第五章 三保松原の燈台下焼肉センター 1
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そして芽里亜は機上のひとになっていた。
昨日月曜祝日のコミケ二日目、最終日を終えて、皆で打ち上げと称し、予約しておいた吉祥寺のシェラスコ、又肉食べ放題で、目の前で切ってくれるやつをたらふく食べて、飲んで、まさに打ち上げの盛り上がりのまま、終了した。
しかもたっぷり売れたので、そこそこ高い店への払いはタダ!
―これは確かにハマる!コミケ、楽しい!
未だ飲みに行く男性陣を横目に女性陣は野笛ですら帰っていった。
あきらは帰ったが、虎丸は彩や綾川と連れ立って去って行った。
―虎丸、もう次のことを考えているな。
『もう乗った?』
菜乃からのLINEだ。
『まさに今機内モードにするとこ。着いたらレスする』
と返した。
一日目のコミケに行かなかった芽里亜だが、昨日の疲労で心身ともに疲れていた。
だから離陸すると直ぐに眠った。
だから次に目を覚ますと眼下には瀬戸内海の海と島々が広がる。
―そうだ、ここに私は生まれ・育ったのだ。
神話のような世界だな、と芽里亜は思った。
たった東京に出てたった八ヶ月しか経っていないが、地形や風景の落差から、もう10年近く帰っていなかったような気持ちになった。
―そんな特に凄い思い出があったワケじゃないんだけど。
ところが、それでも無意識を無意識で探っていたのだろう、出てきてのが市場の近くの家で刺身をご馳走になったことだ。
「安さんちの長女ちゃん、食べてみなよ」
隣家のおじさん、新坂さん。
ミステリ作家で、映画化はされていないがドラマスペシャルにはなり、受賞はしていないがノミネートはされたくらいの小説家。
サラリーマン時代に書いたミステリ小説が佳作入選し、それから短篇集2冊と長編7冊出した。
五十路の現在、故郷のこの八幡浜に帰ってきて、誰もいなくなった実家に住む。
そんな状況を見かねて芽里亜の母親は「これを新坂さんに届けて」と総菜を渡しに行くこともある。
今朝、芽里亜のはジョギングをしていた。
中学生、水泳部の彼女は大会の予選が迫っていたのである。
新坂さんうちの庭にはもう一人のおじさんがいて、話すと松島という人で、彼もまた物書きだが、ノンフィクション作家だそうで、東京住まいだが、大阪や九州で取材があるとジャンル違いでもウマが合う新坂さんに足を延ばして会いに来るそうだ。
「来るのはさ、こいつの顔見に来るというより、魚よ、魚のためだ」
松島、柳刃包丁で太刀魚をてきぱきと捌いていく。
さっき市場で買ったばかり、当然二人のおじさんは冷酒を飲んでいる、6時なのに。
で、芽里亜には飲ませるワケにはいかないから、あったかごはんがよそわれた。
「うま!」
もちもちとした刺身、クセの強い醤油、そしてほかほかの白米。
「ほう、お嬢さんは甘口醤油いけるね。ダメな人はダメなんだが、じゃあ、今度はニョクマムいってみて」
高台まで駆け上がり、港を周回して、心地いい疲労なところに、やたらグレードの高い刺身定食で、芽里亜は大満足。
甘口醤油ならば、決勝戦のプールがある鹿児島だな、と芽里亜は思った。
そして中学の代表となり、愛媛の代表となり、全国大会会場である鹿児島まで行ったが、引き離され、タイムは予選の時より酷かった。
現在は廃業しているが、安家は網本の家だった。
漁業権を売り、土地を確保し、悠々自適に暮らしていた、と言いたいトコだが、芽里亜には妹と弟が一人づついたのだが、三人とも父親が違う。
芽里亜の父親は彼女が幼稚園の時に出ていく。
それから二年おきに再婚して、あつらえたように子どもを一人こさえて、男の方が出ていく。
では母親がふまじめな女かというと真逆で、この一帯では知らぬ者がいないナースだった。
頼まれてもいないのに独居老人や酷い病気やケガを持つ患者の下にはしょっちゅう出かけ、救急車より早く来る安さんとしても有名だった。
しかも、この時期だと14歳の芽里亜、6歳の妹、4歳の弟の育児も両立させていた。
実際、この時期の芽里亜は水泳部のエース兼キャプテンで多忙だった。
だからなのか、母親は長女に頼ろうとすらしなかった。
