第三話 自由
車の助手席に乗ってから、私は髪を留めていたピンを抜いた。三十本近くあった。窓の外に投げようとして、やめて、ドアポケットに入れた。ヴェールは教会の駐車場に落としてきた。
先輩は何も言わずに運転していた。私が笑い出すと、先輩も笑った。
ドレスのまま高速に乗った。サービスエリアで先輩がスウェットの上下を買ってきてくれた。トイレで着替えて、ドレスは紙袋に押し込んだ。あんなに重かったものが、袋ひとつに入った。
あの日のことを、私は何度も思い出す。思い出すのは、たいてい、その紙袋のことだ。
最初のホテルで、宿泊者名簿に本名を書いた。書いてから、書くべきではなかったかもしれないと思った。誰も追ってこなかった。当たり前だった。私は成人していて、犯罪を犯したわけでもない。誰も探しに来ない。
自由というのは、こういうことか、と思った。
先輩の部屋は、ワンルームだった。
都内で一人暮らしをしていると聞いていたので、そういうものだと思っていた。実際に住んでみると、二人には狭かった。私の荷物は何もなかったから、最初の一週間は問題にならなかった。
最初の二ヶ月は楽しかった。嘘ではない。本当に楽しかった。昼まで寝て、二人でスーパーに行って、安い酒を飲んだ。先輩は私の話をよく聞いてくれた。
彼は、よく聞いてくれる人ではなかった。彼は、私の話を聞く前に答えを持っている人だった。
最初につまずいたのは、住民票だった。
仕事を探すのに住所が要る。区役所に行って、転入届の用紙をもらった。前住所の欄で手が止まった。
窓口で聞いた。転入するには前の市町村の転出証明書が必要だと言われた。実家の役所で発行してもらうか、郵送で請求するか。郵送で請求すれば、実家の役所で処理されて、返信は登録上の住所に届く。実家に届く。
それに、転入すれば戸籍の附票に新しい住所が載る。附票は直系親族なら取れる。父が取り寄せれば、私がどこにいるかは一週間もかからずわかる。
窓口の人は親切だった。三十代くらいの女の人だった。私の顔をしばらく見てから、声を落とした。
「もし何かご事情がおありでしたら、支援措置という制度があります。DVやストーカーの被害がある場合は、ご親族からの請求でも住所をお出ししないようにできます」
「そういうのではないです」
そう答えるのに、少し時間がかかった。
そういうのでは、なかった。私は誰にも殴られていない。追われてもいない。私が勝手に逃げただけだ。制度は、勝手に逃げた人のためには作られていない。
私は用紙を返して、区役所を出た。
住民登録がなければ、国民健康保険には入れない。会社の社会保険に入るには、まず会社に入らないといけない。会社に入るには、履歴書に現住所を書かないといけない。書いた住所は、どこにも登録されていない住所だ。
面接には何度か行った。現住所の欄には先輩の部屋の住所を書いた。
一社目は落ちた。理由はわからない。
二社目は受かった。小さな会社の事務だった。制服の採寸までした。入社手続きの案内に、住民票の写しと年金手帳と前職の源泉徴収票、と書いてあった。
「取りに行けなくて」と私は言った。
人事の男の人は困った顔をして、「ご家庭のご事情ですか」と聞いた。私は頷いた。頷いてから、それ以上何も説明できないことに気づいた。
三日後、辞退の電話を自分からかけた。相手はほっとしたような声を出した。
結局、住所を聞かれない仕事にした。
日払いの倉庫。弁当工場の夜勤。手渡しの店。そういう仕事は、探せばいくらでもあった。誰も履歴書を見なかった。名前が本当かどうかも、たぶん確かめていない。倉庫では番号で呼ばれた。四十二番。三日いて、四十二番のままだった。
時給は悪くなかった。ただ、休めば収入はゼロになる。有給という言葉を、私はもう使わない。
奥歯が痛み出したのは、その年の秋だった。
保険証がないので十割だった。受付で「保険証を忘れました」と言えば次回精算にできると教えられたが、次回はない。その場で全額払うことになる。
見積もりを聞いて、その日は帰った。次の月も帰った。
痛みは、ある日、消えた。神経が死んだのだと、あとで知った。
それからは風邪をひいても行かなくなった。市販薬で治す。二週間治らなかったときは、治るまで待った。治った。だいたいのことは待てば治る。治らないものだけが、残っていく。
先輩が不機嫌になる日があると気づいたのは、半年目くらいだった。
特別なことは何もなかった。仕事で嫌なことがあった日、コンビニの袋を音を立てて置く。私が何か聞くと「別に」と言う。三十分もすれば戻る。
普通のことだった。誰にでもある。
彼にもあった。
彼にもあったということを、私はそのとき初めて思い出した。彼のそういう日を、私は「重い」と呼んでいた。先輩の同じ日を、私は何と呼べばいいのかわからなかった。
一年が過ぎた頃、先輩が「住民票、そろそろどうにかしないとな」と言った。
どうにかする方法があれば、とっくにしている。私がそう言うと、先輩は「そうだよな」と言った。それきりだった。先輩は、私の問題を自分の問題として引き取らなかった。引き取る義理もなかった。私が勝手についてきたのだから。
あの日、先輩は「行こう」と言った。
「一緒に暮らそう」とは言っていない。「責任を取る」とも言っていない。
私が全部、勝手に足した。
冬に、一度だけ実家に電話した。
母が出た。泣かれると思っていた。母は泣かなかった。
「お金の話が来てる」と母は言った。「三百万」
私は何も言えなかった。
「お父さんが払うって。分割で」
それから母は、体に気をつけなさい、と言って電話を切った。私の居場所は、聞かれなかった。
三百万。その数字を、私はしばらく理解できなかった。式の費用は、それとは別に払っている。合わせていくらになるのか、計算しようとしてやめた。
先輩にその話をした。
「聞いてない」と先輩は言った。
嘘ではなかったと思う。先輩のところには何も届いていなかった。請求は、彼から、私と私の家に向かって飛んでいた。先輩は、その線の外にいた。
あの日、教会の入り口に立っていた人が、いま、この件のどこにもいない。
——本当の君は、ここにいるべきじゃない。
先輩は本当にそう言ってくれた。あの言葉は嘘じゃなかったと、今でも思う。
ただ、先輩が言ったのは、そこまでだった。「ここにいるべきじゃない」の続きを、先輩は持っていなかった。私はそれを、先輩が持っていると思い込んでいた。
風呂上がりに、洗面台の鏡を見た。
式の朝、私は鏡の中の自分を見て、別人のようだと思った。プロがつくった顔で、感情が全部消されていて、作り物の笑顔だけが貼りついていた。
いまの鏡には、化粧をしていない私が映っていた。感情も、たぶん、ちゃんと映っていた。
私はそれを、しばらく見ていた。
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