39.道の修理代は、約束で支払います(下)
持ち上げた石蓋の下からは、地下へ続く階段が現れた。
十分に空気を入れ替え、危険がないことを確かめてから、ガルドンとアルゼルが先に下りる。
続いてミラ。
その後ろを、イデアも進んだ。
思えば、この村では地面を掘るたびに何かが出てくる。水路、石畳、坑道、そして今度は地下室。
「いっそ村中を掘り返したら、とんでもないものが出てくるのではなくて?」
「その前に村がなくなりますよ」
前を行くアルゼルが即座に答えた。
ガルドンはイデアを振り返る。
「なぜ、お前まで来る」
「領地の施設ですもの」
「危険かもしれんぞ」
「アルゼルが先におります」
「私を頼りましたね」
アルゼルが嬉しそうに言った。
「明かりとしてです」
「そこは、もう少し素直に」
「よそ見せず、足元を照らしなさい!」
階段の先には、思った以上に広い石室があった。
廃教会の地下室よりも大きい。
左右の壁には棚と留め具。
天井には通気口。
中央には、荷物を載せるためらしい石の台が残っている。
「保管所ですわね」
「それだけではない」
ガルドンが奥の壁を調べる。
錆びた金属の取っ手を引くと、石壁の一部が開いた。向こう側から、湿った水の匂いが流れてくる。
アルゼルが灯りを向ける。
そこには、石で囲まれた大きな水槽があった。
「貯水槽?」
「火事に備えたものだ」
ガルドンが答える。
「市場じゃ火を使う。鍛冶、料理、灯り。燃えた後に井戸まで走っていたんじゃ遅い」
底には、わずかに水が残っている。
壁へ通じる古い管は、地下の水路へ繋がっているらしい。
「直せば水を溜められますの?」
「できる」
イデアの表情が明るくなる。
「市場の現地確認には、火災対策も必要ですわ」
「ここを使えるようになれば、水桶だけへ頼らずに済みますね」
アルゼルが言う。
「ひとつは私が壊しましたし」
「そこはもう数えなくて結構です!」
棚には、いくつもの金属製の分銅も残されていた。
形も重さも違う。
どれにも王冠と翼、それから槌と花の古い印が刻まれている。
「共同秤の分銅ですね」
ミラがひとつ持ち上げた。
「これが使えれば、正規の計量器にできませんか?」
「現行の基準と同じ重さか確認が必要ですわ」
イデアは答える。
「クラウスが現地確認へいらした時、王家の基準と照らし合わせてもらいましょう」
「違っていれば?」
「昔の市場で使われていた資料として残します」
「売らないのですか?」
アルゼルが尋ねた。
「市場の歴史を示す品ですもの。いま金へ換えるより、ここへ残した方が長く価値を生むかもしれません」
「あなたが古い金属を売らないとは」
「わたくしを何だと思っておりますの?」
「王都で祭具を売った方」
「あれは必要でしたの!」
「今回は?」
イデアは貯水槽と地下倉庫を見回した。
「市場が正式に認められれば、こちらの方が何度も利益を生みますわ」
「やはり、売るかどうかも帳簿で決めるのですね」
「領主ですもの」
◇
地上へ戻ると、ガルドンは早速、地面から現れた共同秤を調べ始めた。
長い年月で錆びてはいるが、致命的な破損はないらしい。
「数日あれば直せる」
「本当に?」
「人間が余計な場所へ触らなければな」
ガルドンはイデアを見た。
「わたくし?」
「特にお前だ」
「見つけたのは、わたくしですわよ!」
「見つける才能と、直す腕は別だ」
「では、触りません」
「本当に?」
「……善処いたします」
「信用できん」
それだけは、すっかり共通認識になっていた。
「貯水槽は?」
「管を洗えば使える。ただし、最初から飲み水へ使うな」
「火事と清掃用だけにします」
「地下倉庫の天井は補強が必要だ」
「直せば市場の商品を保管できますの?」
