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【01】ナホトカのゼイン・アグリウス

大陸統一歴三百六年。

フランク王国の南、海岸沿いに点在する七つの都市が手を取り合い、ひとつの商業国家を築いていた。

その中でもナホトカと呼ばれる港湾都市は、十万人を超える人口を抱え、経済と政治の中心として繁栄していた。

気候は一年を通して温暖で、海風が街の暮らしに溶け込んでいた。

昼も夜も活気が絶えることはなく、街路には商人の声と船乗りたちの笑い声が満ちていた。


遠く他国からの留学生を多く受け入れており、「学問の街」としても名を馳せていたが、実のところ最も優秀な学生が集うのは、ルトニア王国の王都であった。


ゼインには、幼い頃の記憶がなかった。

両親の愛情を知らなくとも、ゼインは決して寂しくはなかった。


育ての親であるアルクは、街の荒くれ者百二十名ほどを束ねる親分であり、その界隈の顔役でもあった。


彼が取り仕切る地区は決して治安が良いとは言えず、娼館の並ぶ通りもあった。

ゼインの母が誰であったのかは、誰も知らない。

だがその通りにいた娼婦たちは皆、我が子のようにゼインを育てた。

彼女たちは交代で抱き上げ、食べさせ、眠るまで見守った。


父親代わりとなった荒くれ者たちもまた、ゼインを我が子のようにかわいがった。

彼が笑えば一緒に笑い、泣けば酒の席でも真剣にあやした。

ゼインの周りはいつも賑やかで、笑い声が絶えなかった。

彼は決して寂しさを知らず、貧しいながらも多くの人々に愛されて育った。


そんなナホトカの街で、ゼインは少しばかり有名な存在だった。

もっとも、それは誉め言葉ではない。

人々は彼を「悪童」と呼んだ。

それでも、誰も本気で嫌ってはいなかった。


店の軒先を歩けば、店主が「よう、ゼイン。これを持っていきな」と果物を渡してくれる。

酒場の亭主や、飲んだくれの女房からは「ゼイン、うちのを見なかったかい。見つけたら連れてきておくれ」と頼まれる。


子どものくせに、彼はなかなか忙しい。


ゼインは、そんな声をかけてくる人々に、溶けるような笑顔を浮かべながら、口の悪い言葉を返すのが常だった。

十歳の少年が、まるで大人のように軽口を叩く。

それがまた、この街の誰にとっても愛すべき光景だった。


ゼインには、いつも一緒にいる友人がいた。

赤毛の少年で、ゼインよりひとつ年下。

名をアリステア・ヴァレリウスといった。


ヴァレリウス家は、フランク王国からナホトカへ派遣された貴族の家で、すでに三代にわたってこの街で暮らしていた。

アリステアの父もナホトカで育ち、現在はフランク王国とナホトカとの交易や通商条約の調整役を務めている。


ナホトカでは、商人や貴族、漁師といった立場や身分の違いを気にする者は少ない。

どんな相手とも気さくに言葉を交わし、かしこまることなど滅多になかった。

ましてや、子どもたちにとって身分など関係のない話だった。


アリステアも、そうした自由な風土の中で育った。

しかも四男であったため、貴族のしがらみに縛られることもなく、日々を自由に過ごしていた。


暇さえ見つければゼインを探し出し、日が暮れるまで森や川を駆け回る。

ふたりは、いつも肩を並べて笑っていた。


アリステアにとって、ゼインは何でも知っている存在であり、心から尊敬する相手でもあった。

それも当然のことだった。

ゼインは、育ての親であるアルクが束ねる荒くれ者たちから、さまざまな知恵を教わっていた。


川で魚を捕る方法から、森で食べられる木の実の見分け方、小動物の仕留め方まで、幼いながらも多くのことを身につけていた。

森では罠を仕掛け、じっと息を潜めて獲物を待ち、捕らえれば仲間と手際よく解体した。

焚き火を起こせば、肉を焼く火加減も塩の加減もゼインが決めた。

彼に任せれば、不思議と皆が笑顔になった。


街を歩けば、店先のあちこちから声がかかる。

それは、決して施しではなかった。

人々は皆、ゼインたちに食べてほしいと心から思っていた。


アリステアはそんな光景を、いつも笑みを浮かべて見ていた。

無口な彼だったが、ゼインと過ごす時間が何よりも楽しかった。


ある日のこと。

隣街の子ども八人と喧嘩になった。

こちらは六人。

数では劣っていたが、ゼインとアリステアが大暴れし、最後には相手を追い払った。


アリステアは家に帰ると、すぐに両親からこっぴどく叱られた。

とはいえ、隣街の親から苦情が来たわけでもなく、ただ噂を耳にした両親が、親として叱っただけだった。


それでも、アリステアがゼインから離れることはなかった。

どれだけ叱られても、翌日になればまたゼインを探し出し、一緒に遊びに出かけた。


彼らは、この楽しい時間が永遠に続くものだと信じて疑わなかった。

その日々は、眩しいほどに色鮮やかだった。

その中心には、いつもゼインがいた。

アリステアにとってゼインは、誰にも代えることのできない、唯一無二の存在だった。

【外伝】ナホトカのゼイン・アグリウスは、全十一話となります。

本日中に全話投稿予定です。

順次投稿していきますので、ブックマークをしてお楽しみいただければ幸いです。

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