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第9話「真実を紡ごう」




 ヒビキが私の元を去ってから、今日で4日目。

 昨日から月曜日で、また学校が始まった。

 私の元から去るものがあったように、私の元に『いつもの』日常が戻ってきた。

 これは過去の私が望んだ日常であり、今の私が欲することのない日常だ。

 過去と現在との差異を構築する原因を考えればそう、ヒビキのことだ。


ナツ「サヤちゃん…なんだか元気少ないね?大丈夫?」

サヤ「んん?うん」


 昼休み、私はナツと一緒に昼食を取っていた。


ナツ「昨日もあんまり調子良くなさそうだったし…もしかして夏休み明けで疲れちゃった?」

サヤ「うん」

ナツ「!、やっぱり疲れてたんだね!具合悪い?」

サヤ「うん」

ナツ「!!、具合悪いの?!ほ、保健室行く?!」

サヤ「んぅん」

ナツ「え…どっち!?どっちなの!?」


 心ここに在らずで、私は物思いに耽っていた。

 私は一体どうしたいんだろうか。

 今までの日常を取り戻したい。

 それは何よりも私が望むこと。

 しかし、彼の正体、彼の行動の行先を知りたいと思っている自分もいる。

 考えに潜り込み思考を深めていると、突然私を水面まで浮上させる者がいた。


サヤ「ふぎゅっ!?」


 意識を外界に戻すと、私の両頬がむぎゅっと摘まれていた。

 摘んでいる手の先を辿ると瞳をうるうるとさせながら、今にも溢れそうなそれを押さえ込むのに必死な少女がいた。


サヤ「にゃ…なひゅ?」


 やっと私の意識が彼女に向いたことに安堵したのか、今度はその顔に多少の怒りのようなものが現れ、私の頬をもにゅもにゅし始める。


ナツ「ちゃんと答えてーー!!!」

サヤ「あ〜〜、わかっふわかっふかひゃ〜」


 ナツはひと段落して私の頬から手を離し、私の首に両腕を回して自分の巨大な…胸元へ私の顔を埋めるように抱き寄せて、頭を撫でてくる。

 やはりここは安心する。

 息苦しいし、同じ女としてこれほどのものを有している彼女に「クソが!!」と思うこともあるが。

 だが、彼女の優しさだけで満ちたこの場所は私だけが独占したいといつも思ってしまう。


ナツ「私が悲しんでる時、サヤちゃんはいっつもこうしてくれたよね」

サヤ「やめてよ恥ずかしい。思い出させないで」

ナツ「ふふっ。それに初めてこうしてくれた時は、こうも言ってくれたよね。『あなたの心で何かが溢れそうになっているなら、私に少し分けて。この行動は単なる慰めじゃない。私にそれを分けてくれるその一歩に勇気を与えているの』って」

サヤ「あああっ!!!何にも聞こえませ〜ん!!!///」


 私は歯が宙に浮いて踊り出しそうなセリフを口にした彼女を一刻も早く黙らせるため、たわわな双丘を揉みしだく。


ナツ「きゃうんっ//」

サヤ「はぁはぁ、わかったから話すから、もう過去の回想シーンはやめてよ?」

ナツ「は〜い」


 私は彼女の胸から顔を離し、ベンチに座り直す。


サヤ「その、詳しくは言えないから、抽象的になっちゃうんだけど。ある優しい笑顔の絶えない…騒がしい犬と出会ったの」

ナツ(い、犬の話!?)

サヤ「優しさで溢れた表情も、好奇心に満ちた行動も、鬱陶しいけど、嫌いってわけじゃなかった。でもある日、彼が私の前で見せたことのない顔、聞いたことのない言葉…な、鳴き声を出したの。それを出すには仕方ない状況だったけど、あっけに取られた私の顔を見て、その子は私の元から去っていったの。あの子が何を思っていたのか、私はこの先どうしたいのかわからなくなっちゃって」


