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第13話「鉄屑の風車④」




レジテーレ「今日よりこの屋敷に住むことになったルーテの少女だ」


 レジーは屋敷の人間を集め、その前で私を紹介した。

 その場に居た人間はアールが多数を占め、ちらほらとカラディの姿も見えた。

 今この瞬間からこの屋敷には三つの種族が揃うこととなった。

 しかし、アールとカラディは共に困惑と嫌悪の目線を私に向けてくる。


屋敷の人達「主人様が奴隷を買ってくるなんて…」

     「一体なぜなんだ?」

     「奴隷と共に生活を送らなければいけないのか」

     「レジテーレ様は奴隷がお嫌いだと思っていたが…」

     「今まであの種族を家に入れたことなど…」

     「そんなぁ…」

レジテーレ「鎮まれ」


 各々の会話を始めそうになる屋敷の人達のざわつきを整えるようにレジーが再び声を上げる。


レジテーレ「お前達がこいつをどう扱おうと私はそれを一切咎めはしない。奴隷として扱うも、それ以外として扱うも、お前達の自由だ。話は終わりだ」


 集まった人達が一斉に散っていく。

 

レジテーレ「メイド長はどこだ」

???「ご主人様、ここに」

レジテーレ「うむ。しばらくこいつをメイドの元で働かせろ。仕事内容も部屋も立場も全てお前に一任する」

???「かしこまりました」

レジテーレ「任せたぞ」

テネル「ちょ、ちょっと!」


 アールのメイド長とやらに話をすると、レジテーレはクローを連れてすぐさま去っていく。

 私の静止など耳に届いていないようにこちらを一瞥もせずに行ってしまった。

 さっき見せた笑顔も笑い声もだらしない姿勢もそこにはなかった。

 この大きな屋敷をまとめる冷たく硬き主の姿しかそこにはなかった。

 

