37.車輪が落ちれば、古道が出ます(下)
翌朝。
ガルドンたちへ相談するため山へ向かう予定だったが、その必要は半分ほどなくなった。
朝食を終えた頃、坑道入口を見張っていたトーマが、廃教会まで走ってきたからだ。
「領主様!」
「どうしましたの?」
「穴の中から音がする!」
「崩れたの!?」
「違う。叩く音!」
イデアとアルゼルはすぐ坑道へ向かった。
ミラとローデン、オルド。それから、興味を抑えきれなかった数人もついてくる。
入口の縄は切れていない。石も崩れていない。
だが、暗い坑道の奥から。
こん。こん。
一定の間隔で、硬いものを叩く音が響いてくる。
「……誰かおりますの?」
「かなり遠いです」
アルゼルが答える。
「けれど、確かに作業音ですね」
「人間?」
「この音は」
ローデンが耳を澄ませる。
「金属を岩へ打ち込んでる」
その時。
坑道の奥から、別の音がした。
はっきりとは聞き取れないが、低い声のようにも聞こえる。
イデアたちは顔を見合わせた。
「これ以上は、放置する方が危険ですわね」
イデアは決めた。
「入口から近い範囲だけ確認します。崩れかけた場所があれば戻る。分岐があっても勝手に進まない」
「私が先頭へ」
アルゼルが言う。
「翼が通りますの?」
「……そこは重要ですね」
坑口は、人間一人なら十分に広い。
だが、大きな翼を持つアルゼルには狭い。
翼をできる限り強く畳み、身体へ沿わせる。
「窮屈です」
「この間まで、外套の中で毎日なさっていたでしょう」
「だからこそ、もうしたくないのです」
「我慢なさい」
「簡単に言ってくれますね」
それでもアルゼルは先頭へ立った。
次にイデアとミラ。ローデン、トーマと続き、最後にオルド。
入口付近にはバルクたちを残し、何かあればすぐ縄を引くよう決めておく。
中は冷たかった。
壁には、昔使われた鑿の跡が残っている。木の支柱は多くが朽ちているが、石組みで補強された場所は思ったより形を保っていた。
「掘った跡はあるのに、鉱石らしいものがありませんわね」
「掘り尽くしたのかもしれません」
ミラが壁を確認する。
「それか、採算が合わなくなって捨てたか」
少し進むと、古い採掘跡が左右へ分かれていた。
片方は完全に崩れている。
もう片方だけ、風が流れてくる。
「こちらが山の中へ続いていますね」
アルゼルが言った。
「音も同じ方角です」
「どのくらい離れておりますの?」
「正確には分かりません。ただ、この坑道そのものは小ラズマイト側から掘られています」
イデアは頷いた。
「では、所有については後で記録を確認するとして――」
また。
こん、と音が鳴る。
今度は、先ほどより近い。
一同が止まる。
さらに、こん、こん、と。
向こうからも、こちらへ近づいている。
「誰か来ます」
トーマが小声で言った。
「下がります?」
「走らず、入口側へ戻れるようにしておきましょう」
イデアが答える。
アルゼルは前へ立ったままだ。
やがて坑道の奥に、ひとつ、ふたつと橙色の灯りが見えた。
続いて、話し声と足音。
そして。
「……おい」
聞き覚えのある低い声がした。
「人間の声がするぞ」
灯りが近づく。
現れたのは、短い身体に分厚い作業着をまとい、手に採掘槌を持ったドワーフたちだった。
先頭の男が止まる。
灰色の髭に太い腕。
見覚えがある。
「ガルドン!」
イデアが名前を呼んだ。
ドワーフの長は目を見開いた。
「……ラズマイトの娘?」
数秒、誰も動かなかった。
「なぜ、あなた方がこちらからいらっしゃるの?」
「それは、こっちの台詞だ!」
ガルドンが坑道の壁を槌で叩いた。
「ここは俺たちの第七東坑だぞ!」
「第七東坑?」
「正確には、使ってる坑道の端だ。何十年も前から、この先は古い崩落区画で行き止まりだった」
ガルドンはイデアたちの背後を見る。
「お前たちは、どこから入った」
「小ラズマイトの村入口ですわ」
「……は?」
「昨日、荷車が穴へ落ちまして」
「待て」
ガルドンが片手を上げた。
「なぜ荷車が落ちると、ここへ来る」
「わたくしにも分かりません!」
アルゼルが静かに口を挟んだ。
「古い排水路が崩れ、その付近から廃坑への入口が見つかったのです」
ガルドンがアルゼルを見る。
今は外套を着ていない。
狭い坑道の中で窮屈そうに畳まれた白い翼も、当然見えている。
