あるいは対話の始まり
魔王城での出来事がどうしても整理できないまま、俺はアルフィーデ城の玉座の間、国王の眼前に立っていた。
「……勇者殿? ……いかがされた、勇者殿」
思考の海に沈んでいた俺の耳に、国王の怪訝そうな声が届く。
魔族というものは、他の生物をすべて敵視し、本能のままに襲いかかってくる。命を断つためだけの、無慈悲な攻撃を。
そう……伝えられてきた。
だが――あの魔王はどうだ?
あの氷の魔族……ネフィリアはどうだった……?
「アルス!!」
国王の鋭い怒号に、ハッと意識が現実へと引き戻された。しまった、よりによって謁見の最中に完全に上の空になっていた。
「し、失礼しました……国王」
見上げる国王の顔には、不安と怪訝の入り混じった複雑な表情が浮かんでいる。それは隣に佇む王妃セレスも同じだった。
振り返らなくても分かる。
後ろに控える近衛兵たちや、シサロット、フィン、キューノたちも、今の俺の尋常じゃない様子に息を呑んでいるはずだ。
国王は、なだめるように慎重に言葉を選びながら続けた。
「勇者よ。一体どうしたのだ……? 今日の其方は、嫌に呆けておる。心ここに在らず、といったところだ」
「魔王城で何があったのだ。我が国に、真実を説明せよ」
俺は、あの『霧深き冥土』で起きた事象を、淡々と説明した。
古代の秘宝【吸魔の宝玉】が想定外の負荷で砕け散ったこと。
中から溢れ出た無数の悪霊たちと戦闘になったこと。
だが――魔王レヴァナス、そしてネフィリアと交わした会話の内容だけは、すべて胸の奥に伏せた。
魔王を討伐できなかった理由も、「悪霊との連戦で消耗し、一時撤退を余儀なくされた」と、それらしい嘘をついて。
今の俺の、揺らぎに揺らいでいるこの心の内を、国王たちに伝えるべきではないと本能が告げていた。
「なるほど……。それで、そこまで追い詰められたような顔をしていたのだな。不死の魔王を消滅させる唯一の術が、失われてしまった、と……」
謁見の間に、じっとりと重苦しい絶望感が充満していく。
俺以外の全員の心に。
(……まぁ、国王たちの立場からすれば、そう結論づけるよな)
そんな絶望の渦中、俺は静かに顔を上げ、はっきりと告げた。
「国王。……私は今一度、魔王城へ向かいます」
その一言に、城内は蜂の巣をつついたような騒然とした空気に包まれた。
「な、何か勝算があるというのか、勇者殿!!」
「作と呼べるほどのものではありません。ですが――それを私自身の目で確かめるためにも、私は今一度、魔王と対峙する必要があるのです」
俺の言葉の意図をどう受け取ったのか、国王はバン!と椅子の肘掛けを叩いて立ち上がった。
「ハハハ!! さすがは人類最強の勇者殿よ! 魔王と幾度も刃を交え、我ら凡生には分からぬ『何か』を掴んだのだな!?」
「良かろう! 勇者アルスよ、今すぐ魔王の元へ旅立つがよい!」
ウオオオオッ!と城内が沸き立つ。
さっきまで不死の魔王を前に絶望していたはずの人間たちが、俺の放った『気迫』のようなものに押され、勝手に希望を見出して歓声をあげている。
(悪いな。みんなが期待しているものとは……違う結末になりそうだけどな)
俺は再び、魔王城を目指して歩き出した。
今度は、討伐するためではない。
前回の奇妙な共闘で、俺の胸の中には確信めいた仮説が生まれていた。
――魔王とは。
いや、魔族とは、本当に対話不可能なバケモノなのだろうか。
◇
数日後。
霧深き冥土を進み、魔王城のすぐ麓に位置する城下町の近くまで来た俺は、眼前の光景に息を呑んだ。
魔族が、いる。
俺はとっさに古い城下町の裏通りに身を隠し、息を殺して様子をうかがった。
数はそれほど多くない。
人間の世界で言えば、少し栄えた片田舎の町といった規模だろうか。
そこに、人間とよく似た姿をした魔族たちが、当たり前のように活気のある生活を営んでいたのだ。
野菜を売る露店の声。
荷車を引く男。
談笑する女たち。
(……なんで、今回に限ってこんなに魔族がいるんだ……?)
(そういえば前回、ネフィリアという魔族が『わざわざ眷属を城から遠ざけておいて』と魔王に怒っていたな)
(まさか魔王の奴、俺が攻め込むたびに、城下の魔族たちを別の場所に避難させていたのか……?)
あの魔王が、民を守るために?
思考が追いつかない。
だが、これだけの数の魔族がいるとなると、今までのように正面から突破するのは不可能だ。
どう動くべきか、そう思案した瞬間。
「ねえ、お兄ちゃん、だれ?」
不意に、背後から声をかけられた。
心臓が跳ね上がる。
驚いて勢いよく振り返ると、そこには一人の魔族の子供が立っていた。
(しまった……!子供だからか、殺気の気配が一切なかった……!)
