第5話「正義」
「買ってきたよ〜」
私は手当に必要そうなものを見繕って彼の元に戻ってきた。
「ねぇねぇ見て!快月!」
「…ん?」
疲れて重だるい顔を上げ、彼の方を見る。
「んん!?」
「すごいでしょ!」
先ほど自分が座っていたカーストップを持ち、空中に放り投げて、お手玉のように弄んでいる。
ボカン!!(ゲンコツが炸裂)
「グッ…あ、頭に響く…」
「バカな芸を披露せんでよろしい!!早く返してこい!!(怒)」
「はーい…」
重そうなコンクリートの塊を片手でひょいと持ち上げる。
彼が突拍子もないことをしないよう、私は目で追い続ける。
カーストップを元の位置に戻すと、顔を上げて何かをジーッと見ている。
彼の目線の先を追うと、道路を挟んだ向かいにある、小さな車の修理屋に置いてあるタイヤに止まった。
またもや、目を光らせ、「ぱぁっ」と効果音が出そうな顔をする。
「おい(怒)」
「ヒィッ…」
「大人しく座れ」
「…はい」
やっと落ち着いて治療ができる…
私はレジ袋から消毒薬や絆創膏などを取り出す。
「そういえば、名前決めてくれた?」
「ヒビキ」
「ひびき?」
「あなた、私に殴られるたびに体に響くって言ってたから、癖なのかなって…」
「………殴られるのが…?」
「その言葉が!!……嫌ならいいよ、私ネーミングセンスなんてないし…」
「ひびき、ヒビキ、ヒビキ…うん!気に入ったよ!」
「…そう」
気に入ってくれてよかった。
私は安堵し胸を撫で下ろす。
「じゃあ、手当するから手出して」
「…」
「?」
ヒビキは外方向いて反応しない。
具体的には何かを待っているようにチラチラこちらを見ている。
こいつの考えていることはわかる。
なんだか気恥ずかしくて私はそれに乗りたくないが、仕方ない。
「…ヒビキ、早く手出して」
「うん!!」
嬉しそうにニッコニコで手を差し出す。
意識しすぎてなんだか顔が熱い私が馬鹿みたいだ。
名前を呼ぶだけで何を狼狽えているのだ私は。
彼の手を治療するため、私も手を伸ばす。
「ん?」
彼の手に触れた途端、青白い光が私と彼の手を包み込む。
「ひ、ヒビキ!?何これ、どうなってんの!?」
「わからない…わからないけど、すごく落ち着く。はぁ〜〜//」
「頬を染めるな!!」
そこで私とヒビキは異変に気づく。
「傷が治ってる…」
みるみる内に彼の手にできた傷と血痕が引いていく。
一分ほどしたら、なんと手の傷が全て無くなり、痛みも引いた様子だった。
ヒビキは手を握ったり開いたりして感触を確かめる。
本当に元通りになったようで彼も驚きの顔をコチラに向けてきた。
「すごいすごい!」
「一体どういうこと…」
はしゃいでいる彼とは裏腹に私は困惑の表情を見せる。
現状を理解する気力が今日はもう湧かなかった。
「多分、俺の気が快月に流れて、気のエネルギー転用を会得したんだ。でも、傷を癒す技…」
「何か、よくないの…?」
「あ、いや、こんなに優しい気に触れたことはないと思っただけ」
和かな笑顔で、ヒビキは私の手を握り直す。
これが私の力…傷を癒す力…
ちょっと待て…それじゃあまるで私がこいつを癒したくて癒したくてたまらない奴みたいじゃないか?
さっきヒビキは「強い意志を持った」とか言ってた…確かに迷惑をかけたお詫びにしっかりと手当したいとは思ってたけど、こうして気に形にされるとなんだか心を見透かされてる気がして、恥ずかしい。
ヒビキはうっとりした表情で私の手を握っている。
どういう感情だよ!?なんか言えよ!!
