第16話 竜
アランたちは、カインたちに助力すべく踵を返そうとしたところ、そう遠くない空から、巨大な轟音とともに何かが近づく音が聞こえてきた。
「な、何の音だ?」
アランたちは音が聞こえる方に振り返ると、まだ、遠目ではあるものの黒い大きな塊がこちらに向かってきていた。
やがて、その物体が十分視認できる位置にまで迫ってくると、その場にいたものみなが、衝撃を隠せない表情へと変わっていった。
その物体が竜だったからである。
「な? なんだって?」
アランから、思わず声が漏れる。
アカネは未だかつて目にしたこともない光景に言葉を失っていた。
竜といえば魔物の頂点にたつともいわれる存在で、様々な種族が存在しており、いずれの種族も人間などはるかに及ばぬ強さを備えている生物だ。
火炎を放つ種族や、吹雪を巻き起こす種族など多岐にわたり、たとえ竜からしてみれば軽い攻撃でも、人間がひとたび食らえばたちまち致命傷となってしまうことは珍しくない。
大賢者様によって黒竜王が封印されるまでは、しばしば人里を襲撃することも見られたが、封印されし以降は谷や森林など、山深くに潜み、人と距離をとって生息していた。
推察するに、自分たちの王が敗れたことで、人に脅威を覚えたからであろう。それゆえに、現代の世界では竜の存在は広く知られているものの、実物を目にしたことがあるものはそれほど多くはなく、アランといえども知識として竜のことを知っているだけで戦闘経験は持たなかった。それはミサも同じで、騎士団のものたちも同様である。
「ねぇ、アラン、あれって竜よね?」
「そうみたいだね。ミサちゃんは、見たことある?」
「えぇ。父さんとともに活動しているときに目にしたことはいくらかあるわ。けれども戦ったことはないわね」
「僕も調査とかで目撃したことはあったけど、こうやってまじまじと対面するのは初めてだよ」
アランは言葉を口にしながらも、大きく息をのみ、手にした大剣をぎゅっと握りながら竜の接近に備えている。
そこに、後方からアルバンたちが駆け足で近づいてきた。
「アランくん」
「アルバンさん、あれは」
アランは上空から近づきつつある黒い物体を指差し
「あぁ、間違いない。竜だ。姿を見るにあれは地竜だね」
「地竜?」
「あぁ。地竜は竜のなかでは平均的な強さの種族で、特殊な攻撃方法は持たず己の肉体のみで戦う種族だ」
「アルバンさんは竜と戦ったことがあるんですか?」
「あぁ。今回の国王様からの調査依頼でも何度か交戦しているよ。けれども、それは相手を倒すための戦いではなく、時間を稼いだり、隙をつくったりしてその間に撤退するものでまともに交戦したことはほとんどないよ」
「そうなんですか」
「だが、今はこの草原。身を隠す場所や撤退するような場所は近くには見当たらないね。さて、どうしようか」
アルバンは、困ったような仕草で腕組みをする。
その間にも、地竜はこちらに迫り、その羽ばたきから発せられる強い風に、アカネの長い赤髪や、ミサの自慢の金髪が大きくなびいていた。
「どうもこうもやるしかないですかね」
アランは腹をくくって身構える。
「アラン様は私がお守りしますわよ」
マリカは恐れを抱きながらも自らを奮い立たせ、アランの隣に立った。
「大丈夫。私と父さんがいるんだから竜だってものともしないわよ。ね? 父さん」
「ははっ。ミサは相変わらずだな」
アルバン親子もじっと竜を見据えている。
そしてアカネもまた
「ちょっと驚いたけど、向こうから迫ってくるならやるしかないわね。私にできることは少ないかもしれないけど、それでも私も力になってみせるわ」
アカネの決意にアランとミサはにこっと視線を送り、マリカは興味なさそうな視線を送りながらもアカネのことを気にかけているようだった。
一同が戦う決意を新たにしたところだったが、その後に起きたことは全く予想だにしないことであった。
「ミサ。まずはこちらへの攻撃を防ぐことを考えよう」
「そうね。土? いや、岩の壁?」
アルバンとミサが繰り出す魔法を思案しているところ、地竜はアランたちの少し手前でゆっくりと動きを止めると空中に浮遊したままこちらを睨み、漂っている。
そして、驚くべきことが起こった。
「人間よ。我の声が聞こえるか?」
地竜から低く重厚な声が聞こえたのだ。
「な? 竜がしゃべった?」
アランたちは驚きのあまり、戦いに備えた手が思わず緩んでしまっている。