 ナツは私の方を向いて真剣に話を聞いてくれた。

 私が一通り言葉を出し終えると、ナツは正面を向き直し、思っていたよりも早く、返答を返してくれた。


ナツ「…ねぇ、サヤちゃん」

サヤ「ん…?、っ!?」


 ナツの呼びかけに答えるように彼女の方を向くと、また突然、私を豊満な窒息袋に押し当てた。


サヤ「むぅんん!!、んん!ふぅ〜ふぅーふぅ〜ふぅー」

ナツ「あっ♡そんなに匂いをかいじゃ!♡♡」

サヤ「息がしたいの!!」


 私は死の寸前で彼女の肩を勢いよく押剥がした。


ナツ「ん?あぁ、そっちね。ごめんね」

サヤ「はぁ…」


 私はもう一度今度は自分から優しく彼女の温かい太陽のような胸に額を乗せる。

 ナツも私の意図を読んだようで優しく抱きしめながら、頭を撫でてくれる。


ナツ「ねぇサヤちゃん」

サヤ「ん?」

ナツ「サヤちゃんは、その人をもっと知りたいんじゃない?」

サヤ「え?…!」


 私は彼女の言葉に耳を疑うようで、しかし、潜在的に求めていた言葉が私を包むような、その正体を詳しく知りたいと思い彼女の方を向くとまたぎゅっと抱きしめられてしまう。


サヤ「ふぐっ!?」

ナツ「やっぱりサヤちゃんは、一歩を踏み出す勇気が欲しいんだよね」

サヤ「…」


 勇気。

 今私が欲していたのはそんなものだっただろうか。

 突然去ってしまった彼と私の間に残った、曖昧な嘘と真実。

 私はそこに何を見出すのだろうか?

