第四章 映画大学の映研カレー蕎麦 9
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東京に行く前からジェーンとはメールやチャットでやり取りをしていた。
芽里亜が極限せつら以外で好きな同人作家が何人かいると云っていた何人かの一人がジェーンだった。
ジェーン、そんな名に反して和物や東南アジアの意匠を取り入れた画風。
BLは二次創作を少し、大半はオリジナルで、商業出版が3冊ある。
三学期は出なくといいので、そこで早く東京に出ようとしていたのはジェーンの存在があったからかもしれない。
メールのやり取りでとても気心が知れていた。
クリスマスはその年、家族で過ごした。
それから松山空港から羽田を目指した。
不動産屋から内見候補を伝えてあり、三つめの、今の五日市街道沿いの部屋は一目惚れのようにして決めた。
ビジネスホテルに部屋を取った。
異郷の地、どこか寂しく、ジェーンにいっぱいメールした。
レスは直ぐに来た。
冬コミ、一日目、寒い中、なんとなく始発から行くものだという先入観から芽里亜は5時間並んだ。
そして早速ジェーンのサークルを訪ねた。
待機列からメールしていたので、ジェーンは「そんな思いまでして、遠くから会いに来てくれてありがとう」と云った。
最初のコミケ、そんなにお目当てのサークルがあるワケじゃない。
だから、ジェーンが、横に座って、と云ってくれたので、そうした。
「確かサークル入場は3名までいるんじゃあないんですか?」
「うん、そうなんだけど、もう友達たち、家事や育児に忙しくて引退しちゃったんだ」
ケープコートをはおるという大人びた姿で、つやつやとした額を出しているジェーンだが、すごくはかなげに見えた。
帰りに「手伝ってくれたお礼に」と焼肉屋に入った。
会話も肉も最高だった。
二日目、二人で並んで入場した。
並んでいる間、いっぱい話もした。
ただ芽里亜は羽田空港に16時にはつかねばならない。
余裕を見てお昼には出る予定だ。
「じゃあ、私も出る。ランチは一緒にとろうよ」
―デリバリーでよく頼む美味いイタリアンがある、私の部屋は青物横丁駅が最寄りだから空港までは20分で行けるよ。
こうして芽里亜はジェーンの部屋に赴いた。
食事が終わり、芽里亜はジェーンに告白された。
「今まで女性とお付き合いしたこと、ないですよ」
芽里亜が告白後に云った最初の台詞。
「男性とはあるのね」
「はい、ジェーンだってあるでしょう」
否定も肯定もしなかったが、これは〈ある〉という表情だ。
「いかないで欲しい」
「もうチケットとってあるし」
そう、大晦日のチケット代は高くついた。
「告白してしまった後、気持ち悪いおばさんだと全てのアカからブロックされたら、あなたは私の住まいを知っているけど・私は知らないから、愛媛に帰ったらもう会えなくなる」
「また、来るよ」
「じゃあ、証が欲しい」
最初に口づけたのはジェーンだったが、口内に舌を突っ込んだのは芽里亜だった。
おばさんと卑下して云ったがジェーンは未だ28歳、まぁ、それでも芽里亜とちょうど10は年齢上だが。
―されることは男のひとと大して変われぬものだな。
これが芽里亜の感想の一つ目で、二つ目は早く羽田空港に行かなくちゃ、である。
でもちゃんと芽里亜はジェーンの部屋に戻って来た、三が日開けた四日に。
戻ってきて、又舌を絡ませ始めた。
翌朝二人は芽里亜の新居で引っ越し荷物を受け取った。
愛媛からは私物の本や衣装くらいで、実家から一人暮らし、本棚や電化製品、日用品は買えばいい、
引っ越しと買い物、それを二人の女はした。
二人とも新生活にとても期待し、幸せの絶頂にいた。
―ジェーン、私が引っ越しや買い物を一緒にしたワケ、判る?
―なんで?重いから?
