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第9話「家へ帰ろう」

「うおォォォォォォ‼︎」


 初めて感じる身体の軽さ。重力を感じないほどの浮遊感。握りしめる拳は、いつも以上にめり込む。流れゆく景色は形を成さず、瞬き一つで勇者が目の前にいる。——なんなんだ、この感覚……こんな力が俺に……。


 マオは分からなかった。これが全ステータス#N/A(エラー)の力なのか、はたまた感情の昂りによる錯覚なのか。そんなことを考えている間に、拳は勇者の顔面を捉えていた。


「お前——」


 思いっきり振り抜いた拳が勇者の顔面に直撃した時、目が合った。血走った赤い眼。口はニヤリと吊り上がっていた。それはどこか、楽しむように。——「狂ってる。」それが勇者を間近で見た印象であった。殴り飛ばした拳に嫌悪感が残る。

 

「マオ……」


 目をまん丸にしてマオを見つめるソイル。まるで、怪奇現象を目撃したような驚きをしていた。


「父ちゃん!大丈夫⁉︎」


 ソイルの石化は首まで達していた。目頭が熱くなり視界がボヤける。『デーモンズクエスト』の世界では、石化は最強の光魔法『サルヴェーション』でしか解く方法はない。それも、身体の全てが石化してしまう前に施さないとならないのだ。

 そして、今この場でその魔法を使える者は存在しない。つまり、『魔王の刀』によって切られた時から、ソイルの死は決まったも同然だったのだ。それを悟ったように、微笑みながらソイルは語りかける。


「強くなったなぁ……マオ……。俺は多分もう無理だ。身体が思うようにうごかねぇ。だから、マオ……お前にこれを託す」


 ソイルが辛うじて腕を動かし、マオの顔の前に拳を差し出す。その拳の中は光り輝いていた。


「マオ……俺はお前のずっと側にいる。だから、諦めんなよ……」


「——パパ、パパァァ‼︎」


 スイルの悲鳴が聞こえる。その方向に目をやると、スイルを拘束する勇者の姿。——「さっき殴り飛ばしたはず……」と思い、振り返るが案の定、さっきまで倒れ込んでいた場所に勇者の姿はなかった。


「はっはっは‼︎ 久しぶりに痛かったぜぇ! 小僧。また、強くなったら相手してやるよ!」


「お兄ちゃん! お兄ちゃぁぁん‼︎」


 泣き喚くスイルが必死な形相でマオを見ている。恐怖に満ちたその目は、兄として妹にさせてはいけない目。


「と、父ちゃん——」


 いつも通り、ソイルに助けを求めようと視線を向けるがすでに石像と化した姿がそこにはあった。


「はっはっは! これで俺は神へと近づく……じゃあなぁ!小僧!【『ドミネーション・ワープ』】——」


「お兄ちゃん‼︎ お兄ちゃ——」


 スイルの声が消えた。というより、勇者とスイルの姿が消えた。そして、主人がいなくなったからなのか、ドラゴンの姿まで消えていた。


 この世界に1人だけ取り残されたような酷い孤独感。

 草木の揺れる音が鼓膜をくすぐり、のどかな風が肌を撫でる。そんな、いつも通りの平和すら残酷に思う。

 勇者により妹を攫われ、父を殺された。この結果を招いたのは、何もできなかった身体では無く、諦めてしまった精神だ。ようやくできた家族というものに怠けていた、ツケが回ってきたのだと後悔する。


「父ちゃん、俺どうしたら……」


 答えるはずのない石像に問いかける。その表情は優しくにこやかに微笑んでいたが、変わることのない表情は寂しさを生む。

 ふと、ソイルの掲げた拳に目をやると、未だ光り輝く物体。託すと言っていたその物が一体なんなのか。

 

 恐る恐るその光に触れてみると、たちまち輝きがマオを包み込む。心臓へと流れ込む光は、痛くも痒くも無い。

 血液が巡るように、じんわりと身体に広がっていくような気がした。そして、ダイジェストのように脳裏に流れる知らない記憶。いや、厳密には体験していない記憶。そこに写っていたのは、


 ——魔法使いに剣を突き刺す勇者の姿。


 ソイルから託された光と同時に流れ込んだ記憶。それが、ソイルの視界を通して見たものだとすぐ理解した。家族同然の仲間である魔法使いを殺した勇者。その理由は分からないが、ソイルが憎む理由が分かった。

 マオも父を殺され、妹が拐われた。グツグツと湧き上がる憎しみが込み上げる。

 そして、脳裏に蘇る言葉。


 ——勇者を……勇者を殺してくれ‼︎‼︎


 『狭間』で出会った紫髪の少女の言葉だ。狂気を孕んだ目はソイルと同様。つまり、少女もまた「大事な人」を勇者によって失ったのかもしれない。

 『呪い』のように、こびりついた少女の言葉がたちまち『使命』へと変わっていた。


 復讐心へと変わった憎しみは、マオを奮い立たせる。そして、この異世界に来た意味というものが分かった気がした。


 ——勇者を殺す。


 それが、この世界に招かれた意味。そして、果たすべき使命だ。


 攫われたスイルを救うには、勇者を探さねばならない。どこにいるかも分からない途方もない旅。

 しかし、いつもは選択肢として出てくる『諦め』が脳裏をよぎることはなかった。——「これ以上、家族を失いたくない。」それがマオの覚悟を形作ったのだ。

 旅に出るにも準備がいる。——(うち)に帰ろう。父と共に。

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