最強と最凶
数日後、俺は魔王城での一部始終をアルフィーデ城の玉座の間で報告していた。
どんなに非難されようと、どれほど大反対されようと、俺はレヴァナスという男を信じ、この頑固な国王たちを言葉を尽くして説き伏せるつもりだった。
しかし――。
「……いいだろう。魔王の発言を信じ、かの者が言う『深淵の地』への通行と立ち入りを特別に許可しよう」
思いもよらない国王の回答に、俺は呆然と立ち尽くした。
「王よ!そう簡単に魔王の妄言を信じてよいのですか!?」
王妃セレスが声をあげる。
それもそうだ。
魔王討伐を悲願としていたはずの国王が、ここまであっさりと許可を出すなんて。
「我々は魔王討伐の全権を勇者に委ねたのだ。その勇者の言葉を信じずして、一体どうする?」
(……おいおい、国王、めちゃくちゃカッコいいじゃねえか)
内心で手のひらを大回転させた俺だったが、国王は冷徹な声で言葉を継いだ。
「だが……。勇者よ、一つだけ条件がある」
「(……めんどくさそう……)なんでしょうか、国王」
国王は、射抜くような視線を真っ直ぐ俺に向けて言い放った。
「魔王を我らの『奴隷』とするのであれば、通行を許可しよう。契約を交わしたのち、ここへ連れてまいれ」
「――ッ!?」
ザワ……(魔王を、奴隷に……?)
ザワザワ……(そんなことが可能なのか……?)
謁見の間を囲む近衛兵や従事者たちの間から、驚愕の声が漏れ出す。
国王の言う『奴隷』とは、単なる比喩表現ではない。
使用が厳重に禁止された呪法――【隷属の刻印】。
一度刻まれれば、術者の詠唱ひとつで身体の自由は奪われる。
かつてこの魔法で兵団を操った国は、兵を恐怖のまま死地へ送り続けた。
そんなこと、レヴァナスに対して許せるはずがなかった。
俺は反発の意を示そうと口を開く。
「国王!! それはあまりに――ッ!!」
だが、言葉が続かなかった。
玉座に座る国王の眼差しが、こちらを射抜いていた。
そこには慈悲も迷いもない。
ただ一国を治める王の重さだけがあった。
「勇者よ」
低く、冷たい声が玉座に落ちる。
「そなたが魔王を信じることは認めよう。だが、私は民全員の命を背負っている」
「わずかでも危険の可能性があるのなら、それを排除するのが王の責務だ」
その言葉は命令でも怒号でもないのに、なぜか逆らえない重さがあった。
喉の奥が焼けるように痛む。
「……承知、しました。魔王へ……その旨を進言します……」
魔王を奴隷にするという、最悪の命を受け、再び魔王城を目指して歩き出した。
◇
「……」
俺は今、魔王レヴァナスが鎮座する玉座の間にいる。
じっとりと嫌な冷や汗が、体中から噴き出す。
なぜなら――魔王のすぐ傍らに、あのネフィリアが立っているからだ。
(え……? 俺この空気の中で、レヴァナスに『奴隷になってくれ』って言うの? 殺されないかな?)
「どうしたんだ勇者。顔色が悪いが……疲れているのか?」
「我らのために行き来させてしまって、すまなかったな」
(魔王……! お前は本当に良い奴だなぁ……!)
レヴァナスの優しさに心が温かくなっていると、横から冷徹な声が割り込んできた。
「国王への進言はどうなったの。その態度……何か良くないことを言われたのでしょう? さっさと口にしなさい」
ネフィリアが、有無を言わせぬ圧で急かしてくる。
俺は喉までせり上がった空気をどうにか飲み込み答えた。
「……深淵の地への立ち入りは……許可が下りた……」
「そうか! 話の分かる王でよかったよ」
「はは……うん。よかった、よかったな……」
パキッ……パキッ……
「勇者。次はないわよ。何を言われたのか答えなさい」
凍てつくような音と共に、ネフィリアの周囲の空間に、漆黒に輝く凶悪な『氷針』が数十本も発現し始めた。
(え……? それ撃つわけじゃないよね……?)
命の危機を察した俺は、震え声で国王の条件をぶちまけた。
「レヴァナス……ッ! 俺の……俺の『奴隷』になってくれ……っ!!」
一瞬。ネフィリアから閃光のように放たれた漆黒の氷針が、俺を貫こうと襲いかかる。
やば――!
パリーーーーィィィンッッ!!!
