36.車輪が落ちれば、古道が出ます(上)
翌朝。
小ラズマイトで最初に動き始めた仕事は、道の修繕だった。
正確には。
道を修繕するための道具を積んだ荷車が、その道の穴へ落ちたことで、予定より早く修繕せざるを得なくなった。
「止めて! 止まりなさい!」
御者台でイデアが手綱を引く。
マルタが足を踏ん張り、鼻を鳴らした。
だが、すでに遅かった。
村の入口へ差しかかった荷車の右前輪が、ぬかるんだ地面へ深く沈む。
ごりっ、と鈍い音がした。
「きゃっ!」
荷車が大きく右へ傾いた。
積んでいた鋤、縄、木槌、水桶が一斉に滑り、御者台にいたイデアの身体まで横へ投げ出される。
「イデア」
隣に座っていたアルゼルが、すぐに彼女の腰へ腕を回した。
もう一方の手で荷車の縁を掴み、自分の身体ごと支える。
おかげでイデアは泥へ落ちずに済んだ。
代わりに。
背後から滑ってきた空の水桶が、アルゼルの頭へ綺麗に嵌まった。
がぽん。
「……」
白い衣をまとい、背中には大きな翼まで備えた高位天使の首から上が、木桶の中へ消えた。
「アルゼル?」
「無事です」
桶の中から、くぐもった声が返ってくる。
「よかったですわ」
「先に桶を外していただけますか」
「もう少しだけ」
「なぜです?」
「珍しいお姿ですので」
「イデア」
怒ってはいない。
ただ、声だけが少し低かった。
イデアは笑いを堪えながら桶を持ち上げる。
乱れた長い金髪の間から、アルゼルの整った顔が現れた。瞳はいつも通り細く閉じられているものの、口元だけは明らかに不満そうである。
「私の身を案じるより先に、鑑賞していましたね」
「怪我がないことは、声で分かりましたもの」
「私があなたを支えていなければ、今頃また泥の中ですよ」
「ありがとうございます」
「素直ですね」
「桶を被りながら助けてくださったのですもの」
「被ったのは助けた後です」
ぎしり、と荷車がさらに傾いた。
イデアはそちらを見る。
「……まず、こちらをどうにかいたしましょう」
「話を逸らしましたね」
◇
荷車の右前輪は、半分以上地面へ埋まっていた。
ただのぬかるみではない。表面の土が円を描くように崩れ、その下に空洞が続いている。
幸い、荷車そのものに大きな損傷はなかった。ドワーフたちが造った車体は頑丈で、あれほど傾いたにもかかわらず車輪も軸から外れていない。
「普通の荷車なら、軸が折れていたかもしれません」
駆けつけたローデンが、車体の下へ身体を潜り込ませて確認する。
「車輪を引き上げれば、まだ使えます」
「さすが、ドワーフの仕事ですわね」
イデアは胸を撫で下ろした。
「では、まず荷物を降ろしましょう」
足元へ転がっていた水桶を拾う。
先ほどアルゼルの頭へ嵌まったものだった。
「その桶は、丁寧に扱ってください」
「なぜ?」
「私の尊厳を一度受け止めた桶です」
「中身は空でしたけれど」
「失礼ですね」
騒ぎを聞きつけたオルドやミラ、トーマ、バルクたちも集まり、道具を道端へ運んでいく。
最後に荷車へ縄をかけ、全員で引いた。
「せえの!」
荷車が軋む。
一度目では動かない。
三度目になってようやく、地面の奥で、何かが崩れる音がした。
「待って!」
ミラが声を上げた。
直後、車輪の周囲がさらに陥没する。
土が暗い穴へ流れ込み、その下から古い石積みが姿を現した。
「マルタを外して!」
ローデンが馬具へ向かう。
マルタも不安そうに鼻を鳴らしていた。
イデアも手伝おうと一歩踏み出す。
その瞬間。
「あら?」
右足が踝まで沈んだ。
「動かないでください」
アルゼルが言う。
「この程度でしたら、自分で――」
左足へ重心を移した。
今度は、その左側まで崩れた。
両足が泥へ沈む。
「……抜けなくなりましたわ」
「予想通りですね」
「分かっていたなら、先に止めなさい!」
「動かないで、と申し上げました」
アルゼルは崩れていない場所へ立ち、イデアへ手を差し出した。
「掴まって」
「自分で抜けます」
「靴だけ残りますよ」
イデアは黙った。
