51.無料の道ほど、修理代がかかります(中)
昼前。
調査を始めて最初に村へ入ってきたのは、エーミルの荷馬車だった。
「なぜ、あなたが最初ですの?」
入口に立っていたイデアが尋ねると、エーミルは御者台から平然と答えた。
「一度外へ出て、入り直しました」
「試験のために?」
「商人として、調査手順に不備がないか確認を」
「暇ですの?」
「市場が認可されるかどうかは、私にも関係があります」
それを言われると追い返す理由もない。
ピムが北側の籠へ石をひとつ入れ、隣にいるリナが記録板へ一本線を引く。
「今朝はどちらから?」
ダリオが尋ねた。
「ハルム村の宿からです」
「使った道は?」
「北街道から西の分岐へ」
「荷物」
「塩、布、針、空瓶。合わせて十二箱」
「以前、東の町へ行っていた時は、街道で何を払っていました?」
「北門で荷車一台につき銅貨三枚。それに、荷の種類によって追加です」
「今日は?」
「北門を通っていませんので、払っておりません」
オルドの眉が寄った。
「やはり、こちらへ来ることで通行税を避けているのか」
「正確には、小ラズマイトへ来るために北門を通る必要がないのです」
エーミルは淡々と答える。
「以前は東の町の市場へ行っていました。そこへ向かうには北門を通ります。今は小ラズマイトへ売り先を変えたので、使う道も変わった。それだけです」
「市場を変えたから、道も変わった」
イデアが整理すると、エーミルは頷いた。
「ええ」
「北街道管理所が、収入を失ったと考えるのも分かりますわね」
「ですが、税を払うためだけに遠い市場へ行け、と商人へ言うのも妙な話でしょう」
「それも分かります」
誰か一方だけが、明らかに間違っているわけではない。
小ラズマイトが客を得た。その分、以前使われていた市場や門の収入が減った。
だが、商人へ不便な道を選ばせる権利まで、街道管理所にあるわけでもない。
「道の維持は、誰が?」
イデアが尋ねると、隣にいたダリオが古い地図を開いた。
「北街道の本線は管理所です。そこから小ラズマイトまでの支線は、この地図だと途中まで王領道、その先がラズマイト領になっています」
「境界は?」
「現地の石標がほとんど埋まっているそうです」
また土の下である。
「掘ります?」
イデアが口にした途端、
「勝手に掘るな」
「掘らないでください」
ガルドンとアルゼルの声が綺麗に重なった。
「まだ場所も分かりませんわよ!」
「あなたは、分からなくても掘り始めるでしょう」
アルゼルが穏やかに言う。
「信用がございませんわね」
「実績がありますので」
最近、それを言えば何でも通ると思われている気がする。
◇
昼を過ぎる頃までに、荷車は九台。
徒歩の客は二十七人。
そして。
「山羊、六頭」
「山羊も数えたの?」
ピムの記録を見たイデアが尋ねる。
「やぎは道を歩いたよ」
「通行調査という意味では、間違いではありません」
ダリオが冷静に認めた。
「ただし、荷車とは別に記録します」
荷車九台のうち、北街道側から来たものが三台。
東の畑道から四台。
南の川沿いから二台。
「これだけでは、まだ何も分かりませんわね」
「一日目ですから」
ダリオが答える。
「現地確認まで記録を続けます。市場のない日も、粉挽きや診療所を利用する者が来ますので」
「夜間は?」
「人を立たせ続けるわけにはいきません」
イデアはしばらく考え、市場入口を見る。
「夜に荷車で入った者が自分で札を入れられる箱を置きましょう。入ってきた方向だけでも分かれば十分です」
「善意に任せることになりますね」
「数をごまかして得をする仕組みではありませんから、ある程度は期待できます」
エーミルが言う。
「ただし、説明は必要でしょう」
「絵を描く!」
ピムが胸を張った。
「荷車の絵は描けますの?」
「やぎの方がうまい」
「山羊ではなくて!」
◇
十台目の荷車が現れたのは、午後もだいぶ傾いた頃だった。
黒い木箱を積んだ実務的な荷車で、車体の脇には羽根ペンと車輪を組み合わせた印が描かれている。
「北街道管理所です」