 私はきっと…


ナツ「サヤちゃんはきっと、怖かったんだよね?これまで見てきたその人の仕草や言動が、全部嘘だったんじゃないかって」

サヤ「…人じゃなくて、犬だってば」

ナツ「ふふ、そうだったっけ?」


 私は彼の嘘を知った時、この上ない孤独…いや、不安定な恐怖を感じた。

 未知の世界を照らすための明かりが突然点滅しだし、闇夜の不気味な光が私を照らすように。

 でも、彼の死を実感した時、私は今ある全てをその一歩へと変えた。

 『彼との真実を紡ぐ』ために。

 でも、彼は私が紡ごうとした糸を受け取りはしなかった。

 私は知っている。

 彼が私に見せた全てが嘘で作られたものではないと。

 だからこそ、彼に教えて欲しかった。

 何が真実で、何が嘘なのか。

 でも今となっては、その空虚に終わった一歩が私に重々しくのしかかる。

 「彼は何も弁明しようとしなかった」

 「謝罪は肯定と取るべきだ」

 「私との真実など彼には取るに足らない」

 一方的に伸び続ける私の糸は、途中でプツンと千切れ、恐怖という波に揺れて………震えていた。


ナツ「……大丈夫、大丈夫」


 胸の中で小さく震える私に気づいたナツは、また私の頭を撫でてくれる。


ナツ「勇気を出して。サヤちゃんなら大丈夫。私がついてるよ」

サヤ「…うん。ありがとう」

ナツ「ふふ」

サヤ「それにしてもナツ…またおっきくなった…?」

ナツ「へっ!?そ、そうかな」


 彼女の膨らみの再頂点に位置するワイシャツのボタンはまさしく首の皮一枚で、なんとか舞台幕を繋ぎ止めていた。

 心なしか、他のボタンに比べ糸もよれているように見える。


サヤ「あらあら、ボタンさん。今日もお勤めご苦労様です。最近お疲れでしょう?…はは」

ボタン(ナツ)「いえいえそんな〜サヤお嬢様に抱きしめていただけるなら本望です〜!…ふふ」

サヤ・ナツ「「あはははっ」」


 私たちはお互い一瞬顔を見合わせて声高々に笑った。

 さっきまでの空気はどこへやら…いや、彼女が全て吹き飛ばしてくれたのだ。



 彼女とこうして笑い合う時間を私はずっと大事にしていきたい。



 二人の思考が完全に一致し、一つになって優しい光を放ち続けるのだった。


サヤ「そろそろ教室に戻ろっか」

ナツ「うん、そうだね」

サヤ「ナツ、ありがと」


 サヤはすくっと立ち上がり、教室に向かうための歩みを始める。


ナツ「…」


 ナツはゆっくりと遠ざかる彼女の背中に微風のような言葉をかける。

 届く必要はない。

 これまでも、これからも同じ風が私たちを包むだろうから。


ナツ「ありがとうは、私の方だよ、サヤちゃん」




ー




 ピンポーン


サヤ「んん…」


 ヒビキが去ってから1週間。

 彼の家、もとい公園や街中を放課後の時間を使い歩いたりして探したが、結局なんの足取りも掴めず、私は疲れたままふて寝していた。

 土曜日の朝、まだ6時前だというのに、玄関からの呼び出しに目が覚める。

 ただでさえ虫の居所が悪い今の私から、休日の朝まで取り上げようというのか。



 ピンポーン



サヤ「んん〜!!」


 嫌々ながら私はよろめく体を起こし、ドタドタと足音を立てながら、玄関へ向かう。

 新聞勧誘押売り取立て、そのどれもがうちには来たことはないが、今の私ならどんなものでもかかってこいという意気込みで玄関の扉を開けた。


サヤ「こんな朝から一体なんの…!!、、、?」


 扉を開けても私の目には誰も映らない。

 正確には誰の顔も映らない。

 いつもならあるはずの位置に人の顔がない?

 目の前には一枚の幕?のようなものがゆらゆらと風に揺れて、朝日を遮って私に影を向けていた。

 天幕の留め具を見るように上へ上へと目線を向け、ピトッと止まる。

 いや、これも違う。

 私の動きが鈍く焦ったかったのか顎を指でクイっと上げ、強制的に見るべき定位置へ持って行かれた。

 そこには、見覚えのある、できれば早めに忘れたかった鋭く冷たい瞳孔が、私を捕えていた。

 そう、あの女が目の前に立っていた。


サヤ「ひぃぃぃ…」

???「…」


 私はそのまま、腰が抜けて地面にへたり込む。

 どうして、ここがわかったのだ。

 彼女には知られていないはず。

 いやいや、それより目的だ。

 どうしてまた、私の元に現れたのだ。

 復讐なのか、確かに復讐されても仕方ないかもしれないが。


???「っ…」

サヤ「!?」



 モニュ…



 女はしゃがみ、私と高さと揃えてから、両頬を右手で左右から把握する。

 それまで、顔を青ざめながら震え、猛獣に食されるのを受け入れられない小動物のようになっていた私は、呆気に取られて真っ直ぐ彼女の方を向いてしまう。


???「…なぁ一旦落ち着けって」


 感情を露わにし取り乱している人を見ると、冷静になってしまうというアレなのだろうか。

 彼女の顔には先ほどの鋭さが消え困惑が滲んでいた。

 だがその効果も効き目は弱く、きっと私はすぐに…


???「別に復讐しに来たとかじゃねぇって…」

サヤ「ふぇ?」


 彼女はそっと私の頬から手を離し、マントの内側に引っ込める。

 思いもよらない訪問者に思いもよらない言葉を言われ、私は戸惑っていたが、恐る恐る私も言葉を発する。


サヤ「じゃ、じゃあ何の用…ですか?」

???「あいつ、このままじゃ死ぬぞ」




サヤ「えっ」




ー




 私は急いで寝巻きを着替え靴を履き、玄関の鍵を閉める。


サヤ「じゃあ…行きますか」

???「ああ」


 玄関の塀よりもよっぽど背の高い彼女は塀の上から、肩から先を出して私に頷く。

 彼女が私に話してくれた内容は、耳を疑うものだった。

 ここ数日、ヒビキが人が変わったように躍起になって、片っ端から気隷や示神を狩りまくっているそうだ。

 彼女が見た彼の姿はまさしく血塗られた化物のようだったと語った。

 彼女が私の家を知っていた理由は、私が街をあちこち歩き回っているのに気づいていたかららしい。

 ヒビキから気を抑える方法を学んだとはいえ、それなりに気を扱える示神からすれば、同族を人間の中から識別するなど朝飯前のようだ。

 そうして、今私たちはヒビキの元へ向かい、歩みを進めているというわけだ。


サヤ「…」

???「…」


 私は彼女の後ろをついて歩こうとしたのだが、なぜか彼女は私と歩幅を合わせ、隣に並んで歩いてくる。

 チラッと彼女の方を向くが、やはり背が高い。

 私の頭頂部が彼女の肩とようやく並ぶくらいの身長差がある。

 肩から首、顎へと目線を上げていくと、顔は前を向きながら目線だけこちらに向けていた彼女と目が合ってしまう。

 私は咄嗟に前を向き直し、何事もなかったかのように取り繕う。

 

