記憶の断片
悪役を演じるというのは、通常ならば楽しいものだ。
しかし、今回はどう演じたらいいのか解らない。
エアリアルの目に浮かんだ嫌悪感は、演技ではなさそうだ。僕が犯した犯罪を憎んでいるし、その正義感あふれる口調は力強い。
それでも何とか、彼女が思い描くであろう殺人鬼グレイ・スターリングを演じてみせた。ほとんどが演技であったけれど、その中に僅かながらの真実も含ませたつもりだ。
そして、何となく思う。
何か、見落としているものがある気がする。
エアリアルはレティシアに会った覚えがないと言う。
記憶操作なら僕にだって簡単にできる。もし彼女がレティシアに会ったことがあり、そこで使い魔を体内に産みつけられたとしてもおかしな話ではない。
使い魔は確か……。
おかしい。
「そいつを殺したのはもったいなかったぞ。生かしておけば、お前の命を守ってくれただろうに」
レティシアの声が頭の中に蘇る。確か、そんなことを言われた。
僕が自分の体内から生まれようとした使い魔を無理やり引きずり出して殺したのは、いつのことだった?
確かに僕はあれを殺した。
でも、いつ? 思い出せない。
エアリアルの質問は続いている。
それに反応を返しつつ、僕はいつしか笑い出していた。エアリアルは奇妙だ。しかし、こういうのは嫌いではない。
僕が考えていたよりずっと、強い女の子であるようだ。何だろう、もっと違うようなイメージがあったのに。
『ごめんなさい』
『そんなつもりじゃ』
『助けて』
突然、頭の中で何かが。
理想的だと思った彼女。長い金髪で。
レティシアの好み通りの。
グレースの悲鳴。
「記憶がないのか」
僕はつい、そう呟いていた。そして改めて、エアリアルを見つめた。
驚いたような表情で僕を見つめ返す彼女。鏡の向こうで眉根を寄せて立っている。
今の僕は、エアリアルの肉体の中にいて、うねるような魔力に翻弄されているかのようだった。
今の僕は、まだ完全に記憶が戻ったわけじゃないのか。レティシアに封じられている過去が、まだ何かあるのか。
エアリアルが制止している声が聞こえる。でも僕は、それどころじゃなかった。鏡による彼女との接触を遮断して、誰もいない地下室の椅子に座り込む。暗い部屋、静寂。
記憶を取り戻せば――。
でも、もし僕の記憶がレティシアに封じられているならば、無理やり彼女の魔法を解くのはまずい。ならば、彼女の魔法の上から新たな魔法をかけるのは可能だろうか。
僕はいつの間にか、乱暴に頭を掻きむしっていた。
そう、そう考えて意識を集中してみれば、確かに僕の中に何かある。でも、そんなに複雑じゃない。いままで僕が気づかなかったくらいの、小さくて単純な魔法。
僕がその上からもっと複雑な魔法をかけることができれば――。
「最悪よ、新人だわ」
グレースが言っている。
黒い髪の少女。勝ち気で、いつもレティシアに対する不満を口にしていた。もちろん、レティシアがいない場所で。
そうだ、彼女はとても健康的な子で。
「新人?」
僕は彼女に訊いた。
レティシアの屋敷は大きい。掃除だけでも一苦労。二階建ての屋敷で、部屋数も多いけれど、実際に使っているのは一部だけだ。
レティシアは基本的に、地下室にこもっていることが多い。そこには広い図書室と書斎がある。
どうも、彼女は暗い部屋にこもるのが好きらしい。孤独が好きだとも聞いたことがあった。
彼女の下僕というか、誘拐されてきた子供たちは、地下室に呼ばれることはほとんどない。一階でも二階でも好きな場所にいていいことになっている。ただ、屋敷のどこの窓も、出入り口も塞がれていて逃げ出すことはできない。鍵などかかっていないように見えるのに、レティシア以外の人間は開けることができないのだ。
そして、この屋敷には定期的に子供たちが連れてこられる。
連れてこられる基準は、幼いこと。見た目が綺麗なこと。肉体のどこにも、痣や怪我といった欠陥がないこと。
「そう。増えれば誰か邪魔な子が殺される。いつもの流れでしょ?」
グレースは居間のソファに座り、足をぶらぶらと揺らしていた。青い服に身を包んだ彼女は痩せているものの、かなりの美少女だと言える。とにかくくっきりした目が印象的だった。
「掃除人が増えただけかもしれないよ」