―ううん、私の部屋の場所が判れば安心でしょう。
ジェーンは派遣社員で消費者金融の事務仕事をして、傍ら同人誌やネット通販、電子書籍の売り上げで生活していた。
定時上がりで、家に帰れば芽里亜がいる。
芽里亜はこの頃もう丸ビルのショッピングモール運営の会社で仕事を早く覚えたいから、この頃はフルタイム勤務にしていた。
だからせっかくの井の頭通りの新居にはこの頃の芽里亜はほとんど住んでいない。
休みの日に二人で家事をし、食事も用意した。
実家で料理なんてせずに、学校の仲間と遊び続けていた芽里亜がある程度には料理が上手くなったのはこの時の研鑽による。
ベタやセリフの写植等、漫画のアシスタントもしていた。
これも後にパンフレット制作などに役立った。
だが、二人は破局する。
今ならば芽里亜には判る。
―二人とも同性愛者でもなんでもなかったからだ。
「ああいうことをしてみたくなるんですよ」「だって、二人とも実はそんなことやりたくないんですよ」「ニンゲンは生きている限り、何かの役目を振られるんです」
―あの時のインタビュアーは私でなく、虎丸だった。でもあの時の相川くんが何が云いたかったのかよく判る。お互いすがったのだ。
性交の最中、ジェーンの手が止まり、動かなくなった。
「もういいよ。実はそんなに触りたくないし、次に何をすれば判らないでしょう、私もそう。なんか最初はノリと勢いとAVとかエロ漫画の記憶でできたけど、元々二人ともそうじゃなかったんだよ。お互いここまで楽しめたんだ、貴重な体験だよ」
「芽里亜は最後まで年上の私のプライドをズタズタに引き裂くのね」
―ただね、ジェーン、いや、泰子。同時に、ファンの田舎者もティーンエイジャーの小娘を性的に弄んだという重い罪の意識を相殺できるでしょう。
―孤独だった東京でジェーンに出会って、ああいうことになってしまったのは必然性があったように錯覚し、そんな役目をふられただけだ。でもその必然性とそんな役目は確かにあの時の私には必要なものだった。
そんな芽里亜だから、ユラが同性愛者でないというのは確信に近いものがあった。
そしてもう一人、同性愛者でない女が芽里亜の前に現れた。
―ジェーン!
「あの、新刊を、新刊を全部ください」
「はい、こちらパンフレット1500円、画コンテ集1500円、合計3000円です」
―未だ別れてから半年しか経っていない、か。
「これ、どこで観られるんですか?」
「このチラシに視聴方法が書いてあります。海外の含めて、どれもサブスクです。公開は10月からですけど」
「そうですか、面白そう」
―今回、ジェーンは出店しないからとカタログ読んで、安心していたのに!何で!?」
「あのぉ、いいんですか?」
これはあきら。
あきらの言葉の真意を理解したのは意外にもジェーンだった。だから支払いを済ませ、いそいそと去った。
「いいんですか、追わなくても」
その時にようやく芽里亜はあきらの言葉を理解した。
「なんで?」
―なんで?判ったの?
「だって、安さん、今、能面のような顔をしていますよ、気づいていないのですか?」
「いや、能面って、むしろ勘づかれたくない無表情を表すもんじゃない」
「だから、そんな表情、めったにひとは、特に女はしないものです。判って欲しいんだから」
「相川くん、たまにきみを殺したくなる時がある。今がまさにそんな時」
二人の会話はユラと亜美衣と菜乃、それを面白がる野笛と虎丸の笑い声でみんなには聴こえなかった。
だが、亜美衣だけは反応した。
「今のJane Doeのジェーンじゃないか」
「えっ、あの東南アジア旅行記と見せかけて、妖怪とか妖精とか出てくるフシギな作風の?」と菜乃。
「うん、この10年で2回くらいしか会ってないから自信なかったんだ」
「ああ、そうだ、ジェーンさんは最初に芽里亜んトコでおしゃべりした時に、お互いファンだって盛り上がったね、芽里亜」
―そうね、菜乃。なんで、私はジェーンの前に菜乃に出会わなかったんだろうね。




