第五話
翌朝。インフラが整った我が資材館エリアは、ポータブルクーラーのおかげで実に爽快な朝を迎えていました。酷使し続けたコンタクトはとうに限界を迎えていたので、私は鞄に忍ばせていた予備の眼鏡へとかけ替えました。視界がクリアになると同時に、目の奥の疲労がすっと軽くなった気がします。私は金物さんの手を借りて、資材館の正面ゲートに最初の自動防衛システムを構築していました。
「よし、金物さん。ギヤモーターの接続をお願いします」
「おう、これで赤外線センサーが反応したら、自動でワイヤーが巻き取られる算段だな?」
その通りです。ゾンビがゲートに近づくと、敷居に仕込んだ高強度スチールワイヤーが、センサー連動で「ピン!」と音を立てて足元で跳ね上がります。足元への注意力がゼロのゾンビたちは、面白いようにバタバタと前方に転がっていきました。転んだ先には園芸ネットが敷いてあります。一度転べば二度と起き上がれず、あとは私たちが安全圏から結束バンドで緊縛するだけ。
「素晴らしい……。これで外敵処理の自動化に一歩近づきましたね」
「水瀬さん、本当に天才だよ……。あ、あの!」
純君が冷たい麦茶を差し出しながら、連絡通路のほうを指差しました。見れば、昨日あんなに威張っていた事務室籠城派の面々が、ゾロゾロとこちらへ歩いてくるではありませんか。
エアコンのない事務室で一晩を過ごした彼らは、全員が汗だくで服はヨレヨレ、目の下にドス黒いクマを作っていました。先頭に立つのは、若者グループのリーダー格である金髪の男です。私たちのバリケードの前に立つと、ガンガンと木枠を叩きました。
「おい! お前らだけ涼しい顔して飯食ってんじゃねえよ! 俺たちもその中入れろ! 冷たい水と、食料をよこせ!」
後ろでは、主婦と店長も同調しています。完全に限界を迎えて、暴徒化しかけている状態でした。
「お断りします」
私は冷えた麦茶を上品にすすり、おっとりと微笑みました。
「最初の仕様策定(第2話)の段階で、あなた方は事務室への籠城を選択されました。私は私のリソースを使ってこの環境を構築しています。今更の互換性(立ち入り許可)は認められません」
「ふざけるな! だったら力ずくで奪うだけだ!」
金髪の若者が、背中からそれを突き出して、バリケードの隙間から私に向けて構えました。それは、工具売り場から盗み出してきたであろう、プロ仕様の『充電式ネイルガン(釘打ち機)』でした。
「おい、これが見えねえか!? 映画とかでよくあるだろ、釘が弾丸みたいに飛んで頭をブチ抜くやつだ! ぶっ放されたくなければ、さっさとそのゲートを開けろ!」
「ひっ……!? 銃弾が飛んでくるんですか!?」
純君が真っ青になって私の後ろに隠れます。店長や主婦は、強力な遠距離武器を手に入れたと思って、にやにやと勝ち誇ったような笑みを浮かべていました。
しかし。銃口を向けられているはずの私は、恐怖を感じるどころか、じわじわと胸の奥からオタク特有の不快感が湧き上がってくるのを止められませんでした。
「……はぁ。本当に、仕様の誤解とは恐ろしいものですね」
私はおっとりした表情のまま、しかし口調だけは、怒涛のギガスピード(超早口)へと切り替わりました。
「……いいですか? 映画や漫画の描写をそのまま現実に持ち込むのはやめていただけますか? そもそもネイルガンというのは高圧空気やモーターの力で釘を打ち込む工具であって火薬を使う銃ではありませんから銃身に相当するバレルが存在しないため釘を空中にまっすぐ射出するような弾道特性は最初から設計段階で想定されていないんですよ」
「は、はぁ!?」
私が息もつかずに捲し立てると、金髪の男は完全に呆気にとられてポカンと口を開けました。
「さらに言えば、現場での誤射や事故を防ぐために、すべてのメーカーは厳格な安全基準を設けています。先端のノズル部分にある『コンタクトアーム』と呼ばれる安全装置を、木材や壁などの対象物にしっかりと押し付けない限り、内部のスイッチが入らず、引き金をいくら引いても絶対に作動しない仕様になっているのです」
私はバリケードの隙間から、男が持つネイルガンの先端を冷ややかに指差しました。
「つまり、その安全装置を解除しないまま空中へ向けて構えている状態のそれは、飛び道具でも何でもありません。ただのバッテリーが重い鉄の塊です。そんなもので脅したつもりになっているなんて、システムの仕様書を一行も読まずに開発を始めるようなもの。極めて滑稽ですよ」
シン、と資材館に静寂が広がりました。金髪の男は顔を真っ赤にし、額に青筋を立てて叫びました。
「は、ハッタリかましやがって! 死んでも知らねえからな! 死ねぇ!」
男はヤケクソになって、引き金を力いっぱいに引きました。
――カチ。
虚しいプラスチックの作動音が、静かな店内に響くだけでした。男は焦って何度も引き金を連打しますが、ネイルガンは静まり返ったままです。
「う、嘘だろ……!? なんで出ねえんだよ!」
「ですから、それが正常な仕様だと申し上げました。仕様外の動作を期待されても困ります」
私はおっとりした微笑みに戻り、手元にあった『防犯用の強力高圧洗浄機』のノズルを、バリケードの隙間からそっと覗かせました。金物さんが作ってくれた独立型発電網に繋がっており、すでに圧力は最大です。
「これ以上、私たちのエリアに不正アクセスを試みるようでしたら、この高圧洗浄機で皆さんの顔面の皮膚をまとめて高圧洗浄(強制デバッグ)いたしますが、いかがいたしますか?」
笑みを浮かべたまま、威嚇としてトリガーを少しだけ引くと、
――ギシャァァァン!!
と、激しい圧縮水のジェット噴射が男の足元のコンクリートを削り飛ばしました。
「ひ、ひいいいっ!?」
「ご、ごめんなさい! もう来ないわよ!」
映画の銃がただの鉄屑だと証明され、逆に本物の武器を突きつけられたことで、彼らは悲鳴を上げながら、一目散に事務室へと逃げ帰っていきました。
「ふぅ。無事に例外処理が終わりましたね」
「水瀬さん、かっこよすぎるよ……!」
にわか知識の脅威を完全に排除した私たちは、冷房の効いた快適な居住エリアで、再び冷たい麦茶をすするのでした。これで、私たちの城の絶対的な安全と、生存者間の上下関係は完全に固定されたのです。
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