください。現地確認で見せるのは、あなた一人が何でも知っている市場ではないでしょう?」


 痛いところを突かれる。

 イデアは赤い札を睨んだ。


「誰が考えましたの?」

「市場会です」

「あなたも?」

「助言を少々」

「やはり!」


 最近、イデアの知らないところで、彼女を止める仕組みばかりが増えている気がした。


 ◇


 通行調査を始めて、三日。

 記録されたのは、荷車二十三台。

 徒歩の利用者六十一人。

 家畜十四頭。

 そのうち、山羊は九頭だった。


「山羊だけ別項目にする必要がございますの?」


 集計表を見たイデアが尋ねる。


「ピムが、荷車と一緒にするなと」


 ダリオが淡々と答えた。


「山羊側の意見?」

「記録係の意見です」


 通った方向も分かれている。

 北街道西支線を使った荷車は七台。

 東の畑道から十台。

 南の川沿いから六台。


「北門を通る予定だった荷車は?」

「確認できた範囲では四台です」


 答えたのは、北街道管理所から派遣されている若い書記だった。

 名はエルク。

 三日間、小ラズマイトの記録係と並び、石と荷種を示す木片を数え続けている。年は二十代前半ほどで、日に焼けた顔に似合わず、帳面へ向かう時だけ妙に神経質なくらい文字を揃える男だった。


「北側から来た七台全部ではないのですね」

「ええ。三台は、もともと北門を使わない方向から来ています」

「でしたら、北門の通行収入が一割七分減った原因を、すべて小ラズマイトに求めることはできませんわ」

「三日分だけで、逆の断定もできません」


 エルクは慎重に答えた。


「承知しております」


 イデアもすぐに頷く。

 短い調査で都合のよい数字だけを拾えば、北街道管理所が推測だけで小ラズマイトを疑うのと変わらない。


「道中で使ったお金については?」


 ダリオが別の集計を出す。


「申告があった分だけですが、干し草、馬への水、食事、車輪の小修理を合わせて、銅貨二十九枚相当」

「小ラズマイトの外で?」

「はい」


 市場へ向かう者は、小ラズマイトだけへ金を落とすわけではない。途中の村で馬を休ませ、食事を取り、壊れた道具や車輪を直す。

 人の流れが変われば、周囲の金の流れも変わる。


「こちらも、管理所の記録へ入れます」


 エルクが言った。


「北街道管理所にとって、不利な数字になるかもしれませんわよ?」

「調査ですので」


 若い書記は真面目な顔で答えた。どうやらヴァイゼの部下らしい。


「正しい記録は美しい」


 ネッサが満足げに頷く。


「市場会へ引き抜かないでくださいませ」

「まだ誘っていない」

「まだ?」


 エルクが少し不安そうに二人を見た。


 ◇


 北街道管理所長が来る朝。

 イデアは久しぶりに、伯爵らしい服を身につけていた。

 深緑を基調にした長衣は、領主として正式な場へ立つために残している一着だった。

 王都から小ラズマイトへ着てきた赤いドレスほど質素ではないが、華美な金糸や宝石はなく、腰と肩の線が美しく出る端正な仕立てになっている。裾も長すぎず、泥の残る村道を歩くことまで考えれば、いまのイデアが持つ服の中では最も今日という日にふさわしかった。