???「奴隷よ、名乗りなさい」

テネル「え?」

???「名乗れと言っている」


 先程までの主人に従順だったメイドが私に鋭く言葉を突き刺す。

 瞼を一切揺らさない冷徹な目線は主人に似た何かを持っていた。


テネル「テネル…です」

ルーラ「よろしい。私はルーラ、この屋敷のメイド長を務めています。私のことはルーラ様と呼ぶように」

テネル「は、はい…ルーラ様」

ルーラ「ではついてきなさい」

テネル「はい」


 メイド長は廊下をスタスタと歩き、私の歩幅では小走りでついて行くしかない。

 しかしこの屋敷ほ本当に大きい。

 道を覚えて迷わないようにするのが大変そうだ。


ルーラ「つきました。ここがあなたの部屋です」

テネル「…」


 知ってはいたが、やはりそこは部屋とは呼べないような汚い物置だった。

 ゴミの隙間で寝ていた私からすれば大きな進歩だと言える。


ルーラ「この服に着替えて、その服とも呼べない布切れは捨ててしまいなさい。私は外で待っています」

テネル「は、はい。わかりました」


 ルーラ様は扉をバタンと閉め、その勢いで舞ってきた埃にむせかえる。

 メイド服…ではなく、汚れの目立たない作業服を着て、部屋を後にする。

 廊下を歩きながら、最低限の衣食住は保証すること、毎日休みなく仕事を行うことなどを言われた。

 ルーラ様がすっと立ち止まり、彼女の目線の先を見ると3人の幼いメイド達が廊下をはしたなくも楽しそうに喋りながら歩いてきていた。


ルーラ「オッホン…」

???「ル、ルーラ様っ!?」

   「た、ただいま廊下の掃除を終わりましたっ!」

   「今点検をお願いに…」


 やはり彼女達の行動はメイドとしてあるまじきものだったらしい。

 周りのメイド達は廊下の端を粛々と歩いているし…

 しかしルーラ様はそんな彼女達を見ても咳払い一つを溢すだけで他には何も言わない。

 それでもこんなにもメイド達が恐れているのはやはりルーラ様から溢れるこの空気感なのだろう。


ルーラ「ナーリャ、エアム、トルーシ。先程ご主人様より任されたこの子をあなた達と一緒に働かせます」

ナーリャ「…はっはい!」

ルーラ「仕事内容は今あなた達が任されているものから好きに割り当てなさい。一緒に働くのは明日からです。では私は点検に行きます」

エアム「えっ…あの他の方に頼むので」

ルーラ「構いません、私が行います」


 ルーラはスタスタと歩き、廊下の角に消えていく。

 取り残された3人は顔を見合わせ、私に目を向ける。

 もうこの目は散々見てきたから慣れた。


ナーリャ「よろしく〜奴隷見習いちゃ〜ん」

エアム「アハハハッその服汚くてとっても似合ってるねぇ〜フフフフッ」

トルーシ「奴隷見習いってことは奴隷以下じゃんっ!かわいそ〜」


 下等生物を見る目だ。


エアム「ルーラ様のあの言葉ってさーこいつを自由に使っていいって意味じゃね?」

トルーシ「それ私も思ってたー!めっちゃいいじゃんそれー。どーする?靴でも舐めさせるー?」

ナーリャ「アハハッいややっぱめんどい仕事押し付けるのがいいでしょ。汚いやつとかさ」

トルーシ「それもそうだね〜」

エアム「ていうか、ルーラ様の点検きびしーから絶対やり直しになるよ〜」

ナーリャ「だるいんだよな〜他の人ならオッケー出すのに、あの人が一発で合格出したの見たことないし」

テネル「…」

ナーリャ「おい、黙ってないでなんか言えよ奴隷もどき」

エアム「つまんなー。まぁ明日から私たちの雑用として頑張ってねー」


 大きく笑い声をあげて、喋りながらまた3人は歩き出す。

 ようやく去っていった嵐に顔を上げ、窓の外を見る。

 濁った水の入った風船に小さな切り傷を幾つも付け、中の水が滴り落ちる。




 この苦しみから目を背けてきた私は卑怯者だね、母さん。




ー




 次の日から3人のメイドとの仕事が始まった。

 ナーリャ、エアム、トルーシのメイド3人はメイドの仕事の中でも下級に近い、廊下の掃除を任されている。

 メイドの等級が上がるほど、主人に直接的に関わる仕事を割り振られ、それなりの扱いを受けることができるらしい。

 ルーラ様はそれらメイドを従えるメイド長を務めている。

 もちろん彼女の仕事はレジーの側に使え、身の回りのお世話を行うことだ。

 やはりメイドのボスというだけあって、メイド達は彼女に逆らうことはできない。

 斯く言う彼女達仲良し3人組もそうだ。


ナーリャ「このゴミ捨てといて〜」

エアム「奴隷もどきちゃ〜ん、このバケツの水持ってって〜。あっなんなら飲んでもいいよ?喉乾いたでしょ〜」

トルーシ「エアムやさし〜」

ナーリャ「ね〜」



テネル「…はい」


 埃に塗れた死人の寝るようなベッドから起きて、周りのメイド達からは煙たがられながら廊下を歩き、3人の我儘を機械のように受け入れ、喉を詰まられそうになりながら時間が経ち固くなったパンを飲み込み、部屋の隅で蜘蛛が糸を張るのを見ながら気絶するように眠りにつく。

 そんな生活が数日続き、段々と心身が疲弊していくのが目に見えるようにわかった。

 きっとこのまま…私も。

 私はこのままでいいのか。




ナーリャ「んじゃよろしく〜」

テネル「……はい」


 今日は3人が適当に掃除した廊下に残された、掃除器具の後片付けだ。

 数日が経つにつれ、3人の私に対する要求はエスカレートしてきて、メイドの仕事を超えた3人の雑用をさせられるほどになっていた。

 任される仕事が増えたことは、喜ぶべきだろうか?

 