すでに似た経験がある。
「……お願いしますわ」
「ええ」
差し出された手を取る。
アルゼルの指がしっかりと手首まで支え、そのまま軽々と身体を引き上げた。
両足が泥から抜ける。
今回は靴まで無事だった。
「珍しいですわね」
「何がです?」
「靴まで助かりました」
「私の技術が向上したように言わないでください。靴を泥へ置いてくるのは、いつもあなたです」
アルゼルはイデアを固い場所へ下ろした。
それでも、すぐには手を離さない。
「ここから先は、私より前へ出ないでください」
「また、その話ですの?」
「表面より下が危険です」
「見れば分かりますわ」
「分かっていて沈みましたね」
「不本意ながら」
「では、約束を」
「善処いたします」
「信用できません」
「毎回、同じ会話をしている気がしますわ」
「あなたが毎回、同じことをするからですよ」
言い返せなかった。
◇
荷車を無事に引き上げたあと、ミラとローデンが陥没した場所を詳しく調べた。
表面の泥を少しずつ退ける。
すると、地中から平たい石が左右へ連なって現れ、その中央には半円形に組まれた細い水路が埋まっていた。
「排水用の暗渠ですね」
ローデンが言った。
「昔、この道の下へ雨水を流していたんだと思います」
「暗渠?」
オルドが覗き込む。
「上に道を通して、下だけ水を流す仕組みです」
だが、その天井部分はところどころ崩れ、泥と小石で塞がっている。
長いあいだ水が流れない状態だったところへ、小ラズマイトの水路が復旧したことで地下の水量も変わったのだろう。
空洞の上へ薄く残っていた土が、荷車の重みに耐えきれず抜けたらしい。
「なら、穴を埋めればよろしいの?」
「土だけでは駄目です」
ミラが即答した。
「また水が流れたら、下から削られます」
「石積みを直す必要がありますのね」
「それと、水がどこへ抜けるのか確かめないと」
ローデンが細長い棒を暗渠へ差し込む。
しばらく進んだところで止まった。
「詰まっています」
「どのくらい?」
「そこまでは分かりません」
イデアは穴を見下ろした。
「市場の現地確認まで、あと二十九日ですわ」
王領監理局から示された条件には、馬車や荷車が安全に通行できる道が含まれている。
いまの状態では、正式な定期市どころではない。
次に落ちるのが空の荷車とは限らないのだ。
「ひとまず迂回路を作ろう」
オルドが近くの畑を指した。
「あそこの端なら、荷車一台は通せる」
「作物を踏みませんの?」
「今年はほとんど芽が出なかった場所だ」
「それでも、土地の持ち主がいるでしょう」
「わしだ」
オルドは短く答えた。
「使ってくれ」
「無償では借りません」
「道を通すだけだぞ」
「何も育たなかったからといって、土地の価値がなくなるわけではございませんわ」
イデアはすぐ帳面を取り出した。
「市場が認可された場合、最初の出店料から使用分を支払います」
「要らん」
「記録します」
「領主様」
「記録しますわ」
オルドはしばらくイデアを見ていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……好きにしろ」
「そういたします」
「頑固ですね」
そう言ってアルゼルが隣で笑ったので、イデアは唇を尖らせた。
◇
午前中は仮の迂回路を作ることになった。
畑の端へ杭を立て、荷車の車輪が沈まないよう細い枝と石を敷いていく。
道幅は狭い。
向かい合う荷車がすれ違う余裕はないため、村の入口と内側へ一人ずつ立ち、通行を管理する必要もある。
「市場の日には、警備と兼ねられますね」
ダリオが記録板へ書き込みながら言った。
「夜間はどういたしますか?」
「市場を夜まで開く予定はございませんわ」
「病人を運ぶ荷車が来た場合は?」
「そちらを通します」
「水車の予約車と重なれば?」
「緊急の患者を先に」
ダリオの筆が止まる。
「また規則が増えますね」
「人が増えれば、決まりも増えますもの」
「アルゼルさんが以前おっしゃっていた通りです」
