23.七人増えれば、食費も増えます(下)
食事を終えると、イデアは村人たちを礼拝堂の中央へ集めた。
七人を受け入れるか。
領主であるイデアが命じれば、それだけで決めることはできる。
けれど、実際に食料を分け、水を使い、同じ村で暮らすのは村人たちだ。
「現在、小ラズマイト村の人口は六十三名です」
クラウスが数字を読み上げる。
「七名を加えれば、七十名になります」
「食事をかなり切り詰めた状態を続けるとして」
アルゼルが計算を引き継ぐ。
「二十七日分だった食料は、およそ二十四日分になります」
「三日も減るのか」
村人の一人が呟いた。
「収穫までは二月以上ある」
「七人を養っている余裕なんてない」
別の声も上がる。
「でも、子供もいるぞ」
「だからって、村の子供が飢えていいのか?」
空気が険しくなる。
七人は何も言わなかった。
反論できる立場ではないと思っているのだろう。
ピムは母親の服を握り、顔を伏せている。そのセラの腕の中では、リルが何も知らずに眠っていた。
「静かに」
オルドの一声で、村人たちが黙る。
村長はイデアを見る。
「領主様がお決めください」
「わたくし一人で?」
「領主でしょう」
「……ええ」
決める責任から逃げるつもりはない。
けれど、誰の声も聞かずに命じることだけが領主の仕事だとも思わなかった。
「皆様の懸念はもっともです」
イデアは口を開く。
「七人増えれば、食料は減ります。住む場所も必要です。道具も、服も、冬になれば薪も必要になるでしょう」
「なら——」
「ですが、増えるのは口だけではありません」
イデアはローデンたちを見る。
「水車を造れる方。石を扱える方。服を繕い、布を織れる方。家畜を育てられる方。そして、この土地でも育つ可能性のある種もあります」
「役に立つから、入れるのか」
オルドが尋ねた。
「それだけではありません」
イデアは首を横へ振る。
「病人や子供に、役に立つことを証明できなければ食事を与えないような領地にはいたしませんわ」
働ける者は働く。
できる者が、できることをする。
けれど、人間の価値を、その日にどれだけ働けるかだけで決めてはならない。
昨日会ったダリオだってそうだった。
畑を耕せないからといって、何もできないわけではなかった。
「彼らが働けるから助けるのではありません。ここで暮らし、働き、生きていく方法を、一緒に作れる可能性があるから受け入れたいのです」
「可能性だけで?」
村人の一人が尋ねた。
「領地経営とは、まだ利益になっていないものへ投資することだと、昨日学びましたもの」
クラウスがわずかに目を伏せる。
七人と出会う前に、イデア自身が口にした言葉だった。
「ただし、無条件に定住を認めるつもりもございません」
ローデンたちの表情が強張る。
「まず三十日。仮住民として、小ラズマイトで暮らしていただきます」
「仮住民?」
セラが聞き返した。
「その間、食料は村と同じ基準で配ります。税は取りません。働ける方には、水路や教会、畑の整備へ参加していただきます。ただし、病気や怪我がある場合は別です」
イデアはデガンの右膝を見る。
「できない仕事を強制することもございません。何ができるのか、何なら無理なくできるのかを教えてくださいませ」
「三十日後は?」
「この村で暮らしていける見通しが立ったか、村の皆様と一緒に判断します」
「追い出されることもある?」
ローデンの後ろから、エスタが尋ねた。
「ございます」
イデアは誤魔化さなかった。
「村の決まりを守らない場合。暴力や盗みを行った場合。そして、領地全体が存続できないと判断した場合です」
ローデンは唇を引き結び、やがて頷いた。
「十分です」
「村の皆様は?」
イデアは村人たちを見回した。
誰も、すぐには答えない。
やがてミラが片手を上げた。
「水車が造れるってのは、本当?」
「水路を見せてもらえれば」
ローデンが立ち上がる。
「明日、見てもらう」
「待ちなさい、ミラ」
オルドが止めた。
「まだ決まっていない」
「水車が動けば、粉挽きに使う人手が減る。その分、畑へ回せる人が増える」