テネル「ん?」


 ふと廊下の金属でできた窓枠を見ると、光が淡く燻んでいるのが見えた。

 よくよく見ると廊下の窓、全てがそうだ。

 あの3人の仕事は雑の一言で片付けられるほど、酷いものだ。

 全体の埃をはらって、床だけを綺麗にする。

 掃除後のチェックにはいつも優しめの評価しか出さない先輩を連れてくる。

 ルーラ様にこの廊下を見せれば、一からやり直しと言われるのが目に見えているからだ。


テネル「…」


 与えられた仕事という名の雑用に飽き飽きしていた私は思わず手に持っていた布でそれを拭い、一つの窓をピカピカにしてしまった。


テネル「ふぅ…うん、綺麗」


 一体私は何をしているのだ。

 誰に言われたわけでもなく、進んでこんなことをするとは。

 しかし、どうしようもない達成感をその窓は私に反射し返し、キラキラと輝きを放っている。

 金属の輝きは昔から好きだった。

 ルーテの民なら皆そうかもしれないが、長らく見ていなかったせいで、深く呼び起こされる。

 …だが、こうして遠くから見ると隣に並んだ窓との対比が酷い。

 やめろ…無意味だ…こんなことしてなんになる…

 心の声に抗うように私の体が勝手に動き出す。


テネル「終わった〜」


 見違えるほどに廊下の窓が輝きだし、窓枠の金属が生き生きとしている。

 しかし…私の中の満たされぬ欲がこの廊下の汚れを浮き彫りにしてしまう。

 天井の照明、壁にかかった絵画、机に置かれた花瓶。


テネル「……もうどうにでもなれー!」




ナーリャ「今度はあのパシリに何させよっか〜?」

トルーシ「最近疲れるし〜体でも揉ませる〜?」

エアム「あいつの手が触れるとかないない!」


 キャハハハと甲高い笑い声が廊下に響き、おしゃべりに夢中になっていた3人は向かいから来る人に気づかなかった。


ルーラ「3人共、掃除は終わりましたか」

ナーリャ「ル、ルーラ様!?はっはいすでに終わりました!」

ルーラ「点検は受けましたか」

トルーシ「えっと…」

ルーラ「まだなのですね?では私が向かいましょう」

エアム「えっ!?いえそんな他の方に頼みますので!」

ルーラ「構いません。たまにはいいでしょう」


 ルーラは3人の担当する廊下に向かいスタスタと歩き出す。

 3人の頭の中はあの適当に済ませた古ぼけた廊下で埋まる。


ナーリャ(絶対不合格じゃん…)

エアム(まじだる〜)

トルーシ(やり直しか〜)


 重たい足取りながらも、ルーラに遅れないよう後ろをついていく。




ナーリャ・エアム・トルーシ「えっ…?」


 先ほどまでの燻んで色味を失っていた廊下が、鮮やかに明るくまるで新居のような美しさを取り戻していた。

 ルーラが隅々まで点検しているのを遠くで見ながら、3人はヒソヒソとこの状況を異常さを語り合う。


エアム「どういうこと!?」

トルーシ「あいつがやったとしか思えないでしょ!」

ナーリャ「まーでも何はともあれ助かったじゃん。あいつも一人で考えて私たちに尽くすようになった証拠だよっ」

エアム「そだね〜まぁ合格は出ないだろうけど、ちょっと手直しすればすぐ通るっしょ」



ルーラ「合格です」



ナーリャ・エアム・トルーシ「えっ…!?」



テネル「ん?なんだろう」


 掃除用具を片付け、元居た廊下へ戻ってきた私に大きな声が聞こえる。

 どうやらあの3人が戻ってきたみたいだ…きっと何勝手なことしてるんだと怒るに違いない。

 そう考えると後悔が募ってきた。

 やはりこんなことやるべきではなかった…。

 角を曲がり、先を見ると3人とその奥に…ルーラ様が見えた。


テネル「あ…あの」

ナーリャ「あっ、おいお前どこ行ってたんだよ!」

ルーラ「どうかしましたか。なぜ彼女が一人で行動を?」

ナーリャ「あ、えっと…こいつが勝手にどこかに行って、私たち3人で探してたんです。ねっ?」

エアム「はっはい」

トルーシ「そうです!」

ルーラ「そうですか、以後単独行動は控えるように。いいですね?」

テネル「はい…申し訳ありませんでした」


 こいつらはどこまで行っても変わらない。

 嘘をついてまで保身に走るとは。

 やっぱりこんなことするんじゃなかっt…


ルーラ「しかしこの廊下は素晴らしい」

テネル「えっ…」

ルーラ「屋敷のメイドでも、ここまで綺麗に掃除しきる者はなかなかいないでしょう。大変良くできました」


 その言葉で私の胸に溜まっていたものが一瞬にして吹きこぼれた。

 褒められた…?

 私の努力を、誰も評価するはずのなかったものを素晴らしいと、よくできていると言ってくれた!

