38.道の修理代は、約束で支払います(上)
翌朝。
小ラズマイトの村入口には、日の出より早く槌の音が響いていた。
人間が石を叩く時とは、どこか音が違う。一度ごとの響きが短く澄み、石の表面ではなく、その奥まで確かめているようだった。
「そこを外せ」
灰色の髭を鉄輪でまとめたガルドンが、昨日積み直したばかりの石を指した。
ミラの眉が寄る。
「昨日直したところです」
「見れば分かる」
「荷車は通りました」
「一度通っただけで道を名乗るな」
「では、どこが悪いんです?」
「全部だ」
ミラの眉間へ、さらに深い皺が刻まれた。
朝から険悪である。
イデアは少し離れた場所で、二人のやり取りを見守っていた。
昨日、小ラズマイト側の廃坑と山中の現役坑道が繋がっていることが判明したあと、ガルドンたちはそのまま村へ残った。坑道の接続部分を詳しく調べるには準備が必要だが、その前に、泥の下から現れた古道の状態も見ておきたいという。
空き家を使うよう勧めたのだが、
『人間の屋根より、石の横の方が信用できる』
と言い、廃教会の軒下へ勝手に寝床を作った。
屋根の一部がまだ修理されていないことを確かめたうえでの発言だったため、イデアにも反論できなかった。
ガルドンとともに残ったドワーフは六人。全員が石槌、鑿、鉄梃といった道具を持ち、朝食より先に古道を叩き始めている。
「領主様」
ミラがイデアを振り返った。
「本当に、全部やり直させます?」
「まず、理由を伺いましょう」
「石の表だけを揃えている」
ガルドンが答えた。
「下の小石が少なすぎる。荷車の重みを、大きな石一枚で受けている状態だ」
「そのために大きな石を使いました」
「大きければ強いと思うのは、石を知らん者の考えだ」
ガルドンは槌の柄で石畳を叩いた。
「道は一枚の石だけで荷を受けるものじゃない。下へ、横へ、隣の石へ重みを逃がす」
端の石を持ち上げる。
昨日、人間が何人もかけて運んだ石を、彼は容易く横へ退けた。
「この下へ拳ほどの石を詰める。その隙間へ、さらに小石と砂を入れる。上の石同士も噛ませる。そうすれば、一枚が沈もうとしても道全体で支えられる」
ミラはしゃがみ込み、露出した地面をじっと見た。
「……なるほど」
「分かったか」
「半分くらい」
ガルドンの眉が動く。
「残りは?」
「自分で積んで確かめます」
ドワーフの長の口元が、わずかに上がった。
「よい」
どうやら気に入られたらしい。
「では、昨日の分を外します」
「待ちなさい」
イデアが止めた。
「何だ」
「やり直す範囲を、先に決めます」
「道は全部だ」
「王領監理局の現地確認まで、そう長くはございません」
イデアは帳面と地図を開いた。
「まず必要なのは、村入口から仮市まで、荷車が安全に通れる一本です。古道すべてを完全に復元する時間はありません」
「中途半端な仕事をしろと?」
「いいえ」
地図の上へ指を置く。
「使う場所だけを、確実に直していただきたいのです。直せない部分は立ち入りを止め、危険だと分かるようにします」
「見栄えが悪いぞ」
「監理局へ見栄を張るための道ではございませんもの」
人と荷車が安全に通る。
まず必要なのは、それだ。
「できていないところは、できていないと示します」
「それで認可されなければ?」
「直してから、もう一度申請しますわ」
ガルドンは、試すような目でイデアを見た。
「昔のラズマイトは、王家の役人が来る前だけ土の上へ石を並べた」
「そんなことをしていたのですか……」
「役人が帰れば剥がして、別の場所へ使った」
「まあ……合理的ですわね」
「褒めているのか」
「役人の目だけを欺く方法としては」
イデアは地図を指先で軽く叩いた。
「けれど、住民は欺けません。毎日ここを通りますもの」
ガルドンは鼻を鳴らす。
「口だけ立派な領主なら、いくらでもいた」
「ええ」
「お前も、そうかもしれん」
「それを確かめるために、残っていらしたのでしょう?」
ガルドンは少し黙った。
「……そうだ」