ダリオが気づいた。
荷車は村入口の手前で止まり、御者台から四十前後の男が降りた。
短い灰褐色の髪に、雨や泥を避けるため丈を短くした実用的な外套。細い目は周囲を素早く確認し、イデアの隣に立つアルゼルの白い翼へ一瞬だけ留まったものの、すぐに何事もなかったように戻った。
「ラズマイト伯爵閣下は?」
「わたくしです」
イデアが前へ出る。
男は姿勢を正し、一礼した。
「北街道管理所、副管理官ロルフ・ヴァイゼです」
「現地確認は十二日後と伺っておりますけれど」
「本日は事前調査です」
「連絡は?」
「今朝、使者を出しました」
「使者より先に到着なさったの?」
「早馬が途中で蹄鉄を失いまして」
妙に現実的な理由だった。
「それで、ご自分は荷車で?」
「調査器具がありますので」
荷台の黒い木箱には、測量用の鎖、杭、水準を見るための器具、小型の秤などが収められている。
どうやら本当に、道を見るために来たらしい。
「市場を止める命令をお持ちですの?」
「現時点ではありません」
「では、通行税を要求する?」
「それを判断するために来ました」
ヴァイゼの視線が、入口に並べられた籠と石へ移る。
「これは?」
「本日から始めた通行調査ですわ」
「私どもの異議を知って?」
「具体的な内容は、まだ伺っておりません。ただ、税収と道路維持費が問題なら、まず通る人と荷車を数える必要がございますでしょう?」
ヴァイゼの表情が、そこで初めて少しだけ動いた。
「事前に都合のよい数字を作っている可能性もあります」
「本日始めたばかりです。荷車は九台分しかございません」
「私で十台目ですか」
「記録へ入っていただけるなら」
「公務車です」
「道は使っております」
横からダリオが、すでに石をひとつ持っていた。
「北から一台」
ヴァイゼはその石とダリオをしばらく見比べたあと、短く息を吐いた。
「……記録してください」
拒む理由もなかったらしい。
◇
ヴァイゼは廃教会の礼拝堂へ通された。
古い石床。布や木材で塞いだ窓。壁際に残る雨漏りの跡。
仮机には、市場の帳面と道路図が積み上がっている。
「こちらが領主館ですか」
「現在は」
「市場の収入で、新しい屋敷を建てる予定を?」
「診療所と道の方が先です」
「領主館は?」
「雨が落ちなくなれば、当面十分ですわ」
アルゼルが何か言いたそうにイデアを見たが、口を挟むことはなかった。
「北街道管理所からの異議について、具体的に伺えます?」
イデアが本題へ入る。
ヴァイゼは二枚の書類を机へ置いた。
「過去半月で、北門の通行収入が一割七分減少しました」
「一割七分……」
「同じ時期、北街道西支線の荷車通行が増えています」
「何台ほど?」
「正確な数はありません」
「でしたら、なぜ増えたと?」
「路面の轍。近隣村からの聞き取り。それから、北門を通る予定だった商人が、小ラズマイトへ行き先を変えた記録です」
イデアは少し離れた長椅子に座っているエーミルを見る。
「エーミルのように?」
「彼だけではありません」
「道の修理費については?」
「雨のあと、西支線の一部が崩れました」
「小ラズマイトへ来る荷車が原因だと?」
「一因と考えています」
「修理箇所は、どちらの管轄?」
「それを確かめるのも、本日の事前調査です」
少なくとも、最初からすべてを小ラズマイトへ押しつけに来たわけではない。
イデアは少しだけ肩の力を抜いた。
「管理所としては、何を求めておりますの?」
「市場利用者から、北門と同程度の通行負担を取ることです」
「小ラズマイトへ向かう者から?」
「北街道西支線の維持費として」
「古い市場権には、市場利用のために通る者から通行税を取らないという免除があります」
「正式な定期市として認められた場合、その範囲をどう扱うかは王領監理局の判断になります」
ヴァイゼは淡々としている。
「ですが現在は、まだ認可前の仮市です。それでもすでに人と荷車の流れは変わっている」
「それは認めます」
イデアも否定しなかった。
「ですから、正式な管理を申請しておりますわ」
