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【03】アルクの願い

夜の空気は重く、血の匂いが漂っていた。

倒れた配下たちの呻き声が、途切れ途切れに響いていた。

兵士の松明が風に揺れ、その光の中で隊長が一人の部下から報告を受けていた。


「逃げおおせた者もいるようです」


隊長は短くうなずき、冷たく言い放った。


「逃げた者も必ず見つけ出して捕らえる。

アルクよ、お前らはもう終わりだ。

これまで好き勝手やってきた分を、ここで償ってもらう」


アルクは、その言葉を静かに聞いていた。

確かに、もう終わりだろうと自分でも思った。


領主の裏の仕事を長く手伝ってきた。

その過程で、表に出ては困ることをいくつも知ってしまった。

そんな自分を、領主が生かしておくはずがない。


だが、ゼインは逃げた。

それだけで十分だった。

あいつが無事であれば、それでいい。


荒い息を整えながら、アルクは夜空を見上げた。

星は雲に隠れて見えなかったが、海から吹く風はいつもと同じだった。


ゼインは事あるごとに言っていた。


「俺は何者かになる。この大陸で俺の名前を知らない人間がいないような人間になる」


アルクは、あいつなら本当にそうなるかもしれないと思っていた。

そう思わせる確たる根拠があったわけではない。

それでもゼインには、周りの人々を引きつけてやまない何かがあった。


昔、知り合いの占いばあさんが、泣いているゼインを見て「この子は王になる」と言ったことがあった。

その言葉を信じたのは、よく当たると評判のばあさんだったからか。

いや、そうではない。


アルク自身もまた、ゼインに惹きつけられた一人だった。

あいつが望むなら、自分のすべてを与えてもいいと思っていた。

だからこそ、ナホトカで終わる男にはなってほしくなかった。


もっと先を見たかった。

もっと成長を見届けたかった。

それだけが、心残りだった。


その時、群衆の中にゼインの姿を見つけた。

いつもは自信に満ちたあの顔が、今は不安に曇っている。


アルクは心の中で叫んだ。


ゼイン、何をしてやがる。さっさと逃げろ。

お前にそんな顔は似合わねぇ。


そして、こみ上げる思いを抑えきれずに叫んだ。


「ゼイン!逃げろ!

そして必ずお前の夢を実現しろ!」


突然声を上げたアルクに、隊長は苛立ちを隠さず怒鳴った。


「だまれ!」


隊長は鞘でアルクの背を打ち据えた。

鈍い音とともに、アルクは苦痛に顔をゆがめて地面に倒れ込んだ。

倒れたアルクをさらに蹴りつけると、隊長は兵士たちに命じた。


「仲間が周りに潜んでいるようだ。群衆の中からアルクの一味を見つけ出せ!」


兵士たちが一斉に動き出した。

アルクは地面に倒れたまま、かすれた声を漏らした。


「ゼイン。お前は、こんなところで終わる人間じゃねぇ」


誰にも聞こえないほどの声だった。

そのままアルクは意識を失った。


群衆の中でその様子を見ていたゼインは、顔をこわばらせた。

隣にいた顔見知りの男に、小声で告げた。


「俺は逃げる。こんなところで捕まるつもりはねぇ」


「ゼイン、お前、逃げるって言ったってどこに逃げるつもりなんだ」


「知らねぇよ」


ゼインは数歩後ろへ下がり、向きを変えて石畳を駆け出した。


街には月明かりしかなかったが、路地も通りも頭に入っている。

追ってくる兵士を振り切るのは難しくなかった。


走りながら、ゼインは考えた。


逃げるあてならある。商船に乗り込むのだ。

俺を雇いたいと言う船長は何人もいる。

これまでにも何度か船で働いたことがある。

船乗りとしてやっていく自信もあった。


ゼインは自分自身に言い聞かせた。


「大丈夫だ。これまでだって上手くやってきた。これからもできる」


そう言いながらも、胸の奥はざわついていた。

昨日までの当たり前の日常が目の前で崩れ去り、育ての親であるアルクが捕らえられる光景が頭から離れなかった。


先ほどアルクが叫んだ言葉も、耳に残っている。

だが、今はその言葉について深く考えている余裕はなかった。


考えるのは後だ。

今は逃げることだけに集中しよう。


走りながら、少しずつ頭が冷えてきた。

そして、船が停泊している埠頭へ向かう前に、どうしても寄らなければならない場所があることを思い出した。


ほとぼりが冷めるまで、このナホトカには戻れない。

だが、どうしても連れ出したい相手がいる。アリステアだ。


こんなことがなければ、奴と一緒に胸を張ってナホトカを出ていけたはずだ。

ゼインはそう思いながら、夜の街を駆け抜けた。


アリステアなら大丈夫だ。

俺にはアリステアが必要だ。それは、きっとアリステアも分かってくれているはずだ。

【外伝】ナホトカのゼイン・アグリウスは、全十一話となります。

本日中に全話投稿予定です。

順次投稿していきますので、ブックマークをしてお楽しみいただければ幸いです。

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