41.共同秤は、嘘まで量ります(下)
不正分銅の一件を受け、その日のうちに新しい市場規則が増えた。
市場で使う秤、分銅、升などは、最初の出店時に確認する。
確認済みの道具を使っている店には、小さな木札を渡す。
札にはラズマイト家の印と、確認した日を記す。
「札を偽造する方が出ませんか」
ダリオが尋ねた。
「少し複雑な印にしましょう」
「私の横顔を」
アルゼルが提案した。
「再現できる者が少ないため、偽造防止になります」
「木札一枚へ、あなたのお顔を彫るの?」
「簡略化しても、美しさは伝わるでしょう」
「閉じた目と長い髪だけなら、案山子でも似たようなものですわ」
「却下です」
「ご自分から提案なさったのでしょう!」
結局。
翼。槌。小さな水車。
三つを組み合わせた印になった。
「細かすぎません?」
木札を試しに彫っていたミラが言う。
「偽造防止ですわ」
「一枚作るのに時間がかかります」
「では、最初は出店者ごとに一枚。確認した道具の数だけ裏へ刻みましょう」
「検査料は?」
オルドが尋ねた。
「正式な市場認可までは無料です」
「認可されたら取るのか」
「少額はいただきますわ」
「不正を防ぐための検査で?」
「分銅の保管にも、検査にも、人手と時間がかかりますもの」
共同秤へ目を向けながら、イデアは続けた。
「無料のまま続けて、維持できなくなって放置するよりよいでしょう?」
ガルドンが頷く。
「正しく量るにも手間はいる」
ダリオは羽ペンを走らせながら、次の項目を確かめる。
「では、検査を受けない方はどういたしますか?」
「市場で、重さや量を基準に売ることを認めません」
「一本、二本と数える品なら?」
「構いません。ただし、束の本数をごまかしたら同じですわ」
ネッサが釘束をひとつ持ち上げた。
「あたしたちは数えられる」
「存じております」
「確認するか」
「します」
「信用してないのか」
「信用と確認は、別ですわ」
ネッサは少し考え、釘束をイデアへ渡した。
「数えろ」
「一、二、三……」
十本。すべて正確だった。
「次も」
「全部?」
「確認するんだろう」
「最初の数束だけで結構です!」
ドワーフの冗談は、時々どこまでが本気か分からない。
◇
午後には、マルテンから塩を買った者への不足分の返還が終わった。
不正な分銅は、証拠として保管する。
店に残っていた塩と油も、正しい分銅で量り直された。
荷物をまとめ終えたマルテンは、帰る前にイデアのところへ来た。
「本当に、また申請していいのか」
「正規の道具を用意し、不足分を返したことが確認できたなら、申請そのものを拒む理由はございません」
「今日のことを、ほかへ知らせない?」
「王家の印に似せた刻印については、クラウスへ報告します」
「それでは意味がないだろう!」
「何も報告しないとは申し上げておりません」
マルテンの顔が歪む。
「どう扱うかは役所が判断するでしょう。ただし、本日、不足分を返し、取引停止へ応じたことも同時に記します」
「助けるつもりか」
「事実をすべて伝えるだけですわ」
「冷たい女だな」
「不正を見逃す方がお好み?」
マルテンは答えず、荷物を積んだ。
だが、去り際。ドワーフの店の前で、一度だけ足を止めた。
「さっきは」
ボルグを見る。
「言い過ぎた」
あまりに小さな声だった。
「聞こえん」
ボルグが答える。マルテンの顔が赤くなった。
「人間の市場だと言ったことだ! 悪かった!」
「ここはまだ正式な市場じゃない」
「そこか!?」
「だが」
ボルグは、自分が壊した支柱を見る。
「俺も壊した。悪かった」
二人とも、相手の顔をまともに見ようとはしなかった。
「これで和解ですの?」
イデアがガルドンへ小声で尋ねる。
「十分だ」
「随分と不器用ですわね」
「お前たちほどではない」
ガルドンの視線が、イデアとアルゼルの間を往復する。
「なぜ、わたくしたちが?」
「何でもない」
ガルドンは口の端をわずかに上げると、呆れたように首を振った。
◇
市場を閉じたあと。
ダリオが、その日の収支を仮机へ持ってきた。
水車使用料——麦、三袋と升二杯。
市場の販売料——銅貨十三枚。
地下倉庫の短時間利用料——銅貨四枚。