「認可される前から、周囲の収入が減っている」
「奪う目的ではございません」
「目的ではなく、結果です」
厳しい言い方だった。
だが、間違ってはいない。
「では、北門の収入が減らないよう、市場を閉じろと?」
「そこまでは申していません」
「利用者へ同額の通行税を課す?」
「道路を使う以上、一定の負担は公平でしょう」
「何と比べて?」
イデアの声が少し低くなった。
大きなエメラルドの瞳にも、先ほどまでとは違う鋭さが宿る。怒りに任せたものではない。
相手の言う「公平」が本当に公平なのか、ひとつずつ確かめようとする強い眼差しだった。
「北門を通って東の町へ向かう者と、小ラズマイトへ来る者とでは、使う道も距離も違いますわ」
「どちらも王領道を含みます」
「でしたら、そのふたつの道は、維持にかかる費用まで同じだとおっしゃいますの?」
「区間によります」
「でしょう? 荷車だって、積んでいる物も重さも同じではございませんわ」
「ええ」
「徒歩で診療所へ来る患者や、背負い籠ひとつの農民からも同じ額を?」
「現在の北門では、徒歩の者にも少額を求めています」
「病人にも?」
「規則上は」
イデアの眉が寄った。
「それを、小ラズマイトでも行えと?」
「道路維持には費用がかかります」
「存じております。こちらも道を直し、作業者へ賃金を払っております」
「なら、なぜ通行負担そのものを拒むのです」
「拒んでいるのは、一律に取ることですわ」
イデアは市場の帳簿を開いた。
「荷車修理。保管。馬への水。地下倉庫。水車。利用した設備や仕事へは料金をいただいておりますし、屋根についても利用者に維持への負担をお願いしております。それに、認可後は外部の商用荷車にも道路維持の負担を求める案を、すでに考えております」
「ならば、北門と同額でも」
「そこが違います」
即答する。
「卵一籠を持って歩いてきた方と、大きな荷車へ商品を満載して利益を得る方へ、同じ負担を求めるつもりはございません」
「公平ではない」
「同じ額を取ることだけが、公平ではございませんわ」
雨の日の屋根。
排水。
低い場所。
火を扱う店。
これまで、何度も同じことを学んできた。
「道を多く傷める者には、その分を負担していただく。けれど、通るだけの病人や生活のために行き来する方を、市場へ来られなくするほどの金は取りません」
「その区別を、誰が決める」
「だから調べます」
イデアは朝作った通行記録をヴァイゼの前へ置いた。
「どの道を、どんな荷車が、どれほど使っているか。実際にどの程度傷み、修理へいくら必要なのか。それを確認してから、負担の形を決めます」
「確認している間にも、道は傷みます」
「では十二日間、共同で調べてくださいませ」
「共同?」
「こちらの通行調査へ、管理所の方にも立ち会っていただきます。毎日でなくて構いません。抜き打ちでも結構ですわ」
「数字をごまかさないと?」
「疑うからこそ、一緒に数えるのです」
イデアはまっすぐ彼を見返した。
「十二日後、現地確認の場へ、双方が確認した数字を持っていく。それなら、こちらだけの都合でも、管理所だけの都合でもございませんでしょう?」
ヴァイゼはしばらく黙っていた。
「市場が認可された後は?」
「小ラズマイトが外部利用者から得る水車使用料、倉庫料、荷車修理料など、その一部を接続道路の維持積立へ回します」
「通行税ではなく?」
「市場によって生まれた収入から、道路へ戻します」
「重い荷車が何の設備も使わなければ?」
「その場合は、調査結果を見て改めて考えます。大型商用荷車だけの維持負担が必要なのか、あるいは既存の収入で足りるのか。古い免税の範囲も含めて、王領監理局の判断前に勝手には決めません」
ヴァイゼの目が少し細くなった。
「最初から、北門と同額を取るつもりはないと」
「ええ」
「管理所へ払う金を、できるだけ減らしたいだけでは?」
「それもございますわ」
イデアは堂々と認めた。
「借金がございますので」
その言葉に、アルゼルの口元がわずかに緩んだ。




