22.七人増えれば、食費も増えます(上)
村の外れに見えた灯りは、七つではなかった。
ひとつだけだった。
手押し車の先へ吊るされた小さな油灯が、夜風に揺れている。その頼りない明かりを囲むように、七人の人影が寄り集まっていた。
大人が四人。
子供が三人。
衣服は汚れ、靴は泥にまみれている。荷物らしいものは、手押し車に積まれたふたつの木箱と古い工具袋、それから布で包まれた細長い包みだけだった。
武器を持っている様子はない。
だが、村人たちは鍬や鎌を手にし、遠巻きに彼らを囲んでいる。
「領主様」
イデアが近づくと、先に様子を見ていたトーマが駆け寄ってきた。
「盗賊ではなさそうだ」
「お話は?」
「村へ入れてほしいって」
イデアは七人へ目を向けた。
先頭に立っているのは、四十歳ほどの男性だった。焦げ茶色の髪には白いものが混じり始めている。旅装の袖は何度も継ぎ当てされていたが、腰に下げた工具袋だけは丁寧に手入れされていた。
男はイデアを見ると、深く頭を下げる。
「突然押しかけたご無礼を、お許しください」
「まず、お名前を」
「ローデン・ハークと申します」
男は後ろにいる者たちを示した。
「妻のセラ。息子のピムと、娘のリル。それから石工のデガン。山羊飼いの兄妹で、ユーイとエスタです」
名を呼ばれた者たちが、それぞれ頭を下げる。
ローデンの妻であるセラは、二歳になるという小さなリルを腕に抱いていた。長い道のりで疲れ切っているのか、幼子は母親の肩へ頬を預けたまま、半分眠っている。
その傍らには七歳ほどのピムがいて、父親の外套へ半ば身体を隠しながら、こちらの様子を窺っていた。
石工のデガンは五十代半ばだろう。背は低くないが痩せており、右膝へ布を巻いて杖をついている。
山羊飼いだというユーイは二十歳前後。妹のエスタは十五歳ほどに見えた。
七人とも疲れ切っている。
けれど、物乞いのように手を差し出してはいなかった。
追い返される可能性を覚悟しながら、それでもここまで来たのだろう。
「どちらからいらしたのです?」
イデアが尋ねると、ローデンの返事は一瞬遅れた。
「セードル村です」
隣にいたクラウスが眉を寄せる。
「旧ラズマイト領西部の?」
「はい」
かつてラズマイト伯爵家が治めていた土地。
借金のため、王家へ返還した地域のひとつだ。
「現在は王領でしょう」
「書類の上では」
ローデンは疲れた声で答えた。
「三年前から川の流れが変わり、畑へ水が届かなくなりました。去年の秋には水車も壊れ、冬を越せなかった家が何軒も出ました」
「王領の代官へ、修繕を願い出なかったのですか?」
クラウスの問いに、ローデンは頷いた。
「出しました。ですが、村を直すより、住民を別の土地へ移した方が安いと判断されたそうです」
「移住先は?」
「石切り場の宿舎です。住居と食事を与える代わりに、十年間働く契約でした」
デガンが、自分の右膝を見る。
「この脚じゃ、石切り場には要らんと言われた」
「わたしたちも」
セラが小さな声で続ける。
「子供の食費は、夫婦の賃金から引くと……」
イデアは眉を寄せた。
十年働いた先に何が残るのか。
契約の詳しい内容を見なければ断定はできない。それでも、幼い子供を抱えた家族が受け入れがたいと考えたことだけは分かった。
王家が直接その条件を決めたとは限らない。現地の役人か、移住を請け負った商人が提示したものかもしれない。
いずれにしても、彼らはそれを拒み、行き場を失った。
「なぜ、小ラズマイトへ?」
オルドの声は硬い。
「ここに食料があると、誰かから聞いたのか」
「いいえ」
ローデンは首を横へ振った。
「むしろ、何もない土地だと聞いていました」
「なら、なぜ来た」
「ラズマイト家に、新しい当主が立ったと」
ローデンがイデアを見る。
「王都から来た行商人に聞きました。若い女伯爵が、最後に残った領地へ向かったと」
「それだけで?」
「セードル村は、昔はラズマイト領でした」
男の手が、腰の工具袋を握った。
「祖父から、ラズマイトの名を忘れるなと教えられてきました。たとえ領主が俺たちを忘れても、俺たちはあの土地で生きた者だと」
イデアの胸へ、重いものが落ちた。
かつてラズマイト家が治めていた土地。
その土地を手放し、残された者たちの暮らしがどうなったのか、イデアはこれまで知ろうともしていなかった。
家督を取り戻すことばかりに目を向けていた頃の自分なら、帳簿の上から消えた領地を、それ以上調べようとはしなかっただろう。
けれど、その土地にいた人間まで消えたわけではない。
「新しい伯爵様なら、せめて話くらいは聞いてくださるかもしれないと思いました」
ローデンはもう一度、深く頭を下げた。
「住む場所をただでいただきたいとは申しません。納屋でも、荒れた土地の端でも構いません。食べ物も、働いて返します」
「働き口があると思っておりますの?」
「なければ作ります」
即答だった。
「俺は水車大工です。水路があれば、水車を組めます。粉挽きもできます」
イデアは目を瞬いた。
隣でオルドもわずかに反応する。
小ラズマイトには、昨日ようやく水が戻った。
けれど穀物を粉にするには、今も村人たちが手で石臼を回している。
「妻は縫い物と機織りができます。デガンは石工です。ユーイとエスタは山羊を育てられる。子供たちも、できることは手伝わせます」
「食事の代わりに、子供へ労働を強いるつもりはございません」
ローデンが言葉を止める。