◇
作業を始める前に、ガルドンたちは月白花の花壇へ向かった。
銀色の石で囲まれた一角には、最初の花を摘み取った株から生まれたふたつの新芽がある。
ほかの種は、まだ土の下だ。
ガルドンが畑の前へ片膝をつく。ほかのドワーフたちも続いた。
岩を砕く太い腕。
工具を握り慣れた厚い手。
そんな彼らが、小さな芽へ静かに頭を下げる。
「最初の花は」
しばらくして、ガルドンが尋ねた。
「金貨へ換えたのか」
「ハンナの薬へ使いました」
「病人か」
「ええ。村の薬師ですの。傷から毒が入り、危険な状態でしたので」
「助かったのか」
「峠は越えましたわ」
イデアは廃教会の側室を指した。
「まだ完全に治ったわけではございませんが、すでにほかの患者を叱っております」
「薬師が患者を?」
「休め、水を飲め、傷を隠すな、と。ご自分は隠したくせに」
開いた窓から、ハンナの声が飛んできた。
「聞こえてるよ!」
「聞こえるように申しました!」
ガルドンの髭が揺れた。
笑ったらしい。
「花は全部使ったと聞いた」
「必要でしたので」
「惜しくなかったか」
「金貨六枚ほどだそうですわ」
「なら、惜しかったな」
「非常に」
イデアは迷わず答えた。
「ですが、人を助けるために使える花を目の前に置いて、その方を見殺しにはできませんもの」
ガルドンは花壇へ目を戻した。
「フィルネア様は、金貨そのものを祈る者は好まん」
「それは存じませんでした」
「だが、金を嫌うわけでもない」
「それについては、大変ありがたいお話ですわね」
「正しく作ったものへ、正しく価値を払う。それも美だ」
ガルドンは立ち上がる。
「次に咲いた花を売るなら、高く売れ」
「もちろんです」
「値切られるな」
「望むところですわ」
「ただし、病人の価値まで金貨で量るな」
イデアは頷いた。
「そのつもりですわ」
ガルドンも、満足したように小さく頷いた。
その時。
月白花の周囲へ置かれていた小石が、ひとつだけ跳ねた。
こん。
アルゼルの頭へ当たる。
「……姉上」
額へ手を当てる。
「私は何も言っていませんが」
「何も言わなくても、日頃の行いをご存じなのでは?」
イデアが言う。
「私の日頃の行いに、何か問題が?」
今度はふたつ目の小石が跳ねた。
再び、アルゼルの頭へ。
「返事がございましたわね」
「偶然です」
「神性が動いた」
ガルドンが断言した。
アルゼルが黙る。
「……姉上」
高位天使といえど、姉を相手にすると少しばかり分が悪いらしい。
◇
月白花への礼を終えると、話は道へ戻った。
イデアは廃教会前の仮机へ紙と帳面を広げる。
「では、報酬を決めます」
「要らん」
ガルドンが即答した。
「要ります」
「この道は、俺たちの祖先も造ったものだ」
「だからこそです」
イデアは彼を見る。
「自分たちの道を直すためでも、人間側だけが利益を得る形にはできません」
「利益?」
「定期市が認められれば人が集まります。水車も使われる。道が直れば、小ラズマイトの収入にもつながります」
「ドワーフも通る道だ」
「ええ」
「なら、互いに得る。金はいらん」
「でしたら、金以外でお支払いします」
ガルドンが眉を上げた。
「何を出す」
「そちらの希望を伺います」
「先に出せ」
「欲しくもないものを並べても、交渉にはなりませんでしょう?」
「若いくせに可愛げがない」
「借金がございますので」
「それは関係あるのか」
「大抵のことへ関係いたします」
イデアは羽ペンを指先で持ち直した。
「こちらから提示できるのは、定期市が認可された場合の出店場所。それから、古道のうち人間とドワーフ双方に由来する区間についての共同管理。小ラズマイト領内でフィルネア様を祀ることを妨げないこと。そして、ドワーフの住居や財産を勝手に領主のものとして扱わないこと」
周囲のドワーフが、わずかにざわめいた。
ガルドンだけは表情を変えない。
「言葉だけなら、昔も聞いた」
「ですから、書きます」
「紙が裏切らんと?」
「裏切るのは人ですわ」