僕は壁際にある家具のそばに立って、たくさんの置物が並んでいるそばで言う。息を吹きかければ、埃が舞い踊るだろう。掃除が行き届いていない証拠だ。しかし、掃除をしていないからといって、レティシアは気にするような人間じゃない。あまり生活的なものに興味がないのかもしれない。掃除も料理も最低限でかまわないといった感じだ。
ただ、役に立つ人間は殺さない。そこそこ家事をしている人間は。
「今、六人だよね」
僕は指折り数えながら確認する。「グレース、デネヴ、マーガレット、コーネリアス、リンジー」
「そしてグレイ、あなたね」
グレースはため息混じりに言った。「多すぎだと思わない? 確かに部屋は余ってるけど」
「余計なことは考えないほうがいいよ。死にたくないだろ?」
「あったりまえよ! 絶対にわたしはイヤだから!」
それはそうだ。僕は苦笑した。
殺される場合、レティシアに地下に連れていかれる。どうやら、一階や二階にある家具が血で汚れるのが嫌らしい。地下室の石畳なら、もうすでに血で汚れているからどうでもいいらしいのだが。
そして、誰かを殺した後のレティシアは機嫌がいい。大抵は無表情である彼女の瞳が異様なまでに輝いている。時には、綺麗に血抜きをした死体を一階に運んできて、その遺体の汚れを拭き取れと命令されることもあった。それに怯えて逃げようとした子供もいたけれど、そういった子供は長生きできない。次の獲物となる。
これが未来の自分の姿。
遺体を見て、その場にいた仲間たちは誰もがそう思ったに違いない。
基本的に、集められるのは誘拐されても誰かが騒ぐ可能性のない子供たちだ。僕がそうであったように、グレースも他の子供たちも孤児だった。
ただ、そういった子供たちはそれなりに苦労してきている。怪我をしていたり、暴力を受けた傷が痣になっていたりして、レティシアのお眼鏡にかなう子供たちが少ないのは事実だ。そんな中、生き残っているのが今の六人。
確かに大所帯になりつつある。ここに新しい人間が加われば七人。ただでさえ、今の人数だと食料が足りていない。レティシアはあまり食事をしない。食事をしなくても生きていける身体なのかは解らないが、かなりの小食だ。
そんな彼女であるから、子供たちの食事を気にかけるはずもなく、僕らは少ない食料を奪い合うことも多かった。早い者勝ち、みたいな雰囲気が出来上がっている。
「お腹、すいたあ」
グレースが力無く言った。「台所、見た? そろそろ買い出ししてもらえないと何もなくなるよ」
「そうだね」
僕は頷く。一応、料理は皆で分担してこなしている。レティシアはあまり頻繁に食料を買ってこないから、限られた野菜や干し肉といったものをできるだけ長持ちするように少しずつ使う。そしてそろそろ、貯蓄していた分がなくなりそうだった。
「その、新人って? グレースは見たの? 男の子?」
「ううん。さっき地下室に連れていかれたけど、女の子。男の子だったら暴動ものでしょ!」
――たくさん食べるからね。
僕は笑う。するとグレースが僕をきつく睨んできた。
「笑い事じゃないからね!」
「はいはい」
「グレイ!」
「はい」
僕らは結構、仲がいい。グレースは時々口が悪すぎるくらいだけど、悪い子じゃない。
他の子たちとは、あまりいい関係じゃなかった。やはり、次に死体になるのは誰なのか、なんて考えたら仲よくなるのもつらすぎる。
「あ、地下室に連れていかれたんだし、もう死んでるかもね!」
グレースがぽん、と手を叩いて言った。「だとすれば、問題なくない?」
「……んー。どうかな」
僕がこの屋敷に連れてこられた時だって、地下室に連れていかれたのだ。そこで死体――『人形』となった子供たちを見せられて、レティシアに「こうなりたくなかったらおとなしくしておくといい」なんて脅しを受けたこと、忘れることはできない。
「で、可愛かった?」
僕が続けて訊くと、グレースは眉根を寄せて不満げに頷いた。「すっごい美少女! あれだけ可愛いと、殺されるわけないわよねえ」
「なるほど」
それはその夜、僕も自分の目で確認することができた。
夕食の時間、地下室から出てきたレティシアは、凄い美少女を連れていた。ふわふわした長い金髪、淡すぎる緑色の瞳、抜けるような白い肌。そして、僕らには縁のない、上質な布地の服を身につけていた。もう、一見しただけで人種が違うというか、違う世界に生きる少女なのだと解る。
「エアリアル」
レティシアがそう彼女の名前を呼んだ。
すると、酷く強張った表情の彼女が、涙をこぼしながら呟いた。
「家に帰してください」