それなのに、大会ではいい結果が残せなかった。
弟の父親というのがアコースティックギターを持っていてよく奏でていた。
芽里亜は小学生なのにいくつかのコードを習っていた。
それくらいには仲が良かったのだが、いかんせん働くことのない男だった。
妹の父親も同じだが、患者として知り合い、回復すると結婚するが、家も土地もある安家、働く必要がないことがよけい拍車をかける。
しかもそれなのに芽里亜の母親は身を粉にして働くタイプ。
―別にそのことをなじるような女性ではないんだけど、あれだけパワフルに仕事して、家事育児してる姿を見ると自分がダメな男だとしか思えなくなる。
これは芽里亜が高校になった時に再会した父親の台詞。
高校に入ると芽里亜は水泳部に入らず、音楽系の部活がなかったから、一年生にしてバンドメンバーを集めて、瀬戸内スレンダーガールズを結成。
80、90年代のポップスや女の子バンドのコピーバンドだったが、学園祭でなかなか盛り上がった。
二年生の時には正式に部に昇格して、同時に松山のライブハウスに遠征もした。
打ち上げとなるとそのまま松山に泊まることもあったが、母親は放任主義というのか咎めることはなかった。
そこで初めてのカレシができるのであるが、対バンの相手、スピッツやくるりに影響を受けたような男の子だけのバンドのヴォーカルの大学生。
―だが、バンドやっている男の子ってのはクズばかりだな。
と、ふた月以上付き合うこともなく、芽里亜はこの独白をあと2回つぶやくことになる。
肉体関係をもった、バンドの男の子たちのことは強がりでなく、本当にあまり覚えていないのだが、四国にもアイドル文化の波は押し寄せていて、ライブハウスもアイドルが出演することがままあって、その中にアドリブみかんというグループがいてよく一緒になるので、その中でも華かぐやという女の子と仲良くなった。
「芽里亜ちゃん、私が作った曲、演奏してみない?」
椎名林檎に影響を受けた新入生がオリジナル主義で曲風含めて、意見が割れた。
―こんな四国の高校のバンドでも音楽性の違いってあるんだな。
軽音部は芽里亜の瀬戸内スレンダーガールズと新入生を中心とする敗訴ダメージジーンズに割れた。
ただ芽里亜が松山で遊び歩いていたのにも原因があったようなのだが。
かぐやの作った曲は80年代アイドルの持つエキゾチックな雰囲気を取り入れたフシギな曲だった。
「これ、なんで、アドリブみかんで歌わないのさ」
「実験的、ってやつ?とか言われちゃってね」
確かに曲調が中田ヤスタカというよりは細野晴臣に近いものだった。
―でも、これ作れるの、凄いよ。
同時にかぐやはさぬきで行われているシナリオ講座にも通っており、それも芽里亜は読ませてもらった。
「すごいよ!脚本だけで面白いのが伝わる」
「それは芽里亜ちゃんに脚本を読む素養があるからだよ」
こうしてその講座で教わった脚本術を伝授したのがかぐやだった。
話すと同じ母子家庭で、でも安家と違い、松山市内のホテルの従業員を勤めるかぐやの母親はずっと寮暮らしで、かぐやもそこで生活している。
芽里亜にはかぐやに言い出せないことがあった。
―かぐやちゃん、私と二人でアイドルユニット、結成しない?
作曲の才能がない芽里亜は既にバンド活動に飽いていた。
でもアイドルはさすがに恥ずかしい。
―あっ、でもこれはさすがにお母さんはイヤがるかも。
そう思うと芽里亜の口元にえみがこぼれた。
しかし最初にまず、LINEもショートメールも弾かれた。
電話しても同様だ。
そこで松山市内に出向いて、ホテルの名称は知っていたので、寮に向かうことを目的とした。
でも、気おくれもあったのか、馴染みのライイブハウスに顔を出すことにした。
―アドリブみかんの他のメンバーがいるかもしれない。
そう、アドリブみかんの公式XTwitterやInstagramも止まっていたのだ。
そこには偶然芽里亜の初体験の相手であるスピッツくん。
「おっ、メリじゃん。知っているか、おまえと仲良かったアドリブみかん、マネージャーとセンターのかぐやが金持ち逃げして大騒ぎだゼ」
松山空港に芽里亜、到着。
『菜乃、松山に着いた。よいところだよ。いつか菜乃も訪ねてきてよ』




