纏うもの
俺は深い、底の見えない意識の昏がりの中で、俺のものではない遠い誰かの記憶を見ていた――。
いや――。ただ見ているだけじゃない。
俺自身が、その温かくも哀しい過去を、確かに今生きているかのような、不思議な感覚だった。
――ドガアァァン!
――なんだ…?何かすごい音が…
――ここはどこだ……町……城下町か……?
人々が大勢逃げまどい、鉄製の鎧を身にまとう兵士が何かを捜索している。
――おい!何があったんだ!?
――魔王が出たんだ!
――魔王……?
ふっと視界がぼやける。
――えっ…あれ…?
気が付くと俺は焼野原に立っていた。
目線の先に、子供がいる。
――なぁ…大丈夫か?……こんなところで何やってんだ……?
子供が振り返る。
どこか、懐かしい顔だった――――
◇
―――キィィィィィィィィンッッ!!!!!
ネフィリアの放つ冥氷の刃が、無尽蔵に出現し続ける光玉を、次から次へと凍てつかせ、完全に消滅させていた。
「これほどばら撒かれては、近づくことすら容易ではないわね……!」
ネフィリアは地を翔けていた。
彼女が全力を六枚翼の使者の攻撃にのみ向けていれば、制することも可能だった。
だが、彼女はこの場に生き残っている、非力な人間たちの命を守ることを最優先としていた。
(……私が、人間の命を守るために戦うだなんて)
彼女は自身の取っている行動に、不自然さを感じずにはいられなかった。
自分たちを迫害し続けた憎き人間。それを、自らの身を挺して護っている。
だが、その胸の内に湧き上がる感情は――優しく、心地よいものだった。
かつてレヴァナスが何よりも守りたかったもの。
勇者アルスが、命を懸けて愛した世界。
それを今、自分自身の意志で守っているのだという誇り。
ネフィリアの四肢から、かつてないほどの莫大な冥力が溢れ出す。
――だが。
ドガァァァァァンッッ!!!!
天の神雷が、彼女に容赦なく叩きつけられた。
「くっ……!」
神はすでにこの世界に興味をなくしたように、躊躇なく力を彼女へと向け、降り注がせる。
神の放つ神罰と、六枚翼の使者による苛烈な波状攻撃。
それらを躱しながら、周囲に発生する光玉から人間たちを守り続ける。
そして、それだけではなかった。
ネフィリアは、自身の冥力を最大限に編み上げた冥氷で、倒れるアルスの肉体を厳重に囲っていたのだ。
それはかつて――死に瀕したアルスに対してレヴァナスが行ったもの――
ただ一つ違うのは、レヴァナスが自らの魔力をアルスの体内に流し込み続けたのに対し、ネフィリアの施したそれは、高密度の冥力を結界の中に濃縮し、その場に留まらせていること。
(目を覚ましなさい、アルス……!)
結界を維持しながら、ネフィリアは心の中で祈りを叫ぶ。
(あなたのその漆黒の外殻は、間違いなく魔族の、レヴァナスの『核』……! もし、あなたの肉体に完全に順応しているのであれば……! 周囲の冥力で肉体を再生できるはずよ……っ!)
「早く、起きなさいっ……!!」
ネフィリアは悪態を吐きながら、縦横無尽に迫り来る神の脅威から逃げ続ける。
激しく息を切らし、頬を伝う汗が、妖しく輝く月夜の光を反射していた。
それはまるで、彼女が最期に放つ、命の輝きのようであった。
◇
――……誰か、俺を呼んでいるのか……?
――なんだろうな。こんなに温かくて、穏やかなのに……。どうして、こんなにも胸がざわめくんだ……
俺はふと、自分の胸に手を当てた。――そこで、気がつく。
腹から右頬にかけて、漆黒の黒曜石が、熱く脈打ち俺の身体を纏っている。
――これは……
――アルス――
俺の胸の奥を揺さぶる、男の声。
――まだ、身体の回復が追いついていないみたいだね――
誰だっけ。
どうして、その声を聴いただけで、こんなにも涙が溢れて止まらなくなるんだ。
――アルス。申し訳ないんだけど、その身体――少しだけ、借りるよ――
◇
「はぁっ……、はぁっ…………」
人間を護り続けたネフィリアであったが、ついにその場に足を止めた。
空中に佇む神が、首を傾げた。
「美しい舞は、終わりましたか?」
ネフィリアは、口元から溢れる血を手の甲で拭うと、笑みを浮かべた。
「はぁっ……、ええ。……脇役の出番は、ここまでよ」
「そうですか。素直な者には好感が持てますね」
神が優しく終わりを告げるように、ゆっくりと、その白く細い両手を大空へと広げる。
「――主役が登場したのに、脇役がいたら白けるでしょ?」
「……?」
神が怪訝そうに、その目線を地上へと下げた――。
その、刹那だった。
地面に倒れていたはずのアルスの肉体から、かつてない、凄まじい質量の漆黒の魔力が放出され、彼を中心に、天をも衝く『漆黒の魔力の渦』が猛烈に巻き起こったのだ。
ポゥ、ポゥ、ポゥーー
漆黒の渦の周囲に無数の光の玉が発現する。
しかし、それらはアルスの放つ漆黒の渦に触れた瞬間、呑み込まれるように、跡形もなく消滅していった。
そして――。
ゴオォォォォォォォォッッ!!!
大気を、空間を、激しく巻き込んでいた漆黒の渦が、アルスの右拳のあった一点へと、極限まで、超圧縮されていく。
刹那。
―――ドッッ!!!!!
閃光。しかしそれは、神の放つ白銀の光ではない。
漆黒の一閃が、空間そのものを一直線に貫いた。
その軌道上に存在していた、神の代行者たる六枚翼の使者。
貫かれた胴体の中心から、バリバリと全身に漆黒の亀裂が走り――黒煙を吹き出しながら消滅した。
「やっとお目覚めね……アルス……」
ネフィリアの口元に笑みが零れ落ちる。
漆黒の魔力の渦が次第に収まり、吹き荒れる黒き風を受けながら。
両腕を完全に再生させ、圧倒的な威圧感を放つ一人の男が、そこに毅然と立ち上がっていた。
「アルス……? 違う……そんな、まさか――」
ネフィリアの両眸から、輝くものが溢れる。
その男は、ゆっくりと自分の両手を見つめ、それから愛おしそうに彼女を振り返り、優しく目を細めた。
「――ネフィリア。よく、頑張ってくれたね」
その男の肉体は、間違いなく勇者アルスのものだった。
しかし、そのアルスの身体の背後には、漆黒の魔力に揺らめく――あの誇り高き魔王レヴァナスの影が、確かに、そこに重なっていた。
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