【02】十六歳のゼイン・アグリウス
大陸統一歴三百十二年。
十六歳になったゼインは焦っていた。
彼が動揺することなど、滅多にない。
どんな状況に置かれても「考えればわかることだ」とうそぶき、驚いたり慌てたりすることなどほとんどなかった。
周囲の子どもも大人も、そんなゼインに不思議な魅力を感じていた。
そのゼインが、今は焦っていた。
アルクの屋敷の周囲を、大勢の兵士が取り囲んでいた。
屋敷は通りに面した二階建ての建物で、一階は三十席ほどの飲み屋になっていた。
奥には数十人が入れる博打場があり、夜ごと酒が酌み交わされ、笑い声と怒号が入り交じっていた。
人々が夕食を終えるこの時間帯は、いつも以上に賑わっていた。
ゼインの育ての親、アルクはこの界隈の顔役だった。
表向きは飲み屋の主人だが、実際の収入源は奥の闇賭博である。
その収益の一部を領主に上納し、密かに庇護を受けてきた。
ゆえに、アルクの屋敷が兵士に囲まれるなど、本来ならありえないことだった。
親父が何か失敗をしたのかと、ゼインは思った。
二階の自室で横になっていたゼインは、物音を聞いた瞬間にベッドから飛び起きた。
すぐに窓を開け、狭い隣家との間を伝って屋根へ上がった。
隣の家の屋根に飛び移った時、今までいた部屋に兵士が踏み込む音が聞こえた。
何が起きたのか確かめるより先に、ゼインは逃げていた。
このままではいけないと、本能が告げたのだ。
兵士たちに見つからないよう数軒先まで屋根を伝い、そこから器用に地面へ降りた。
騒ぎを聞きつけてアルクの店へ向かっていた顔見知りの男を見つけ、ゼインは呼び止めた。
「おい、何があったんだ」
振り返った男は、驚いた声を上げた。
「ゼインじゃないか、無事だったのか」
「ああ、事情が全くわからねぇ。何があったんだ」
男の話によれば、アルクの部下が領主の娘に手を出したらしい。
領主はこれまで、アルクたちの行いを黙認してきた。
だが娘を汚されたと聞いて激怒し、兵を差し向けたのだという。
ゼインは首をかしげた。
領主の娘に手を出したという男と、その娘の噂は聞いていた。
互いに将来を約束し、周囲も二人の仲を認めていたはずだ。
それを領主だけが認めようとしなかった。
つまり領主は、思いどおりにならない娘を罰するために、アルクたちを見せしめにした。
ゼインには、そうとしか思えなかった。
騒ぎを聞きつけ、大勢の住人が集まっていた。
何事かと遠巻きに様子をうかがう者たちに交じり、ゼインもその中に紛れ込んだ。
兵士たちに荒々しく押さえつけられ、縄で縛られているのは、いつも自分を気にかけてくれたアルクの配下たちだった。
昨日まで当たり前にあった日常が、そこにはもうなかった。
やがて、捕らえられたアルクが表に引きずり出された。
アルクは、大勢の男たちを震え上がらせてきた低い声で叫んだ。
「おい、てめぇら。俺を誰だと思ってやがる。
この屋敷が誰の家か知ってて来てるんだろうな」
兵士たちの隊長は怯えることなく、跪かされたアルクを見下ろした。
「当然だ。今までこの辺りで好き勝手にやってきたアルクだな。
お前はやり過ぎた。領主様から捕らえよと命じられている」
「てめぇ、ふざけるな。
てめぇらの領主は、俺から散々むしり取って、自分の懐を肥やしてきたじゃねぇか。
そのうえでこの仕打ちかよ」
アルクが言い終えるより早く、隊長がその顔を蹴り上げた。
鈍い音とともに、アルクの体が仰向けに倒れる。
苦悶の表情を浮かべたアルクの口から、血がにじんだ。
その瞬間、周囲の群衆から悲鳴が上がった。
「おい、アルク。被害者面をするな。
闇賭博でどれほど稼いできたか、知らぬ者がいると思うか。
これまで領主様の温情で見逃されていたくせに、その言い草はなんだ」
「てめぇ」
アルクの配下の一人が、隊長めがけて飛びかかった。
しかし拳が届く前に、隊長は剣を抜き、その胸を貫いた。
赤い血が地面に散り、群衆からひときわ大きな悲鳴が上がった。
倒れた配下を目にして、後ろ手に縛られたアルクが声を震わせた。
「てめぇ、何をしやがる。
武器も持っていない相手に剣を抜くとはどういうことだ。
誰か、医者を呼んでくれ」
その叫びは、怒号にも似ていた。
だがその声の奥には、仲間を案じる痛みがあった。
隊長は、血の付いた剣の切っ先をアルクに向けた。
「領主様から、アルクとその一味を捕らえよと命じられている。
だが、生きたまま捕らえろとは言われていない。
抵抗するなら、お前以外の人間を生かしておくつもりはない」
そう言うと、隊長は背後の兵士たちに命じた。
「残っているアルクの一味を全員捕らえろ。
抵抗する者は、手荒に扱っても構わん」
怒号とともに兵士たちが動き出した。
外に出ていた数人を除き、アルクの配下は次々に取り押さえられた。
アルクは、縄で縛られていく仲間たちの姿を呆然と見つめた。
これまでナホトカで築いてきたものも、これで終わりか。
続々と連行されていく仲間の中に、ゼインの姿はなかった。
隊長が部下から報告を受ける姿を見て、アルクは表情をこわばらせた。
「建物内にはもう誰も残っておりません」
その言葉を耳にして、アルクは静かに目を閉じた。
ゼインは逃げおおせたのだ。
ほんのわずかに、安堵の色がその表情に浮かんだ。
あいつが、こんなところで終わるはずがない。
たとえ自分たちがここで終わろうとも、ゼインなら生きていける。
アルクは、そう信じていた。
【外伝】ナホトカのゼイン・アグリウスは、全十一話となります。
本日中に全話投稿予定です。
順次投稿していきますので、ブックマークをしてお楽しみいただければ幸いです。




