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勇者の使命

肌を撫でる冷たい夜風が、妙に心地よかった。

ようやく動くようになった身体で立ち上がった俺は、そこで初めて、自分の肉体に起きた変化に気がついた。


下腹部から胸、そして右の頬にかけて――まるで星の光を反射する、硬質な『黒曜石』のような結晶に覆われていたのだ。


(……あぁ、そうか。これはお前の、レヴァナスの魔力の跡なんだな)


俺は結晶で覆われた胸にそっと手を当てた。

脈打つ鼓動の奥に、確かにあいつの遺志が、今も息づいているような気がした。


ふと視線を向けると、すぐ傍にネフィリアが静かに佇んでいた。


「……ネフィリア。君は、これからどうするんだ?」


俺の問いかけに、ネフィリアは俺に背を向けたまま、感情の消えた淡々とした声で口を開いた。


「私はレヴァナスが直接の召喚した僕よ。……レヴァナスが完全に消滅してしまった以上、私の肉体を維持する魔力も、すぐに底を突いて消滅するわ。だから――私の旅も、ここまでよ」


「ネフィリア……」


俺は彼女の肩を掴もうと歩み寄った。

しかし、それを拒絶するように、彼女は囁く。


「来ないで…そのまま行って」


「でも、一人で残して行けないだろ……」


「――恥を、かかせないで」


ネフィリアの、絞り出すような悲痛な声。

彼女は、肩を小刻みに震わせていた。


きっと、泣いているのだろう。


命を懸けて護ると誓った主を看取り、先ほどまで張り詰めていた強がりを、もう維持する必要がなくなってしまったから。


「そうか……ネフィリア……ありがとう」


俺は、彼女の気高い背中に感謝をささげ、一人、帰路へと着くのだった。



――アルフィーデ城、城下町。


俺が城下町へと戻ると、行き交う民や商人たちの誰も彼もが、俺の姿を見て一瞬で表情を凍りつかせ、短い驚愕の声をあげた。


それもそうだ。


今の俺の姿は、不気味な黒曜石に侵食された、まるで『魔族』のような異形の出立ちなのだから。

だけど、そんな周囲の怯えも、陰口も、今の俺にはどうでもよかった。


俺は群衆の視線を真っ正面から浴びながら、城の謁見の間へと真っ直ぐに歩みを進めた。



「――勇者様、なんと痛ましいお姿に……」

「一体、どれほど壮絶な戦いだったのだろうな……」


謁見の間。

居並ぶ近衛兵や貴族たちが、口々に妄言を吐き散らすのが聞こえる。


彼らはただただ他人の徒労を待ち続けるだけ。


今ここにレヴァナスやネフィリアがいないことなど、誰一人として気にも留めていないのだ。


「勇者アルスよ。 よくぞ生きて戻った。……して、此度の任務の『成果』は如何に?」


玉座に座る国王が、どこか白々しく尋ねてくる。

俺は一歩前に進み、城内に響き渡る声で、淡々と事実を告げた。


「過剰な魔素の源は、完全に閉じました。……人間が強大な魔物の脅威に怯えることはないでしょう」


おおおおおーーーーっっっ!!!


刹那、割れんばかりの地響きのような歓声が城内を揺らした。

貴族たちがお互いの手を握り合い、兵士たちが剣を掲げて狂喜乱舞している。


そのあまりにも身勝手な歓声を聞くたびに、俺の心の奥が、不快な怒りで激しく揺れ動いた。


(……その讃頌は……誰に向けてのものなんだ……)


胸の奥が、熱く、怒りに満ち溢れそうになったが、胸の結晶に触れると、不思議と穏やかになる。

レヴァナス……お前は本当に優しいやつだな。


「静まるのだッ!!」


国王の重厚な怒号が、騒ぎ立てる城内に一瞬で冷徹な静寂をもたらした。

国王は玉座の上から、鋭い目で俺の結晶にまみれた顔を見据え、問いかける。


「……勇者アルスよ。その姿……」

「……魔王の最期がいかようであったかのか……語るが良い」


予想だにしなかった国王の言葉に、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。


すると周囲の従者や兵士たちが、口々に歓声をあげる。


「そうだ! 勇者様がどのように魔王を打ち倒したのか!」

「ぜひお聞かせください、我が国の英雄よ!」


再び、俺の心は怒りと哀しみで打ち震えていた。

俺は、ゆっくりと口を開いた。そして、語った。


皆が期待したような『英雄譚』なんかじゃない。


レヴァナスという一人の男の、本当の最期を。


自分が不当に傷つけられたことなど一切恨まず、ただ一人の友である俺の命を救うために、その身のすべての魔力を使い果たし、灰となって消えていった、あの誇り高き王の最期を。


俺がこの命を賭けて背中を預けた、ただ一人の『最高の戦友』の真実を――。


語り終えた時。

城内は、水を打ったように静まり返っていた。


俺は顔を伏せたまま動かなかった。

もしここで国王や近衛兵たちの、『魔族を蔑んだ顔』を見てしまったら――

自分を抑えきれる自信がなかったからだ。


しかし。


静寂に包まれた謁見の間のどこからか、スン……と、静かに鼻をすするような微かな音が聞こえた。

俺は驚き、ゆっくりと顔を上げる。


そこには――涙を流している人物がいた。


王妃セレナだった。

彼女はその白い美貌を赤く染め、頬を涙で濡らしながら、俺の胸の結晶を見つめていた。


城内の他の者たちには、なお戸惑いを隠せない者もいたが、涙を流す者も、恥じるように俯く者もいた。


国王が、その重厚な口を開いた。


「……我らは、魔王を知らなかった」


「…………」


国王は暫くの沈黙したのち、深く……深く目を閉じ、再度口を開いた。


「……アルスよ。真に、真に良い働きであった。――そして」


国王は、ゆっくりと玉座から立ち上がった。


そして、玉座の階段を降り――


「……私が……間違っていた」


俺の前で、静かに膝をついたのだ。

王は深く頭を垂れ、その両手を胸の前で重ね、祈りを捧げる。


「――魔王レヴァナスよ。人類を救いし誇り高き王に、我が国と全人類の深き感謝と祈りを」


――その瞬間、城内は歓声ではなく、万感の拍手と、祈りの声で満たされた。


(レヴァナス――)


脳裏に、あいつの笑顔が浮かぶ。


(……お前の遺した行動は、人間たちの心を、本当に変えたよ)



それから数日間にわたり、国を挙げての大々的な祝宴が催された。

俺は国中の民から、英雄、勇者と話しかけられ、至る所で讃えられた。だけど、出された酒にはほとんど口をつけなかった。


(……まだ、やらなくてはならないことがある)


レヴァナスから受け取った、この胸に宿る熱い想い。

神の託宣によって、理不尽に傷つけられ、孤独に泣くような人間や魔族は、もう二度とこの世界に生み出してはいけない。


『人類最強の勇者』。


神が勝手に運命を決めるなら、そんなものは覆してやる。

俺は、自分自身の意志で世界を変えるため、静かに、力強く歩み出すのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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