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第4話「拳の中に」




「私、何してんだろ」


 走って逃げた後、戻るわけにもいかず私は帰路についていた。

 長い歩行者用トンネルの規則正しく並んだ薄暗いライトは自己嫌悪と後悔の顔を照らしては暗闇へ、そしてまた照らすことを繰り返す。


「今日私がやったことと言えば、一人の男を殴って叩いて暴力振るっただけじゃない…。結局、今日起きたこともほとんど説明聞けてないし、っていうか私が遮ってるし………」


 あの人間のような白い物体は何だったのか。

 人を透過してすり抜けていたし…

 周りの人も見えていないようだったし…

 あの素早さと凄まじい力は明らかに人間のものではない。

 見たところ目立った外傷もなかった。

 耐久力も高いのだろうか。 

 ………じゃあ、あの男は?

 なぜかは知らないが、戦っている時は周りの人には見えていなかったみたいだけど…

 人を避けながらあの物体と戦っていたし、傷も負っていた。

 彼は人を透過できるわけではない?

 傷つけないため?


「…」


 とっくに人間の域など超えたような激しい戦闘を繰り広げていたというのに、私のグーパンや平手は喰らっていた。

 ………避けようとしなかった?なぜ?

 

 ブオーーーーー


 遠くから風とともに空気の叫び声がやってくる。

 トンネル内を空気が吹き抜ける。

 向かってくる風を私は目を閉じながら、髪とスカートで受け流した。

 トンネルの向こう側から、光で照らされていく。


「自転車かな…」


 私はいつものように端に寄ってやり過ごそうかと思った。

 

「?」


 そこで私は気づく。

 この体にのしかかる重苦しい感覚。

 気絶したように倒れるのか、一歩も動けず硬直するのかわからない感覚。




 あの物体が、来る。




 着々と私に近づいてくる白い影が、薄暗いライトの光を飲み込みながら迫ってくる。

 恐怖で呼吸もままならない。

 とにかく逃げようと体に力を入れた。


「っっ!!!」


 アスファルトの上に崩れるように座り込む。

 私の体にできるのはそれが限界だった。

 死が近づくたび、感覚域が限界を越え、結果何も受容しなくなる。




 もうだめだ………




「………え?」


 突然、白い物体が歩みを止めた。

 それと同時に薄暗いトンネルのライトに照らされては暗闇へ、そしてまた照らされながら、彼は肉体の作り出す影を後ろに従えて歩いてくる。


「あ、あなたは…」


 もうすっかり覚えてしまった。

 ふざけたTシャツも、銀色の髪も、赤く染まった瞳も、目の前の敵を逃さない、あの闘志も。

 あの男が私の前に立つ。


「………」


 男が傷だらけの拳を強く握る。


「………」


 男の拳が赤く光り、やがて赤い火の粉が舞い始める。


「あなたは…あなたは一体何者なの……」


 私の中に流れる『気』が、答えを求めた。

 男はより一層拳を強く握り、やがて拳が炎に包まれる。

 標的から目を離さずに、意志の通ったまっすぐな声で答える。


「ただの『人もどき』だよ」


 瞬間、物体が高速でこちらへ向かってくる。

 男は姿勢を低くし、拳を構える。


〈男も思い切り地面を蹴り、白い物体に急接近する。

 物体に触れる瞬間、拳を開き気を発散する〉


 体に大きな風穴が空いた物体は、動きが鈍くなり、やがて私の目の前で破裂するように散った。




 私は目を見開いて、眩い光の熱を感じ、口を開けて呼吸に専念していた。

 彼がこちらを振り向き、歩いてくる。


「大丈夫…?立てる?」


 彼は優しくそう言って、私の前に手を差し伸べる。

 傷だらけで、血まみれの手を。

 

「あなたこそ…その手、大丈夫なの…?」

「ああ、確かに体はすごく痛いけど俺は大丈夫、辛くはないよ」


 傷だらけの手に、これ以上力をかけるわけにはいかない。

 私はアスファルトを撫でるように触り、戻り初めている感覚を確かめつつ、立ち上がる。

 彼は少しぎこちない笑顔で


「やっと落ち着いて、話ができそうだね」


 今日一日、私が彼にとった行動を思い返す。


「だって!急にぶつかって、気づいたらキスしてたし…キスを知らないとか惚けるし…//」

「あはは、挙動不審だね…えっと」

「だから…」

「その」

「「ごめんなさい!!」」


 私と彼は相手の顔をはっと見る。

 彼は呆気に取られた顔を綻ばせ、先ほどとは違う、柔らかい笑顔を向ける。

 私も彼につられて、少しだけ硬くなった表情を緩ませる。


「その傷、手当するから、ついてきて」

「…ありがとう」


 私たちは二人、肩を並べて歩き出す。

 彼はおおよそ怪我人とは思えない顔で鼻歌を歌っている。


「でも、私に変な力与えたり、セクハラしたのは許さないから」

「え!?」

「キスしちゃったのは不注意もあったから謝るけど、それとこれとは別。」

「こりゃ手厳しい…」


 二人はトンネルを抜け出し、暗闇へと歩みを進めるのだった。




ー




 近所のドラッグストアに向かう途中、少しでも疑問を解消するため、彼との問答を始めた。


「ねぇ、あなたが仕切りに言っていた『気』って何なの?」

「あらゆるものに変化するエネルギー?みたいなものかな」

「じゃあさっきはその『気のエネルギー』を使ってあいつを倒したの?」

「うん、そんな感じ。気のエネルギーは凄まじくて、体がついていけないんだ。傷口を広げて血が出ちゃうし…」


 ふと彼の手の甲にできた傷を見て私は思い出した。

 いや、やっと理解したのだ。

 今朝ぶつかった時、思い切り後ろに倒れたと言うのに、ちっとも痛みを感じなかった理由を。


「…もしかしてあの時、あの一瞬で私の頭と背中に手を回して、受け止めたの?そのせいで傷を…」

「あぁ、気にしなくていいよ。戦う時は体を強化して傷が付きづらいようにするけど、その状態でぶつかっていたら、君に大怪我させてたかもしれないし…まぁとにかく、頭を強く打たなくてよかったよ」

