第8話「真実の訪れ」
ヒビキと夕飯を共にした次の日。
今日は休日ということもあって、昨日買いきれなかった日用消耗品の買い出しに出かけたのだが…
「どうしてあんたが着いてくんのよ」
「え〜いいじゃん!」
いつの間にか半歩後ろにヤツが着いてきていた。
昨日、夕飯を食べた後、満足げに帰ったのも見たし、今日の私の予定も彼には話していない。
私の居場所がバレないように気の抑え方を教えてくれたというのに、普通にコイツは着いてくるし…
おそらく、自分に都合のいいように何か隠し事をしているのだと、後ろを睨みながら歩き続ける。
睨みに耐えられなくなったのか、ヒビキはそっぽを向いている。
「はぁ…大人しくしててよ?」
「は〜い」
呆れて前を向き直した私と後ろで嬉しそうに返事をする彼。
ただでさえ億劫だった買い出しの足取りがさらに重くなる感覚。
日常を取り戻すまで危険がないように彼は私と一緒にいると約束したが、どうも彼が一方的にこの状況を楽しんでいるような気がする。
そんなに楽しいことがあるだろうか?
特にヒビキと会話するでもなく、黙々と歩きながらそんな考え事に耽る。
ー
快月サヤは知らない。
真実の訪れと、新たな崩壊の選択を。
ヒビキは知らない。
崩壊の訪れと、その先に待つものを。
ー
「えっと…最初は〜」
街中まで出てきて、どこから寄ろうか考える。
あちこち移動することを考えると、ヒビキを一箇所に放置…いや待たせておくのは得策ではない、か…
「ねぇ、今日は私に着いてき、て」
「…」
ヒビキが何か喋るでもなく私を覆うように前に出る。
「?、どうしt…」
「しっ」
ヒビキの目線を追う。
「あれって」
母親と手を繋ぐ子供。
通行人を呼び込む店員。
ベンチに座り、コーヒーを飲む人。
何ら変わりない日常、その中にある、歪み。
空間に歪みがあり、光が屈折している。
ゆらゆらと不気味に捩れ動く景色が、情の域を超えた何かを私たちに振り撒く。
全身の筋が単収縮を起こして、汗腺の開閉を狂わせながら、震える。
この異様な感覚には覚えがある。
「………気隷」
ヒビキが右腕を前に掲げ、日常に掛けられた偽りの幕を掴み、剥ぎ取るように手を払う。
「!!!」
そこに居たのは確かに気隷だが、前に見たものとは違い、人の形をしていない。
正確には人型の粘土細工を握りつぶしたような、歪な形。
腕と足が複雑に絡み合い、じっとこちらを見つめている。
そう、時折瞬きを挟みながら、生々しい瞳でこちらを見つめている。
この気隷には白い体に黒く艶めく、瞳があった。
絡み合った手指の一つがピクッと動く。
〈瞬間、ヒビキが気隷に飛び掛かり、拳を振るう〉
拳が気隷を掠める瞬間、辺りが白い空間に飲み込まれ、先ほどまでの街中の景色を消し去る。
「くっ、間に合わなかったか…」
「な、何!?どうなってるの?!」
「快月、動かないで!それと、前やったみたいに深呼吸して!!」
「え…?」
「屋上の!!」
空間が振動し、変形を始める。
私とヒビキの間に黒い柱が生えてくる。
柱というよりは、何かの植物のような、太い毛のようだ。
「!!!」
ヒビキも異変に気付き、私に駆け寄る。
線状の範囲に生えた毛の間の地面が裂ける、いや開かれて深淵に落とされる。
巨大な瞳の奥にある深淵に。
「うわぁぁぁあ!!」
「大丈夫!!大丈夫だから落ち着いて!!」
落下しながら暴れるサヤをヒビキが抱き抱え、自身の胸元に顔を押し付け彼女の視界を塞ぐ。
落下する速度が徐々に上がり、開かれた瞼が閉じ始め、暗闇へ呑まれようとしている。
「大丈夫大丈夫、ほら深呼吸して。さぁ吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー」
深淵の先に新たな瞼が現れ、力強く見開かれる。
ギョロギョロと動き回る黒目が二人をとらえ、瞳孔の縮拡を繰り返しながら落下するのを待っている。
「大丈夫、大丈夫。大丈夫だから」
「すぅーはぁー…すぅーはぁー…」
サヤの体が蒼白く光りだし、徐々に落下速度が下がる。
呑み込まれる寸前で、止まる。
「はぁはぁはぁ…と、止まった?」
「みちゃだめ。そのまま、俺の胸に顔を」
「え、う、うん」
ヒビキはゆっくりと右手を伸ばし、気を拳に練り始める。
「?」
狭小した瞳孔がピキピキとひび割れ始める。
ヒビキは何かを見極めるように目力を強め、静かに待つ。
「…来る」
バリバリッ、ガシャーン!!!