「できる」
計量。火災対策。品物の保管。
現地確認へ向けて必要だったものが、ひとつの空洞からまとめて現れたことになる。
「今回の災難は」
アルゼルが言った。
「石畳が割れ、あなたの片足が落ちました」
「怪我はしておりませんわ」
「私に抱き上げられ、また夫と誤解されました」
「それは損失として数えません!」
「いつか誤解ではなくなる可能性も」
「勝手な将来予測を加えないでくださる!?」
ガルドンが大きくため息をついた。
「金髪」
「アルゼルです」
「お前は働け」
「今日は石梁を支えました」
「午後は秤だ」
「私は神の直系で――」
「俺たちが祈るフィルネア様は、お前の姉なんだろ」
「そうですが」
「弟なら、姉に縁のある市場を直せ」
アルゼルが言葉を失う。
「完璧な理屈ですわね」
イデアが感心して言った。
「どこがです?」
こん。
共同秤の上から小さな石片が落ち、アルゼルの頭へ当たった。
「姉上も賛成のようですわね」
「……この土地での私の扱いに、重大な問題があります」
◇
夕方には、古道の最初の一区間が人間とドワーフの手で積み直された。
昨日の道と、見た目だけなら大きく変わらない。
だが、荷車を何度通しても石は沈まず、暗渠へ流した水も途中で詰まることなく村の外へ抜けていく。
道の端には、仮協定を示す小さな石板も置かれた。
人間の文字。
ドワーフの文字。
槌と花。
ラズマイトの印。
どちらか一方だけが好きに扱う道ではない。
互いに直し、互いに利用するための道だ。
「まずは、しばらく様子を見る」
ガルドンが言った。
「市場の確認が済み、この道を実際に使ってみるまでな。お前たちが約束を守るかも見る」
「そちらもですわよ」
「俺たちは道へ嘘をつかん」
「人間へは?」
「相手による」
「では、わたくしへは?」
ガルドンは少し考えた。
「いまのところは、半分くらい正直にしてやる」
「残りは?」
「道を見てからだ」
イデアは苦笑した。
「よろしいでしょう」
「それから、次の市」
ガルドンが北へ続く古道を見た。
「若い者を二人、品を持たせて寄越す」
「ドワーフが出店してくださるの?」
「試しにな」
「何を?」
「釘。農具。小さな金具。人間へ渡して問題のない物だけだ」
小ラズマイトの仮市へ、初めてドワーフの商品が並ぶ。
それだけでも、近隣の村にとっては十分珍しいだろう。
「農具でしたら、生活に必要な品として扱えますわね。仮協定の間は出店料なしで構いません」
「そこまで決めていたか」
「もちろんですわ。帳簿にも、すでに記載済みです」
「本当に細かいな」
言いながら、ガルドンは共同秤を指した。
「これが直ったら、最初に量る品は俺たちの釘だ」
「宣伝?」
「精度の確認だ」
「半分は宣伝でしょう」
「……半分くらいだ」
◇
夜。
イデアは廃教会の仮机で、仮協定の写しを帳面へ綴じた。
今日増えた支出。
道の作業者への食事。
繰り延べ賃金。
ドワーフ六人分の食料。
もっとも、彼らは人間よりずっとよく食べた。
「食費が予想以上ですわね」
「働いた量も相応です」
アルゼルが向かい側から答える。
長い金髪には石の粉が残り、白い翼も今日は何度も狭い場所で畳んだせいか、いつもより少しだけ低く落ち着いている。
共同秤の支柱を磨く作業までさせられたらしい。
「あなたも、よく働きましたわね」
「もっと評価してください」
「石梁を支え、秤を運び、地下室の安全も確認した」
「ほかには?」
「フィルネア様から、お叱りを何度か受けていましたわ」
「姉上の神性を、身をもって証明したまでです」
「小石を頭へ落とされながら?」
「……その部分は重要ではありません」
イデアは笑いながら、これから使えるかもしれないものを帳面へ書き出す。