「彼の言葉を記録しておりましたの?」
「役立つ部分は」
「私の言葉はすべて役立ちます」
少し離れた場所で石を運んでいたアルゼルが口を挟んだ。
両腕には、大きな石がふたつ抱えられている。
「では、その役立つ腕で、そちらへ運んでくださいませ」
「この程度なら、あとふたつ持てますよ」
「危ないので、ひとつずつになさい」
「天使でも?」
「皆様もひとつずつですわ」
アルゼルは周囲を見た。
ミラたちは自分の持てる石を運び、年配の者は縄や杭を持つ。子供たちも邪魔にならない場所で、小さな石を拾い集めている。
「……分かりました」
珍しく、素直に石をひとつ置いた。
「聞き分けがよろしいですわね」
「私は常に聞き分けのよい天使ですよ」
「それは初耳ですわ」
◇
迂回路が使えるようになった頃には、日が高く昇っていた。
次は、本来の道を直すための人手を決める。
畑に水車。
山羊の世話。
薬草と診療所。
市場の準備。
どれも止めるわけにはいかない。
イデアは廃教会前へ、手の空いている村人たちを集めた。
「道の修繕へ参加していただける方には、一日につき食事を一回。それから、銅貨一枚分の賃金を支払います」
少しざわめきが起きた。
「銅貨を持ってるのか?」
「現在、全員へその場で支払えるほどはございません」
イデアは正直に答えた。
「食事は当日。賃金は帳簿へ記録し、定期市が正式に認可された場合、最初の出店料や利用料から支払います」
「認可されなかったら?」
「わたくし個人の債務とします」
オルドが眉を寄せた。
「また借金を増やすのか」
「無償で働かせるわけにはまいりません」
「領主の命令なら、道普請へ人を出させることはできる」
「できますわ」
イデアは頷いた。
「けれど、春に税を取られ、まだ食料も十分でない中で、さらに無償の労働まで求めれば、以前の徴税人と変わりませんでしょう?」
「道は村のためでもある」
「ええ。だからこそ、村の方だけへ負担を押しつけたくないのです」
市場を使う外部の者。
水車を利用する者。
商人。
領主。
恩恵を受ける者たちで、少しずつ維持費を負担するべきだ。
「市場が認可された後、外部の荷車からは、道の維持費として少額をいただきます」
「古い市場権には、街道税の免除があったのでは?」
ダリオが尋ねる。
「通るだけで取る税は免除です」
イデアは石板の写しを確かめた。
「ですが、壊れた荷車の引き上げ、馬への水、荷物の保管、警備まで無料にしろとは書いてございません」
「抜け道でしょうか」
「必要経費ですわ」
アルゼルが口元を緩める。
「あなたも、随分と解釈が柔軟になりましたね」
「あなたと一緒にしないでくださる?」
「私の影響でしょうか」
「違います」
最初に手を上げたのはミラだった。
「石積みを直せるのは、私とバルク。それからデガンにも上で石を削ってもらえば」
「デガンの膝に無理はさせないでくださいませ」
「分かってます」
続いてローデンとトーマ。それから数人の若者が手を上げる。
セラたちは作業する者の食事を担当すると申し出た。
「わしも出る」
オルドも言った。
「村長のお仕事は?」
「道も村の仕事だ」
「賃金は記録いたしますわよ」
「要らん」
「記録します」
「またか」
「またですわ」
イデアに押し切られ、オルドはとうとう諦めた顔をした。
◇
午後から、暗渠を塞いでいる土砂の除去が始まった。
崩れた石をひとつずつ外し、上から縄で身体を支えながらミラとローデンが浅い部分へ入る。
イデアは外で、運び出された土を籠へ移していた。
「領主様は、もう少し離れてください」
穴の中からミラが声を上げる。
「ここなら安全ですわ」
「朝、その近くで沈みました」
「少し場所が違います」
「領主様の場合は同じ」
「どういう意味ですの?」
「何かが起きる範囲です」
隣でアルゼルが頷いた。
「妥当な判断ですね」
「あなたまで!」
「今日は私の隣から動かないでください」
「それでは作業になりませんわ」