イデアは答えた。
「書類があっても、約束を破る方はおります。ですが、そもそも何を約束したのか分からないよりはましでしょう?」
「人間の文字を読めん奴もいる」
「人間側とドワーフ側、双方の文字で作ります。写しも双方で保管しましょう」
「王家が認めなければ?」
「わたくしの権限だけでは決められない部分は、そう明記します。必要なものは王領監理局へ届け出ます」
「面倒な話だ」
「後になって争うより、ずっと安上がりですわ」
ガルドンは太い腕を組んだ。
「では、こちらの条件だ」
「伺います」
「北の山へ、許可なく人を入れるな」
「街道周辺での採取も?」
「枯れ枝や野草程度は構わん。だが、穴を掘る、岩を割る、鉱脈を探す、古い坑道へ入る――そこから先は先に知らせろ」
「承知しました」
昨日見つかった廃坑についても、ドワーフ側と共同で安全確認をすると決めたばかりだ。
「それから、俺たちの現役坑道や住居へ、役人や兵を勝手に入れるな」
「犯罪の捜査や、人命に関わる緊急時は?」
「双方で確認する」
「では、連絡を取れる代表者を決めましょう」
イデアは書き留めた。
「次は?」
「市場で、俺たちの品を人間と同じ条件で売らせろ」
「同じ条件?」
「種族を理由に余計な金を取るな」
「当然ですわね」
「昔は取られた」
イデアの羽ペンが止まった。
「背が低いから。火を扱うから危ない。祈る神が違う。そのたびに理由をつけて、金を増やされた」
「そのような徴収はいたしません」
「口だけじゃなく書け」
「もちろん書きますわ」
「道を通るだけで金を取るな」
「古い市場権でも、単に通行する者からの街道税は免除されております。ただし」
イデアは指を一本立てた。
「荷車の修理、荷物の保管、馬や荷獣への水、警備、市場設備の利用には、必要な費用をいただきます」
「ドワーフからも?」
「人間と同じく」
ガルドンの目が細くなる。
「無料にすると言えば、こちらが喜ぶと思わなかったか」
「少しは。ですが無料にして維持できなくなれば、結局使えなくなりますもの」
「よい」
ガルドンが頷いた。
「その方が信用できる」
「それから、こちらからも条件がございます」
「言え」
「道の石積みと暗渠について、技術を教えてくださいませ」
「全部は教えん」
「なぜ?」
「百年かけて覚えるものを、数日で渡せるか」
「では、数日で道を壊さない程度を」
「それなら教える」
「古道を北へ延ばしたり、昨日見つかった廃坑へ手を入れたりする場合は、必ず共同で確認する」
「当然だ」
「市場へ武器を持ち込む場合には、事前に届け出ること」
ドワーフたちの空気が少し変わった。
「武器を売るなと?」
「農具や狩猟に必要なものまで禁じるつもりはございません。ですが、誰にでも剣や戦斧を売られては困ります」
「人間の商人も同じ条件か」
「もちろんですわ」
「領主の兵にだけ売るのは?」
「わたくしには兵がおりません」
「……そうだったな」
ガルドンの視線が僅かに逸らされる。少し同情された気がした。
「さらに」
イデアは続ける。
「市場では定めた計量器を使う。不良品を良品として売らない。取引で争いが起きた場合には、人間側とドワーフ側の双方で確認します」
「人間がドワーフの品を壊したら?」
「故意なら弁償。普通に使って壊れたなら、品の状態を調べます」
「ドワーフが人間を殴ったら?」
「まず止めます」
「人間が先に侮辱したら?」
「侮辱への扱いと、殴ったことへの扱いは分けて考えます」
ガルドンが長い髭を撫でた。
「細かいな」
「争いは、大抵細かなことから始まりますもの」
「では、最後だ」
「何でしょう」
「俺たちは、お前の家臣にはならん」
低く、はっきりとした声だった。
「頭を下げ、税を納め、領主の命令へ従う関係にはならん」
「承知しております」
「小ラズマイトの民でもない」
「ええ」
「道を直したからといって、恩を盾に俺たちの坑道を求めるな」
「いたしません」
イデアはガルドンをまっすぐ見返した。