虹彩の向こうから、刃が突き刺される。
結膜を貫いたと同時に、その刃が二人に向かって飛んでくる。
〈拳の気を握り潰し、刃を爆発で跳ね返す〉
先ほどまで血走りながら二人を呑み込もうとしていた地の底にあった目は、すでに生物味を失い、ただの天窓のように上から光を送り込んでくる。
その天窓から弾き飛ばした刃、もとい大剣を握り締めた女が二人の前に勢いよく地響きを起こして降り立ち、大剣を振り上げ、肩に乗せる。
???「ふー。示神の成り損ないが一丁前に原創を扱う。進化の渇望と変化の拒絶。こんなにも惨めな存在はないぜ。なぁ、あんたらもそう思うだろ?」
鋭い刃のような冷たい眼光が二人を突き刺す。
サヤも恐る恐る声のする方向を向き、その存在を確かめる。
短めの明るい緑の髪に黄色のメッシュ。
じとっとした瞳は冷鉄色をして、金属針のように鋭い睫毛の間から冷気を直線状に放っている。
上半身を覆うようにマントを羽織り、具体的な体格は掴めないが、華奢とは言えないボディラインの片鱗が覗く。
身長は私やヒビキよりも高く、2メートル近くはあるだろう。
彼女の持つ大剣は特徴的で、持ち手の先には金属でできた風車が付いていた。
彼女の持つ人間の特徴を列挙しても、言語化できない独特の相対した時の感覚が人間の可能性を私から遠ざける。
彼女からはそう、ヒビキと同じ感覚がする。
人間でも、気隷でもない、気の流れ方を感じられる。
彼女もおそらく、示神と呼ばれる存在なのだろう。
ふと、ヒビキが静かなことに気がつき、彼の様子を確認するため、目線を横に向ける。
しかし、私の感じた彼への異変は想像よりも深刻だった。
彼は微動だにせず、一直線に女の方に向けた視線を絶対に揺らさない。
その目線は、仲間…少なくとも同族に向けるものとは到底言えず、殺伐とした雰囲気を象徴するかのような、女の動きを一瞬たりとも見逃さない視線だった。
???「なんだ二人してシカトかぁ?ふん…示神にしちゃあ珍しいな、ピーピーさわがねぇヤツは。最近じゃあどいつもこいつも頭ん中まで気に支配されやがって、叫んで暴れてアタシに向かってくる」
ヒビキ「…」
???「でも結局、震えて苦しんで悶えて呻いて、最後には潰れる。そんな脆弱な意志になんの意味がある?アタシ達はもう人間じゃねぇ、儚い夢も曖昧な願いも全ては一つの欲望によって砕け散る。さぁ、あんたらの示す先を見してみな。アタシの靴底くらいには敷いてやるさ」
女が肩に乗せていた剣を下ろす。
私にはわからない。
なぜ彼女はこちらに向かって刃を突き立てるのか、なぜ彼の目が、こんなにも恐ろしく映るのか。
ヒビキ「快月、深呼吸」
サヤ「…ッ…ッ、ッハァ…スッスッスッ」
グググググ…
女の全身の筋が収縮する音が響く。
強く握られた大剣が微細な振動を始めた。
フッ…
〈女が勢いよく踏み込み大剣を目一杯振るう〉
〈ヒビキが気を砕き、大剣に向かって爆発を当てる〉
???「それはもう見たぜ?」
ヒビキ「!!!」
〈爆発など意に返さず振るわれた大剣がヒビキの拳を切り付ける〉
ヒビキ「ッ…!!!」
私を庇うせいか、ヒビキはその場から一歩も動かず、鋭い刃を正面から拳で受け、痛みが襲う前に押し除けて、女をもと居た位置まで下がらせる。
肉体を強化していたため、深い傷にはならなかったが、女の力強い一太刀は確実に肉を断ち、拳を赤く染めていく。
女の大剣からもヒビキの血が刃先を伝う。
???「ん?こりゃあ血か?てことはやっぱお前、示神じゃねぇのか?でも流魂を持ってるようにも見えねぇし…何よりその身体からしっかりと気の流れを感じる。でも、不規則で覚束ない妙な感じだ。お前、何者だ?」
ヒビキ「はぁはぁはぁ…クッ…」
ヒビキは切り付けられた拳が痛むのか顔を顰め、女への睨みをより一層強める。
???「いてぇのか。それはお前の拾った人だった頃の名残か?」
サヤ「…人だった頃の…名残………?」
ヒビキ「!!!」
今彼女はなんといった?