「土を籠へ入れる程度なら、ここでもできます」
アルゼルが自分の横へ空の籠を置いた。
「監視なさるおつもり?」
「保護です」
「同じではなくて?」
「響きが違います」
イデアは文句を言いながらも、結局そこから動かなかった。
暗渠の中から運び出されるのは、黒く湿った泥ばかりではない。
枯れ葉に小石、腐った木片。時折、錆びた金具まで混じっていた。
「これは釘?」
イデアがひとつ拾い上げる。
普通の釘より太く、頭が平たい。
「道石を固定する金具でしょう」
ローデンが答えた。
「道の石を?」
「かなり丁寧に造られた道だったみたいです」
さらに泥を退けると、暗渠の両側から平たい石が連なって現れた。
石の表面には細かな凹凸まで刻まれている。馬の蹄や車輪が滑らないための加工だろう。
「こっちにも続いてる」
ミラが道の端を掘る。
現在の土道の下に、古い石畳が眠っていた。
「こんなものが……」
オルドが目を細める。
「わしが子供の頃には、とっくに土の道だったぞ」
「それより、ずっと前でしょうね」
アルゼルが石へ触れる。
閉じた瞳のまま、何かを確かめるように指先を滑らせた。
「古い神殿が使われていた頃の道だと思います」
「以前の土地台帳にあった道かしら」
イデアは記憶を探った。
古い記録には、現在は存在しない道がいくつか描かれていた。
廃教会の辺りから北へ。山裾を回り込み、途中で途切れている線。
「この石畳を出せば、一から道を造るより早いですの?」
「残ってる範囲次第ですね」
ミラが答える。
「石も暗渠も使えるなら、土を退けて補修する方が早い」
「全部掘り出すのは?」
「ひと月じゃ無理です」
現地確認まで二十九日。
イデアはすぐ決めた。
「では、全部はいたしません」
「いいんですか?」
「村の入口から市場まで、まず荷車が安全に通れる一本を作ります。石畳が残っている部分は利用する。危険なところは塞ぐ。まだ直せない場所は、通行禁止にします」
「全部を綺麗に見せる必要はないと?」
ダリオが尋ねた。
「監理局へ取り繕って認可を得ても、次の雨で崩れれば意味がございませんもの」
できた場所。できない場所。危険な場所。
すべて正直に示す。
「クラウスには、現在の状態をそのまま見ていただきます」
「厳しく評価されるかもしれません」
「事実を隠して得た認可の方が、あとで高くつきますわ」
アルゼルが小さく笑った。
「あなたは、本当に隠した帳簿がお嫌いですね」
「ええ。道も帳簿も同じですわ」
◇
暗渠の詰まりを半分ほど取り除いた頃。
穴の奥から、ひやりとした風が流れてきた。
「……風?」
ミラが顔を上げた。
地中の排水溝にしては、妙に強い。
ローデンが手をかざす。
「奥がどこか大きな空間へ繋がってる」
「出口でしょうか」
「それにしては、空気が冷たいな」
トーマも地面へ耳を近づけた。
「山の方から来てる気がする」
イデアは古い石畳の向きを見る。
北の山へ向かっている。
「少し水を流して、暗渠の先だけ確認しましょう」
「少しですわよ」
以前、水路で一気に水が来たことを忘れてはいない。
トーマが上流側から細い水流を入れた。
最初は何も起きない。
やがて。
ごぼりと、暗渠の奥で音がした。
「流れた!」
ミラの声が響く。
黒い水が泥と枯れ葉を押し流し、道の下へ消えていく。
「出口は?」
オルドが道の反対側へ向かい、しばらく待つ。
「出てこんぞ!」
「どこかで詰まっていますわね」
「水を止めて!」
ローデンが叫んだ。
だが、トーマが水を閉じるより早く。
イデアの足元で、石畳の隙間から水が噴き出した。
「なぜここに!?」
冷たい水が裾へかかる。
「離れて!」
アルゼルがイデアの腕を引いた。
直後。
石畳の端が内側から持ち上がり、水と泥が一気に噴き出す。
アルゼルは反射的に翼を大きく広げた。白い羽根がイデアの前を覆う。
泥水が、まともに翼へぶつかった。
数秒後には、水の勢いは弱まっていた。
「皆様、ご無事!?」
「大丈夫だ!」
「怪我はない!」