竜はもとより、魔物が言葉を発することありえなどないことで、記録や伝説によれば、人間とコンタクトをとれるものもいるとされてはいるが、それは黒竜王といったごく一部の特別な存在に限られている。
普段は、沈着冷静なアルバンですら怪訝な面持ちだ。
「どうした? 聞こえておらんか?」
再び地竜から声が発せられた。
「あ、あぁ。聞こえているよ」
アランはその声に反応する。
「ふむ。先ほどの戦い、見させてもらったが、思ったよりはやるといったところか」
「先ほどの戦い? それって、火吹き鳥たちとのことかい?」
「そうだ。他方でも仕掛けさせてもらっていたがな」
「ということは、戦いの最中に聞こえた声の主はきみだったのかな?」
地竜はアランの軽い口調が気にかかるようで、ぎろりとアランを睨んでいる。
「人間よ、あまりなれなれしく声をかけてくれるな。とはいえ、まぁ、今はよしとしよう。仮の姿であるしな」
地竜からは多少の怒気が含まれるような声が聞こえたが、すぐさま落ち着いた口調へと戻っていく。
地竜は戦う意思があるのかないのか、ただただ浮遊したままだ。
そして、さきの地竜の発言に引っ掛かりを覚えたアルバンが問いかける。
「仮の姿? 地竜が言葉を話すとは知らなかったのだけれども、これまでの発言を鑑みるに、あなたは特別な存在かなにかなのかい?」
アルバンは油断せず、いざというときの構えをとったまま地竜に話しかける。
地竜は目線をアルバンに送る。
「ん? お前の姿にはどこか見覚えがあるな…… まぁ、どうでもよいことだが。我は特別というより、唯一の存在である」
「おや、どこかでお会いしていたかな? 話せる竜に出会っていたら、私はきっと覚えているだろうけど、あいにくそういった覚えはなくてね。もし、私が忘れているのだったら申し訳ない。確かに、言葉を操る地竜なんて今まで聞いたことがないから、それだけで唯一の存在といえるのかもね」
地竜は不敵な笑みを浮かべているかのように
「勘違いするな。我は地竜などではない。先ほども言ったであろう。仮の姿だと」
アランやアカネたちはみな、アルバンのやり取りをじっと見守っている。
広い大地に、地竜の羽ばたきによる風が絶え間なく吹き続けていた。
再び地竜が口を開く。
「こたびの戦は今の人間たちの力を探るために我が先導し、貴様らの力を測らせてもらった。この程度でやられるようならば、それはそれで仕方なかったが、なかなかどうして、不本意ながらも褒めてやろう。この程度も相手にできないようでは、手ごたえがないからな。恨みの晴らしがいもないというものよ」
地竜から不穏な単語が発せられている。
「見覚え? 恨み? ……」
アルバンは、地竜の言葉を反芻し、やがて一つの結論にたどり着いた。
それは背筋を凍らせるものである。
「ま、まさか。お前は……」
地竜は顔色一つ変えずに淡々と言葉を紡いでいく。
「察したか? そうだ。我こそが黒竜王である。今はこの忌々しい封印によって力を制限されているが、その縛りも、あとわずかよ。そこの人間も我の谷近くに来ており、そのときが近づいていることはわかっておるだろう。今は、我の意思をこの地竜に宿し、姿を借りて貴様らのもとへと現れているということだ」
突然の激白に一同の体は電撃が走ったかのように硬直し、言葉を失っている。
「本来なら、我をこのような闇に落としたあの男に復讐してやりたいところだが、周囲の変貌ぶりからどうやら我は眠りすぎていたようで、そのものはとうにこの世を去っているだろう。だが、人間から受けたこの仕打ち、やはり返してやらねば気がおさまらぬ。貴様らも運の尽きだな。こたびの戦を仕掛けたことで、我は、またしばらくは力を蓄えることになるだろうが、復活のときは遠くない。本日はそれに向けた余興よ。そのときがくるまで恐怖に震えて待つがよい。人間には、必ず絶望を味わわせてやるゆえな」
黒竜王は淡々と自らを語っていく。その話は先刻のアルバンの予想通り、黒竜王は人間への復讐心を抱いていた。それが白日の下にさらされ、多くのものは、伝説の黒竜王の悪しき話が頭の中を巡っていた。
そんな中、一人の少女の声が草原に響き渡る。
「だったらここで今あんたを倒せばおしまいかしら」
アカネは自分でも驚く、素っ頓狂な発言が口をついた。
その表情はニヤッとしているようでもあり、きりっとしているようでもあり不思議な魅力を放っていた。
そこにいたすべてのものたちの視線がアカネへと集中する。
(ア、アカネちゃん???)