どうする。こうなれば正面突破か……。
そう身構えた瞬間、その小さな子供から『濃密な魔力』を感じ、俺の背筋に冷たいものが走った。
見た目はただの幼い子供。
なのに、人間界の高位魔導士すら凌駕するほどの、凶悪で強大な魔力の波動がその身から溢れている。
これが、魔族という種の圧倒的な『個の強さ』の現実。
だが、そんな強大な魔力とは裏腹に、子供はキラキラとした純粋な瞳で俺を見つめていた。
「お兄ちゃんが、うわさの『勇者』?」
「……え?」
「やっぱり! みんなに伝えてくるね!」
子供は満面の笑みを浮かべたかと思うと、俺が引き留める間もなく、タタタッと城下町の中央へと駆けていってしまった。
そして、あどけない大声を張り上げる。
「みんなー! 勇者が来たよー!!」
(ちょっ……待て!!)
子供の声に応じるように、周囲の露店や家々から、一斉に魔族たちが集まってきた。
遠巻きからではなく、至近距離で包囲される。
人間を遥かに凌ぐ身体能力と魔力を持った魔族の群れ。
その圧倒的な威圧感が、肌を刺すような恐怖となって押し寄せる。
(なんだ、一体どうなってる……!? 全然整理がつかない……!)
俺は混乱する頭を必死に叩き起こし、最悪の事態に備えて、体内の魔力を一気に練り上げた。
いつでも聖剣を抜けるように、全身の闘志を高めていく。
――その時だった。
「安心しなさい、勇者」
凛とした、氷のように冷たい声が群衆を割った。
魔族たちの間から姿を現したのは、あの冷徹な銀髪の魔族――ネフィリアだった。
「あなたが此処へ来ることは、事前にレヴァナスから全臣民に伝えられているわ」
「……少なくともこの町において、あなたに危害を加える者はいない」
「な……なるほど、そういうことか……」
俺は張り詰めていた魔力を緩め、ネフィリアの先導に従って魔王城へと歩き出した。
包囲していた城下町の魔族たちは、ネフィリアの言葉を聞くと、何事もなかったかのようにそれぞれの普段の生活へと戻っていく。
だが、やはり『人間』という存在が珍しいのか、すれ違いざまに横目でじっと見てきたり、ヒソヒソと俺を見ながら話していたりする。
針のむしろに座らされているようで、お世辞にも居心地が良いとは言えなかった。
「……なぁ、ネフィリア。魔族っていうのは、普段からこんな風に、人間と変わらない感じで生活を――」
キィィィィン……ッ。
空気を切り裂く鋭い高音と共に、俺の鼻先のわずか数ミリの空間に、漆黒の、そして刺すような冷気を放つ刃が突きつけられていた。
ネフィリアの手元から伸びた、凍てつく闇の魔力刃だ。
「その名で呼ぶことを許されているのは、レヴァナスだけよ。人間の分際で、気安く私を呼ぶな」
ゾッとするほどの殺意。
俺は両手を軽く上げ、一歩身を引いた。
「す、すまない。悪かった……」
冷や汗が背中を伝う。
(……やっぱり、魔族は危険なのか? さっき見た平穏な生活や、前回の魔王との会話を見て、もしかしたら分かり合えるんじゃないかなんて……)
(結局、人間にとっての脅威でしかないのか……?)
そんな俺の内心の動揺を察したのか、ネフィリアは刃を霧のように消し去り、前を向いたまま淡々と言葉を紡いだ。
「……魔族には、魔族の営みがある」
「国があり、暮らしがある。人間とそう変わりないわ。生き物として当たり前のことでしょう」
「……あなたたち人間は、私たちのことを、よっぽど血に飢えた醜悪な怪物とでも考えているようね」
「あ……いや、それは……」
言葉に詰まる。
(くそ……上手く話せないな。どうしても、種族としての絶対的な壁を感じてしまう。……魔王はそうじゃないことを祈るしかないな)
ネフィリアはそれ以上、俺と会話を続けるつもりはないようだった。
こちらから問いかければ最低限の答えは返ってくるが、それ以上の言葉を重ねてくることはない。
気まずい沈黙のなか、俺たちは静かに歩みを進め、魔王レヴァナスの謁見の間の扉の前へと辿り着いた。
道中、城内でも何人もの魔族とすれ違ったが、彼らは俺を一瞥するだけで、明確な敵意を示す者は誰もいなかった。
それは俺にとっては唯一の救いだ。
町の様子、城内の空気、そしてネフィリアの態度から察するに、おそらく魔族側には俺と今すぐ戦う意志はない。
今までのように、扉をくぐった瞬間に魔王との闘いが始まることはないはずだ。
「勇者。レヴァナスはあなたと二人だけで話したいそうよ。私はここで戻るわ」
「あぁ……ありがとう」
ネフィリアは俺の言葉に振り返ることもなく、薄暗い通路の奥へと消えていった。
これで、5回目だ。
この魔王城の扉をくぐり、魔王の前に立つのは、これで5度目。
だが、今日という日は、これまでの4回とは決定的に違う。
この扉の向こうで交わされる、俺と魔王の一言一言によって……これからの世界の未来が、すべて変わるだろう。
俺は、今までの戦いの時とは全く質の異なる、張り詰めた緊張感をその身に纏い、重厚な扉を静かに押し開けた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!




