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バージンロードの途中で、花嫁は僕の横を通り過ぎた  作者: 桜野結


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番外編1 当日キャンセル(式場スタッフ編)

その日の朝、私は九時に厨房へ行って、前菜の数を確認した。九十。伝票と合っていた。


 入社二年目だった。担当としてついたのは五組目で、そのうち三組は主任との共同だった。この組は、私がほとんど一人で回していた。任されたと思っていた。


 打ち合わせは六回あった。


 平均より多い。花で三回使ったからだ。新婦は花にこだわった。最初は白でまとめたいと言い、次にピンクを入れたいと言い、三回目でユリとバラに決まった。カタログを持ち帰って、付箋を貼って戻ってきた。決めるのが早い人ではなかったが、いい加減な人でもなかった。


 新郎は、ほとんど「いいと思う」と言っていた。


 四回目の打ち合わせで、新婦が聞いた。


「これ、キャンセルって、できるんですか」


 私は答えた。


 できます、と。ただし規定がありまして、と。三十日前までなら見積額の二十パーセント、十日前までなら五十パーセント、前日と当日は百パーセント。お料理は当日キャンセルですと食材の発注が済んでおりますので全額、引き出物も名入れがある場合は返品を承れません。


 全部、正確に説明した。研修で覚えた通りに、明るい声で。


 新婦は手帳を開いて、メモを取っていた。


 私は、そういうことを聞かれるのは珍しくないと思っていた。実際、珍しくない。親御さんの体調を心配する方も、勤め先の都合を気にする方もいる。私は「万一の場合もご相談ください」と付け加えた。それも研修通りだった。


 主任には報告しなかった。報告するような話ではなかった。


 当日、私は控室の前の廊下にいた。


 扉が閉まる音がして、それから中がおかしくなった。何が起きたのかは、あとで聞いた。私が最初に見たのは、白いドレスの背中が正面玄関を出ていくところだった。


 主任が私の横を通って、そのまま厨房に入った。


「メイン止めて。前菜は下げないで、そのまま冷蔵」


 私はその指示の意味がわからなかった。あとで理由を聞いた。前菜を下げると廃棄になるが、冷蔵しておけばスタッフ食堂で使える分がある。九十のうち、いくつかは無駄にならない。


 主任は五分で全部決めた。列席者は第二控室と第三控室に分けて誘導する。司会はマイクを切って待機。カメラマンは撤収。両家の親族には主任が直接話す。私はご案内係に回る。


 私はご案内しかできなかった。


「こちらへどうぞ」と九十回近く言った。声は震えていなかったと思う。


 引き出物をどうするかは、その日のうちに決めなければならなかった。


 九十個ある。両家の名字が入っている。返品はできない。倉庫に置いておくにも期限がある。


 主任が「ご新郎側に確認して」と言った。私は行けなかった。行けと言われたわけではなかったが、行くべきだったと思う。主任が代わりに行った。


 戻ってきて、「実家に送ることになった」と言った。それだけだった。


 その夜、更衣室で主任に聞いた。こういうことは、あるんですか、と。


「五年に一度くらいはある」


 主任はロッカーを閉めながら言った。


「前日までなら。当日は、私も初めて」


 それから少し黙って、こう言った。


「あの人、六回も打ち合わせに来てるんだよね」


 私はそれについて、いまも考える。


 新婦は六回来た。花を三回選んだ。付箋を貼って戻ってきた。あれは全部、演技だったのだろうか。


 たぶん違う。演技なら、もっと雑にできる。


 どこかの時点で気持ちが動いて、それでも打ち合わせの日は来るから、その日だけは新婦の顔で来ていたのだと思う。四回目でキャンセルの話を聞いたのは、たぶん、そのあたりだ。


 私はあのとき、値段を全部教えた。


 三十パーセント、五十パーセント、百パーセント。逃げるといくらかかるかを、明るい声で、正確に。


 教えなければ違ったのかと言われたら、違わなかったと思う。それでも私は、自分があの人に見積もりを渡したのだという感覚を、まだ持っている。


 明細書は私が作った。


 二日かかった。三回検算した。項目を一つでも間違えたら、その一行が誰かを傷つけると思ったからだ。金額は変えられない。書き方も変えられない。正確に作ることしか、私にできることはなかった。


 装花の欄には、四十万一千二百円と書いた。


 新婦が三回かけて選んだものだ。私はその打ち合わせの記録を全部持っている。何色を入れたいと言ったか、どのカタログのどのページを指したか。それを請求書の一行にした。


 引き出物は、三箱に分けて送った。


 着払いではなく、元払いにした。伝票の依頼主欄には式場の名前を書いた。私の名前は書かなかった。書く欄がなかったし、書く資格もなかった。


 九十膳の箸だ。段ボール三箱で、思ったより重かった。


 私はいまも同じ会社にいる。


 打ち合わせを仕切る側になって、新人にも教えている。キャンセル規定の説明は、研修の項目に入っている。私が教えている。


 三十日前までなら二十パーセント、十日前までなら五十パーセント、前日と当日は百パーセント。


 同じことを、同じ声で、いまも言っている。


(了)


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― 新着の感想 ―
以前5年ほどブライダルの仕事に就いてました。 自分は遭遇しませんでしたが、ガチであるそうで世の中色々だなぁw 自分があった範囲ですと ・式後に新郎が友人たちから胴上げされてキャッチしそこない救急車で…
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