人の名残…?
彼は自分のことを人ではない示神だと名乗った。
示神は生まれながらにして示神ではなかったのか?
先ほどよりも呼吸が乱れて、心が揺り動かされる。
その感情の要因は刃を突き立てられていることもそうだが、何より、私から見える青ざめて目を見開くヒビキの顔が、今まで彼の見せたどの顔よりも、真実に近いと感じたからだ。
???「はぁ…まぁいい。遠回りは嫌いだ、すぐにケリをつけよう」
突如、先ほどまでの暗闇の空間から元いた普段通りの街並みに戻される。
しかし、その周りには人っ子一人いない。
周りを見渡す私に対して放ったのかはわからないが、彼女が言葉を発する。
???「あの気隷の原創からアタシの原創に切り替えた。いけ好かねぇ式だが、貧弱な人間共を巻き込むのは趣味じゃねーからな」
徐に自身の大剣を地面に突き刺し、羽織っていたマントを脱ぐ。
マントの下には布面積が局部を隠す程しかないビキニ?下着?のような装備が出てくる。
女はそのまま、突き立てられた大剣の柄に触れ、今まで見せなかった笑みをこちらに向け、その言葉を発する。
???「絡式外来、坩堝の変風」
サヤ・ヒビキ「…ッ!!!」
なんだ…一体何をした…?
女が突然、焼けた鉄のように光りだし、気の流れがメチャクチャに引っ掻き回される。
その気迫の強さに私は彼女を見ているだけで、吐き気が込み上げてくる。
???「あ?ふっ…いいぜ?来いよ」
女はヒビキの方を向いて、煽るように声をこちらに放り投げる。
私は吐き気を手で抑えながら、ヒビキの顔を見ると、先ほどまでとは違う、明確な殺意のようなものを感じた。
その顔を一言で表せば、そう。
殺らなければ、殺られる。
〈ヒビキが女との距離を詰め、左拳を大きく振るう。女もそれを正面から大剣を振り下ろす。激しくぶつかり合う金属音と共に爆風が広がる〉
向かってくる爆風を腕で避け、すぐさま衝突した先に目を向ける。
ヒビキの拳と女の大剣は確かにぶつかり合っているが、今度は手に負傷は見られない。
???「おぉ、今度は左手に気を大量に注いだな。でもそのおかげで、気の流れが丸見えだったぜ?笑」
ヒビキ「くっ…」
〈ジリジリとヒビキが押される〉
???「傷付いた右手を使わねぇのは、あの爆発する拳が使えなくなったからか?わかるぜ?じゃなかったら、わざわざ力で劣ってる左手を使わねぇからな」
ヒビキ「…」
???「!!」
〈ヒビキが右足を振り上げ、女の頬を掠めるが、女は人の肉体の可動域を裕に超えるしなやかさで体を捻って躱し、大剣を軸にバク転をしてヒビキと距離を取る〉
???(左手に全ての気を注いで、囮にしたか。気を使わず力任せに蹴りを出す。男らしいじゃねぇか)
???「惜しかったな?次はその左手も八つ裂きにしてみるか?」
〈ヒビキと女は強くぶつかり合い、両者一歩も譲らない攻撃が続く〉
サヤ「…」
女の動きがまるで熱に従って流れる乱気流のように明らかに素早く、力強くなっている。
体の熱が一層強まっていくのか、蒸気を放ちながら赤みが増していく。
まるで、硬い冷鉄に火が通っていくように。
しかし、それ以上にヒビキの動きが、以前見た時よりも速く激しく……人間離れしていると感じる。
周りに人がいないからか、それが彼の本来の姿なのか、どうしようにも彼の人ならざる姿を見れば見るたびに、心の中に恐れという感情が湧いてくる。
私は彼に人に対する目と遜色ないものを向けていた。
だからこそ、こんな彼の姿は見たくなかった。
私はただ、現実は優しく苦しみのないものだと願いたかった。
???「フンッ!!!」
バァァァン!!!