 ほつれた袖口は、昨夜、セラが丁寧に直してくれている。


「似合っています」


 アルゼルが言った。


「当然ですわ」

「最近は動きやすい服装ばかりでしたので、新鮮ですね」

「本日は領主の威厳が必要ですもの」

「服で補うのですか?」

「元からございます!」


 イデアは袖口を整えた。


「絶対に汚さないでくださいね」


 セラが念を押す。


「本日は工事をいたしませんもの。大丈夫ですわ」

「領主様は、立っているだけでも何か起きますから」

「皆様、わたくしを何だと思っておりますの?」

「領主です」


 ミラが答える。


「それ以外は?」

「非常に事故へ近い領主」

「不要な説明ですわ!」

「大丈夫ですよ」


 アルゼルが穏やかに口を挟んだ。


「私が隣にいます」

「あなたも白い服を泥だらけにしているでしょう」

「私の場合は、周囲の責任です」

「なぜ、わたくしの場合だけ本人の責任なの!?」


 言い争っていると、市場入口の方から声が飛んだ。


「来ました!」


 管理所から派遣されていたエルクが駆けてくる。

 ダリオが記録板を持ち上げた。


「北街道管理所長の一行です」


 イデアは一度だけ息を整え、背筋を伸ばした。


 ◇


 北街道管理所長、ベネディクト・ラーヴェルは五十代半ばほどの男だった。

 鉄灰色の髪を後ろへ撫でつけ、濃紺の外套を身につけている。装飾こそ少ないものの、生地も仕立ても良く、仕事の場で余計なものを身につけない人間なのだと一目で分かった。

 目つきは鋭い。

 人そのものを見るというより、その人物へ予算を使う理由があるかどうかを値踏みしているような目だった。

 後ろには副管理官ヴァイゼ、書記二人、測量士、護衛二人が続いている。


「ラズマイト伯爵閣下」


 ベネディクトは正確な動作で頭を下げた。


「北街道管理所長、ベネディクト・ラーヴェルです」

「ようこそ、小ラズマイトへ」

「歓迎されているとは思っておりませんでした」

「反対意見をお持ちでも、客人は客人ですわ」

「市場の認可へ反対していることは、ご承知で?」

「ええ」

「では、率直に参りましょう」

「望むところです」


 挨拶を終えたベネディクトは、すぐに市場一帯を見渡した。

 色分けされた木札が、道や施設のあちこちに立っている。

 

「あの札は?」

「緑はそのまま使用できる場所。黄色は仮補修まで済んでおりますが、使用に注意が必要な場所。赤は立入禁止、もしくは現地確認までに修復を終えられない場所ですわ」


 ベネディクトは改めて市場を見渡した。

 緑よりも、黄色と赤の方が目につく。


「随分と未完成な場所が多い」

「そのとおりです」

「隠さないのですか」

「三日で道は完成いたしませんもの」

「管理所の者が来ると分かっていても?」

「布をかければ道が丈夫になるのでしたら、喜んでかけましたわ」


 ベネディクトの目元が、ほんの少しだけ動いた。

 笑うほどではない。だが、予想していた答えとは違ったらしい。


「案内を」

「承知しました」


 イデアが一歩出る。

 すると横から、アルゼルが小さな緑札を見せた。


「ここは発言して構わない場所です」

「もう始まっておりますの!?」

「市場会との約束です」


 ベネディクトの視線が、そこで改めてアルゼルへ向いた。

 金色の髪に、整いすぎた顔。そして、大きく畳まれた白い翼。

 どう見ても、人間ではない。

 北街道を管理する立場にある以上、小ラズマイトについて流れてくる噂を、まったく耳にしていなかったわけではない。

 翼を持つ男が領主のそばにいる。天使を名乗っている。そんな話も、商人や街道を行き交う者たちから聞いていた。

 どうやら、噂は本当だったらしい。

 だが、ベネディクトがそれ以上に気にしたのは、周囲の反応だった。

 市場会の者も、村人も、誰一人としてアルゼルの翼を気に留めていない。大きな白い翼を背負った男が領主のすぐ隣に立っているというのに、それが日常の光景であるかのように振る舞っている。

 ベネディクトはしばらくアルゼルを見たあと、ようやく口を開いた。

 