「わたくしが望んでいるのは、服従ではなく取引ですわ。互いに必要な時、必要なものを出す。条件を話し合う。合わなければ断る」
「領主らしくないな」
「借金を返すには、領主らしさより実利の方が必要ですもの」
「そこへ戻るのか」
「いつでも戻りますわ」
ガルドンは、今度こそ腹の底から笑った。
◇
協定は、ひとまず定期市の現地確認が済む頃までの仮のものとすることになった。
人間とドワーフが実際に道を直し、市場を使い、その間に問題が起きないかを見る。
廃坑についても同じである。
安全性と境界を確かめるまでは、双方とも勝手に採掘しない。
書面は二通作られた。
一通は人間の文字。
もう一通は、ドワーフの角張った文字。
「こちらは、本当に同じことが書いてありますの?」
イデアが尋ねる。
「同じだ」
ガルドンが答えた。
「本当に?」
「疑うなら、金髪に読ませろ」
「私は金髪ではなく、アルゼルです」
少し離れたところで白い翼を畳み、教会の柱へ寄りかかっていたアルゼルが口を挟む。
「読めますの?」
「古い神代文字と共通する部分がありますから」
「では、確認を」
アルゼルが文書へ顔を向けた。
「……概ね同じですね」
「概ね?」
「最後に一文増えています」
ガルドンは平然としている。
「何と?」
「『人間の領主が再び約束を破った場合、この石道をすべて剥がし、山へ持ち帰る』」
イデアはガルドンを見る。
「道を持ち帰れるの?」
「一枚ずつな」
「現実的な脅しですわね」
「消してほしいか」
「いいえ」
イデアは羽ペンを取った。
人間側の書面の最後にも、同じ意味の一文を書き加える。
「こちらにも書くのですか?」
アルゼルが尋ねた。
「同じ約束にするのでしょう?」
「お前が破った場合の話だぞ」
「破らなければ問題ございませんわ」
イデアは署名した。
ガルドンは羽ペンを使わず、小さな石板へ鑿で印を刻む。
槌と花。
その下へ、彼らの一族を示す角張った線。
「石へ?」
「紙は燃える」
「石も割れますわ」
「割れたら継ぐ」
「合理的ですわね」
「褒めているのか」
「ええ。今回は」
◇
仮協定が整うと、道の修繕が本格的に始まった。
ドワーフたちは、人間より遥かに速く石を運ぶ。
ただし、その分だけ文句も多かった。
「砂が粗い!」
「その石は水を吸いすぎる!」
「槌を寝かせるな!」
「石を足で蹴るな、音が狂う!」
ミラとバルクは、そんな指示へ必死に食らいついている。
デガンも悪い膝を庇いながら座り込み、ドワーフの職人と並んで石を削っていた。
「その鑿、角度が甘い」
「この脚になる前は、これで食ってた」
「脚と手は別だ」
「口の悪さなら、あんたらに負けん」
「腕で勝て」
「言われなくても」
険悪に聞こえるが、どこか楽しそうでもある。
イデアは運び出された土を籠へ移し、ダリオは材料と人手を記録する。
オルドは畑仕事との人員調整。
ローデンは暗渠へ流す水量を確認していた。
そして、アルゼルは。
「なぜ私は、この状態なのです?」
古道の端で、両腕を頭上へ伸ばしていた。
崩れかけた大きな石梁を、下から支えている。
白い翼も作業の邪魔にならないよう、背中へ強く畳まれていた。
「美しい柱ですわね」
イデアが答える。
「先日の言葉を、本当に実行するとは思いませんでした」
「梁を外す間だけですわ」
「神性で支えれば早いのですが」
「人の手で直せない構造になっては困ると、ローデンも申していたでしょう?」
「支える部分だけは天使でよいのですか」
「天使力ですわね」
「その分類は初めて聞きました」
ガルドンが梁の周囲へ鑿を入れる。
「動くな、金髪」
「アルゼルです」
「頭を上げろ」
「ドワーフから命じられるのは、新鮮ですね」
「口を動かすと腕が下がるぞ」
「下がりません」
その直後。
梁の隙間から小石がひとつ落ちた。
アルゼルの頭へ、こんと当たる。
「……姉上ですね?」
「ただの小石だ」
ガルドンが答える。
「神性を感じました」