荷車の車輪修理——銅貨二枚。
ドワーフの出店料は、生活用品を扱うため無料。共同秤の検査も、現時点では無料。
「現金収入は、銅貨十九枚です」
「市場一日では、これまでで一番では?」
「そうなります」
銅貨十九枚。
金貨と比べれば小さい。王家への借金に比べれば、なおさらだ。
「一日目の道普請で、帳簿につけた十二人分の賃金は?」
「銅貨十二枚です」
「本日、支払います」
ダリオが顔を上げる。
「すべてですか?」
「ええ。一日分ですけれど」
「市場の備品や食料購入へ、残しておかなくてよろしいのですか」
「銅貨七枚は残ります」
「少なすぎませんか」
「ですが、働いた方へ支払うと約束いたしましたもの」
本来は、市場の収入が安定してからまとめて払うことも考えていた。
けれど、払える金がいま手元にある。わざわざ先延ばしにしたくはなかった。
「皆様を集めてくださいませ」
◇
廃教会の礼拝堂へ、初日の道普請へ参加した十二人が集まった。
ミラやトーマ、ローデンたちは、何事かと顔を見合わせながら机の前へ並んでいる。
その机の上へ、イデアは十二枚の銅貨を並べた。
一人、一枚。
「まずは初日分のみですが、先日の道普請の賃金です」
イデアがそう告げると、小さなざわめきが起きる。
誰も、すぐには手を伸ばさなかった。
「本当に払うのか」
オルドが尋ねる。
「約束しましたでしょう?」
「市場がもっと続いてからでいい」
「今日、収入がございました」
「だが、その金は屋根にも食料にも使える」
「それと同じように、皆様の生活にも使えますわ」
イデアが一人ずつ名前を呼び、ダリオが帳簿と照らし合わせる。
最初に銅貨を受け取ったのはミラだった。
掌へ載せた一枚を、しばらくじっと見つめる。
「道を直して、領主から金をもらったのは初めてです」
「これまでは?」
「働くこと自体が税でした」
「無償で?」
「ええ」
領主に命じられた道普請。
橋の修理。
徴税人が通るための道。
村人たちは畑仕事を止め、食事も賃金もなく働かされてきた。
「今回は、市場と村のための仕事です」
イデアは言った。
「今後、すべての共同作業へ現金を支払えるとは限りません。村の皆様に協力をお願いしなければならないこともあるでしょう」
「なら、なぜ今回は?」
「外から来る荷車も使う道だからですわ」
市場が利益を得る。
領地に収入が入る。
ならば、そのための労働へ、得た収入の一部を戻すべきだ。
「銅貨一枚では、少ないかもしれません」
「少なくない」
ミラは銅貨を握った。
「約束どおりです」
後に続く者たちも、一人ずつ受け取っていく。
オルドだけは、最後まで手を伸ばさなかった。
「わしは村長として働いただけだ」
「では、村長として働いた分ですわ」
「これまで、そんなものは」
「これからは記録します」
「村の蓄えへ入れてくれ」
「受け取ったあと、オルドご自身で入れてくださいませ」
「同じだろう」
「違います」
イデアは銅貨を彼の前へ置いた。
「働いた方へ支払うことと、領主が最初から無償と決めることは違います」
オルドはしばらく銅貨を眺めたあと、深い皺の刻まれた指で持ち上げた。
「頑固な方だ」
「よく言われますわ」
「誰に?」
「主に、あなたとアルゼルに」
「私は、あなたを頑固だとは」
アルゼルが口を挟んだ。
「自分の価値だけは、意地でも低く見積もる方だと思っています」
「いま、その話をなさるの?」
「賃金の話でしょう?」
「わたくしの賃金は関係ございません!」
「領主の労働時間を記録すれば、最も多いのでは?」
「借金を抱えた家の当主ですもの。わたくしは後回しで当然ですわ」
礼拝堂が、少し静かになった。
アルゼルの口元から、いつもの微笑みがわずかに薄れる。
「当然ではありません」
「ですが――」
「責任と、罰は別です」
穏やかな声だった。
けれど、そこだけは譲らない強さがあった。
「あなたには、領地を立て直す責任があります。だからといって、自分を使い潰す罰まで受ける必要はない」
イデアは返す言葉を探した。
「……利益がもっと出るようになったら、考えますわ」
「また先へ延ばしましたね」
「まずは領民です」
「では、せめて食事と睡眠は、報酬として受け取ってください」
