第3話
太陽の光は、相変わらず無遠慮に店内に居座っていた。インスタントコーヒーの空き瓶をシンクに放り込み、カウンターの奥に陣取った。
棚の隅から引きずり出したのは、湿気でわずかに波打った古い帳面の束だ。
母の書いた字は、丸っこくて頼りない。修正テープを使うことすら惜しんだのか、間違えた箇所は定規も使わず二重線で乱暴に消されている。その横に並ぶ「売値」と「仕入れ値」を、エクセルの原価計算シートに打ち込んでいった。
「……計算が、合わない」思わず指が止まった。
何度叩き直しても、画面に浮かぶ粗利は十円を切っている。それどころか、近所の運動会への差し入れや、祭りの寄り合いで配ったらしい駄菓子の山が、「代金:きゅうり三本」や「カボチャ一玉」といった、通貨ですらない現物支給のメモで埋め尽くされていた。
母にとっての商売は、利益を出すための経済活動ではなく、金よりも先に貸し借りが動く。ここでは、帳尻はいつも後回しになる。
古い固定電話の受話器を取り、問屋にダイヤルした。
「……あ、湊です。はい、そうです。代わりまして。単価の確認をさせてください」
相手は、母の代から付き合いのある男だった。
『おお、文也くんか。久しぶりやねえ。お母さんは最後、膝を悪くしてなあ……』
「ええ、その節は。それより、現在のアメのケース単価を教えていただけますか。最低ロット数も合わせて」感傷を断ち切るように、事務的な声を被せた。
『単価? ああ、今はガソリン代も上がっとるからね。一箱からでも届けるけど、それだと運賃の方が高うつくよ。お母さんは、そんなん気にせんと『持ってきて』って言いよったけどな』
「……そうですか。では、最新の価格表をメールで送ってください」
電話を切ると、受話器がじっとりと汗ばんでいた。
島という立地が、物流の首を絞めている。少量発注は贅沢品だ。まとめて仕入れれば単価は下がるが、この過疎化した島で、誰がそんなに大量のアメを一度に欲しがるというのか。
タブレットの画面に向き直った。エクセルのセルが、容赦なく赤く染まっていく。
在庫回転率。粗利率。損益分岐点。
都会で彼を支えてきたはずの概念が、ここでは重い錨のように彼を沈めようとしている。
感情は、コスト計算には含まれない。母の丸っこい字の裏にある、「情け」を、すべて冷徹な数字の列で削ぎ落としていく。
一枚の紙を手に取った。そこには、太いマジックでこう記した。
『価格改定のお知らせ』
母の帳面が視界の端に入った。二重線で消された過去の数字が、何かを言いたげに震えている気がした。 が、迷わずテープを切り、それを入り口のガラス戸に貼り付けた。
セロハンテープが乾いた音を立てる。原価は、嘘をつかない。