「……なんで羽を隠してない」
「いろいろありまして」
「面倒だから後で聞く」
「賢明です」
イデアは額を押さえた。
「そこはすぐ終わるのね……」
ガルドンは古い坑道へ視線を巡らせた。
壁へ刻まれた採掘跡を確かめ、足元の石を拾う。
「なるほどな」
「何か分かりまして?」
「この辺りは、人間が掘った跡だ」
槌の先で壁を指す。
「俺たちの坑道とは掘り方が違う」
さらに奥、自分たちが来た方向を示した。
「だが、山の中で繋がってる」
イデアは大きな瞳を瞬かせた。
「つまり」
「ああ」
ガルドンは髭を撫でる。
「小ラズマイト側から昔掘られた坑道が、山の中で俺たちの現役坑道へ繋がってる」
ローデンが驚いた顔をする。
「地下で山を越えている?」
「山腹を互いに掘り進めて、途中で繋げたんだろう」
「昔から?」
「かなり古い」
ガルドンは壁へ刻まれた小さな印を指した。
花。その横に、二本の槌。
「フィルネア様の時代の印だ」
アルゼルもそちらへ顔を向ける。
「姉上の信徒同士が、人間側とドワーフ側から掘ったのでしょうね」
「では、交易に使っていた?」
イデアが尋ねる。
「採掘と運搬だろう」
ガルドンは答えた。
「人間側で採れたものを山中へ運び、こっちの工房へ回す。逆に、俺たちの道具や加工品も向こうへ出した。地上の古道と地下の坑道、両方で繋がってたんじゃないか」
長い年月の中で、地上の道は土に埋もれ、地下の坑道は捨てられ、人間とドワーフの往来そのものが途切れた。
それが今、偶然のように、再び入口が開いた。
「……使えますの?」
イデアが尋ねる。
ガルドンの表情がすぐ険しくなった。
「今すぐは無理だ」
「やはり危険?」
「危険どころじゃない」
槌の柄で天井を軽く叩く。
「支柱は腐ってる。崩落区画もある。換気も悪い。古い穴へ水が回ったら、一気に落ちる場所もあるぞ」
「では、封鎖を」
「それが一番安全だ」
イデアは少し考えた。
「ただし、完全に埋める前に調査はしたいですわ」
「鉱石が欲しいのか?」
「それも。何があるのかは知りたいですもの」
正直に答える。
「ですが、それ以上に、この坑道がどこまで小ラズマイト領内で、どこからドワーフの坑道に当たるのかを明確にしたいですわ」
ガルドンが目を細める。
「境界を決める?」
「ええ。見つけたからといって、山の中のものすべてをラズマイト領のものにはできませんでしょう」
「領主なら、そう言う奴もいる」
「わたくしは言いません」
「なぜだ」
「後で揉めるからですわ」
即答した。
ガルドンが一瞬だけ黙る。
「随分、現実的だな」
「借金がございますので」
「それは関係あるのか?」
「何か揉めれば、大抵お金がかかります」
「……それはそうだな」
ガルドンは鼻を鳴らした。
「分かった。俺たちも調べる」
「よろしいの?」
「こっちの坑道へ繋がってる以上、放っておけん」
「費用は?」
「まだ決めるな」
「ですが」
「状態を見てからだ。使える道なのか、埋めるしかない穴なのかも分からん」
ガルドンはイデアを睨む。
「先に帳簿へ値段を書くな」
「……先回りされましたわ」
「お前のことは少し分かってきた」
アルゼルが隣で小さく笑った。
「よかったですね」
「何がですの?」
「理解者が増えています」
「褒められている気がいたしません!」
◇
地上へ戻った頃には、昼を過ぎていた。
坑道入口は改めて封鎖した。
今後はドワーフ側と共同で安全を調べるまで、誰も勝手に入らない。
立入禁止の文字は、遠くからでも読めるよう大きく書き直した。
その横へ、ピムが穴へ落ちかける人の絵を描き足す。文字が読めない者にも、近づいてはいけないことは十分伝わりそうだった。
ユーイとエスタには山羊が近づかないよう囲いの位置まで確認してもらう。
「山羊は穴へ入りますの?」
「入るかもしれない」
ユーイが真顔で答えた。
「なぜ?」
「山羊だから」
「……説得力がございますわね」
午後には、朝の道へ戻った。
崩れた暗渠をデガンが削った石で補強し、ミラとバルクが積む。
ローデンが水の流れを確認する。
石畳の上へ薄く砂を撒き、車輪が滑らないよう整えた。
「試しに通します」
朝、穴に落ちた荷車へ、もう一度道具を積む。
御者台にはローデン。
イデアは道の端から見守っていた。
「乗らないのですか?」
隣でアルゼルが尋ねる。