ガラスが割れるような音とともに、漆黒の氷針が粉々に砕け散り、美しく輝きながら部屋に舞い散る。
俺の目の前には、魔王レヴァナスがいた。
「良いだろう。お前の『奴隷』となろう」
飛散したネフィリアの氷の結晶が宙を舞い、静かに微笑むレヴァナスを美しく照らし出していた。
「レヴァナス!! 魔族の王であるあなたが、人間の下僕になるつもり!?」
ネフィリアが叫び声をあげる。
「人間の呪法は不完全なまま抹消された禁忌なのよ!? 解除の方法が存在しない、呪いなのよ!!」
(……ネフィリアの言う通り……魔王は文字通り、一生俺の僕になるんだ……)
だが、レヴァナスは動じることなく、彼女に笑顔を向ける。
「大袈裟に騒ぐことはない、ネフィリア」
「刻印を刻んだところで、勇者が詠唱しなければ何も変わらない。アルスはそんな真似しないさ」
「……なんで……こいつをそんなに……ッ!!」
ネフィリアは俺を激しく凝視していたが……
言葉を押し殺し、静かに部屋を退出していった。
(めっちゃ怖い)
「すまないな。 ネフィリアは私の『最初の眷属』でね。執着というか、忠誠心が強すぎるきらいがあるが……根はいいやつなんだ」
(今の見てた……?俺ヤバかったよ)
しばらくして、冷静さを取り戻した俺は、改めてレヴァナスに呪法を受け入れるのかを確認した。
「もちろんだ。それが世界の危機を救う条件なのだから、私はいくらでも受け入れよう」
そのあまりにも無私無欲な姿勢に、俺は胸の中にあった疑問をぶつけずにはいられなかった。
「……なぁ。なんで、なんでそこまで俺に味方してくれるんだ?」
「ちゃんと会話したのもこの前が初めてだろ。 何か裏があると思われても仕方ないほどだ」
魔王は、どこか遠い目をして、静かに語り出した。
「私はね……昔から人間という生き物が、大好きなのだよ。まぁ、その中でもアルス、君のことは特に気に入っているがね」
「……昔の話になるのだが、聞いてくれるかい?」
「いや……遠慮しておく」
「……ん?」
「大丈夫。言わなくて、お前いいやつってのはわかったから」
「……いや、こういうシチュエーションは、普通なら流れで聞くのでは……?」
「俺は大丈夫。 そういう深刻な話苦手だし」
「…………」
レヴァナスは神妙な顔のまま、何とも言えない空気の中でじわりと額に汗をかいていた。
「…………」
「…………」
バーーーーーンッッ!!!
気まずい沈黙を破り、勢いよく扉が開いた。
そこに立っていたのは、さっき出ていったはずのネフィリアだった。
「勇者。私もその『深淵の地』へ同行するわ。戦力は多い方がいいでしょう」
(お、おお……? なんか最初にあった時の感じに戻ってるな。……頭を冷やしてたのかな?)
俺は少しホッとして、思わず提案した。
「それは助かる! じゃあ、同じように奴隷の呪法を――」
キィィィィン……ッ!!!
(っ!?!?!?)
次の瞬間、ネフィリアは一瞬で俺の眼前まで詰め寄り、その細い指先から伸ばした氷刃を俺の首元に突き立てていた。
(痛いっ!!! ちょっと刺さってる!!!)
「あなたの下僕などになるわけがないでしょう。自分より遥かに脆弱な存在に屈することなど絶対にない。身の程を知りなさい」
ネフィリアは、至近距離から氷の如き美貌で俺を見下ろし、冷酷に囁いた。
「私は、レヴァナスの呪法を受けるわ。あなたに従属するレヴァナスに私が従属するなら、結果的には同じことでしょう?」
「わ、分かった!! それでいい!! それでいいから離れてくれ!!!」
俺の首元からは、うっすらと赤い血が滴っていた。
(……コイツまじでヤバい。)
――数分後。
「……これで、呪法は完了だ」
妖しく輝く光が収まり、レヴァナスの胸元に禍々しい【隷属の紋章】が刻まれた。
いくらレヴァナス本人が「構わない」と言ってくれたとしても、俺はこの紋章を見るたびに、一生心が痛むのかもしれない。
いや……勇者として、痛むべきなのだろう。
レヴァナスは俺の呪法を一目見ただけで、ネフィリアにも同じ刻印を施してしまった。
……さすが魔王だ。
「ふむ、中々綺麗な紋章だな。魔紋としてみれば、悪くないデザインだ」
レヴァナスは胸元を眺め笑って俺を見た。
「では、人間の国王の元へ向かおうか。――我が『主』?」
「おい! 冗談でもやめろ!!」
レヴァナスはフッと楽しそうに微笑むと、部屋を出ていった。
俺もあとに続いて部屋を出たが、旅の準備をするとのことで、先ほどの部屋で待っているように言われた。
(……戻りたくねぇなぁ……。ネフィリアさんがいるからなぁ……)
数分間、廊下でモジモジと葛藤したものの、いつまでも通路に突っ立っているわけにもいかない。
俺は様子を窺うように、ものすごく静かに扉を細く開き、中を覗き込んだ。
そこには――。
先ほどと変わらないままのネフィリアが静かに立っていた。
光を拒絶するような冷気の中で、彼女は微動だにしない。
ただ、胸元の紋章に指先が触れている。
「……レヴァナス……私がずっと傍にいるわ……」
それだけを、息のように漏らす。
指先がわずかに紋章をなぞった。
「…………」
彼女は何かを囁いている。
俺は無言で扉を閉めた。音が出ないように、呼吸さえ殺して。
冷や汗をだくだくと流しながら、俺は廊下で魔王が戻ってくるのを待ち続けた。
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