???「…おい」

サヤ「ひゃ、ひゃい!」

???「!?…一々そんなビビんなって…もうお前に手はださねぇって決めたから、安心しろよ…って、まぁあんな目に合わされりゃあ無理ねぇか…」


 少し呆れたようにそして、後悔?のようなものを籠もらせて彼女は語る。

 彼女、彼女は一体何者なのだ?いや、それは示神なのだろうが。

 彼女、彼女は…う〜ん。


サヤ「あ、あの」

???「あ?」


 冷たく鋭い表情と重く低い声で彼女は答える。


サヤ「!!、何でもないですごめんなさいごめんなさい許してください!!」

???「!!…ま、待て。今のはナシだ!もう一回やらせろ」

サヤ「へ…?」

???「いーから、もっかいだ!もっかい!!」

サヤ「…あ、あの〜」

???「な、なんだ?(ニコッ)」


 この上なくぎこちない笑顔で、この上なく上擦った優しい声で彼女は答え直す。


サヤ「ブフッ…」

???「おい、テメェ…」

サヤ「ごめんなさい、ふふ…ごめんなさい」

???「チッ…」


 彼女はまた冷たい顔に戻ってしまったが、アイスブレイクのためにぎこちない優しさを向けてくれたのだと私は理解っている。

 彼女のおかげで先ほどよりも、よっぽど話を切り出しやすい。


サヤ「名前って、あるんですか?」

???「!」


 一瞬驚いたように目を開き、また元の顔に戻す。


サヤ「私はサヤ。快月サヤって言います」

テネル「…テネルだ」

サヤ「テネルさんっていうんですね。よろしくお願いします」

テネル「テネルでいい…それからその気色悪い言葉遣いをやめろ!普通に話せ!これだから人間は…」

サヤ「うん、わかった。よろしくね?テネル」


 テネルはなぜか小さくハッとして私の方を向く。


テネル「あ、あぁそれでいい。よろしくな、その…サヤ」


 自分からやめろと言っておきながら、なぜか彼女は少し頬を染め、ぎこちなさを一瞬取り戻すのだった。


テネル「それで、あの男は一体何者だよ、サヤ。お前らはどういう関係なんだ?」

サヤ「えっと、ヒビキとは…」


 私とテネルは歩きながら彼について知っていること、私が彼によって体内に気を流されて、人ではなくなってしまったことなど、今となっては彼の口からどれが真実でどれが嘘なのかを聞かなければ不確かな内容だが、洗いざらい彼女に話した。


テネル「お前のその奇妙な気も、一部が変色した髪もそういうわけか。示神が人間を原創も無しに示神もどきに変えちまうとは…」

サヤ「ねぇテネル、今私が話したこと、どれが本当でどれが嘘だと思う?」

テネル「さぁな。嘘か真実かを決めるのも示神の考え次第だ。太陽が二つだと思えば二つだし、木は空から生えると思えば空から生える。そんなメチャクチャな力を持ってるのが示神ってやつだ」

サヤ「もう、何でもアリじゃない…」

テネル「ただ一つアタシが断言できる真実があるとすれば…」

サヤ「何?」




 あの男は示神でも人間でもないってことだ。




ー




テネル「よし、居たぞ」

サヤ「え…」


 テネルに連れられしばらく歩くと、少し開けた松林に来た。

 彼女の目線の先を追うと、自然とその存在を私の体が認識する。

 そこに居たのは…



 一体の気隷だった。



サヤ「ちょっとどういうこと!?ヒビキの居るところに連れて行ってくれるんじゃなかったの?」

テネル「しーっ!静かにしろ!仕方ねぇだろ、アイツお前を避けてるのかしらねぇが、戦う時意外全然気を放たねぇし、居場所を掴むのも大変なんだよ!ここでアイツがくるのを待つしかない。それと、ほれ、手ぇだせ」

