罠の結果
司法局が捜査の手を入れたところに忍び込むのは危険だ。そこに部外者が侵入すれば解るように、彼らは何らかの仕掛けをしている可能性が高い。
それに、レティシアがそんな場所に手がかりを残す可能性は低い。やはり、何かあるのだとしたら――。
夜になってから、僕は行動を開始した。
レティシアの工房で、司法局に知られていないのはウィストー通りの貸倉庫だ。
動きやすい服に身を包み、フードで顔を隠しながら夜道を歩く。その近辺は治安のいい場所ではないが、女が一人で歩くのは珍しくないところだ。それらのほとんどが商売女であり、彼女たちを管理している人間がいる。金蔓となる女を守ろうとする主は、大抵、事件が起きるのを嫌う。だから、商売女の身を守るために見張りを歩き回らせていることも多い。
そういう意味では、商売女にとってはそれほど危険な場所ではないと言えるのだろう。
ただ、夜中にうろついている人間はほとんどが顔見知りのことが多いため、僕のような人間がうろつくには都合のいい場所ではない。見咎められる前に何とかしたいものだ。
貸倉庫の前に到着して、建物を見上げる。
鍵がかかっているのは予想していた。しかし、無理やりこの鍵を開ければレティシアに気づかれる。
魔法というものは、破られれば魔法をかけた人間にそれが伝わるものだ。彼女に気づかれずに入るには、正規の鍵を使って開けること。
つまり、僕の肉体か。
この貸倉庫は僕も入ったことがある。いわゆる、死体の処理場であるから、色々な意味での掃除人である僕が鍵を開けて入れるようにレティシアが魔法をかけている。
そこでふと、僕は唇を噛んで考え込んだ。
レティシアは、こうも言っていた。
――閉鎖したのはお前が知らない場所だ。
つまり、何かあるのだとしたらここではない?
彼女が企んでいることが何であれ、全てそれを僕が暴くのが最善とは思わない。
僕の願いは何なのか。
レティシアの完全なる隔離。本当ならば、司法局によって彼女が処刑されること、それが一番素晴らしい結果なのだろう。そうすれば、僕は今後一切の彼女からの接触を恐れることもなくなる。彼女の支配がなくなった今の生活は、とても楽だ。
ある意味、今の状況は都合がよかったのかもしれない。
エアリアル・オーガスティンがもしもレティシアにつながっていたとして、共倒れを狙える状況だ。彼女を利用しよう。
エアリアルは司法局にも目をつけられているし――犯罪被害者として見られているだけかもしれないが――、彼女がこの工房を発見したら司法局の捜査が入るのは間違いない。さすがに司法局の連中が工房の中を調べれば、何か見つかるかもしれない。あるいは、何も見つからないのかもしれない。
見つかればよし、見つからなければやはり彼女が閉鎖したといったのは他の場所なのだ。
「どこの女だ」
背後から知らない男の声がかかって、僕は身体を強張らせた。自分の考えの中に沈みすぎていて、周りの状況を見ていなかったと気づく。
僕はそっと手でフードを深く下ろし、背後の人間に聞こえないように口の中で魔法を詠唱してから振り向いた。
「……人を探していたものですから」
そう言いつつ、少しだけフードをめくってその男を見た。途端、その男が怯んだのに気が付く。
男はあまり柄のいい感じではない。ただ、夜盗とかいった雰囲気はなかった。まだ二十代くらいの若い男性で、それなりに身体は鍛えているようではあった。目立つ武器は持っていないようだが、ナイフや短剣を隠し持つことくらいはできるだろう。商売女を守るために、この近辺を見回りしている連中の仲間だろうか。
「探し人か」
彼はそう言いつつ、僕の顔から目をそらした。今、僕の顔には魔法で火傷の痕が見えるように仕掛けをしておいたので、その肌の醜さに怯んだのだろうと思う。
「治療魔法で有名な魔法使いがいるという噂を聞いてきたのですが、ご存知ではないですか?」
そう言いつつ、僕は少しだけ必死に聞こえるように声を震わせてみる。彼はその言葉に納得したようで、困ったように首を振った。
「いや、聞いたことないな。この辺りじゃ腕のいい魔法使いといえば……俺の仲間なら知ってるかもしれんが。確か、腕に筋力を上げる魔法をかけてもらったとか言ってたし」
「筋力……それでは意味がないですね」
僕はがっかりしたように息を吐き、フードに手をかけて引っ張り下ろした。「すみません、もう少し自分で探してみます」
「何か問題が起こると困るんで、行き先があるなら送る」
彼は眉を顰め、その表情を厳しくさせた。意外と真面目な男らしい。いや、それとも親切心を見せて僕が油断した隙に何かをするつもりだろうか?
