【10】 ウルク王朝の港町ドゥブロヴニクへ
ゼインは、アーチーから指摘を受けて以来、早朝の素振りをやめていた。
皆が起きる前に、船の雑務を済ませておくことにしたのだ。
それはアリステアも同じだった。
船員たちが起きてから、訓練を行う時間を確保するためである。
ここ数日で、朝になると船員たちが、
「ゼイン、今朝もやるか」
「アリステアもだな」
と声をかけ、それぞれが稽古に付き合ってくれるようになっていた。
しかし訓練が終わる頃には、二人とも身体中が打ち身であざだらけになっていた。
「アリステア、身体はどうだ」
訓練で打ちのめされ、甲板に横たわったゼインが声をかけた。
「皆は手加減という言葉を知らないと思いますよ」
同じように立ち上がれないアリステアが、苦笑しながら答えた。
ゼインは上半身を起こし、痛む身体をさすりながら言った。
「奴らは容赦がねぇよな。さすがに海賊を退治するだけのことはある。
俺らも奴らに勝てるようになれば、海賊とやり合えると思うか」
「この船の船員に勝てるようになれば、海賊になりましょう。
そして皆さんを見返してやりましょう」
アリステアがそう言うと、ゼインは大笑いした。
「確かに、アリステアの言う通りだ。
退治されない海賊にはなれるな。
しかし隠れるくらいなら、堂々としていたいものだ」
「そうですね。どこかの王様でもなりましょう。手伝いますよ」
「ああ、いつの日かな」
「ゼイン!アリステア!いつまで寝てやがる!
へばってないで、さっさと起きて仕事の続きをするぞ!」
アーチーに怒鳴られ、二人は跳ね起きた。
周りの船員たちは「坊主ども、張り切って仕事しろよ」と声をかける。
その声に、ゼインたちは汗を拭きながら「ありがとうよ」と返し、仕事に戻った。
夕食後、ゼインは船長室に呼ばれた。
「ゼイン、今後はどうするつもりだ。俺らの船に残るつもりはないんだろう」
「ああ、そのつもりだ。
居心地が良すぎるくらいだが、これ以上世話になり続けるわけにもいかないからな」
「お前も変わってるな。
毎朝、誰よりも早く起きて船の仕事を済ませて、そのあと皆にやられてるんだもんな。
それで居心地がいいなんて言うのは、お前ら二人くらいだろう」
「あんたら大人にはない夢を持っているからな。
この船で皆と過ごした経験は、必ず俺の役に立つ」
「そして、俺を雇う王様になるか」
アーチーは楽しそうに笑った。
「あんたは笑うが、俺は本気だぜ」
アーチーは笑みを浮かべたまま、心の中で思った。
俺も本気だ。いつか、本当に俺を雇ってほしいとな。
「毎朝の様子を見ていれば、そうかもしれんと思うよ。
それで今後のことが決まっていないのなら、次の寄港地、ウルク王朝の港町ドゥブロヴニクで、ザイドリッツという爺さんを紹介してやろうか。
かつて西側諸国の一つ、ガラリヤ王国で将軍を務めていた爺さんでな。
剣術と体術については、俺の知る限り大陸随一だ。
それにドゥブロヴニクは草原に近い。
草原の民と仲良くなれば、馬に乗る技術も身につけられるぜ」
「ありがたい話だ。だが、なぜそこまでしてくれる」
ナホトカを脱出するときも、船に乗ってからも、ゼインはアーチーたちに助けられてばかりだった。
自分がそれに見合う対価を払えているとは思っていない。
騙されているのかもしれない、と疑ったこともあった。
しかし、仮に自分を騙したところで、アーチーにそれほどの利益があるとも思えなかった。
だからこそ、ゼインにはアーチーがここまで自分たちに良くしてくれる理由が分からなかった。
「頑張っている少年を応援したいという、ただの老婆心だよ」
アーチーが笑いながら言うと、ゼインは表情を変えた。
「アーチー、俺は真剣に聞いているんだ」
俺も真剣に答えているつもりだ。
そう言うつもりだったが、ゼインは冗談で済ませられるような顔をしていなかった。
アーチーは、ゼインが納得できるよう、丁寧に言葉を選んだ。
「ゼイン、お前の毎朝の姿を見ていると、こちらが手伝いたくなるんだよ。
誰よりも早く起きて船の用事を済ませ、皆の時間を作っているその姿にな。
それに、身体中に残る打ち身の痕だよ。純粋に強くなりたいのだろう。
俺はお前より長く生きている分、強くなる方法を知っている。
知っていることをお前に教えるだけだ。そこに対価は要求しないさ。
強くなるのも、ならないのもお前次第だからな。
強くなれるという責任まで取るつもりはないぞ」
ゼインは腕を組み、考え始めた。
「強くなれる方法を教えてもらっても、返すものがないぜ」
「子供が生意気言ってんじゃねぇよ。
さっきも言っただろう、強くなれるかどうかはお前次第だと。
それに、子供に対価を要求するほど落ちぶれちゃいねぇよ。
ありがとうと言えばいいんだよ。申し訳ないとか言うなよ。
まあ、うまいこといって、どこかの王様にでもなれば、その時は大金をはたいて俺を養ってくれ」
アーチーは冗談のつもりで言ったが、ゼインは思いがけない表情を見せた。
「ありがとう。必ずあんたを迎えに来る」
「俺がお前の役に立つ年齢までにしてくれよ。
よぼよぼの爺さんになって迎えに来てもらっても、使い道がないからな」
アーチーは、少しでもゼインの表情を和らげようと言ったが、その効果はなかった。
「ああ、必ず。それほど待たせるつもりはない。安心してくれ」
アーチーは、そんなゼインの真面目なところが好きだった。
相手の好意を疑いながらも、受け入れると決めれば真正面から受け止める。
それを口に出すことなく、アーチーは静かに笑った。
「では、ドゥブロヴニクでお前らを下ろすからな。
他の船員には、明日にでも俺から伝えておく。
お前は赤毛の少年に言っておけよ」
アーチーは、他の船員から「なぜゼインを船から降ろした」と文句を言われるかもしれないと考えていた。
船員たちは、そろいもそろってゼインとアリステアのことが大好きなのだ。
二人は感受性が高く、吸収力にも優れていた。
毎朝の訓練に付き合っている船員たちは、日々強くなっていくゼインたちを見るのが楽しかった。
それに、身体中にあざを作っても、翌朝にはまた船の仕事を終え、船員を捕まえては訓練に励む。
そんな二人に、船員たちは自然と好意を抱いていた。
アーチーも船員たちと同じ気持ちだった。
俺もゼインとアリステアを船から降ろしたいとは思っていない。
このまま二人を俺の船に乗せて、ずっと手元に置いておきたいとさえ考えている。
だが、彼らの将来を決めるのは彼ら自身だ。
俺たちは、若い彼らにできるところまで手を貸してやればいい。
ゼインとアリステアを乗せたアーチーの船は、二週間の航海を経て、間もなくウルク王朝の港町ドゥブロヴニクに到着しようとしていた。
【外伝】ナホトカのゼイン・アグリウスは、全十一話となります。
本日中に全話投稿予定です。
順次投稿していきますので、ブックマークをしてお楽しみいただければ幸いです。