「家の手伝いまで禁じるつもりはありませんわ。ですが、働けないから食べさせない、という扱いはいたしません」
ローデンが顔を上げた。
イデアは、その目をまっすぐ見返す。
「まずは、詳しくお話を聞きます」
◇
七人を廃教会へ連れていくと、礼拝堂は急に狭くなった。
もともと家具らしい家具などほとんどない。それでも、夜風を直接受ける村外れよりはましだった。
村人たちは入口近くに集まり、七人から少し距離を取っている。
歓迎している者ばかりではない。
むしろ警戒している者の方が多かった。
「座ってくださいませ」
イデアが勧める。
だが、七人が座れるだけの椅子などない。
結局、倒木から切り出した板を木箱へ渡し、長い腰掛けの代わりにすることになった。
ローデンが腰を下ろした瞬間、板が大きく軋む。
全員の動きが止まった。
「……壊れませんわよね」
イデアが板を見る。
大きな外套をまとったまま立っていたアルゼルが、指先で板を軽く叩いた。
「この程度の荷重なら耐えられます」
「橋の時も、似たようなことをおっしゃいましたわね」
「いつまで言われるのでしょう」
「次の橋を無事に渡りきるまでです」
七人のうち、ピムだけはそんな二人のやり取りより、アルゼル本人が気になっているらしい。
長い金髪。
妙に大きな外套。
そして、ずっと閉じられた瞳。
「お兄ちゃん」
ピムがおそるおそる声をかけた。
「何でしょう」
「寝てるの?」
「起きています」
アルゼルの微笑みが、ほんのわずかに固まる。
「でも、目が開いてない」
「私が瞳を見せれば、多くの者が心を奪われてしまいますので、普段は閉じているのです」
ピムはしばらく考えた。
「歩きにくくない?」
「問題ありません」
「ほんと?」
「本当です」
少年が礼拝堂の隅を指差す。
「じゃあ、あそこの桶、分かる?」
「祭壇から見て左手、壁際にある木桶ですね。その横には壊れた長椅子があります」
ピムが目を丸くした。
「ほんとに見えてる」
「当然です」
アルゼルが少し得意そうに顎を上げる。
「私には、少し異なる感覚がありますので」
「便利だね」
「もう少し感心するところがあってもよいと思いますが」
「桶が分かるの、すごいよ」
「……私の能力の評価が、桶だけなのは少々不本意ですが」
礼拝堂の隅でミラが吹き出した。
アルゼルは子供相手でも、評価には少々うるさいらしい。
◇
クラウスが新しい帳面を開く。
「セードル村を出たのは、いつですか」
「八日前です」
ローデンが答える。
「食料は?」
「昨日、最後の干し芋を子供たちへ」
セラは眠ったリルを抱いたまま、自分の腹へ手を添えていた。
大人たちは、今日ほとんど何も食べていないのだろう。
イデアはオルドを見る。
「七人分、何か用意できます?」
「伯爵様」
オルドの表情が険しくなった。
「分かっております」
村の食料は、かなり切り詰めても二十七日分。
七人増えれば、当然さらに減る。
「わたくしたちが王都から持ってきた保存食を使います」
「それは伯爵様の分だ」
「わたくしは、一日くらいなら——」
「駄目です」
アルゼルが即座に遮った。
イデアは彼を見る。
「なぜ、あなたが決めますの?」
「あなたは人間です。食べなければ倒れます」
「一日なら平気ですわ」
「昨日も今日も、十分に食べていないでしょう」
図星だった。
井戸へ水が戻った祝いとして村人からもらったスープも飲んだ。だが、食料の乏しさを知ってしまったあとで、自分だけ多く食べる気にはなれなかったのだ。
「あなたが倒れれば、領地全体が困ります」
「ですが」
「私の分を使ってください」
「あなたは食べなくても平気なのでしょう?」
「ええ」
「でしたら、最初からあなたの分など計算へ入れておりませんわ」
「……そうでしたね」
アルゼルが閉じた瞳のまま、わずかに眉を寄せる。
自分の食事を譲るという提案が、何の役にも立たなかったことが不満らしい。
「保存食がまだ残っております」
イデアは荷物箱を開いた。
「今夜はこちらを使います。明日以降については、皆で話し合いますわ」
オルドは納得していない顔だった。
だが、反対はしなかった。
ハンナが鍋を火へかけ、乾燥豆と麦を煮始める。
食事ができるまでの間に、七人の持ち物も確認した。
木工用の工具。
針と糸。
小さな織り枠。
石工用の槌。
山羊の毛を刈る鋏。
衣服と毛布。
そして、手押し車の底にはふたつの袋が積まれていた。
「これは食料ではありませんの?」
イデアが尋ねる。
「種です」
ローデンが答えた。
「黒穂麦と、山豆です」
「八日も歩き、食料が尽きても食べなかったの?」
「これを食えば、次がありません」
袋の口が開かれる。
中に入っていたのは、イデアが王都から持ち込んだ麦よりも小さく、黒みの強い穀粒だった。
オルドが一粒を手に取る。
「見たことがない」
「セードル村では、川から離れた畑に植えていました。水が少なくても育ちます」
「収穫量は?」
「普通の麦より少ない。ですが、枯れにくい」
イデアとオルドは顔を見合わせた。
小ラズマイトの土は痩せている。
水路が戻ったとはいえ、すぐにすべての畑へ十分な水を回せるわけではない。
乾燥へ強い作物は、まさに今の村が必要としているものだった。
「種を持ってきた理由は?」
「どこかに土地を借りられたら、植えるつもりでした」
「土地ならございますわ」
イデアは言った。
「使う者のいない畑なら、いくらでも」
ローデンの顔へ、初めてわずかな希望が浮かんだ。