「ふにゃぁ…」
「え?」
突然ヒビキがとろけるように地面にへたり込む。
「ど、どうしたの!?」
「ん〜〜、わからないけど、手を握ってたらすごく落ち着いて、体に力が入らなくなっちゃった〜」
「えぇ!?」
「快月の力は傷を癒すだけじゃなくて、気を抑制する力もあるみたいだ〜ね〜」
「…本当に動けないの?」
「指一本も…」
「………」
ー
「ごめんねぇ快月ぃ…」
「ほんとだよ、何から何まで!」
私は一歩も…いや、一指も動かせないヒビキをおぶって、ドラッグストアを後にしていた。
高校生くらいの男子をおぶっても、全く身体への重量感がない。
ヒビキの体重が驚くほど軽いという思考にはもちろん至らず、私の筋力が単純に増強されたのだと思った。
筋肉が厚くなって手足が太くならないだろうかと一抹の不安と一人の男を抱えながら私は歩みを進める。
本当にこの男は意味不明だ。
行動は突拍子もないし、発言も自由気まま。
挙げ句の果てに、キスを知らないときた。
この歳になってキスを知らない人なんてなかなか居ない。
いや、そもそも彼は人ですらないし、見た目通りの歳とも限らない。
示神は人間と同じ生活を送っているわけではないのか。
少しだけ、この疑問を晴らしたいと思い、彼に問いかける。
「ねぇ」
「ん〜?」
「示神はどんな風に生まれて、どんな風に生きていくの?」
「………」
少し漠然としすぎた質問だっただろうか。
しかし、キスという言葉を発するのも恥ずかしい。
少し遠回りだったが、この言葉に落ち着いた。
ヒビキは少し考え、話し始める。
「生まれた時から独りだった。人と関わらず、ただ気隷とし…気隷と戦い続けてきた。だから、こんな風に人と会話をしたり、触れ合ったりするのは初めてで、とっても新鮮で、とっても…楽しい」
「それって示神の話?それとも…」
「え?あ、ああ!もちろん示神はみんなそんな感じだよ!………しまった、少し気が緩んで…」
「ん?なんて?」
「なんでもない!!それより、さっき俺を取り押さえてきた人に取調室?ってとこに連れてかれて、警官さんに色々聞いたんだ」
「聞かれたんじゃなくて、ヒビキから聞いてるのはなぜ……まぁいいか。それで、何を聞いたの…」
「キスって何か」
「………」
ヒビキの声がワントーン低くなり、密着した体から私のお腹に彼の声が響いた。
先ほどから意識しないようにしていた単語がほいと投げ込まれ、私はあたふたし始める。
示神として人間社会に触れてこなかった彼が、キスを知らないのはまだ理解できた。
しかし、彼がその意味を知った今、これまでの私の羞恥心さえも彼は理解してしまう…
男女の接吻に意識を削がれている私は、彼にどう映るのだろうか…
ー
時は少し遡り、取調室。
一つの机を境に向かい合う少年と男。
「…」
「…」
私はこの道20年のベテラン警官、好女 威51歳。
現在、痴漢容疑で警備員に捕えられた少年から事情を聞くため、机に向かっている。
見たところ彼は高校生かそこらだろう。
この歳で犯罪に手を染める子供は少なくない。
親の愛情の欠落か、はたまた人間関係という摩耗の結果か。
思春期は人生の土台を形成する。
そこに亀裂や歪みが生じれば、人生全てを崩しかねない。
少なくとも、「社会」としての正解を示してやることが、今の彼にとって最も重要だ。
その先の「正解」は社会の中から自分で見つければいい。
とにかく、話を聞いてみないことには彼の背景も、事件の真相も知ることはできない。
まずは、彼の行いについてはあまり触れず、背景を探ってみよう。
他人に話すことで、スッキリすることもあるだろうしな。
無難なところから聞いてみるか…
「君は、女の尻が好きか?」
ー
ズコォォォ!!
サヤはヒビキを抱えながら、勢いよく転ぶ。
「さっきまでの心の声は何だったの!?怖いよ…社会の闇だよ…どこにいんだよそんなエロ警官!!」
「色々教えてくれて、親切な人だったよ?」
「多分、いや絶対そいつの言ったことは間違ってる」
「え!?じゃあ、「腰のくびれはセンチメンタルの起爆剤」とか、「女体の膨らみは世界で初めて発見された立体である」とかも!?」
「どこに思い馳せてんだよそのエロ警官!!何が正解だよ、人生の土台にドロップキック入れるぐらいのえげつない思想ねじ込んじゃってるよ!!いい!?そいつの言ったことはすぐに忘れて!!」
「そんなぁ…」
まさか、こんな形で社会の深淵を覗くことになるとは思っても見なかった…
何故そんな男が警官という職についていられるのだ…
この様子だと、ヒビキの認識はだいぶ歪んでしまっているかもしれない。
!!!
「…じゃあその男、キスのことは何て言ってたの?」
「ん?えっとね…」
ー
再び、取調室。
「なるほど…膨らみが二つあるのにはそんな意味が……」
「段々と理解ってきたようだね、少年」
「うん!」
「では、次は房という言葉の意味について少し考えてみよう」
「ふさ?あっ、忘れてた。キスって何かを聞きたかったんだった!」
「うん?あぁベーゼのことか。しかし、まだ神との戯れを語るには少し早いが、何か訳があるのか?」
「うん…実はさっきの女の子に、「あなたとキスしたせいだ」って言われて、なんのことだかさっぱりなんだ…ねぇおじさん、キスの意味教えてよ」
「…キスとは神の唇と我ら凡民の唇を重ねる行為のことだ」
「そっか、あの朝のことを言ってたんだ…それで彼女に俺の気が…」
「まさか少年、お前が唇を奪ったのか…?」
威は先ほどまでの空気を裏返すように重苦しさを出し始める。
ただ、静かに彼の返答を重たい眼光で待っている。
だが、ヒビキはその重苦しさには気づかず、空を見上げながら、今朝のことを思い出す。
「確かに、俺が彼女に覆い被さって、気づいたらキスしてたかな…」
「………」
「おじさん?」
バァコォォォン!!!