 私は咄嗟に俯き、上がろうとする口角を抑えるので必死だった。

 嬉しい、こんな気持ちは久しぶりだ。

 例えその賞賛が私ではなく、掃除をしたと思われているであろうこの3人に向けられていても。

 3人がまるで自分たちの手柄のようにふんぞり返っていようが私の心に響くことはない。


ルーラ「しかし、まだまだ改善点はありますよ。まずは掃除の手順ですが…」


 3人達は彼女の話す改善点など興味はなく、賞賛の言葉が終わった後はあからさまに聞く気をなくしていた。

 しかし私は、ルーラ様の話を真剣に聞き、次に活かそうと考えていた。

 そうすればまた…いや、もっと褒めてもらえるかも。

 それから私は3人が適当に掃除した後、点検に来るまでの間に、勝手に一人で掃除をやり直すようになった。

 たまにルーラ様が点検に来ては、決まったように素晴らしい、良く出来ていると褒めてくれて、その後に続く改善点も聞き漏らすことはなかった。

 そんな日々が続くと、3人達の私への押し付けはさらにエスカレートし、もはや掃除から点検までも私一人にさせるようになっていた。

 でも、それも嬉しいと思ってしまう。

 なぜなら点検も毎回ルーラ様にお願いできるのだから。


ルーラ「はい、昨日教えた事をしっかりと汲んでいますね。素晴らしい。合格です」

テネル「!…はいっ!」

ルーラ「…フフ」

テネル「?」


 今一瞬、冷徹な彼女の顔に笑顔の片鱗が見えた気がした。

 気のせいだろうか?


ルーラ「ところでテネル。あの3人はどうしたのですか?」

テネル「えっと…掃除が終わった後、私に点検を受けるよう言って、別の場所の掃除へ向かいました」

ルーラ「そうですか」


 これも彼女たちが作った決まり文句のようなものだ。

 実際は掃除も私がやっている。

 彼女たちがやっていることといえば、仕事のフリだ。


テネル「あ、あのっ、今回の改善点は…」

ルーラ「もうありません」

テネル「え…?」

ルーラ「私からあな…あの3人に掃除について言うことはもうありません」

テネル「!…そう、ですか」

ルーラ「…代わりと言っては何ですが、私から少しあなたに質問があります。思ったことを答えなさい」

テネル「え?は、はい」


 藪から棒に彼女が言ってきて少し驚いたが、質問とは何だろうか。


ルーラ「あなたの現在のこの屋敷における立ち位置は何だと思いますか」

テネル「立ち位置…ど、奴隷です」


 分かりきった質問に分かりきった答えを並べる。


ルーラ「では、あなたがこの屋敷で求めるものは何ですか」

テネル「求めるもの…?」


 求める、欲しい、それは最近私も再び感じることができた『意志』のことだ。

 しかし、できたばかりで脆い私の意志は目の前に据えてあるものを掴むことでやっとなほどだ。

 これからも続く屋敷での生活。

 そこに私が求めるものは何だろう。

 私は欲しいものを掴めているのか。

 ………あるいは、掴める状態にあるのか?



 そうか…私は



テネル「私は、欲しいものを手に入れられる力が欲しいです」

ルーラ「そうですか」


 ルーラは満足気に返事し、窓際へ寄って艶やかに輝く金属装飾を見ながら続ける。


ルーラ「あなたの言うことは正しい。本来、人の望みに正解不正解などありませんが、奴隷にはそもそもそれらの回答権すらない」

テネル「…」

ルーラ「しかし己の欲するものは己の力で掴み取るしかない。あなたの詰みです」


 冷たい彼女の声を聞いて、思い出すのはあの生活。

 

テネル「…知っていました。あのゴミ山でクズの光を探してる頃から。他の人間達が欲しいものを手にする中で、私は生きるという飢えを必死に満たすしかないんだって。奴隷として捕まる前に私、あるものを見て気づいたんです。私たちルーテは人間の欲の表れだって。欲のままに私たちを使い、欲しいものを取って来させる。私達だって元は人として生きていたのに…生きていたかったのに。それを見た時私は嫌悪感と吐き気に襲われました。でも今はもういいんです。昔、村で人として生活してた頃好きだった、清く尊い美しさは、醜い欲で塗りつぶされてしまったけど、この感情が私の好きだったものにではなくて、人間の欲に対して向けられたものだって知れたから」


 ルーラ様は静かに私の話を聞いてくれた。

 本来ならこんな発言すら私にできる権利などないのだが。

 話し終えた私の方を向き、ルーラ様は口を開いた。


ルーラ「あなたが初めて屋敷に来た時、ご主人様のおっしゃったことを覚えていますか。その言葉を今一度胸に刻み、あなたの今するべきことをしなさい。これは屋敷のためではなく、あなた自身のためにという意味です」


 レジーの言葉、今すべきこと。

 彼女があの時、何と言っていたかを思い返す。

 そうか…そういうことか…

 今になってようやく彼女の言葉の真意を読み解くことができた気がする。


テネル「そっか…そうだ」

ルーラ「理解できたのなら結構です。明日あなたたちに重要な話があると、あの3人に伝えなさい」

テネル「は、はいっわかりました。失礼します」


 ルーラは廊下を小走りにさっていくテネルから目を離し、綺麗に輝いている廊下を見つめる。




ー




ナーリャ「え…昇級ですか?」

ルーラ「ええ」


 翌日、3人と私はルーラ様の元へ行き、話を聞いていた。


ルーラ「あなたたちのメイドとしての掃除の技術は実に素晴らしい。この屋敷にいるメイドに教育をしても良いレベルと言えるでしょう。よってあなた達3人を昇級とし、新たな仕事を与えます。彼女も引き続きあなた達の管轄下に置きます。話は以上です」