「あなたは?」

「アルゼルです」

「姓は?」

「ありません」

「職務は?」

「古文字読解立会人。夜番。診療補助。食事監督」

「最後は職務なのか」

「最重要です」


 アルゼルは真顔だった。

 ベネディクトはしばらく彼を見たあと、イデアへ視線を戻す。


「……変わった人材をお持ちですな」

「わたくしの所有物ではございませんわ」

「そうです」


 アルゼルが満足そうに頷いた。


「いま強調するところではありません!」


 ◇


 最初に案内したのは、村入口から市場へ続く道だった。

 修復済みの古い石畳。

 仮補修の暗渠。

 三日前に発見した、北街道側とラズマイト市場側の共同管理を示す古い境界標。

 境界標そのものは動かしていない。


「原物を掘り出さなかったのですか」


 ベネディクトが尋ねる。


「動かしたら、どこに立っていた石か分からなくなる」


 答えたのはミラだった。イデアは隣で黙っている。

 手に持っているのは黄色の札。担当者へ尋ねられない限り、口を挟まない約束だ。


「保存は?」

「水が溜まらないよう周囲だけ整えてあります。石そのものには触れていません」

「誰の判断です」

「私とガルドン。それから、調査に立ち会ったヴァイゼ副管理官」


 ベネディクトが部下を見る。


「間違いありません」


 ヴァイゼが答えた。


「現在の境界と一致するかどうかは、王領側の記録と照合が必要です」

「共同管理の文言は?」

「古文字読解立会人が」


 全員の視線がアルゼルへ向く。


「北道守とラズマイト市場守が、この排水路を共同で管理すると刻まれています」

「読み間違いの可能性は?」

「ありません」

「随分と自信がある」

「私ですので」


 ベネディクトは何かを言いかけ、そしてやめた。


「拓本を後で確認します」

「どうぞ」


 次は通行記録。

 三日間で荷車二十三台。

 入ってきた方向。車輪の幅と荷の種類。

 北街道管理所の書記エルクも確認し、途中集計へ署名している。


「北街道経由は七台」


 ベネディクトが数字を追う。


「はい」

「この数字で、管理所の収入減少とは無関係だと?」

「無関係とは申し上げておりません」


 今度はイデアが答えた。手元は緑。領主が答えるべき話だ。


「すべての原因ではない、と申し上げています」

「証拠は不足している」

「ええ。ですから、現地確認まで調査を続けますわ」

「自分たちに都合のよい数字が出るまで?」

「管理所の方にも立ち会っていただいております」


 エルクの背筋が伸びる。


「記録の改変はありません」


 管理所長の前でも明確に答えた。

 ベネディクトは若い書記を一度見てから、集計表を閉じる。


「よろしい。続けなさい」


 ◇


 共同秤。

 地下倉庫。

 防火用貯水槽。

 布屋根。

 診療所。

 ドワーフたちの店。

 ベネディクトは、ひとつずつ見て回った。

 共同秤についても、現行基準との正式な照合はまだ終わっていないことを隠さなかった。現在はエーミルが持つ検定済みの分銅を基準に使い、古い分銅の一組は資料として保存している。

 正式な確認は、王領監理局の一行が来た時に行う予定である。

 ベネディクトはそこまで聞いても、特に口を挟まなかった。

 問題になったのは、その先だった。


「古い市場権によれば、正式な定期市は月に一度」


 共同秤の前で、彼が言った。


「間違いありませんな」

「ええ」

「しかし現在、小ラズマイトでは月に一度以上、人が集まっている」

「水車の外部利用日がありますので」

「その日に売買も行われている」

「否定いたしません」

「認可前の市場営業では?」


 周囲の空気が静かになった。

 食料や農具、布や針などの日用品、薬草、それにドワーフたちの釘や金物まで。水車へ来た者同士が、その場でさまざまな物を売り買いしている。


「実態が市場なら、古い権利の範囲を超えている可能性がある」

「その可能性はございます」


 イデアは認めた。


「領主様」


 オルドが小さく呼ぶ。だが、イデアは言葉を変えなかった。


「もし現行の制度上、仮市として扱えない日が含まれているのでしたら、その日の市場側収入は分けて記録し、帳簿ごと王領監理局へ提出いたします。精算や返納が必要と判断された分には従いますわ」

「返すつもりか」

「必要なら」


 痛い。

 銅貨一枚でも惜しい。

 けれど、なかったことにはできない。


「ただし」


 イデアは帳簿を開く。


「出店料を取っていない食料や生活用品の取引。水車利用者同士の直接交換。診療所へ渡された対価。それらをすべて一律に『市場収入』として扱うかどうかは、実態を分けてご判断いただきたいですわ」

「自分に有利な解釈を求める?」

「事実を分けているだけです」

「売買は売買だ」

「でしたら、娘が母親へ麦を渡しても市場取引ですの?」

「それは違う」

「何が?」

「継続性と営利性だ」

「ですから、それを記録しております」


 誰が、何を。

 どの程度、何度。

 どんな条件で取引したのか。


「一度だけ卵籠を持ってきた村人と、毎回大量の商品を運ぶ商人を、同じ出店者として扱うつもりはございません」

「法は同じだ」

「法が同じでも、実態に応じた負担まで同じとは限りませんわ」


 ベネディクトの目が細くなる。


「あなたは、法を都合よく曲げたいのか」

「いいえ」


 イデアは正面からその目を見返した。


「違うものを、便利だからという理由だけで同じ名前へ押し込みたくないのです」


 沈黙の中、布屋根から朝露の水滴がひとつ落ちた。


「では」


 やがてベネディクトが口を開く。


「月一度の正式な定期市と、それ以外の日の扱いを分けた案を出しなさい」

「いま?」

「王領監理局の現地確認まで、もう長くはない。私はそれより前に、街道管理所側の意見をまとめるために来ています」

「承知しました」

「本日中に出せますかな」

「市場会と協議します」

「領主一人では決めない?」

「市場を動かすのは、わたくし一人ではございませんもの」


 ベネディクトは、少し離れて話を聞いていた市場会の者たちを見回した。


「では、その働きも見せてもらいましょう」


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