ヒビキ「ぐぁっ!!!!!」
〈女の大剣がヒビキの肘関節に勢いよく突き刺さり、そのまま左前腕を叩き切る〉
サヤ「!!!」
切断面から血が吹き出し、地面を赤く染め上げていく。
ヒビキも痛みに悶え、その場から立ち上がることができない。
???「よく頑張った方だ、誇ってもいいぜ?冥土の土産ぐらいにはなんだろ。アタシが葬ってきた奴らに対する、な?」
ヒビキ「クッ…ぐぅっ、ハァッハァッ…」
女が壁際にへたり込むヒビキにゆっくりと近づく。
恐怖、混乱、迷い、それら全ての感情が私の頭を支配し、目の前を歪ませる。
彼の死が叩きつけられていく度に、私は胸の中から溢れ出る何かを理解できない苦しみに苛まれる。
私、私は…私はそう。
サヤ「やめてぇーーーーー!!!!!」
ヒビキ「!?」
???「ッ…なんだ?」
彼を信じたかったのだ。
サヤは息を大きく吸って大きくその声を発すると、一際体が蒼白く光る。
彼女が初めて放った気迫は強く争いあった二人にも届き、彼女の気に二人の全身が包まれる。
女の体からは熱鉄に水をかけたように蒸気を放ち、動きが一瞬鈍くなる。
サヤ「これ以上た、戦うのは!」
ヒビキ「はぁはぁはぁ」
???「…」
ヒビキはもう一言も言葉を発することはできず、私の方を向くことすら叶わない。
女は私の方にさっきまでヒビキに向けていた眼差しを突き刺す。
彼はこれほどの強い圧を押し除けて、拳を振るっていたのかと、女の瞳の鋭さに恐怖を噛み締める。
だが、ここで言葉を止めたくはない。
サヤ「あなた、示神なんでしょ!?ど、どうしてヒビキに向かって剣を振るの!」
???「…」
サヤ「し、示神は人間に害を与える気隷を倒すために戦っているんでしょ?どうして仲間割れみたいなことするの!」
???「…」
サヤ「それにさっき、元は人間だ、って…言って……それは、どういう」
???「…」
私の声など届いていないのではないかと錯覚するほどに女は私の方をまっすぐ向いて微動だにしない。
???「お前、アホか?」
サヤ「え…?」
女は目を細め、顎先を挙げて私を見下すように話す。
???「見た感じお前、示神じゃねぇな。そこの血まみれのやつと同じ気が流れてる。人間としての情報はほとんど崩れかけてるが、人間独特の脈がまだ残ってるな。さっきお前、示神が気隷を倒すとか、仲間同士とか言ってたな」
サヤ「そ、そうよ!ヒビキが…ヒビキが私に教えて…」
???「まんまと鵜呑みにしてコイツの眷属でもさせられたか?」
サヤ「!!!」
???「示神は人を守るために気隷を殺してるんじゃない。人を支配するために殺してんだよ。気隷は人間に対する神の気まぐれで生まれた存在だ。ある日突然、普通に日々を過ごしていた人間が神の信託を受けて、気を授かる。だが、普通の人間の体じゃあ強すぎる気に精神が呑まれて、完全に自我を失って世界を彷徨うしかない。」
サヤ「……気隷も元は人間だったっていうの…?」
???「もうこうなった奴らはどうしようにも人間に戻ることはない」
???「示神も同じく神からの信託を受けて、気を授かる。だが、示神になる人間には共通することがある。強い欲だ。ちっぽけな人間には収まりきらない感情を持ったヤツが、初めてその欲に見合う力を手に入れる。それが示神だ。示神は自分の欲のままに気隷から、示神から気を吸収して力を伸ばし、人間を永遠に自己満の限り支配するなり、殺すなりする原創を作り出す。人間を騙して同類に仕立て上げるヤツとかな」
サヤ「そんな…」
???「はぁ…」
女は感情のわからないため息を吐き、私から目を離す。
???「…真実はいつも最後に訪れる。それを噛み締める時間を与えないためにな。そうだろ」
顔を青ざめ、その場に立ち尽くすことしかできないサヤを尻目に、女は再び剣を持ち上げ、刃先をヒビキに突き立てる。
見たところ、ヒビキの意識は既になく、気の流れはだいぶ微弱になり、ほとんどその存在を感じられない。