 そういうと、ルーラ様は次の仕事に向かう。


ナーリャ「やったー!」

エアム「昇給ってことはもう掃除しなくていいんだよね!?」

トルーシ「それより、待遇だよ!部屋とかもいいやつになるんじゃない?」

ナーリャ「でもまだこいつついてくるんだ〜」

エアム「それな〜」

トルーシ「まぁパシリはやっぱ必要だし、仕事以外のことさせとけばいいでしょ」

テネル「…」


 私の居場所…あの廊下だけが私に意味を与えてくれていたのに。

 あそこだけが私が奴隷ではなく、人として生きることができると思っていたのに。

 今の私からあの廊下の掃除を奪えば残るのはこの3人の雑用だけ。

 また…振り出しに戻ってしまった。




 掃除の仕事をやめてから一週間。

 私たち…正確には私の従うメイド3人組は別の仕事、洗濯を任されていた。

 彼女達は私に洗濯物を触れさせることはなく、雑用のみを任せ、肝心の洗濯物も一応干されてはいるが、所々皺が気になる…。

 私の求めるもの、それを掴むための切り口を見つけたい。

 


ナーリャ「よーし。これでオッケー」

エアム「こっちもオッケー」

トルーシ「後はほっとけばいいし〜洗濯楽勝〜」


 彼女達の雑用をこなして褒めてくれる人がいれば良いのに…。

 彼女達は洗濯物を干したら夕方それを取り込むまでほったらかしだ。

 しかし手を出すと何を言われるかわからないため、こうして、白いシーツと青空のコントラストを目の中で揺らすしかない。

 何とかして行動に移せないものか。

 シーツが揺れて…風が不規則に…これは


ナーリャ「後は乾くまでサボってよー」

テネル「あの」

ナーリャ「何?奴隷」

テネル「雨が降ります」

ナーリャ「は?」


 3人は顔を見合わせて大きく笑い声を上げる。


エアム「雨って、フフ」

トルーシ「この雲ひとつない空からどうやったら雨が降ってくるのかな?」

ナーリャ「ていうか私たちに勝手に意見してこないで、邪魔」


 それぞれが私に言葉を投げ捨てて去っていく。

 私にはわかる。

 風が雨を連れてくる感覚。

 私たちルーテは風から様々な情報を得るが、天気もその一つ。

 どうしよう、もう雨はそこまで迫っているのに…。

 この量の洗濯物を一人で取り込んでは間に合うかどうか。

 いや、私は自分自身の力で掴み取ると決めたのだ。

 彼女の…彼女達の


テネル「考えてる時間はない!」


 私は片っ端から外に干してある洗濯物を手に取り、屋敷の中にしまっていく。

 半分を終えた所で頬に水滴が落ちてきた。

 まずい、急がないと!

 私は絶対に諦めたりしない。

 この足に、私たちの足に強く打たれた枷を絶対に外して見せる。

 「人に歩み寄ることを忘れてはいけないよ」

 …今になってあの言葉を思い出した。

 今まで心のどこかに居た、捨てたと思っていたあの言葉が私を再び私にしてくれる。




 私は、私でいることを諦めたくない。




 雨…屋敷の窓を打ち付けるほどの激しい雨が降り出した。


ナーリャ「どうして今…雨が…」

エアム「ナーリャ!早く洗濯物を!!」

トルーシ「急いで!!」


 私たち3人は洗濯物の干されている庭へ急ぐ。

 雨…今日その単語が頭に浮かんだのは初めてじゃない。

 あの奴隷が言っていた気がする。

 どうして?

 どうして本当に雨が降るなら、私たちに教えたりしたんだ。

 私たちに恨みがあっても仕方ないはず。

 掃除の時もそうだ、わざわざ丁寧に隅々まで掃除したりして。

 私なら…私なら全てをめちゃくちゃにして復讐する。

 そいつの持つ全てを壊して自分の気分を晴らすはずだ。

 自分にはその責任は舞い込んでこないのだから。


ナーリャ「うそ…」


 庭への出口の前に洗濯物が積まれていた。

 そのどれもが水滴一つ付いていない。

 洗濯物の山の麓にあの奴隷が汗だくで息を切らしながら座り込んでいた。

 自分の力で立つこともできないらしい。

 ろくな物を食べていない痩せ細った彼女の体力からすれば当然だ。


ナーリャ「どうして…なんでよ!!」


 この心に渦巻く何かが私の感情を揺さぶる。

 私の叫びに答えるように…私たちの元に近づいてくる者が居た。


ルーラ「…」

ナーリャ「ルーラ…さま」

ルーラ「…っ!」


 バシンッ!!!