サヤ「え?」


 私たちは木の影に隠れてヒビキ、さらには気隷にも気づかれないよう小声で話を進める。

 彼女に言われた通り手を出すと、徐に大きな手で握られた。


サヤ「ちょっ何!?示神はみんな手を握るのが好きなの!?」

テネル「うるせぇ…はぁ…アイツがどこまで説明したか分からねぇけど、お前の体内に流れてる気はな『虚玄の気』って言って、普通示神が使うもんじゃねぇんだよ。だから今アタシが『実素の気』を一時的にお前に流してバレねぇように誤魔化してやっから」

サヤ「なるほど…わかった」


 テネルは気隷の方に注意を向けながら、握った手に少し力を込める。

 すると、繋いだ手が金色に優しく光り出す。

 何だか不思議な感覚。


テネル「にしてもサヤ、お前よくその気を体に抑え込めてるな」

サヤ「そう?すごいことなの?」

テネル「アタシレベルの示神からしたら丸分かりだけど、気隷にはお前と人間の違いなんて分かりっこねぇだろうな」

サヤ「ヒビキが抑え方を教えてくれたの」

テネル「ほぅ…」

サヤ「今思えばあれは、私が一人で居る時に気隷や示神に私の存在をバラさないための対策だったのかも。その時は適当な理由をつけて私を納得させようとしてたけど…」

テネル「こうして話を聞いてると人間のそれなんだがなぁ」

サヤ「人間?私みたいに気を支える人間もいるの?」

テネル「ん?まぁ…それは追々な」


 話を一旦切り上げ、テネルは先ほどよりも少し強めに気を流し込む。

 何だが、体がおかしい。

 ふわふわと瞼が重たくなってゆく。

 テネルに朝早く起こされたせいだろうか、はたまた彼女の気が私に何らかの変化を与えているのか。

 思考がぼやけて目が開かない。

 そのまま私は浅い眠りについてしまう。




ー




「喜ぶがいい!君を私の最初で最後の従者にしてあげよう!」

「…」

「あ、まった。眷属はもう居るから…2番目で最後の従者だ!!」

「やだ」

「ガーン…」

「…僕はいつか、お星様になるんだって。これは予言によって刻まれた抗えない運命の祝福の終わりと始まりだって先生が言ってた」

「それこそ、やだっていうべきじゃないのかい?」

「僕がそれに選ばれたってわかった時、お父様もお母様も泣きながら「離れることはない」「ずっと一緒よ」って言ってくれた。でもそれは、僕が空へ行くのを止めようとする言葉じゃなかった。運命ってものを誰が作ったのかはわからないけど、きっとその人も、それをいい意味で使って欲しいと思ってるはずだよね」

「!…そうだね。私もそう思うよ」




ー




 これは誰の声だ?

 あそこに居るのは小さい頃のヒビキ…?

 でももう一人の声の在処がわからない。

 これは何だろう。

 ヒビキの記憶?

 私の中に流れる彼の気が私に幻影を見せているのだろうか?

 もっとあたりを探りたいのに段々と視界がぼやけて、離れていく。

 ぁ…きろ、や………さy……サヤ、起きろ…!




