冥氷
噴き出した鮮血が、血の海を築く。
幾度斬撃を繰り出そうとも、六枚翼の使者はその場に立ち続けていた。
「がはぁっ……! セ、セレナ……! 大丈夫か……!?」
「……見て、わからない? もう、あなたの顔すら、見えないわ……」
六枚翼の使者と戦い続ける国王と王妃の肉体も、ついに限界を迎えようとしていた。
ガキィィン! ガキィィィン!
「割れろっ!! 割れろよ、クソおぉぉッ!!」
俺は神の展開した結界を破壊しようと、何度も、何度も聖剣を叩きつけ続けた。
しかし――。走ったはずの微細なヒビは、瞬く間に修復され、地上の仲間たちへ手が届かない。
俺だけが、何もできずに檻の中から見ている。そんな焦燥感。
仲間たちが命を賭して戦っているというのに。
あまりの無力さに胸が千切れそうになる。
「おおぉぉお、あぁぁぁッッ!!!」
ガキィィン!!
意味のない、虚しい斬撃。
佇む神は、もはや俺の存在などこの世にないかのように、一瞥すらしない。
ふと、その背後から奇妙な声が漏れ聞こえた。
「あぁぁ……」
神が――神が、涙を流していた。
「くっ……素晴らしい…… 人類の……美しき、愛おしき成長……」
その姿は、神聖という言葉からはあまりにも遠い、純粋な狂気を感じるものだった。
神は涙を流しながら、目線だけを、すっと地上へと落とした。
「……それを、この手で閉じるのが、辛い――」
―――【光使降誕】―――
刹那、俺の遥か上空から、絶対的な輝きが差し込んだ。
天が裂け、神域そのものへと通じる『光の巨大な門』が顕現する。
光の門から現れたそれは――。
翼もない。
光輪もない。
神々しい装飾すら、一切ない。
ただ、人の形をした、純白の存在。
それが静かに地へ降り立った瞬間――世界から、音が消えたようだった。
「やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!!」
俺は喉が裂けるほどの大声で叫び、結界へと、折れんばかりに聖剣を叩きつける。
(割れろ! 割れろ! 割れろおぉぉ!!!)
気がつけば、地表の使者たちが、その存在に向かって頭を垂れて膝をついていた。
この場にいる誰しもが、これ以上戦うことなど愚かでしかないと、心を折られ、諦めてしまうような絶対的な絶望。
「これは……終わり、か……」
あれほど猛々しかった国王バルバトスが、戦意を失ったように、ガランと虚しい音を立て、巨大なバトルアクスを地面へ落とした。
それと同時に、限界を迎えて崩れ落ちるセレナを、その大きな腕で静かに抱きとめる。
(割れろ!! 頼むから、割れてくれッ!!!)
ポゥッ、ポゥッ――。
突如として、城下町の至る所に、不気味な高密度の『光の玉』が出現した。
「やめろおおおぉぉぉぉぉぉお!!!!」
カッ――
光の玉が一斉に弾け、視界のすべてを、一瞬にして白に染め上げた。
強烈な逆光のなか、何も守れなかった絶望感に、俺は膝からその場に崩れ落ちた。
「ああぁ……、あああ、あぁ……っ……」
「……美しい最期でした」
神は目を細めながら、小さく息を漏らす。
その言葉に、俺の胸の奥の結晶が、今までにないほど激しく鼓動した。
溢れんばかりの怒りの灼熱が、折れたはずの俺の身体を無理やり突き動かす。
「うおおおあああぁぁぁッッ!!!!」
ザシュッーーーー!!
決死の斬撃。――だが、神の肉体に、俺の聖剣は届かない。
神が俺の腕に触れる。
その瞬間、視界が揺れた。
遅れて理解する。
衝撃が走り――。
俺の両腕が、肩から吹き飛んでいた。
神からの『終わりの宣告』。
神の長い髪が、風に靡き表情を隠す――。
不思議と、痛みは感じなかった。
悲しみなど、とうに通り過ぎた果てしない絶望だけが、冷たく俺の全身を包み込んでいく。
パリン、と結界が解かれ、俺の身体は、そのまま人形のように……地面へと叩きつけられた。
真っ赤な血が溢れ出す。
急速に体温が奪われ、意識が……遠のいていく……。
ポゥ……。
地面に倒れる俺のすぐ眼前に、再び、あの光玉が出現した。
(あぁ……もう、終わりだな……。 レヴァナス……すまない……)
全てを諦めて目を閉じかけた、その時だった。
―――キィィィィィィィィンッッ!!!!!
世界を一瞬で凍りつかせるような、鋭く、極低温の硬質な音が空気を引き裂いた。
吹き抜けた圧倒的な冷気の風が、眼前の光玉を真っ二つに両断し、一瞬で消滅させた。
ざぁっ、と巻き上がった粉塵の向こうに立っていたのは――
絶対零度の殺気を纏うその姿。
「――諦めないで、アルス」
白い煙の中、地表のすべてを覆い尽くすほどの美しい氷晶の壁が、国王や仲間達を取り囲み、守護していた。
「ネフィ……リア…………」
俺は掠れる声で、その名を呼んだ。
そこには、主の消滅とともに消え去るはずだったネフィリアが、厳然と立っていた。
彼女は、口元に微笑を浮かべ、俺を振り返る。
「本当に……あなたの旅は、退屈しないわね」
ネフィリアの全身から、天を突くほどの、そしてどこかレヴァナスの温もりを感じる魔力が放出する。
「安心しなさい、アルス。――あなたに対する全ての脅威は、この私が、その全てを排除してあげるわ」
禍々しくも美しい冥氷をその身に纏う彼女の背中を最後に――俺の意識は、深い闇へと途絶えた。
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