ナーリャ「っ!!!」

エアム・トルーシ「!?」


 突然現れたルーラ様は表情を一切変えることなく私を見下ろし、私の左頬に強い衝撃を与えた。


ルーラ「私は全て知っていました。あなた方の仕事に対する意欲、彼女に対する態度や行い」

ナーリャ「…」

ルーラ「しかし、それが奴隷に対する態度であればなんの変哲もないでしょう」

ナーリャ「…え?」

ルーラ「洗濯物も少し皺が寄ってしまいましたが、一切濡れていない。奴隷に仕事を任せ、自分たちは呆けている。これも特に問題はありません」

ナーリャ・エアム・トルーシ「…」

ルーラ「一般的に見れば奴隷を奴隷として扱うなど当たり前のことです。ですが、ご主人様の仰ったことをあなた達は覚えていますか」

ナーリャ「ご主人様の言葉…」

ルーラ「あなた方がこの子をどう扱おうと咎めはしない。奴隷として扱うも、それ以下として扱うもあなた方の自由だ、と」

ナーリャ「…!!!」

ルーラ「分かりますか、ご主人様は彼女に奴隷としての立場を強制させないためにこう仰ったのです」

ナーリャ「…そんな…奴隷を奴隷以上の存在に…?」


 奴隷が奴隷であるということは、人間が人間であるというほどにこの世界では当たり前に受け入れられることだ。

 人間は奴隷ではないし、奴隷は人間ではない。

 そして…奴隷が人間と肩を並べるなどあり得ない。

 ルーラ様とレジテーレ様がおっしゃっていることは、これらを真っ向から否定する意味になる。

 

ルーラ「いいえ、この世界において奴隷が奴隷以外の存在になるなど有り得ない」

ナーリャ「!?…じゃあどうして」

ルーラ「この世界で生きていれば、それがいかに幼稚な妄言にすぎないかを理解するのには苦労しません。しかしこの数日間、彼女を見ていてわかりました。ご主人様の意志ではない、彼女自身が必死に何かにしがみつこうと、もがいている。彼女はこの屋敷で奴隷を抜け出す一歩目を掴み取ろうとしている。それがなんだがわかりますか」

ナーリャ「ぇ…っ…その…」



ルーラ「あなた方の仕事仲間ですよ」



ナーリャ「!!!」



ルーラ「毎日輝かしく綺麗になった廊下の掃除をあなた方がやったのだとわかりやすい嘘を私に見せに来て、瞬きも忘れるほど真剣に私のアドバイスを聞いていた。それも全てあなた方と共有するために」




テネル「…点検終わりました」

ナーリャ「あーはいはい。ごくろーさま」

テネル「窓枠の掃除なんですけど…」

ナーリャ「何?用が済んだんならとっとと消えて」


 こんな会話が幾度となく繰り返された記憶が、今になってゆっくりと再生される。


ルーラ「彼女はご主人様の命に従い行動しました。次はあなた方の番です」


 そう言い終えると、ルーラ様は朦朧とした少女を抱き抱え、立ち尽くす私たちの横を通り過ぎる。


ルーラ「あなたの頬に走る痛みの理由も、もうお分かりですね」


 一言残してルーラ様は去っていった。

 私は赤く腫れた頬を触り、この痛みの理由を噛み締める。

 最初は、彼女への酷い行いに対するものだと思っていた。

 でも今になって分かった。

 彼女という小さな苗を私たちは雑草の様に踏み躙ることしかしていなかった。

 彼女の…奴隷としてではなく、メイドとしてのまっすぐな思いに対する私たちの不誠実さと、奴隷に仕事を任せたのではない、仕事仲間へ仕事を押し付ける職務への怠慢がこの痛みを招いたのだ。

 ルーラ様は私たちの今までの選択を否定することはなかった。

 自由にしていい。

 レジテーレ様のあの言葉を汲んでのことだろう。

 今まで自由の意味など考えたこともなかったな…

 それが私たちにとってどれほど当たり前のことなのか、それが彼女にとってどれほど多くの意味を持つものなのか。




ー




テネル「んん…」


 目を覚ますと自分の部屋にいた。

 私は意識を手放す前の記憶を掘り起こし、すぐに体を起こす。


テネル(あれ!?雨は!?洗濯物は!?)