突然机が蹴り上げられ、空中を浮遊する。
ヒビキは大きな机が舞い上がるのに目を取られ、一瞬でも男から目線を外したことを後悔する。
机という、ある種の境界線が崩壊した今、この男を止めることはできない。
ヒビキは言葉を発する間もなく、壁に攻め飛ばされ、首元に警棒を突きつけられた。
「っ!?」
「いいか少年、女の唇は青草の上の朝露だ。露は母なる大地の導きによって滴り、我らの渇きを潤すのだ」
「…」
「己の渇きに身を委ね、神聖なる恵みに手を伸ばしたものを神は裁き、そして、我らに初めて『愚か』という言葉の呪縛を与えるのだ。これが何を意味するか、わかるか少年」
ヒビキは呆気に取られた顔で、答える。
「彼女に、ごめんなさいしなきゃってこt…」
「ザッツライトォォォォォ!!!!!」
男は天を仰ぎながら、ギュリンと白目を剥いて叫ぶ。
散乱した部屋の壁際で。
再び部屋が静寂に満ちたあと、男はにこやかに笑い、ヒビキの方を向き直す。
「それがわかったなら、もう君に聞くことはない。取調べは以上とする!己の責務を果たしに行くのだ!!」
「!!、ありがとう!」
威はゆっくりと起き上がり、ヒビキから離れる。
手を伸ばし、ヒビキを起こす。
「さっさと行け!あの子を追うんだ!!」
「うん!!」
ヒビキが勢いよく部屋を飛び出すと同時に、一人の若い警官とすれ違う。
「!?、あの人またやったな…」
取調室を覗き込むと、散乱した机や椅子と仁王立ちをして擦りガラス越しの夕日を見つめる男がいた。
「好女さん、またですか……」
「んん?ああ」
「ああじゃなくて、困るんですよ、勝手にあれこれ進められると。正式な手続きの元、取調べは進んでいくんです。あの少年が本当に容疑を晴らせたのかもわからないのに」
「私の目に狂いはないぞ?」
「狂ってんのは、あんたの頭だよ…(ボソッ)」
「何?」
「え?ああ!いえいえ、何も……。しかし、あの歳で犯罪に手を染める子供、最近増えてきていますよね。あーあ。心が弱いんだか、自己中なんだか。そもそも最近の子供h…」
「『正しさ』とは、これまで犠牲となってきた者たちが、己の血を持って紙に書き記したものだ。正しさは人間を守る鎧となる。しかし、鋼鉄で出来た鎧に伸縮性はない。鎧の重さに押し潰されそうな者、大きさに窮屈な者は時に、誤ってその鎧を脱いでしまう。私の仕事はそんな者達のために、鎧の着方を教えることだ。鎧が重たい者には力の付け方を教え、狭苦しい者には自身の柔軟性の持ち方を教える。その教えを実行するかどうかは、その者次第だがな。……………仕事に戻ろう」
「は、はい」
陽が沈みきり、ほのかな明るさだけが残る空を、好女は見つめ直す。
「生まれて良かったなんて、一度も思ったことねぇんだよ!!!」
ただその一言が、彼の頭を駆け巡るのだった。
ー
時は戻り、サヤとヒビキの会話。
「えっとね…女の唇は青草の上の朝露だって」
「………は?」
一体その阿呆は何をほざいているのだ?
幸い、キスに付随する恋愛についての理解が彼に訪れなかったことは、喜ぶべきだろうか?
「その曖昧さを大事にしてよ…」
「?」
少し歩くとヒビキが眠たそうにしているのを背中で感じるようになった。
「快月ぃ…」
「何?」
「ありがとう…君は、優しいね…」
「…はいはい、急にどうしたの」
眠い。
意識が朦朧としてきた。
彼女の背中があったかい。
体だけじゃない、俺に流れる気さえも抱きしめられるような感覚。
この感覚、もしかしてこれが…
「ところで…私……どこ………いいの…………」
「………」
ー
「君はその力を何のために使いたい?」
「この力を捨てるために使いたい。あるべき◻️◻️◻️を守りたい」
「では、具体的に君はその力で何をしたい?」
「神の◻️◻️◻️◻️◻️を破壊したい。例え全てを犠牲にしても構わない。魅せるために蕾を開く花を、この手で散らし、意志という棘を持つ花へと育て直すために」
「…ふふ、あははは、君らしい答えだね。…わかった。できる限りのことはしよう」
「ありがとう、◻️◻️◻️◻️。………さよなら」
「こちらこそ、ありがとう◻️◻️◻️◻️」
「またね」
ずっと疑問だったんですけど、「そういう」感じの夢って「いざっ!」って時に覚めたりしませんか?
ここからがいいところやろがい!って目覚めの一言を朝日に向かって投げかけたいです。
おそらく何者かの干渉を感じるのですが、淫夢を見せる煽りキツめの語尾ハートサド神様とかいるんですかね?
「いいね、いいね?でもだーめ♡」みたいな。
お前を眠りなき夢へ叩き込んでやりたいよ。
夢といえば金縛りも夢の一種だそうで、私も最近初めて経験、あぁ初体験を済ませたんですが。
これが縛られる感覚かと、中々に興味深いものでしたね。