テネル「サヤ、起きろ!」

サヤ「んぇ?」


 どうやら私は寝てしまったらしい。

 優しい朝日に微風、鳥の囀りまでセットでつけられたのに寝るなという方が酷な話だが、今の状況を考えれば寝てはいられない。


サヤ「あ、あぁごめんごめん」

テネル「…」

サヤ「どうしたの?」


 テネルが静かに耳を澄ませる。

 彼女は風の音に身を委ねるように、あたりの空気の動きを読んでいるようだった。


テネル「来た」

サヤ「!?」


 あたりの空気が私にもわかるほどに澱み、歪み始める。

 遠くから鳥たちが何かから逃げるように一斉に飛び立つ羽音と鳴き声が木霊する。

 気隷も少し遅れてその存在に気付いたようだが、この気迫の前では一歩も動くことはできない。

 遠くに一筋の赤光が煌めき、一瞬で気隷の元へと吸い寄せられたと思ったら、瞬きする間にヒビキが気隷を掴み上げていた。


〈ヒビキが掴む力を強め、血色に光る炎が気隷を爆散させる〉


 私は目を疑った。

 目の前にいるのが、本当に私の前で笑顔を振りまいていた彼なのかと。

 服はボロボロに破け、古い血は黒く固まり、その上に鮮血が塗りたくられている。

 頭からも血を流し、特にひどいのは腕だ。

 左右の指の本数は揃っておらず、皮膚を剥いだように赤く痛々しい腕を気で補うように炎と熱で覆っていた。

 あたりに散った炎がドロドロと燃え盛り、ヒビキの周りを囲う。


サヤ「ヒビキ!」

ヒビキ「…!」


 ヒビキはゆっくりと私の方を振り返り、獲物を捕らえる開き切った瞳孔で私を睨む。

 目を見開いて私に気づいた彼はすぐに明後日の方向を向いて飛び去ろうとする。


テネル「させるかよ!!」


〈大剣を振い、鉄の欠片で出来た竜巻でヒビキを囲う〉


ヒビキ「!?」

テネル「…止め」


〈渦の回転が止まり、鉄の塊が大きな釘となって複雑に交差し、ヒビキの四肢をその場に固定する〉


サヤ「ありがとう!」

テネル「いーから、早くそのバカと話つけな」

サヤ「うん!」


 私はヒビキの元へ歩み寄りながら、考える。

 彼になんて言葉をかけるべきだろう?

 彼になんて言葉をかけられるだろう?

