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魔王の言葉、そして不穏なる気配

重厚な扉をくぐる。

俺は今回、自分に戦う意志が一切ないことを証明するため、聖剣も、聖鎧もすべて扉の前に置いてきた。


完全なる丸腰。攻撃されたら一巻の終わりだ。

だが、今まで何度も命を奪おうと押し入ったこと、そして、前回の俺のせいで起きた失態に対する謝罪を示す方法は、これ以外に思いつかなかったのだ。


玉座に座る魔王が、こちらを一瞥して、ふっと口元を緩めた。


「ハハハ。どうした勇者。ついに諦めたのか?」


魔王のその軽い口調に、俺は心底ホッとした。


(やはり、レヴァナスは話のできる奴だ。……ただ、油断はできないな。コイツの真意が完全に分かるまでは慎重にいかないと)


俺は深呼吸をし、直立不動の姿勢で頭を深く下げた。


「……前回の件は、本当にすまなかった。いや、今までお前を討伐しようと躍起になっていたことも含めて……だな……」


静まり返る玉座の間。

俺の想定外の言葉に、魔王レヴァナスは一瞬目を見張り、それから笑いを堪えるように肩を揺らした。


「くくっ……。いつも10秒と持たずに転がっていた男が……」

「一度も『脅威』など感じたことはなかったけどな」


「お前なぁっ! 人が真面目に謝ってるのによ!」


「あ……」


しまった。あまりに低俗な、というか、まるで幼馴染とのじゃれ合いのようなレヴァナスの言い方に、反射的に返してしまった。

だが、魔王は穏やかな微笑みを浮かべていた。


「勇者よ、この前は本当に大変だったのだぞ?」


「だから、それをこうして謝っているじゃないか」


「……まぁ、それはいい。ただな、あの時は久しぶりに……自分が『魔王』という役割ではなくなった気がしたよ」


その含みのある言い方が少し気になったが、魔王レヴァナスとこうして普通に言葉を交わしている現状が、俺の心に張り詰めていた緊張感を融解していった。


「さて、勇者よ。私からも一つ聞きたいことがある」

「――人類は、なぜこうも頑なに、魔王である私を討伐しようとするのだ?」


いきなり物語の核心に迫る問い。

俺は一瞬言葉を詰まらせたが、目の前の男は世界の敵などではない。

俺は、自分が教わってきた人間界の常識を、素直に話すことにした。


「……俺たち人類は、遥か昔から魔物の脅威に晒されて生きてきた。神の神託を得た者たちが日々命懸けで魔物を排除しているが、それでも被害は100%防げない」

「そして魔物は、大気中の『魔素』が変異して生まれる生物だっていうのは分かっている」


「……その魔素の根源で、魔物を統べる存在である魔王――あんたを討伐することこそが、世界を救う唯一の手段なんだ」


「ふむ……。なるほどな、やはり致命的な勘違いをしている」


レヴァナスは椅子の背もたれに深く身体を預け、冷酷な事実を告げた。


「魔素というものは、この世界の地下深くから常時自然に湧き出ているエネルギーだ。我々魔族の意志とは何の関係もない」


「むしろ、我々魔族は魔素を活動のエネルギーとしている。……つまり、もし私が消滅すれば、大気中の魔素を消費するストッパーがいなくなる」

「世界中に魔素が溢れかえり、今とは比べ物にならない数の魔物が蔓延る世界になるだろう」


人類に伝わるあらゆる文献、教会の教えとは、完全に真逆の事実。

にわかには信じ難い話だったが……魔王レヴァナスが、ここで俺にそんな嘘を吐くメリットが思い当たらなかった。


「じゃあ……俺たち人間は、世界を滅亡に晒していたってことか……?」


「いや、そうとも言えない」


「え……?」


「お前ごときの貧弱な攻撃力で倒される私ではないからな。人類の杞憂だ」


「……お前普段そんな感じなの?」


フッとレヴァナスが意地悪く微笑む。

いつの間にか、俺たちの間の空気は完全に緩んでいた。


「……まぁ、お前――レヴァナスと戦う理由がなくなったのは分かった。だけど、人間の国の文献には、はっきりと『魔王が原因』だと書かれているんだ。お前が言った真実を、あの国王たちが素直に信じるとはとても思えない」