ドワーフの商品。
共同秤。
市場用の地下倉庫。
防火用の貯水槽。
修復されつつある古道。
そして、山中で再び繋がった廃坑とドワーフの坑道。
まだ、金貨は一枚も増えていない。
それどころか、食費と将来支払う賃金は増えた。
「本日の現金収支は、赤字ですわね」
「いつも通りです」
「否定なさらないのね」
「将来得られるものを考えれば、悪くありません」
「道の修理代として、約束を支払いましたわ」
「約束は、金貨より重くなることがあります」
「では、帳簿へ何と書けば?」
「人間とドワーフの仮協定、一件」
「価値は?」
「これから決まります」
アルゼルは石板の写しへ顔を向けた。
「ですが、悪くない投資でしょう」
「まだ信用していただけるか、分かりませんけれど」
「最初にお会いした時よりは、随分違うのでは?」
「最初は?」
「ほとんど信用されていなかったでしょうね」
「でしたら、すでに利益は出ておりますわ」
イデアは帳簿へ記した。
人間・ドワーフ間、古道共同修繕仮協定。
当面は実際の利用状況を確認。
正式な取り決めについては、双方で実績を確認後に再協議。
「アルゼル」
「何でしょう」
「約束を破ったら、道をすべて持っていかれるそうですわ」
「一枚ずつ剥がすのでしょうね」
「止めてくださる?」
「約束を破るおつもりですか?」
「破りませんけれど」
「ならば問題ありません」
「少しくらい、わたくしの味方をしてくださっても」
アルゼルは微笑んだ。
「私はいつでも、あなたの味方ですよ」
あまりにも自然な言い方だった。
羽ペンの先が止まる。
「……わたくしが、あなたの加護を受けているから?」
問いかけるつもりはなかった。
それでも、口から出ていた。
アルゼルも、ほんの少しだけ黙った。
「それもあります」
「それも?」
「ええ」
「では、ほかの理由は?」
閉じた瞳のまま、アルゼルはイデアへ顔を向けた。
いつものように穏やかで、何を考えているのか分かりにくい顔だった。
けれど今度は、すぐには軽口を返さない。
「……いずれ、きちんとお答えします」
そこで言葉を濁されるとは思っていなかった。
胸の奥に、妙な引っかかりが残る。
別に今すぐ聞きたいわけではない――そう思ったはずなのに、羽ペンを握る指にはいつの間にか少し力が入っていた。
「いずれとは……いつ?」
口にしてから、イデアはほんのわずかに後悔した。
これでは、自分が答えを待ち望んでいるようではないか。
「もう少し先で」
「ずいぶん曖昧ですわね」
「私にも、まだ言葉を選ぶ時間が必要なのですよ」
イデアは目を瞬いた。
「あなたが?」
「私にも、そういうことはあります」
「珍しいですわ」
「そこまで驚かれますか?」
「普段は聞いてもいないことまでお話しになりますもの」
「それとこれは別です」
アルゼルは少しだけ笑った。
イデアは、それ以上追及できなかった。
もし今、ここで答えを聞けたとして。
自分はいったい、どんな言葉を望んでいるのだろう。
まだ分からない。
――そう思おうとした。
けれど、本当に分からないのではなく。
ただ、思い浮かびかけた答えを、認めてしまうのが怖かったから。
廃教会の外では、修復された石畳を叩く音が、夜の中へまだ微かに響いている。
人間の槌。ドワーフの槌。
異なるふたつの音が、同じ道の上で重なっていた。
荷車が落ちた穴から始まった道普請は、土に埋もれた市場設備と、途切れていた道と、新しい約束まで掘り起こした。
道の修理代は、まだ一枚の硬貨でも支払われていない。
代わりに交わされたのは、互いに使い、守り、勝手に奪わないための言葉だった。
その約束がどれほどの価値になるのかは。
これから、この道を歩く者たちが証明していくのだろう。