今度はダリオが口を開いた。
片方の前腕を失っている元兵士は、壁際に立ったまま七人を見ている。
「帳簿の上では、七人増えて食料が三日減る。だが、水車ができれば、今まで粉挽きに使っていた時間が残る」
「種もある」
トーマが黒穂麦の袋を見る。
「山側の畑なら、普通の麦より向いているかもしれない」
一人、また一人と声が上がった。
もちろん、全員が賛成したわけではない。
冬が不安だという者。
外から来た者を信用できないという者。
ただでさえ足りない食料を、これ以上減らしたくないという者。
どれも当然の意見だった。
だからこそ、話し合いは長く続いた。
最後にオルドが息を吐き、七人を見る。
「三十日だけだ」
低い声で言う。
「村の決まりへ従ってもらう。水も食料も、勝手には使うな」
「分かりました」
「できることをして、ここで暮らせるかどうかを一緒に確かめる」
「はい」
ローデンは深く頭を下げた。
セラも続き、その腕の中で眠っていたリルが小さく身じろぎする。ピムも慌てて父親を真似て頭を下げた。
オルドはイデアを見る。
「これでよろしいですか、領主様」
「ええ」
イデアは頷いた。
「では、三十日の間、仮住民として受け入れます」
◇
住む場所は、ひとまず廃教会の礼拝堂になった。
屋根が比較的残っている一角へ布を張り、簡単に空間を仕切る。
「伯爵様と同じ建物に?」
セラが驚いた。
「ええ。わたくしもこちらで暮らしておりますもの」
「でも、ここは……」
セラが補修途中の天井を見上げる。
「この館では、時折、屋根や天井が予告なく自己主張いたします。妙な音がしましたら、すぐにその場を離れてくださいませ」
「領主館なのですよね?」
「現在は」
セラの顔へ不安が浮かんだ。
無理もない。
「安心してください」
アルゼルが微笑む。
「危険があれば、できる限り対処します」
ピムが彼を見上げた。
「寝てるのに?」
「起きています」
「ずっと?」
「少なくとも、あなたよりは長く起きていられます」
「夜も?」
「必要なら、夜通しでも」
ピムは感心したように目を丸くした。
「じゃあ、夜番できるね」
「……そういう結論になりますか」
「よかったですわね、アルゼル」
イデアが微笑む。
「新しい仕事ができましたわ」
「なぜ私の仕事が増えているのでしょう」
「住民が増えましたもの」
「私は領地の警備員ではありません」
「夜通し起きていられて、戦えて、暗闇でも困らない。適任ではなくて?」
「私の能力を、あまりにも実務的に評価されていますね」
「美貌以外にも役立つところが見つかって何よりですわ」
アルゼルは反論しかけた。
だが、ピムが期待に満ちた目で見上げていることに気づく。
「……今夜だけですよ」
「ありがとう、夜番のお兄ちゃん」
「アルゼルです」
「アルゼル兄ちゃん」
高位天使は、ほんの少しだけ満足そうに口元を緩めた。
◇
皆が寝静まったあと。
イデアは祭壇前の仮机で、新しい住民帳を開いていた。
油灯の明かりの下、一人ずつ名前を記していく。
身分欄には、仮住民。
職能欄には、水車大工、縫製と機織り、石工、牧畜。
ピムとリルの欄は空けておいた。
まだ幼い子供に、今から職業を決める必要などない。
「七十人になりましたね」
背後からアルゼルの声がした。
「夜番では?」
「一度、外を見てきました」
「誰も逃げておりませんでした?」
「ええ。鼠が一匹、地下室から礼拝堂へ移住していましたが」
「そちらは追い出してくださいませ」
「鼠にも定住の権利を与えては?」
「食料を盗まないと約束できるなら、考えますわ」
「交渉を試みましょう」
「本気にしないでくださる?」
アルゼルはイデアの隣へ立ち、帳簿を覗き込んだ。
「食料は、さらに苦しくなります」
「分かっています」
「明日、水車が完成するわけでもない」
「ええ」
「黒穂麦を植えても、収穫は先です」
「それも承知しておりますわ」
アルゼルは黙った。
いつものように、答えを押しつけてはこない。
「反対ですの?」
イデアが尋ねる。
「いいえ」
「では、何です?」