腕から流れる血も治りつつあり、地面に大きな血溜まりを作っている。
???「終わりにしよう」
ヒビキ「…」
「バタンッ!!」
私は知らない。頭と背中に回された彼の手の温もりの在処を。
「おらッ!!」
私は知らない。気隷を殴りながら、なんてことない人間の日常を横目で見ていた、彼の目に映るものを。
「大丈夫!」
私は知らない。彼が私に向けた、優しさの本意を。
「…快月」
私は知らない。私を呼び止めた彼が見せた、真実の片鱗を。
サヤ「ッ!!!」
私は知りたい。真実の形を。
???「!?」
突如、ヒビキの前にサヤが滑り込む。
壁にへたり込んだ彼を覆い隠すように膝立ちで、唇を震わせながら、女の目を真っ直ぐに見る。
???「なんのつもりだ?」
サヤ「………」
???「お前ごと、そいつと串刺しにしてもいいんだぜ?」
大剣の刃先がサヤの頬に触れそうなほどの距離に近づく。
一瞬、女の大剣を握る力が強まり、サヤの顔に小さく傷をつけ、血が頬を伝う。
だが、サヤは動じることなく、女を強く見つめ続ける。
???「っ…」
女は先ほどよりも目力を強め、瞳孔を広げる。
だんだんと女の呼吸音が強くなり、剣先も目に見えるほどに震え、カタカタと金属音を響かせる。
女は意を結したように剣を強く握り、気を注ぎ込む。
振り上げた大剣は熱く赤く光りだし、風車が周囲の気の流れに従って回り始める。
???「ハァッハァッハァッ、!!!!!」
女が言葉にならない叫びを放ち、剣を大きく振り下ろす。
まだ、教えてくれてない。
〈地面の血溜まりから無数の血の腕が生え、女の手足を封じ込む〉
???「うっ…!」
血の腕に掴まれた女の体は蒸気を放ち、焼けた鉄が熱を奪われ、錆が回るように、光を失い、動きが鈍くなっていく。
どうやら、間に合ったみたい。
ヒビキ「ッ!!!」
〈サヤの影からヒビキが飛び出し、女に一撃の拳を打ち込む〉
???「グハァッ!!」
女は強く壁に打ち付けられ、力無く崩れるようにへたり込む。
形勢逆転したヒビキは、やっとの思いで立ち、女への殺意を奮い起こす。
女の体は完全に熱を失い、全身から白い液体と煙のようなものを出している。
しかし女は自身の立場など気にせず、気丈に振る舞う。
ヒビキ「はぁはぁはぁ…」
???「へへ…やるじゃねーか。最初から、ゴホッゲホッ…作戦のうちだったのか?あいつがアタシの前に立ってお前を隠して、そのうちに急速に虚玄の気でアタシに見えないように治癒を行う、ついでに腕を再生するとは…よく考えたな笑」
ヒビキ「…違う。これは人間の…彼女の持つ強さだよ。俺が何を捨ててでも欲しかった、もう何をしても得ることのできない、人の強さだ」
???「ふっ…人を捨てたお前が、また人の持つものを欲しがるとは。………いつからアタシの式を見破ってた?」
ヒビキ「最初は俺の拳の爆発を受けてでも、剣を振るってきたお前が、式を発動した後は、それまでならお前が気に留めないような細かい攻撃も喰らわないようにあからさまに回避してたから。その時、避けようのない快月の虚玄の波動を受けたお前の体が蒸気を放って、一瞬動きが鈍くなった。だから、お前の式は肉体に実素の気を急速に流すことで成り立っていて、虚玄の気の影響を受けないよう細心の注意を払っていると思った。体の熱が逃げないように。後は見ての通り、お前の肉体に俺の虚玄の気を急速に流して、動きを封じた」
???「へへ…お前が自分の力を過信しないように、補足してやるよ。アタシの絡式、『坩堝の変風』は体に実素の気を大量に流し込み、肉体の可動域、筋力を大幅に増強する。でもそれは式のメインの効果じゃない。一番重要なのは、肉体の強度を極限まで下げることだ。お前の貧弱な拳一つでぶっ倒れるくらいにな…笑。アタシは式の中で肉体への脅威を第六感として認知できる。その脅威と比例してアタシの身体強化の度合いを強める。それがアタシの絡式の真の効果だ。まぁ、今更話したってなんの意味もねぇけどな。…ほら、いいぜ?殺せよ」