「石は正直だ」
「何に対する返事です?」
「知らん」
イデアは笑いを堪えながら、次の土籠を運んだ。
◇
昼を過ぎた頃。
市場へ続く石畳の端で、ガルドンが突然作業を止めた。
「ここは剥がせ」
「また全部?」
ミラが尋ねる。
「音が空だ」
ガルドンが石畳を槌で叩く。
ほかの場所より、わずかに音の響きが長い。
「下に空洞がありますの?」
イデアが近づく。
「おそらくな」
「暗渠では?」
「水の音がしない」
石の縁へ鑿を入れる。
ドワーフたちが鉄梃を差し込み、平たい石を少し持ち上げた。
その下には土ではなく、さらに別の石造りの天井があった。
中央へ細い亀裂が走っている。
「地下室?」
「市場の倉かもしれん」
ガルドンが表面の造りを確かめた。
「昔の市場なら、取引する品を雨や盗賊から守る場所が必要だったはずだ」
「入口は?」
「別にある」
周囲の石を叩いていく。
北側。
西側。
教会寄り。
やがて、一枚の細長い石の上で槌が止まった。
「これだ」
「蓋ですの?」
「おそらく」
端には、指や鉤を入れるためらしい窪みがあるが、長年の泥で完全に埋まっていた。
「持ち上げます」
イデアが手を伸ばす。
「待て」
ガルドンに止められた。
「何ですの?」
「長く閉じていた地下だ。悪い空気が溜まっているかもしれん」
「では、少しだけ――」
「人の話を聞け」
「善処いたします」
「その返事は信用できん」
どこかで何度も聞いた言葉だった。
結局、石蓋へ鉄の鉤をかけ、離れた場所から縄で引くことになった。
イデアも、今度こそ十分離れた場所に立つ。
「もう少し後ろへ」
アルゼルが肩へ手を置く。
「十分離れております」
「あなたの場合、『十分』の基準が信用できません」
「今日はまだ、一度も落ちておりませんわ」
「その発言が不吉ですね」
「口にしたから起きるものではございません!」
全員で縄を引く。
一度目。石蓋は動かない。
二度目。周囲の泥が剥がれた。
三度目。蓋が大きく浮いた。
同時に、イデアの足元で、石畳がぱきりと割れた。
「あら?」
片足が空洞へ落ちた。
身体が前へ傾く。
アルゼルの腕がすぐ腰へ回り、後ろへ引き戻した。
ところが、イデアの体重を失った割れ石が反対側へ跳ね上がり、縄を引いていたドワーフが避ける。
飛んだ石が、別の石へぶつかった。
地下で何かが外れる音がした直後、少し離れた地面から、円形の石柱がゆっくりとせり上がった。
「何ですの!?」
石柱はイデアの肩を越えるほどの高さがあり、その上には、大人が二人並んで腕を広げても届ききらないほど長い金属の横棒が渡されていた。
両端から吊られた皿も、手のひらへ載せるような天秤のものとは比べものにならない。穀物袋や鉱石を詰めた籠を、そのまま置けるほど大きく頑丈な作りだった。
「市場の共同秤だ」
ガルドンが目を見開いた。
「なぜ、地面の下から?」
「市場を閉じている間は地下へ収める仕掛けだったのでしょう」
アルゼルが答える。
ガルドンも石柱の根元を覗き込み、内部の溝や金具を確かめた。
「この仕掛けは、ドワーフの仕事だな。重りを使って上げ下げするようにできている」
「わたくしが石を割ったから出てきたの?」
「正確には、跳ねた石が地下の留め具へ当たったようですね」
「では、見返りですわね」
「まだ地下室の安全すら分かっていませんよ」
アルゼルはイデアを抱きかかえたままだった。
「それより、先に下ろしてくださる?」
「足は?」
「無事ですわ」
「捻っていませんか?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「皆様が見ております!」
人間とドワーフが揃ってこちらを見ていた。
ミラは口元を押さえている。
ガルドンは露骨に呆れた顔だった。
「そいつは、お前の夫か」
「違います!」
「現在は違いますね」
「アルゼル!」
「事実です」
「余計な言葉を足さないで!」
アルゼルはようやくイデアを地面へ下ろした。




