第6話「どうやら、スローライフとはいかないようだ」
「ふぅー……。おい司祭、うちの大事な愛娘を返してもらおうか?」
「は、はい、お返しします! だから命だけはぁ!」
吹き飛ばされた勇者を目の当たりにした司祭は怯えたように、尻餅をつき後退りする。
世界を救った勇者があんなド派手に殴られたんだ、それはもう逃げるしかないよな。
とうとう司祭の拘束から解放されたスイルは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらソイルに擦り寄る。
「パパァー! 怖かったよぉ……」
「スイル! 怪我はないか?」
「う、うん……パパ、ありがとう……」
「無事でよかった……」
ソイルはスイルの頭をポンポンと撫で、にこやかな笑みを浮かべている。
さっきまで、放っていた狂気的な覇気が嘘かのように、いつも通りの優しいオーラを放っていた。
「はっはっは‼︎ さすが俺の相棒‼︎ 土いじりしてても身体は鈍ってないようだなぁ‼︎」
ソイルによって数十m殴り飛ばされた勇者は、仰向けに地面に倒れながら、イカれた笑い声を響かせる。
見事に殴り飛ばされたはずだが、いまだピンピンしてる勇者。——全く効いてないのか?
「お前に相棒なんて呼ばれる筋合いはねぇよ……仲間を殺ったお前にはよ……」
ソイルは、再び狂気を孕んだ鋭い視線を勇者に向けていた。
ソイルは勇者に対し「仲間を殺した」と非難している。そこからマオは理解した。——「そうか、これがこの眼の正体か」と。
そして6年前、ノルディというフードの男が訪れた時のことを思い出す。そこで出てきた『ロルド』を殺した人物の名前、『ルクス』。その正体は目の前の勇者なのかもしれないと。
勇者は転生前、マオが操作していた主人公だ。ストーリーを流し見していたマオでもさすがに、主人公の名前を思い出すことは出来た。勇者の名前は『ロード・ルクス』。
そうすれば、父ちゃんは——ここまで思考が巡った頃に、ソイルの声が割り込む。
「おい、お前たち! 先に家に戻ってろ! 俺はこのクソ勇者と話がある。——マオ! スイルを頼んだぞ」
ソイルが『ここから先は通さん』と腕を大きく広げながら、後方のマオとスイルに指示を出す。
その背中は、覚悟を決めたような大きく小さな背中であった。——「勇者に勝てるのか? いや、でも父ちゃんなら……」といった具合に、なかなか勝敗予想がつかない。
しかし、今この場にいてもソイルの『護るべきもの』が増えるだけだ。それは、勝負において『弱点』を増やすことに等しい。
——勝つ、父ちゃんは絶対に勝つ!
と自分に言い聞かせ、ソイルの指示通りスイルと家へ逃げることを決めた。
「スイル、ここは父ちゃんに任せて、俺たちは家に帰るぞ」
「でも、パパは? 大丈夫なの?」
「あぁ、父ちゃんなら大丈夫……。よし、行こう‼︎」
マオはスイルの手を強く引き、家の方向へと走り出す。
もつれそうな足をなんとか制御して、もう無我夢中で走った。この場から離れることが、ソイルの勝利に繋がる——そう信じて。
「はっはっは‼︎ おいおい! なんで逃すんだよぉ。大人しくあの小娘さえ渡してくれたら、お前を殺さずに済んだのによぉ!」
「はっ? 俺を殺す……? 笑わせんなよ。お前が俺に勝ったことなんてあったか?」
「まぁまぁ、相棒……お前のことは誰よりも知ってんだ。お前を殺すなんて俺にとっては、魔王を殺すより簡単だぜぇ‼︎」
「やってみろよ、クソ勇者‼︎」
マオの後方で、風切音と共に地面が抉れる音が聞こえる。おそらく、戦闘が始まったのだろう。
ドゴォン‼︎ バァン‼︎ ドォォン‼︎
ソイルと勇者の戦闘は、数m離れたマオですら心臓を揺らすほどの衝撃を響かせていた。
「きゃあ‼︎」
その拍子にスイルが足を滑らせ地面へと、ダイナミックに転ける。
「だ、大丈夫か? スイル、立てる……?」
「うん、ちょっと転んだだけ——」
見上げるスイルの表情が、徐々に強張っていくのが見えた。それと同時に、頭上を通り過ぎる巨大な影と背中を押すように吹き荒れる風。そして、スイルの視線は、その巨大な影を追うように動いていた。
「お、お兄ちゃん……う、後ろ……」
スイルがマオの方向へ指をさしている。しかし、どこか的外れ。プルプルと震える指先からは、恐怖が滲み出ていた。
背中を強く押す突風と日を隠すほどの巨大な影から、スイルの指が背後にいる何者かに向けられていることが分かった。——魔王はいないんだ、モンスターなんていないはず……
しかし、とても人間と言うには異質な存在が背後にいる。
恐る恐る振り返る。心臓はバックンバックンと警笛を鳴らしている。
「————」
声も出なかった。ある意味で期待外れな、その正体に身体の筋肉という筋肉が強張り硬直する。
「グルゥウアアアア‼︎」
身体の芯まで突き刺すような咆哮。家屋何軒分と測る方が、早いほど巨大な身体。皮膚は燃えるように赤い。そして、日を隠すには十分なほど広がる翼。羽ばたくだけで、突風を巻き起こす様はまさに災害。その正体は、
——ドラゴンだ。
画面越しで嫌というほど見てきた、ドラゴンが今まさに目の前にいる。
ギロッと縦に裂けた眼が睨みつけている。——怖いなんてものじゃない、話し合いすらできない、完全武力主義の相手と相まみえる時の諦めが身体の制御を不能にしていた。
「おぉーい‼︎ お前たち逃げろぉ‼︎」
ソイルの叫び声が聞こえる。その声色は焦りを纏っていた。——逃げたいよ! 逃げたいけど身体が言うこと聞かない。
「はっはっは‼︎さぁ、どうすんだぁ‼︎ 家族ってやつを守れよぉ‼︎」
勇者の煽るような笑い声が、さらに恐怖を引き立たせる。
脚が震え呼吸が浅くなる。体は冷え切っているのに汗がダラダラと吹き出す。「やばいやばいやばい」それだけが脳内を満たしていた。
「グルゥウアアアア‼︎」
追い討ちをかけるようなドラゴンの咆哮で視界がグンッと降下し、尻を地面に強くぶつけた。鼓膜に「キーン」と言う音がこびりつく。
「お、お兄ちゃん……」
スイルがマオの肩をギュッと掴む。その手は、ブルブルと震え、顔は涙でぐしゃぐしゃに散らかっていた。
「大丈夫。お兄ちゃんが守ってやる。」なんて台詞は当然口から出せず、ただ情けない顔で見つめることしかできなかった。
そんな、無力の兄妹をまるで子虫のような目で、見下ろすドラゴン。
そして、首を大きく引き、何やら溜めを作っていた。その口からは火が漏れ出ている。「なにか、攻撃が来る。」と思ったが、なんでもいい。——だってもう、死ぬんだから。
とうとうドラゴンは溜めていた首を解放し、口から炎が噴射される。肌を焦がすような灼熱のブレスがマオとスイルに襲いかかる。
恐怖で足は動かないし、思考が仕事しない。訪れるであろう、「死」に抗うのを諦め、ゆっくりと目を閉じた。妹を巻き添えにして——