「では、何かあった時の連絡先を教えてもらえないでしょうか。この顔をできるだけ他人に見られたくないんです」
警戒心を滲ませた声でそう言うと、彼も僕が何を考えているのか理解したらしい。苦笑しつつ首を縦に振った。
「警戒心が強いのはいいことだ。この辺りは、ジェンキンス・モリノの縄張りだ。彼がこの近辺の商店を仕切っているし、何かあったら声をかけるといい。多少の金は必要になるが」
「そう……ですよね」
僕はわざと悩ましげに目を伏せた。「治療にかかる費用だけでも大変なのに」
「あー、そうだな」
彼は完全に困ったように唸る。治療魔法というのは、大金が必要となるというのが常識だ。それでも、神殿で治療を受けるよりは、こういった治安の悪いところでこっそりやっている魔法使いの治療のほうが安い。こういうところで生活している魔法使いというのは、魔法免許を失効していたり、後ろ暗いことがあることが多いのだから。
「まあ、それならいいんだ。とにかく、気を付けていきな。最近、この辺りも人が殺される事件があってな、ピリピリしてる」
「殺される?」
僕は顔をしかめ、彼を見つめなおした。彼は不本意そうに頷きながら、頭を掻いた。
「金目当ての殺人とかはよくあるけどな、最近はよく解らん事件も増えてる。あんたも、顔に火傷があるから男に襲われない、と考えてるなら間違いだ。女だったら誰でもいい、っていう変態は多いんだしな。人探しなら昼間やりなよ」
「あ、りがとうございます」
今度はこちらが困惑する番だった。やっぱり真面目なだけの男だったのか。
僕はやがて小さく笑うと、彼に頭を下げてからこの場を後にした。
でも、よくよく考えてみれば、魔法使いを探すというのはいい考えかもしれない。僕はレティシアから魔法を習ったけれども、もしも彼女に隠れて動きたいというのなら、もっと魔法の腕を上げなくてはいけない。持ち出してきた彼女の魔法書は役に立っていたものの、やはり現代魔法では心もとない。
新しい師匠が必要だが――レティシアを超える魔法使いというのは、神殿以外の場所に存在するのだろうか。彼女くらい凄まじい魔力を持った人間、とまではいかなくても、古代魔法を知る人間がいるならそれでいいのだけれど。
エアリアルに罠を仕掛けるための行動を開始する前に、古代言語に詳しい魔法使いがいるのかどうか、という情報を集めた始めたのだが難航した。神殿の関係者に接触できれば何か解るのかもしれないが、それは危険すぎる。
古代魔法を学べる人間は少ない。神殿で学ぶ人間はいるが、それらのほとんどが神殿の中でだけ生活を許されているような者たちばかりだ。今の僕が神殿に近寄れば、この肉体に残る禁呪の気配を彼らに悟られてしまうし、司法局に連絡が入れられてしまう。
結局、僕は内心に焦りを感じつつも魔法使い探しを中断し、エアリアルを貸倉庫に呼び出す罠を仕掛けた。それは呆気ないまでに簡単に仕掛け終わり、罠の結果を確認することにした。
エアリアルはレティシアの駒。
いいように扱われている下僕の一人。
そういうことなのだろうか?
彼女は恐ろしく怒っていた。鏡の向こう側にいた彼女――グレイ・スターリングの表情はとにかく険悪だ。僕に対する敵対心を隠そうともしない。工房にある『人形』を見たのだろう、怒りに満ちた双眸は僕の予想を超えて鋭かった。
レティシアの同類。レティシアの匂いを感じる少女。
そう最初に思ったのは間違いだっただろうか。
もしもレティシアと似た心を持っているならば、人間の死体を見たくらいで何も感じないはずだ。同情心のかけらもなく、己の欲望のままに正直。人間味といったものには無縁のはず。
しかし、目の前の少女は少し違うようだ。何だか、思っていたよりも普通というか。
そう言えば、最初の誘拐の時に様子がおかしかったのはどうしてだったのだろう。頭を打ったことによる、一時的な錯乱、それだけだったのだろうか。
僕は今、何とか笑顔を作って見せていた。言葉の選びかたが難しい。彼女を挑発し、彼女の本性を引き出す。それだけが狙いの『接触』だ。
「君は僕と同類だと思うからさ。あれを見たら、何か変化があるかと思って」
殺人犯の同類。快楽殺人者。それが僕に対する彼女の捉えかただろう。しかし、僕も彼女のことをそうなのではないかと疑っている。
もしかしたら、死体を見れば彼女の中に変化があるのではないかとも思っていた。彼女の本性が見えるのではないか、と。
彼女の中の非人間性、そういったものが露わになれば、彼女が本当に敵であると判断できる。
もしもそれが違っていたら?
もしも彼女がレティシアと同類なのではなく――僕と同類、つまりレティシアの被害者であるなら?
「同類?」
エアリアルは馬鹿にしたように笑う。そういう笑いかたは似合ってないな、と変なことを考える自分自身に戸惑った。
「何が同類? これをあなたも自分の中に入れられたってこと?」
彼女が魔法で作られたと思われる檻をベッドの上から引き寄せ、膝の上に乗せた。その中にいる赤い生き物を見た瞬間、僕は思考が停止した。
なぜ、ここに!?
レティシアの使い魔。
レティシアの匂いはこれか? これが彼女の中にいたからか!?
僕は必死に頭を働かせようとした。
「……僕はそいつを殺したよ」
喉の奥がひりついたようになって、言葉が上手く発音できない。とにかく、落ち着かなければ、と自分に言い聞かせた。
これは、レティシアの『眼』にもなる。ここの会話はもしかしたら、レティシアに聞かれる可能性もあるのだ。司法局の監視が厳しいともなれば、『眼』を使うのは難しいだろうけれども。
しかし、もしも司法局の監視を合間に、レティシアが魔法を使っていたら。この使い魔の『眼』がレティシアの目につながっていたら、あまり変なことは言えない。
落ち着け。エアリアルは問題じゃない。エアリアルの膝の上にいる、そいつが問題だ。
今はまだ、レティシアに疑われることだけはできない。僕は彼女の下僕。使い勝手のいい駒。そう思わせておかなくてはいけないのだ。
ああ、でも。
もしかしたら、エアリアルは普通の女の子だったのかもしれない。死体とか色々見せてしまったけれど、もしもそういう残虐なものに無縁の人間であったなら。
レティシアの匂いが、単純に使い魔だけの存在であったなら。
君のその怒りは、正当なものだ。
僕がやったことは、君に対する嫌がらせ以外の何物でもない。
意気消沈。それを相手に気取られないように、僕は必死に笑顔を作った。




