友の声
俺は、深い昏がりのなかで、誰かの切ない記憶を生きている。
――なぁ、なんで泣いてんだ?
――僕が……魔王だから……。
――魔王……?
不意に、騒がしい足音が静寂を切り裂いた。
――いたぞ! 魔王だ!
――今すぐ討伐しろ! 人類の敵め!
人間たちが、恐ろしい形相でこちらへ向かって駆け寄ってくる。
――!? おい! なんだよあんたら!
――くっ……! 逃げるぞ!
子供が俺の手を強く掴み、必死に走り出す。
だが、ふと……俺の手の中から、その子供の温もりがすっと消えた。
――あれ? ……おい! どこだ、どこへ行ったんだよ!!
戸惑う俺の目の前に、見覚えのある一人の男が立っていた。
――やっぱり君は、あの時でさえも私の手を取ってくれるんだね。
――あんたは……。
男がふっと幻影のように消え、その目線の先には、先ほど「魔王」だと答えたあの子供が一人でうずくまっていた。俺は子供に駆け寄る。
――よかった……勝手にいなくなるなよな。心配しただろ。
――その子から、今すぐ離れなさい。
振り返ると、肌を刺すような強烈な殺気と、冷徹な冷気を放つ一人の女が立っていた。彼女の氷の刃が、まっすぐに俺へと向けられている。
――待て待て! 俺は何もしてない!
――なら立ち去りなさい。今すぐに。
――わかった、わかったから! その剣を下げてくれ!
また、一瞬にして目の前の子供と女の姿が消え去る。
――はは。彼女には、いつもタジタジだね。
後ろからクスリと笑う声がして振り返るが、やはり誰もいない。
不意に、場面が切り替わる。そこは、薄暗いどこかの城内のようだった。
重厚な扉の向こう側から、男と女の微かな声が聞こえてくる。
――勇者が、この城の近くまで来たようね。
――あなた……また、戦わずに追い返すだけなの?
――もちろんだよ。
――どうして、そこまでされて人間を憎まないのよ。
――彼らは、ただ恐れているだけなんだ。強大すぎる力が、いつか自分たちを襲うのではないかってね。
――その思い込みのせいで、あなたは絶望を味わわされた。それでも、憎しみは湧かないというの?
――……憎しみが、全くないとは言えないよ。でもね、もし私が逆の立場だったら……彼らと同じことをしていたかもしれないんだ。人間は、それだけ脆くて、弱い生き物なんだよ。
胸の奥に、ズキリと激しい痛みが走る。
耐えかねて扉を開けたが、そこにはもう、何もなかった。
――アルス! アルス!!
今度は、後ろから引き裂くような男の大声がこだました。
俺は勢いよく振り返る。そこには、一人の男と、青ざめた女……そして、全身から血を流して死にかけている、俺自身の姿が倒れていた。
――アルス……必ず助けるよ。
男は俺の胸に手を当て、自身の生命そのものである魔素を、まるで滝のごとく猛烈に注入し始めた。
――何やってるのよレヴァナス! 死ぬ気なの!?
――やれることを、しているだけさ。
――それでアルスが回復する保証なんてどこにもない! それどころか、そんなことをしたら、あなただって消滅してしまうわ!
――それでも……可能性が僅かでもあるなら、私はそれに賭けたいんだ。
――やめて……お願いだから、やめて。
――……。
――あなたがいなくなってしまったら、私は……。
――私が消滅したら……君も巻き添いにしてしまうね。すまない。
――そんなことを、言ってるんじゃないわよ……
胸が苦しい。息ができないほどに、彼らの想いが流れ込んでくる。
「レヴァナス……ネフィリア……」
――君が、助かって本当によかった。
振り返ると、すぐそこに、あの男が立っていた。
どこまでも優しく、すべてを包み込むような、暖かな笑顔。
「レヴァナス……俺を助けてくれて、ありがとう」
――当然のことをしただけさ。無事に回復して、本当によかった。
男はそこで一度言葉を区切ると、少しだけ悪戯っぽく笑った。
――なぁ、アルス。もし、私が限界でどうしようもなくなった時……君は、私を助けてくれるかい?
「ふざけんな。限界まで待つ必要なんてねえだろ。ちょっと困ったな、くらいで俺に言えよ」
俺は笑いながら、男に拳を突き出す。
「世界の果てまでだって、飛んでってやるよ」
――……ありがとう。じゃぁ……いきなりで悪いんだけど、ちょっと今、困っていてね……。君に、助けてほしいんだ。
――アルス――
――
世界を滅ぼす神の極大の閃光【神光穿】が、地上のレヴァナスを完全に呑み込もうとした、その刹那。
ガシュゥゥゥッッ!!!!!
凄まじい衝撃音が鳴り響いた。
神の放った閃光は、アルスが真っ直ぐに突き出した、その漆黒に染まった右手のひらのなかに完全に力任せに収められていた。
アルスが指先に力を込めると、神罰の光は、まるでガラス細工のように一瞬にして飛散し、虚空へと消えた。
「我が……我が『神光穿』を……ただの人間の身で、掻き消した……だと……」
空中の神の顔から、ついに余裕の笑みが消え去った。
「アルスッ……!!」
背後で、ネフィリアの叫びが響く。
アルスの胸の黒曜石から、天を衝くほどの凄まじい熱が放出される。
その全身を、漆黒の圧倒的な魔力が包み込んでいく。
だが、その瞳は――先ほどまでの穏やかな魔王のそれではない。
どこまでも熱く、激しく燃え盛る人間の意志を宿した勇者が、そこに毅然と立っていた。
聖剣を力強く握り締めたアルスが、天空の神を獰猛に睨みつける。
「待たせたな、レヴァナス! ――助けに来たぜ!!」
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