「安全確認ですわ」
「朝は乗っていましたねが」
「学習したのです」
「成長しましたね」
「その褒め方、やはり腹立たしいですわ」
マルタがゆっくりと荷車を引く。
前輪が新しく積み直した石の上へ乗った。
一度、小さく揺れる。
だが、沈まない。後輪も通る。
荷車は無事、村の入口を抜けた。
「通りましたわ!」
作業していた者たちから歓声が上がる。
朝には大きな穴だった場所。
いまは石積みの下を水が流れ、その上を荷車が通っている。
「最初の一区間です」
ミラが額の汗を拭った。
「まだ教会前まで、怪しい場所が何か所もある」
「明日から順番に見ましょう」
「現地確認まで、もうひと月もございません」
ダリオが帳面を確かめる。
「間に合いますでしょうか」
「間に合わせますわ」
イデアは即答した。
「すべてを綺麗にする必要はございません。まず、安全に通れる一本を作ります」
◇
二日間の帳簿には、十二人分の労働が記された。
食事、二十四食。
繰り延べ賃金、銅貨二十四枚。
使用した材料は、倒木から取った枝。古い石。縄と釘。
新たに購入したものはない。
「現金収支は、ゼロですね」
アルゼルが帳簿を覗き込む。
「将来の支払いは増えました」
「道は直りました」
「一部だけですわ」
「古い石畳も見つかった」
「ええ」
「廃棄された坑道も」
イデアの筆が止まる。
「それが、山中でドワーフの坑道へ繋がっていた」
昨日と今日の出来事を並べると、道を一本直し始めただけとは思えない。
「利益としては?」
「まだ分かりませんわ」
「珍しいですね」
「坑道は使えるかどうかすら未確認です。権利も、安全性も、採れるものが残っているかも分からない。帳簿へ利益とは書けません」
「慎重ですね」
「当然です」
イデアは自分の裾を見る。
乾きかけた泥の跡が残っていた。
「失ったものは?」
「あなたの服が汚れました」
「荷車も、穴へ落ちましたわ」
「壊れていません」
「あなたが桶を被りました」
「それは私の損失です」
「翼まで泥だらけになりましたわね」
「それも私の損失です」
「加護の収支へは?」
「私の尊厳と翼の洗浄時間は、対象外です」
「あなたに都合の悪いものだけ対象外ではなくて!?」
イデアは帳簿へ最後の一行を書き加えた。
村入口、暗渠一か所。応急修繕完了。
旧石畳を確認。
旧採掘坑道を発見。
山中でドワーフ現役坑道への接続を確認。
安全調査および権利について、ドワーフ側と協議予定。
そこまで書いてから、イデアは羽ペンを置いた。
「また、仕事が増えましたわね」
「ええ」
「市場と道。診療所、薬草」
「はい」
「それに、坑道」
「増えましたね」
「嬉しそうにおっしゃらないでくださる?」
「あなたが忙しくなると、私の仕事も増えますから、嬉しくはありませんよ」
「では、もう休みなさい。ただし、その翼を洗ってから」
昨日洗ったばかりだというのに、アルゼルの白い翼には、うっすらと坑道の埃と土がまた張りついていた。
「手伝っては?」
「いたしません。昨日は、わたくしを庇った分ですわ。今日のは坑道と道普請で付いたもの。対象外です」
「随分と細かい線引きですね」
「一度約束すると、際限なく汚れを増やされそうですもの」
アルゼルは特に不満げな様子もなく頷き、井戸の方へ歩き出そうとする。
その背で、白い翼が緩く揺れた。 広げれば人の背丈をゆうに超える大きさだ。付け根から先まで、一人で隅々まで洗うのは容易ではないだろう。
「待ちなさい」
思わず声が出た。
アルゼルが振り返る。
「何か?」
「……届かないところだけですわよ」
「ありがとうございます」
アルゼルの白い翼が、少しだけ持ち上がった。
「なぜ嬉しそうなの?」
「綺麗にしていただけるので」
「届かないところだけと申しましたわ!」
「分かっていますよ」
「本当に分かっておりますの?」
訝しむイデアに向かって、アルゼルは穏やかに微笑んだ。
「ええ。今日のところは」
荷車が落ちた穴から見つかったのは、古い石畳だけではなかった。
人間が捨てた坑道。
山の向こうで今も生きている、ドワーフたちの坑道。
かつて地上と地下の両方で結ばれていた道は、長い年月を経て途切れていた。
それが、水が戻り、人が戻り、荷車がひとつ穴へ落ちたことで。
もう一度、山の中で繋がったのである。