「あなたは、どこまで人を受け入れるのだろうと思いまして」
「全員は無理ですわ」
イデアは羽根ペンを置く。
「この領地で生きられる人数には限りがあります。食料も、土地も、わたくしにできることにも」
「ならば、次に十人来たら?」
「同じように話を聞きます」
「五十人なら?」
「怒りますわ」
「来た者へ?」
「わたくしを試す運命に」
アルゼルが小さく笑った。
「それでも、顔を見るのでしょうね」
「見ずに追い返すことはできませんもの」
「あなたは、自分にできること以上の責任を抱えようとします」
その声音は、責めるものではなかった。
むしろ、心配しているように聞こえる。
「抱え込むつもりはありません」
「すでに七十人分の食事を心配しています」
「領主ですもの」
「あなた一人が空腹になれば、ほかの者が満腹になるわけではありませんよ」
イデアは返事をしなかった。
アルゼルが机へ手をつき、少しだけ顔を近づける。
「今夜は食べましたか?」
「スープを」
「量は?」
「普通ですわ」
「誰にとっての?」
「……ピムと同じ程度」
「イデア」
「子供より多く取る気にはなれなかったのです!」
アルゼルは短く溜息を吐いた。
「あなたはピムより身体が大きいでしょう」
「分かっておりますわ」
「明日から、私が確認します」
「何を?」
「あなたの食事量を」
「お断りします!」
「加護を与えた相手の健康を気にかけるのも、必要なことでしょう」
「いま決めましたわね?」
「必要だと判断しました」
「高位天使が、食事係になりますの?」
「望むところではありません」
「ならば——」
「ですが、あなたが倒れるよりはましです」
アルゼルの声に、冗談はなかった。
普段は瞳を閉じているため、その表情だけで本心を読み取るのは難しい。
それでも今は、本当に心配されているのだと分かった。
「……善処いたします」
「その返事は信用できないと学びました」
「学習なさったのね」
「有能ですから」
いつもの調子へ戻ったことに、イデアは少しだけ安堵した。
アルゼルが帳簿を指差す。
「六十三という数字は、消すのですか?」
「いいえ」
イデアは、元の人口の下へ新しい数字を書いた。
――六十三名。
その下に、
――仮住民、七名。
さらに、
――合計、七十名。
「以前の数字も残します。どのように変わったのか、後から分かるように」
「赤字か、黒字かを?」
「それも」
イデアは七人の名前を見た。
「けれど、人は最初から赤字でも黒字でもありませんわ」
食費は増える。
寝る場所も必要になる。
問題だって起きるだろう。
その一方で、七人分の手と知恵と経験が増えた。
二人の幼い子供には、この先いくらでも新しい可能性が生まれる。
「収支は、これから決まります」
「では、七人はまだ帳簿上の空欄ですか?」
「いいえ」
イデアは最後の欄へ、丁寧に線を引いた。
「名前があります」
アルゼルは何も言わなかった。
閉じた瞳のまま、帳簿へ記された七つの名前へ顔を向けている。
やがて、穏やかに微笑んだ。
「それなら、忘れられることはありませんね」
「ええ」
かつてラズマイト家の帳簿から、いくつもの土地が消えた。
領地を返還すれば、その場所に暮らしていた者たちまで、いつしか数字の外へ追いやられていく。
けれど、帳簿から消えたからといって、人まで消えるわけではない。
イデアは同じことをしたくなかった。
七人分、食費は増えた。
食料の残りは、およそ三日分減った。
領地の収支だけを見れば、間違いなく赤字は大きくなった。
それでも、その夜。
イデアは新しく加わった七つの名前を、ひとつも消さなかった。
小ラズマイトの人口、七十名。
借金を返済するために使える期間は、まだ五年ある。
食料が尽きるまで、残り二十四日。
そして翌朝。
復旧した水路を一通り見て回ったローデンは、流れと高低差を確かめたあと、開口一番こう言った。
「これなら、十日で水車を回せます」
七人が小ラズマイトにとって赤字になるのか、黒字になるのか。
その答えの一端は、イデアが思っていたよりも早く示されることになりそうだった。