周囲から返事が飛んでくる。
イデアも無事だった。
その代わり、目の前には、白かったはずの翼の下半分を泥色に染めたアルゼルが立っている。
「……」
「アルゼル?」
「無事です」
「翼が」
「分かっています」
「かなり泥が」
「見えなくても分かっています」
口元が引きつっている。
「あとで洗いましょう」
「必ずですよ」
「わたくしが洗うの?」
アルゼルが顔を向ける。
「私があなたを庇った結果ですが?」
「……手伝いますわ」
翼の先が、少しだけ機嫌を直したように動いた。
「領主様!」
ミラの声がした。
「こっちを!」
水が噴き出した場所。泥が剥がれた下から、石の蓋が現れていた。
円形ではない。
人が通れるほど大きな、四角い石板だ。
その表面には、金槌と花を組み合わせた古い印が刻まれている。
「これは……フィルネア様の印?」
イデアが尋ねた。
「ええ」
アルゼルもそちらへ向く。
「ただ、神殿のものというより職人の印ですね」
「開けられます?」
ミラが泥を払い、周囲を確かめる。
石板の脇には、錆びた金属の輪が残っていた。
アルゼルが手を掛ける。
「下がっていてください」
「重いの?」
「人間には、かなり」
力を入れる。
長いあいだ動いていなかった石板が、低い音を立てながら持ち上がった。
下から、冷たい空気が吹き出す。
暗闇と石を削った階段が、斜め下へ続いている。
「暗渠の点検口ではありませんわね」
「違います」
ローデンが灯りを近づけた。
「これは、人が出入りする大きさだ」
イデアは階段の脇へ目を向けた。
壁に古い文字が刻まれている。
「読めますの?」
アルゼルも指先へ小さな灯りをともした。
「……北採掘道」
「採掘?」
さらに下。
風化した文字が続いている。
「旧坑、第三横坑。閉鎖……」
最後の部分は欠けていた。
ミラが目を見開く。
「坑道?」
「昔ここに鉱山があったのか?」
オルドも驚いた顔をする。
「聞いたことがないぞ」
「ずっと昔に廃棄されたのでしょう」
アルゼルが階段の奥へ意識を向ける。
「かなり深くまで続いています」
イデアは、以前見た古い土地台帳を思い出した。
北の山裾。用途不明の印。
その近くに、採掘跡を示す古い記号があったはずだ。
「……この道の先にあったのは、坑道だったのね」
「その可能性が高いです」
「入ります?」
トーマが尋ねた。
「入りません」
イデアは即答した。
皆が少し意外そうに見る。
「何ですの、その顔は」
「領主様なら入るかと」
ミラが正直に言う。
「わたくしを何だと思っておりますの!?」
「見つけた穴へ入る人」
「入りません!」
アルゼルが満足そうに頷く。
「学習しましたね」
「その言い方もおやめなさい!」
イデアは入口を改めて見る。
「まず、安全を確認します。坑道なら崩落もございますし、誰の権利に属するものかも調べなくては」
「小ラズマイトの中なら、領主のものでは?」
トーマが尋ねる。
「地上の領地と、地下の採掘権が常に同じとは限りませんわ。それに――」
イデアは北の山を見た。
この先には、山を挟んでドワーフたちの現役坑道がある。
「もし、向こうまで続いていたら話が変わります」
◇
結局、その日は入口だけを補強し、誰も中へ入らなかった。
デガンに石の状態を見てもらい、崩れないよう周囲へ木組みを入れる。
入口には縄を張り、子供が勝手に近づかないよう立札まで置いた。
――立入禁止。
ピムはその文字をじっと見上げ、少し残念そうな顔をした。
「入っちゃ駄目?」
「駄目です」
「ちょっとだけ」
「駄目ですわ」
「アルゼル兄ちゃんと一緒なら?」
「なおさら駄目です」
「なぜ私まで?」
「あなたなら連れていきかねませんもの」
「私は安全を重視しますよ」
「でも、夜中に翼を広げてた」
ピムが鋭く指摘する。
アルゼルは黙った。
「……何のお話ですの?」
「何でもありません」
二人の返事が綺麗に重なった。
イデアは眉を寄せたが、坑道のことで頭がいっぱいだったため追及はしなかった。