(アカネ? あんた一体何を言っているのよ)
しかしアカネの表情とはうって変わり周囲は、困惑を隠せなかった。
地竜もアカネの発言が本気とはとらえていないであろう口調で
「小娘よ、面白いことを申すな。貴様に到底そんな力があるようには見えんが、仮にそれを成したとしても、我の本体には大きな影響はない。この個体が亡くなるだけよ。まぁ、多少は我もダメージは被るだろうがな」
「ダメージがあるなら、試してもいいんじゃないかしら」
アカネは内心恐れているにも関わらず、それとは裏腹に前に出る。
「アカネちゃん、無茶だ!!」
アランが思わず止めに入る。
さきほどまではまるで関心がなかった地竜ならぬ黒竜王だったが、アカネの発言に少し興味を覚えていた。
「ほう。小娘よ、それほど言うからには死ぬ覚悟はできておろうな。だが、我を黒竜王と知ってなお、そのようなへらず口をたたく人間はあまり見たことがない。無知かよほど実力に自信があるのか…… いずれにしても、本来だったらその愚かな発言によって貴様はすでに亡骸となっていただろうが、その無謀な心意気に多少興味がわく。よって、チャンスをやろう。一撃だ。一撃耐えることができるようならば、こたびの発言については見逃してやろう。さぁ、いくぞ。地竜の姿を借りているとはいえ、人間一人つぶすことなどわけないからな」
そう言うと、地竜はゆっくりとした動きからアカネに向かって飛びかかり腕をふりかぶる。
それを見ていた騎士団たちの多くのものは思わず目を覆っていた。
アランはアカネに覆いかぶさるように飛びつこうとしている。
だが、地竜が鋭い爪を振り下ろすと同時に
「ロックウォール(大岩の壁)」
ミサが放った厚さ数メートルはあろうかという硬い岩壁がアカネの前に立ちはだかり、地竜の攻撃を防いでいた。
その一撃を受けた岩壁から激しい衝突音があたりに鳴り響き、およそ、崩壊とは無縁とも思える大岩は粉々にされていた。
「ほう。全力からはほど遠いとはいえ、この攻撃を防ぐものがいるとはな。面白いものもいるようだ。まぁ、今日は余興、約束通りここは見逃してやろう。だが人間たちよ、忘れるでない。今はまだ満足に動けぬが復活したのちは必ずや我の手で、貴様らを地獄に送ってやるとな。そのうち、同胞たちもあいさつにうかがうこともあるだろう。それまでの命よ。くっくっく」
地竜の姿を借りている黒竜王はそう言い残すと、笑いながら身を翻し上空を戻っていった。
アカネの前に立ちふさがっていた大岩の壁は見るも無残に粉砕されている。
その光景は竜の力を推し量るには十分であった。
アカネは今さらながら自分の行いをふり返り遠ざかっていく地竜の姿を確認すると、思わずその場にへたり込んでしまった。
そんなアカネにミサが血相を変えて詰め寄ってきた。
「アカネ。あんた、なに口走ってるのよ!!」
まだ足元もおぼつかず立ち上がれない、アカネの肩を揺さぶりながらミサが問い詰める。
「い、いやぁ。なんだか自分でもよくわからないんだけど、思わず声が出ちゃって」
「声が出ちゃってじゃないわよ。あんた自分で何言ったかわかっているの?」
あまりのミサの剣幕にアカネはおされながら
「め、面目ない」
「面目ないじゃないわ。今こうして生きているのだって奇跡みたいなものよ」
「はい……」
「なにか勝算があったわけ?」
「いえ。とくには…… でも、なんか、やらなきゃいけないみたいな気持ちに……」
「はぁ? なによそれ」
「いや、あの……」
アカネは自分でもわからない何か不思議な気持ちに突き動かされていたのだが、それをうまく説明することはできず、ミサは叱責しながら大いに呆れている。
アカネはようやく立ち上がりながら
「……ごめんなさい。でも、ミサならきっと手助けしてくれるとは信じていたわ。打合せする間もなかったけど……」
「そりゃ、戦闘になったらもちろん手は貸すけど、さすがに竜相手じゃどうにかできるかなんてわからなかったわよ。あんな挑発は今回限りにしてちょうだい」
「はい……」
「さっきまでの自信なさげなアカネとは大違いね」
アカネはミサの言葉に小さくなる。
「本当だよ。アカネちゃん、勇気と無謀は似ているようで全く違うんだから」
「はい。ごもっともです……」
「でも、本当によかった」
アランも心底ほっとしている。
そんななか、アランはこの短い期間で何回アカネにハラハラさせられているのだろうかとふと考えていた。
「全く、バカそうだなと思っていたけど、バカそうではなくバカだったのね」
「うっっ」
つかつかと近寄ってきたマリカからは辛らつな言葉を投げかけられた。
だが、言葉とは裏腹にマリカはアラン同様安堵しているような感じで、その場にいたものもみた一様にアカネの無事に胸をなでおろしている。
そして、その安心した感情とは別に、一同は、竜を前に一歩も動けず、ただただ立ち尽くすだけだった自分たちとは異なり、唯一竜に対して前に出たアカネに対し、なにか特別な感情も抱いていた。