ルーラ「心配せずとも、一切濡れていませんでしたよ」

テネル「えっ?」


 隣を見ると私がいつも座る擦れて角の取れた椅子にルーラ様がちょこんと座っていた。

 彼女は私の思考を読んだように…いや勢いよく布団から起き上がればわかりやすかっただろうか。

 私は安堵の息を吐き、再び力無く重力に任せてベッドに倒れ込む。


ルーラ「テネル」

テネル「はい……っ!?」


 ルーラ様の呼びかけに答えるように彼女の方を向くと目の前には彼女の顔ではなく、手が迫ってきていた。

 そのまま私の頭の上に手が置かれ、少し、ほんの少しだけゆさゆさと左右に動かしてみせた。


ルーラ「あなたはこの数日間よくがんばりましたね」

テネル「は…い」


 呆気に取られた私は簡単な返事しかすることができない。


ルーラ「あなたの掴もうとしていたものはもう既に手に入りましたよ」

テネル「え…?」


 そういうと徐に椅子から立ち上がり、私にも起き上がるように言う。

 二人で部屋の出口の前まで行き、彼女に促されて扉を開ける。


テネル「あっ…」

ナーリャ・エアム・トルーシ「…」


 扉を開けた先にはいつもの3人組が立っていた。


ナーリャ「あっ…あの、その…」

テネル「…」

ナーリャ「わ、私ナーリャ」

エアム「私はエアム」

トルーシ「トルーシ」

テネル「…」

ナーリャ「あの…あなたの名前は?」

テネル「…!」


 「奴隷の名など気にするものではありません」

 「名前ぐらいあるのだろう?」

 いつか聞いたそんな言葉たちが蘇る。


テネル「っ…くっ…ぅ…っ」

ナーリャ「えっ!?」

エアム「泣かせた」

トルーシ「泣かせたね」

ナーリャ「私!?」


 私の名前を聞かれた。

 一般的に見ればこれほどありきたりな言葉は質問はないだろう。

 でも、私…私たちからしてみればそれは、


ナーリャ「な、泣かないでよ〜!ほら手握るから…」

テネル「…テネル」

ナーリャ「えっ?」

テネル「テネルって言います」


 それは、大きな一歩目だと言えるだろう。




ナーリャ「ねぇテネル、もし良かったらこの後、掃除の仕方を私たちに教えてくれないかな」

テネル「えっ、私はいいですけど…」


 チラリと私の背後に居るメイド長様に目線を送る。

 さっき私にみせた優しい表情のルーラ様はどこへやら、再びメイド長らしい冷徹な表情を見せていた。


テネル「やっぱり今日は…」

ルーラ「構いません」

テネル「え、いいんですか?」

ルーラ「ええ、同僚と技術を磨くのも立派な仕事です」

テネル「!、はいっ」

ナーリャ・エアム・トルーシ「ありがとうございます!」


 3人と私は………4人のメイドは部屋を後にし、いつもの廊下へ向かうのだった。




ナーリャ「なるほど…こう?」

テネル「はい、そうです」

トルーシ「ねぇテネル、これはどうするの?」

テネル「はい!それはですね」

エアム「よいしょ…」

テネル「その調子です」

ナーリャ・エアム・トルーシ「………」

テネル「えっと…どうかしました…?」



ナーリャ・エアム・トルーシ「タメ口!!」

テネル「えっ!?あっはい!じゃなくて…う…ん?」


 私たちはいつもの廊下で掃除をしていた。

 言葉だけ並べて見れば、今までとなんら変わりない。

 でもその風景は、見紛えるものがあるだろう。

 そこには奴隷も主人も、もしかしたらメイドすらいないのかもしれない。

 4人の少女たちがひとつの仕事を遂行するため、共に努力をしているだけだった。


ナーリャ「テネル…ごめんね…」


 隣に並んでナーリャと窓を拭きながらそんな声が微かに聞こえた気がした。

 私は一瞬手を止めたが、窓を見ながら手を動かし直す。


テネル「うん」


 その日の廊下はこの屋敷の中で一番騒がしい廊下になったのだった。




ー




ルーラ「ん?」


 日が沈み屋敷の灯りを点ける頃、廊下の端に見覚えのある人影をルーラは見つけた。

 ルーラは最近見飽きているその人影に向かってゆっくりと歩を進め、背後から声をかける。


ルーラ「ご主人様」

レジテーレ「ん?なんだルーラか」

ルーラ「なんだではありません。どうしたのですか

