生きる意味
足先から全身へ、激しい痺れが走っていた。
震えが、止まらない。
俺は眼前に広がる残酷すぎる光景を前に、ただ、声にならない悲鳴を漏らすことしかできなかった。
「レヴァ……ナス……っ」
駆け寄ることも、その名前を叫ぶこともできなかった。
すでに理解してしまっているのだろう。……レヴァナスが、助かることはないのだと。
まだ焦点の合わない両目から、涙が溢れた。
熱い雫が、頬を伝って落ちていく。
俺は地面を這うようにして、一歩、また一歩とレヴァナスに近づき、震える彼の頬へと必死に手を伸ばした。
――しかし、指先が触れたその瞬間。ボロボロと、音もなく、レヴァナスの白い皮膚は煙のように崩れ、夜の闇へと溶けていく。
「――っ!?」
俺は恐怖で手を止め、硬直したまま、ただ顔を伏せることしかできなかった。
そんな、世界が終わりを迎えるような状況のなかで。
静かに、だけど決意を含んだ声で、レヴァナスは俺に語り出した。
「アルス。……今から私が話すことは、君のこれからの生き方を、変えてしまうかもしれない。……それでも、聞いてほしい。……聞いて……くれるかい?」
(やめてくれよ……。重い話は苦手だって、言ったじゃないか……)
でも、聞かなければならない。レヴァナスの、最期の言葉なのだから。
「……何でも、言ってくれよ」
いつもの、優しい笑みを向けてくるレヴァナスを、俺は涙で歪む視界の中で見つめ返した。
「私はね……生まれた時から『魔王』だったわけじゃ、ないんだよ。ある日……私は『魔王』になったんだ」
心臓が音を立てる。
――……ナス――
「私は元々、大陸のどこにでもあるような、それなりに栄えたとある国の城下町で生まれた、ただの人間でね……」
頭に衝撃を感じる。 俺の経験ではない『誰かの記憶』が、俺の内側へと流れてくる。
――レヴァナス――
どこか遠くで、誰かの声が響く。
「10歳となった私は……他の子供と同じように、とある場所へと行ったんだ……」
レヴァナスの……『記憶』。
――レヴァナス。あなたは今この瞬間から――
「私は……人間だった私は、神から……“魔王”の神託を授かったんだ――」
――あなたは今この瞬間から、“魔王”となりなさい――
瞬間、レヴァナスの記憶と経験、そのすべてが俺の脳内へと押し寄せた。
神の信託によって『魔王』という役割を背負わされた、少年。
笑顔で笑い合っていた友が、大人たちが、一斉に敵となる。
迫害、軽蔑……そんな生易しい言葉では到底片付けられない、生きているだけで、常に命の危機を隣に感じ続ける日々。
しかし――
レヴァナスを最も苦しめ続けたのは、肉体に刻まれる傷などではなかった。
誰にも触れてもらえない、
誰にも理解されない、
その『孤独』であったのだと――流れてくる記憶が、俺の魂へと直接訴えかけてきた。
(レヴァナス……)
神に『勇者』を与えられた俺。
神に『魔王』を与えられたレヴァナス。
人類の希望。
世界の敵。
俺たちは、残酷なほど裏返しの運命を背負わされた存在だった。
さらさらと、レヴァナスの身体が崩れ始める。
吹き抜ける夜風に抗うことすらなく、その身体は白い光の粒子となって空へと連れ去られていく。
「ごめん……俺が……俺が弱かったせいで……」
「――謝らないで」
背後から、氷のように冷たく、張り詰めたネフィリアの声が響いた。
振り返ると、心が張り裂けそうなほど辛いはずなのに、彼女はいつもの厳格で凛とした表情を崩していなかった。
消え去りゆく主から決して視線を外すことなく、彼女は毅然と言葉を続ける。
「レヴァナスは……あなたに、アルスに出会えたことで、間違いなく救われたはずよ」
それだけを告げると、彼女は再び、唇を強く噛み締めて口を噤んだ。
「ネフィリア……。君にも、最後まで苦労をかけたね……」
レヴァナスの瞳が、最期に優しく二人の姿を映し出す。
「ネフィリアに出会えたからこそ、私は地獄のような世界の中でも、未来を望むことができた」
「……そして、アルス。君に出会えたからこそ、私は自分が生まれてきた意味を、この力の優しさを知ることができたよ」
白銀の光が、最大に弾ける。
「――ありがとう」
抗えない運命の中で、それでも最後まで仲間のために微笑み続けた魔王は、夜風に紛れ、空へと消え去っていった。
あとに残されたのは――あまりにも静かで、あまりにも冷たい、夜の静寂だけだった。
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