「…うん」


 優しさに満ちた顔で彼は私に言った。

 彼のこの表情と言葉が、なぜか私に強い安心感を与えてくれた。

 だからこそ、次の言葉を発することができたのだろう。 


「…あいつはなんだったの?」


 あの物体を前にした時の感覚は、異様という言葉では到底言い表せないものだった。

 思い出すだけでも、不思議と思考が引っ張られる。

 脳の意識メモリを独占されるような、特殊なものだった。

 少しの沈黙の後、彼は話し始める。


「『気隷』だよ」

「気隷?」

「気でできた幽霊みたいなもの。人間には見えないし、触れないんだ。でもたまに、人間にちょっとした悪戯をすることがあったりするんだよ」

「悪戯って何?」

「足元に小石を置いたり…傘を持たない日に限って雨を降らせたり…お金の表面を削って自動販売機で使えなくしたり…!!」

「なんか地味な悪戯ね…じゃあ、どうしてあなたや私は気隷が見えたり、触れたりできるの?」

「えっ、と…それは、俺が『示神』っていう存在だから。示神は気隷と人間の中間みたいなものだと思えばいいよ。示神は気隷が悪さをしないように、倒すのが仕事なんだ。その…君が俺と同じ力を持っているのは、ぶつかった時に気が君の体に流れ込んじゃったから」

「じゃあ、気隷と戦っている時、あなたも周りから見えてなかったのに、その後は普通に認識されていたのはどうして?」

「え!?あぁ、それは気隷が特殊な空間を作っていて、その中で戦うからだよ」

「ふーん、あれ?待って!?じゃあ私、一生気隷が見える状態で過ごすの!?」

「だ、大丈夫!君は示神になったわけじゃない。あくまで、俺の気が体に付いちゃっただけ。気はすぐに体から抜けていくよ…。完全に抜け切って、気隷が見えなくなるまで俺が君の近くにいる気隷を追い払うから!」


 妙にこの男の話し方が辿々しくなったような気がする。

 しかし、「こうだ」と言われてすぐ理解できるほど、私の脳は柔軟ではないし、今話している内容は柔軟すぎて形状を留めていない。




 …優しい声色…優しい表情…恐怖を塗り潰した話。

 うまくできているだろうか。

 先ほどから、心臓をプスプスと刺すような痛みが走っている。

 この気持ちはなんだろうか。

 傷だらけの拳を強く握る。

 傷口が開き、血液が地面に滴るほどに。

 



ー




 少し歩き疲れ、両足の返答が悪くなったところで、ちょうど近所のドラッグストアに着いた。

 ドラッグストアの駐車場で私たちは立ち止まった。

「今、手当に必要なもの買ってくるから、ここで待ってて」

「えぇ〜、どらっぐすとあってどんなものが売ってるのか気になるのに〜」

「そんなボロボロで血まみれの男が店に入ってきたら、騒ぎになるでしょ!」

「ぶ〜ぶ〜」

「いーから、大人しく待ってて!!」

「はーい…」


 男は不貞腐れた顔をしてカーストップに座り込んだ。

 さっきの真剣な顔はどこへやら…

 私は自動ドアに向かう前にふと、彼に聞くべき大事なことを思い出した。


「…そういえば、あなた名前なんていうの?」

「………ない」

「ないとかあるの…」

「じゃあ、好きに呼んでいいよ!」

「えぇ〜…」


 カーストップから立ち上がり、私に駆け寄る。


「なんて呼んでくれるの?ねぇねぇねぇ!」

「ああ!もうわかった!!考えとくから…」

「ふふ〜ん♪」


 満足げにまたカーストップに座る。

 今度は期待感に足をジタバタまでさせいる。

 私はまた、駐車場を歩いて自動ドアを開き、中に入った。


「さっきから普通の会話ができない…誰かの名前考えるとかやったことないよ…」


 自動ドアを超えた先で足を止め、少し俯きながらため息をつく。

 後ろからトコトコと駆け寄る足音がする。


「ねぇねぇ!」


 今度はなんだと思いつつ、後ろを振り向く。


「何?」

「君は名前なんていうの?」

「えっ?」


 確かに、忘れていた。

 名乗ることも忘れるほど、今日はおかしい一日だった。

 ドラッグストアの店内の白い灯りに負けないほどに、目を輝かせ、私の返答を彼は待っている。


(何その顔、何にでも目を光らせる小型犬みたいに…ほんと、変なやつ…)


 その顔はやっぱりちょっとおかしくって。

 今日という一日と、これから始まる出来事を「普通」にはしてくれない予感を、受け入れるように私は降参して顔に入った力を抜く。

 自動ドアが閉まりだすと同時に、私は応えた。




「サヤ、快月(はやつき)サヤ」




さらっと名付けという激オモイベントを譲渡する…。

やるではないか。

ん?名付けってことは主従関係ですか?

これまた際物を入れ込んできましたね。

「絶対服従」って言葉、中々に良い響きを与えてくれると思います。

どこに響くかは個人にお任せいたしますが。


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