、こんな廊下の端で」

レジテーレ「ん?見てみろ」


 レジテーレの体に隠れていたものを除くように横から顔を出す。


ルーラ「あら」


 そこには仲良く肩を貸し合い、疲れ切って満足そうに寝ている、何ともはしたないメイド達4人が居た。


ルーラ「まあ、こんなに服も顔も汚して。メイドとしての意識が足りませんね」

レジテーレ「何言ってる、ここはこの屋敷で一番綺麗に掃除された廊下だ。私のお気に入りだぞ?」

ルーラ「あらご主人様、廊下を見て言ってください」


 廊下を褒めておきながら、主人はしゃがみ、4人の顔を目に焼き付けるようにじっと見ていた。


レジテーレ「こいつらも含めて私のお気に入りなんだ」


 そう言ってニカっと笑って見せる。


レジテーレ「最近、こいつも人間味が戻ってきたな。笑ったり泣いたり………流れ方が変わった」

ルーラ「流れ?」

レジテーレ「ん?あぁただの例えだ」

ルーラ「そうですね、最近は特に…って、テネルが涙を見せたのはついさっきが初めてのはず…」

レジテーレ「…」


 ご主人様は息を殺したように微動だにしなくなる。


ルーラ「…ご主人様?実は最近、ご主人様の御付きの子がよく私に相談してくるんです。近頃ご主人様は屋敷にいると急に姿を消してどこかにいってしまわれるのです、と」

レジテーレ「…ギクッ」

ルーラ「まさか先程も今までも影から見てらっしゃったのですか?お仕事をほっぽり出して」


 沸々と湧き出る怒りを背中で感じたレジテーレは、この屋敷で誰一人、逆らうことのできないメイド長の威厳を思い知るのだった。


レジテーレ「し、仕方ないだろう。この屋敷にルーテを入れたことはなかったしな。そう!屋敷に変わりはないかを確認するのも私のs…」

ルーラ「それはご主人様の仕事ではありませんよね?」

レジテーレ「はい…」


 レジテーレは騎士である。

 その大きな体を振るい、その背中に収められた大剣を操り、数多の悪を切り裂いてきた。

 しかし今その姿は見る影もない。

 しゅんとした彼女の背中を見て、やれやれとメイド長は息をつくのだった。


ルーラ「ご主人様」

レジテーレ「ん〜?どうした」


 ルーラは話を切り替え、レジテーレにずっと思っていた疑問を投げかけようと声をかける。

 レジテーレは返事をしながら、ぐっすり眠っているテネルの顎先を指でくすぐり、彼女が寝ながら違和感を訴えるように顔を顰めるのを見て、イタズラな笑顔を浮かべる。


ルーラ「どうして、この子を屋敷に入れたのですか?」

レジテーレ「ん?それは陛下に言われたからだ、奴隷の100匹や1000匹くらい買え、でなければ国民にお前の威厳が疑われるだろうってな」

ルーラ「確かに、賢者様の中で奴隷を持たない方などいらっしゃらないでしょうし…私はてっきりご主人様は奴隷がお嫌いなのだとばかり思っていました。だから今まで屋敷に入れたことがなかったのかと」

レジテーレ「………奴隷は嫌いだ」


 ルーラは今まで聞いたことのないほどの重たい感情の乗った主人の言葉を脳に響かせるしかなかった。

 その重たい感情が何なのかを理解できなかったからだ。

 レジテーレはテネルをそっと抱き上げ、廊下を歩き出す。


レジテーレ「あの件だが、そろそろいいだろう。一つ進めておいてくれ」

ルーラ「ちょっ、ご主人様!その子をどうするおつもりですか」

レジテーレ「あぁ、ちょっとな…。とにかく任せたぞ」


 ゆっくりと廊下の真ん中を歩いてゆく主人の姿を目で追いながら、メイドとして返事をするしかなかった。


ルーラ「…かしこまりました」




おへそって生命の根源的なものを感じますよね。

もっと言えば、自然的イメージのシンボルとなっているのかもしれません。

例えば、みかんやスイカ、カボチャなどにヘタがなければ、すごく無機質な印象を受けると思います。

それが、視覚的集目効果にあるのか、本能として埋め込まれているのかはこの世界の人である限り答えを知ることはないでしょう。

つまりおへそはとても官能的で魅惑的ということですね。

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