 いや、私たちにはもっと心を伝いあえる術がある。

 恐怖も悲しみも困惑も怒りも問いも………そして、願い。

 全てを一度に彼にぶつけたい。

 そんな我儘な思いを形にしてくれる言葉は残念だがこの世に存在しない。

 それでも私は、あなたに伝えるよ。


サヤ「…ヒビキ」

ヒビキ「…」


 俯いて目を合わせてくれないヒビキの顔を両手で掬い上げる。

 不意な私の行動に彼は呆気に取られて目を見開く。

 そんな彼を他所に私は目を閉じて、深呼吸をする。


テネル「ほぅ…」


 私の手が蒼白く光りだし、二人を包む。

 傷だらけだった彼の肉体がみるみるうちにあるべき形へと戻っていく。

 周囲の鉄釘が蒼銀の光を反射し、眩い光をキラキラと散りばめていた。

 ヒビキの肉体が完全に再生したところで、テネルが察して大剣を地面に突き刺すと、あたりの釘が解けるように地面へ落ちた。

 ヒビキは拘束が解けた後も、逃げることはなくなり、力無くまた俯きながら立っている。

 私は彼の顔から手を離さず、真っ直ぐに見上げ、私の思いに応えを示すのを静かに待つ。


ヒビキ「…ごめんなさい」

サヤ「…なにそれ」

ヒビキ「………」

サヤ「私は今、全ての想いをあなたにぶつけた。その応えが、本当にそのちっぽけな言葉一つなの?」

ヒビキ「…」

サヤ「…」


 突然、私の手から前腕を伝い、肘まできて何かが滴り落ちる。

 最初の一滴は非常にか細く、伝う速さも経路も曖昧だった。

 だが、それを皮切りに次々と私の腕を伝ってそれが流れてくる。

 彼の示す恐怖も悲しみも憎しみも問いも………そして、願い。

 その全てが私に一気に伝わってくる。

 私はそこで彼に出会って初めて笑みを溢す。




 彼が私に初めて流した『涙』に応えるために。




 彼も私の笑みを見て、止まらぬ嗚咽を抑えるのをやめ、声をあげて泣き始める。

 これでいい。

 私の想いに彼は全てを込めた応えをくれた。

 彼が人と触れ合い、初めて身につけたものは他者を思う『嘘』だった。

 嘘、それは他者を思い、初めて出る人間の純粋な行動の一歩目なのかもしれない。

 だが嘘を吐くものは、同時に嘘と真実の二つを抱え込まなければならない。

 それらの差異は己を磨耗させ、負の感情ばかりを溜め込んでしまう。

 人間と関わりをもつ。

 全てが初めての彼にとってそれが、どれほど重たくのしかかってきたのかは想像に足る。

 でも、もう大丈夫。

 私はあなたの嘘に救われて、今こうして真実を受け入れようとしている。

 一人で抱え込むのは、ここで終わり。

 ゆっくりでもいい。

 …できれば、早めに解決の糸口を探したいので、急いでくれると嬉しいが。

 私も人間の生活を取り戻したいし…

 まぁ、ともかく。

 人を思う彼の二歩目の行動に移るべきだ。

 ともに、




 「真実を紡ごう」




ー




 少ししてヒビキは落ち着いたのか、目をギュッと瞑り、涙を引っ込めた。

 私はそっと彼から手を離し、テネルの方を向く。


サヤ「テネル、協力してくれてありがとう」

テネル「ふんっ、騒がしい泣き虫のガキの躾は、アタシじゃなくて親の仕事だからな!…もう離すんじゃねぇぞ」


 テネルは最初は嫌味全開の言葉を投げかけてきたが、最後は自然に私に笑みを手渡ししてくれた。

 私はヒビキの方を向き直し、言葉をかける。


サヤ「ヒビキ、真実を教えてくれる?」

ヒビキ「…うん」


 そうして彼は、ひとつひとつ真実を話し始める。


ヒビキ「快月はもう、人間じゃない」


 彼はまず、私にとって一番知りたかったことを話し始めてくれた。

 人間じゃない。

 実感の湧かないその言葉をこの先私は飲み込まないといけない。


ヒビキ「この前は、気はそのうち自然に体から抜けていくって言ったけど、実際はもう快月の一部として完全に定着してる」

サヤ「元には、戻せそう?」

ヒビキ「………今の俺にはわからない。戻し方も、戻せるかどうかも」

サヤ「そっか…」


 予想はできていた。

 テネルが真実を告げてくれた時から、そうなのではないかと。

 それを理解した上で、彼はそのどうしようもない事実を一人で抱えていたのだ。

 少し気まずい空気が流れ始めた私たちにテネルが単純な疑問をぶつけてくる。


テネル「つーかさ、お前ら何がどうなってそんなことになってんだよ」

サヤ「えっ…と、それは…」

ヒビキ「キスしたから」

テネル・サヤ「「!!?」」


 一瞬で場の空気が固まる。

 テネルも思っていた答えを叩き割るような返答が頭に突き刺さり、石化して動けない。

 一方、私は一瞬の驚きの後、顔を赤面させて手で隠すしかできなくなる。


テネル「は…?ちょ、ちょっと待てよ。キスってあのキスか!?」

ヒビキ「うん。青草の上の朝露が母なる…」

サヤ「ああーー!!!もう!!私とヒビキが前見てなくてぶつかって倒れて気づいたら唇がくっついてたの!!!それだけ!!!」

テネル「それだけって…サヤお前なぁ…」


 過ぎたことをどうこう言っても仕方がない。

 私はヒビキとキスをした。

 その時、ヒビキの気が私の体内に流れ込んでしまったのではないかという話をテネルにした。


テネル「ほー、キスで気を流し込めるねぇ。本当にそんなことできんのか?ヒビキ、ちょっちアタシにしてみろよ」

サヤ「えっ?」

ヒビキ「うん」

サヤ「ええっ!?」


 何の躊躇もなく唇を合わせようとする二人を私は必死に突き放す。

 突き放された二人は困惑の顔を私に向ける。


サヤ「ダァメェッ!!」

テネル「うおっ!?何だよサヤ、いきなり」

サヤ「キスなんてそんなホイホイしちゃダメ!!」

テネル「あぁ?仕方ねぇだろ、もう一度お前らがキスしたらお前、本当に示神になっちまうかもしれねーぞ?」

ヒビキ「そうだよ快月、そんなに焦ってどうしたの?」

サヤ「それはそうだけど…!」


 まったく示神というヤツは人の体と一緒に貞操観念まで捨ててしまうのか?

 とにかく、なぜだか知らないがこの二人が…ヒビキがキスしてるところを見たくはない。

 何だか…そう、気まずいからだ。


ヒビキ「おじさんは許可なくしたらダメだった言ってたけど…他にも理由があるの?」

サヤ「いいから、キスはしちゃダメ!」

ヒビキ「?、わかった」

テネル「最近の若い女ってのはこんななのか?人間やめて百年近く経って忘れちまったぜ…」


 とりあえず、私とヒビキのキスから話を逸らし………ヒビキのことについて話してもらうことにした。


ヒビキ「俺は、人間だった頃の記憶がない。出会ってきた示神はみんな人の域を超えた神の力を欲して、望んで人を捨ててた。でも、自分が何を願って示神になったのかわからないんだ」