「そうだな……私の話を信じる必要はない」

「要は魔物の発生源である『魔素の元』を、直接断てばいいのだろう?」


「そんなことができるのか!? だけど、それって魔素をエネルギーとしてるお前らも死ぬんじゃ……」


「無にするわけではない。過剰な魔素が大量に噴出している特異点があるのだ。その噴出口を物理的に閉じるだけであれば、生物が魔物化するほどの過剰な汚染は抑えられるだろう」


「そうか! だったら、話は早い! 早速――」


「だが……!」


レヴァナスが、俺の言葉を鋭く遮った。


「魔素が大量に溢れているということはだ。その周辺には、人間の想像を絶するような強力な魔物が巣食っているということだ」

「……はっきりというが、この前ここで発生した悪霊の群れなど可愛く思えるほどのバケモノがな」


「なっ……」


あの悪霊たちでさえ、人間界には存在しないレベルの絶望的な力だった。それ以上、だと……?


「私でさえ足を踏み入れるのを躊躇する深淵だ。人間の立ち入っていい場所ではない。お前たちは今までのまま、自分たちの街の周囲に湧き出る雑魚を討伐し続けて、細々と生きていくのが最良の選択だろう」


レヴァナスの言うことは、極めて現実的で尤もだった。

そんな未知のバケモノ相手に、俺が敵うわけがない。……行くべきじゃない。頭ではそう分かっていたのに、俺の口は勝手に動いていた。


「……それは、できない」


「何?」


「この今でさえ、魔物の被害は増え続けているんだ。そんなその場しのぎの生活、いつまでも続けられるわけがない」


「相手は魔物だ……。対話もできん、ただの獣だ」


「分かってる!」


「一瞬の油断でお前など死ぬぞ?」


「分かってる!!」


俺は、レヴァナスの瞳を真っ正面から見据えて言い放った。


「だが! 俺は『勇者』なんだ! 人類の希望なんだよ! 世界を救う希望があるなら……俺はそこにかける!!」


沈黙が流れる。

レヴァナスは俺の目をじっと見つめていたが、やがて、観念したように大きく息を吐いた。


「……はぁ。さすがは勇者、といったところか。いいだろう、お前がそこまで望むなら――俺も協力しよう」


「え……?」


「共に戦った戦友だろう。背中くらいは預かってやる」


まさか、こんな展開になるなんて想像もしていなかった。

世界を脅かす過剰な魔素の源を、魔王と共に消滅させる。

人類の未来のため、俺は――魔王と共闘するのだ。




「よし、アルス。では、人間の国王への打診と、そのエリアへの立ち入り許可の根回しはお前に頼んだぞ」


「あ、あぁ……分かった」


いきなり魔素の源に行くことはできない。

まずはあの国王に報告し、許可を得なくてはならない。


(……あの国王を説得するの、想像しただけで心が折れそうだな……)


重い課題を背負ったものの、別れ際に魔王レヴァナスが向けてくれた、どこか温かい笑顔が俺の心を少しだけ軽くしてくれた。




――しかし。


玉座の間を出て、重厚な扉が完全に閉まった、その瞬間だった。


背後から、精神を直接極寒の鎖で縛り付けられるかのような、凄まじく強大な魔力の圧力を感じた。


全身の毛が逆立つ。

恐怖で軋む身体を無理やり振り返らせると……そこには、薄暗い通路の影に佇むネフィリアがいた。


「ネ、ネフィリア……さん」


俺の声は、完全に喉の奥で引きつっていた。


彼女は一切の言葉を発しない。

ただ、俺を見ていた。瞬き一つせず、氷のように冷たい瞳で。


その瞳の奥にあるのは、純粋な敵意というよりも、もっと黒く底知れない――悍ましい執念だった。

先ほどまで感じていた魔王との和解の温もりなんて、一瞬で吹き飛ぶほどの冷気が通路を満たしていく。


「……あ、いや。じゃあ、俺はこれで……」


俺が冷や汗を流しながら横を通り過ぎても、彼女は微動だにしない。

首すら動かさず、ただ視線だけが、いつまでも俺を追っていた。


結局、彼女は最後まで一言も喋らなかった。

だが、その無言の威圧は、俺の胸の中にこれ以上ない不安として深く突き刺さるのだった。


(……あの女ヤバすぎる……泣くかと思った……)


俺は一抹の胃の痛みを抱えながら、アルフィーデ城への帰路についた。

読んでいただきありがとうございます!

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