ヒビキ「…」
サヤ「…ヒビキ?」
快月が背中に呼びかける。
振り向けない。
自分の犯した過ちが背中から釘打ちされるようにしっかりと固定される。
サヤがゆっくりと二人の元へ歩み寄り、女の前にしゃがむ。
???「どうした?殺さねぇのか?」
サヤ「うん、殺さない」
???「は?お前自分を殺そうとした相手に何言ってんだ?」
サヤ「あなたにも、まだ真実の形を教えてもらってない」
???「真実の…形?」
サヤ「あなたの示す世界も、人間を傷つけない理由も、あの時震えていた訳もね」
???「人間ってのはこんなにもアホな奴らだったか?………もうずっと昔の話で忘れちまったよ…」
サヤ「私から見れば、あなたと私に種を越えた大きな違いがあるかはわからないし、あるとも思わない」
???「種を越えた違い…」
サヤ「私がそう思うならそれでいい」
サヤは女の傷だらけだが、何処かしなやかな指を支え、手を握る。
先ほどヒビキにしたように体を落ち着かせ、気が湧き出る感覚を確かめる。
ヒビキは、そっとサヤの肩に黄金色に光る実素の気を彼女の全身に巡らないよう注意して、流す。
みるみるうちに繋がれた手が黄金色に光りだし、女の傷が癒えていく。
女は冷たくも、静かで滑らかな鉄のように落ち着き、眠りに落ちていく。
サヤ「ふぅ…」
ヒビキはサヤによる治癒がひと段落つくのを見て気を納めて、俯いてしまう。
今までの彼からは想像できない姿がこの一瞬で溢れ出し、私は彼に向ける眼差しも、言葉もわからなくなってしまった。
サヤ「…ありがとう、ヒビキ。手伝ってくれて」
ヒビキ「…」
サヤ「…」
ヒビキ「…君に感謝される資格なんて俺にはない。もう君の前で人間の真似事をするのもやめる。君から奪ったものは必ず返すよ。それまでの君の生活が今まで通りであるよう、無為な干渉はしない。本当にごめんなさい…」
サヤ「待って!!」
ヒビキは一方的にサヤに言葉を投げかけ、空へと飛び立ち、ビルの合間へ消えていく。
サヤ「…」
サヤは雲一つない空の何かを見上げるように、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
ー
同じくその場を去っていく彼を見届ける者達がいた。
「あなた方も忙しない人たちだ。ついに人ならざるものの手まで借りようと言うのですか?人の誇りというのも時間と共に薄れてゆくのですね…実に残念です」
「今のお前に人の誇りが理解できるとは思えないがな。お前らこそ、アイツに目付けて何するつもりだ?」
「あなた方も既に気づいているのでしょう?彼の素晴らしさに。私も年のせいか、神というものを信じてみたくなりましてね。彼ならば私たちに…いえ、全人類に神核へ続く扉を開いてくれると思いまして」
「脳髄と一緒に認知力までぶっ飛ばしたのか?いまだにそんな戯言に存在しねぇ頭を侵されているとはな」
「戯言も何も、これはあなた方の神がお告げになった運命の道筋ではありませんか」
「…」
「今回は偵察のつもりで来たのですが、少し邪魔が入ってしまった。偵察用の実験体も壊されてしまいました」
「やっぱり、あの気色悪いのはお前らの持ち込みか」
「えぇ、天然に比べて少し歪ですが、原創まで扱える代物ですよ」
「あいつがお前の戯言に惑わされるとは思わねぇがな」
「それはどうでしょう。今の彼に必要なのは真実という判断材料ですよ。私は彼にそれらを提示するだけです。では今日はこれで失礼いたしますね。幼稚園に孫の迎えに行かなくては」
「…」
「気の強ぇ女は嫌いじゃねぇぜ?」ってセリフありますよね。
あれ多分、自認サドの根マゾ野郎のセリフだと思うんです。
表はSとして強気に振る舞っていても、実際すぐに強制平伏謝罪技法のいろはを身につけますよ。
主従関係とは当人たちの意志の介在しない、もっと潜在的で深層的な場所に在るんでしょうね。
それを「肉体」と呼ぶのでしょうか。