サヤ「そうだったんだ。テネル、そんなこと有り得るの?」

テネル「アタシが知ってる限りじゃあ、そんなやつは見たことがねぇな」

ヒビキ「でも、人間を見るたびにその存在に惹かれていく自分を感じたんだ。人間らしいことをしてみたい、人間と関わってみたいと次第に思いが強くなっていった。それと同時に人間の幸せと生きる権利を自由に扱える示神と…その力を与えている神に憎しみが湧いてきた」

テネル「…『後天の内帝』のことか」

サヤ「こうてんの…内帝?」

テネル「詳しくはしらねぇが、この世界の統治者みたいなもんだ。ヒビキはしらねぇのか?」

ヒビキ「うん…」

テネル「おかしいな、人間が示神になる時、気と一緒にある程度の情報が渡されるんだ。その統治者の名もそのひとつだ。あとは気の扱い方とかも自然に掴めるようになる」

ヒビキ「だから、俺は他の示神みたいに『式』を使えないのかな…」

サヤ「式ってテネルが使ってたやつ?」

テネル「ああ、『原創』『郄式』『絡式』示神は大体この3つを使える。原創は自分の欲望のままに世界を構築できる空間のことだな。その中に取り込まれた人間は、自然にその世界の住民になるって言えばいいのか…影響をもろに受けちまうんだ。原創の領域の広さはそいつの持ってる気の量で決まる。これが、示神が力を追い求めて戦う一番の理由だな。郄式は簡単に言えば気の一斉解放のことだ」

サヤ「必殺技みたいな…?」

テネル「実際はもっと複雑だが、そんなもんだ。そして、アタシが使った絡式は、条件付きで気を増幅変化させる、身体強化みたいなもんだ。ヒビキが見せてきた技はどれもこれらの型にはまらねぇもんばっかでイミフだぜ…」

ヒビキ「うん…とりあえず力任せに戦ってる…」

テネル「だが一番意味がわからねぇのが、どうして血を流す肉体を持ってて、どうやってサヤを示神もどきに出来たのかってことだ。もしかしたら、これも何かの欲望の形なのかもしれねぇな」

ヒビキ「ちょっと待ってよ!俺が快月を望んで人じゃなくしたみたいじゃん!」

テネル「わぁってるよ!言ってみただけだっつーの。でももし、それがお前の式なんだとしたら、解除する方法もあるはずだって思ったんだよ」

サヤ「なるほど…」

テネル「示神になるための条件の一つに、人の肉体の放棄がある。これは意識とは許可とかそういう次元の話じゃなくて、交換条件みたいなもんだ。例外はないはずだが…」

サヤ「他にも条件があるの?」

テネル「…存在の放棄だ」

サヤ「存在?」

テネル「示神が人間を捨てる時、同時にその人間が存在した痕跡も書き換えられて消される。家族がいれば元々その人間はいないものとして日常が動き始める」

サヤ「そんな…」

ヒビキ「だからこそ、快月がそんなことにならないようにする」

テネル「はぁ…まぁとにかく、手当たり次第に頑張ってみるこったな」


 テネルが地面に刺した大剣を抜いて、背中の留め具にはめ込む。


テネル「アタシはもういくぜ」

サヤ「えっ…もう行っちゃうの?」


 テネルは私たちに背を向け、一呼吸置いてから私の方に顔だけ向き直す。


テネル「もう借りは返したからな」


テネルは自身の手を眺めながら握りしめる。


テネル「それにアタシも強い欲望を持ってこの姿になった。アタシはアタシらしく目指すものを手に入れてみせる」


 今まで通り鋭いが熱く燃えたぎるものを彼女の瞳の奥に感じる。


テネル「アタシの原創がいつかこの世界を丸々包み込めるようになったら、お前らを舎弟ぐらいにはしてやるよ」


 そう彼女は力強くニカっと笑い、歩み去ろうとしていく。

 一瞬だが、その大きな体に似つかわしくない儚さが光沢を放った気がした。




???「原創、我はここに定める」




テネル姉さん素敵な方ですね〜。

是非、マントの中を内見させて頂きたいです。

人体というのもやはり四方の面というものがありまして、どこに永住するかはだいぶ好みに分かれそうですね。

定番の前面、少し思考を変えて後面、側面というのもなかなか。

皆さんは物件にはどのような点を重視して選びたいでしょうか。


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