「食事監督官へ戻りましたわね」
「最重要の職務ですので」
周囲から笑い声が起こった。
イデアは少しだけ顔を熱くしながら、残った銅貨を袋へ戻した。
◇
その夜。
市場の片づけが終わったあと、イデアは共同秤の前へ立っていた。
左右の大きな皿は空になり、月明かりを受けた金属の梁だけが淡く光っている。
昼間、ここで釘を量った。塩を量った。
古い分銅と新しい分銅を比べ、そして、偽物の分銅まで見つけた。
「人の嘘まで量れる秤があるとは、思いませんでしたわ」
「秤が量ったのは、重さだけですよ」
背後からアルゼルが答えた。
「嘘を見つけたのは、あなたです」
「わたくしは分銅を落としただけですわ」
「それも一種の才能でしょう」
「嬉しくありませんわ」
アルゼルがイデアの隣へ立った。
「今日の市場は、成功ですか?」
「出店者同士で争いが起きました」
「暴力になる前に止めた」
「不正な商人がおりました」
「見つけて、弁償させた」
「市場の信用が落ちたかもしれませんわ」
「逆でしょう」
イデアは横を見る。
「なぜ?」
「不正が一度も起きない市場など、ありません」
アルゼルは空になった秤へ手を置いた。
「起きた時、誰がどう扱うか。人は、そこも見ています」
隠すのか。
立場の強い者を庇うのか。
よそ者へ責任を押しつけるのか。
金を持つ者だけを守るのか。
「あなたは、人間もドワーフも同じ秤へ載せた」
「物を壊したことと、不正な分銅を使ったことを同じ罰にはしておりませんわ」
「同じ罰ではなく、同じ基準です」
イデアは共同秤の梁を見上げた。
「秤は、誰が載せても同じように傾きますものね」
「人間は、そう簡単ではありませんが」
「あなたは?」
「私?」
「この秤へ載せたら、どのくらいですの?」
アルゼルは微笑んだ。
「神聖さと美貌まで含めれば、測定不能でしょう」
「自尊心が重すぎて、秤が壊れそうですわ」
「あなたの評価は不当に低いですね」
「では、他に何を加えれば?」
「あなたを助けた回数」
「それを数えるの?」
「重要な実績です」
「桶を被った回数は?」
「数えません」
「ご自分に都合がよろしいのね」
イデアは笑った。
少しだけ、沈黙が落ちる。
数日前の夜。
アルゼルは、自分はいつでもイデアの味方だと言った。
加護を与えた相手だからという理由だけではない、と。
その先は、まだ言わない。
いつか、きちんと答えると約束した。
考えないようにしようとしても、あの会話は胸の奥に残ったままだった。
「アルゼル」
「何でしょう」
呼びかけたものの、続く言葉がすぐには出なかった。
共同秤の空いた皿へ、イデアは指先を触れる。
「……この間の、お話」
アルゼルは何も急かさず、彼女の続きを待った。
「答えは、まだ結構ですわ」
「そうですか」
「ただし」
イデアは彼を見ないまま続ける。
「なかったことには、なさらないで」
アルゼルは、ほんのわずかに黙った。
「もちろんです」
その返事があまりにも迷いなく返ってきたせいで、今度はイデアの方が何も言えなくなる。
「覚えていますよ」
「……でしたら、よろしいですわ」
「それだけですか?」
「それだけです!」
イデアは共同秤から手を離した。
答えを急かすつもりはない。
自分が何を望んでいるのかを認めきれないことは、あの夜すでに思い知っている。
けれど。
いつか答えるという言葉だけは、忘れてほしくなかった。
◇
その日の現金収入は、銅貨十九枚。
支払った賃金、銅貨十二枚。
残った現金、銅貨七枚。
王家への借金は、まだ一枚も減っていない。
それでも。
まず十二人へ、約束した賃金を支払えた。
ドワーフの金物が、人間の家へ持ち帰られた。
不正をした者には不足分を返させ、怒りに任せて物を壊した者にも、自分のしたことへ責任を負わせた。
市場の共同秤は、釘や塩の重さだけではなく。
小ラズマイトが、これからどんな場所になるのかまで、少しずつ量り始めていた。
もっとも。
翌朝には、その共同秤の片方の皿へ灰色の山羊が器用に乗り込み。
反対側へ何を載せれば釣り合うのかを巡って、ひと騒動起きることになる。
山羊の価値まで正確に量れるかどうかは、まだ誰にも分からなかった。




