第8話 源素がないのか?視えないのか?
ヒューさんが再び詠唱を始める。
ややあって、リリーちゃんありがとう、と言いながらヒューさんは私の手をそっと離した。
「……ちょっとレイ、手貸して」
レイフォードさんは大人しく左手をヒューさんに無言で伸ばした。
差し出された手のひらにコンフェを乗せ、ヒューさんは片手をその上に軽く重ねた。呪文を唱え始めるやいなやヒューさんは、ほうっと胸をなで下ろした。
「視える視える。あー、びっくりした」
ヒューさんは訝しげにレイフォードさんを見つめると言った。
「どういうこと? リリーちゃんの源素が視えないんだけど。お前、また何か変な研究してるんじゃないよね? 肌に塗ると源素が視えなくなる軟膏の開発とかさ」
(ヒューさん、レイフォードさんのこと「お前」って言った。怒られないのかな)
ずっとヒューさんの様子を冷めた眼差しで観察していたレイフォードさんはどこか満足そうに言った。
「残念ながらそうじゃない。本当に視えないんだ。俺にも視えない」
(レイフォードさんが「俺」って言った……いつも澄ましてるのに)
完全に二人とは違うところに気を取られる私。
「嘘だろ……本当に視えないのか? レイ、何もしてないのか?」
「俺は何もしてない。仮にリリーが何かされてこうなっているのだとしたら、俺に会う前だ」
「でも、本当に……だって手袋とかの比じゃないって。本当に何も視えない」
(手袋?)
興味を引かれて質問してみる。
「手袋をしていると、視えなくなるんですか?」
「視えにくくなる」
端的なレイフォードさんの答えをヒューさんが補って説明してくれた。
「薄いベールを物にかけると、何かあるのは透けて見えるだろ? それと一緒なんだ。僕たちにも源素があるのは分かるし、はっきりしているなら予想もつく。でも判別しにくいんだよ。手袋や布越しに視ると、そういう状態になるんだ。なるべく視る人にコンフェが接触している方がいい」
「視られる対象が手袋をしないほうがいいんですか? それとも、視る人ですか?」
「両方だね」
ふと疑問が湧く。
「頭は? 髪の毛の上からでもいいんですか?」
レイフォードさんは面白がるように片眉を上げて私を見つめている。
「やっぱり分かりにくいな。素肌が一番視えやすいんだ」
「爪のかけらとかでも視えるんですか?」
この質問に、ヒューさんは明らかに引いた様子だった。
「やったことない……多分視えないと思う。……あのさ、一応、神聖な儀式なんだよ?」
それでも、苦笑いで説明してくれるのだった。優しい人にこんな表情をさせてしまって、罪悪感を感じる。
「すみません、変なことを言って」
「いや、純粋な好奇心だろう」
レイフォードさんが謎の加勢をする。
その言葉にヒューさんは肩をすくめ、「まあ、そうかもしれないけど……」と書き物机の縁に腰を預け、腕を組んでため息をついた。
ためらいがちに、私は前々から考えていた質問をした。
「……私には、源素がないんですか? 視えないだけなんですか?」
藤色と水色の二つの視線が、私の内側を見極めようとするかのように鋭く注がれる。
「……正直なところ、私にも分からない」レイフォードさんが答えた。
「もし源素がないと……私、どういう風に困るんでしょうか?」
「実務的にはほとんど影響しない。強いて言えば、公的な書類に書けないことくらいだ。そもそも自分の源素を書類に書く機会はほぼない」
「今までそんな人見たことないけど、まあ、罰せられることはないんじゃない?」
ヒューさんが気軽に言うと、さらに付け加えた。
「あとは、祝い月が分からないから、いつ年を取るか曖昧になることくらいじゃない?」
ああ、それがあったか、とレイフォードさんが呟く。
「祝い月って何ですか?」
「それも忘れちゃってるのか。自分の源素の月のことだよ。祝い月に年齢が増えるから。まあ、一年の内のどこかの月を自分の祝い月として、仮に決めちゃえばいいと思うよ」
「……? 源素が年齢に関係するんですか?」
「……直接関係するというより、自分の源素の月を年齢の区切りにするんだ」
とレイフォードさんが口を挟んだ。
「誕生日ではなく?」
「タンジョウビって……誕生した日、つまり生まれた日ってこと?」
不思議そうにヒューさんが尋ねる。
「はい、もちろん」
「普通、生まれた日なんて覚えてないよ」
「え、生まれた日に年齢が増えるんじゃないんですか?」
「なんで?」
「なんでって……」
二の句が継げなくなった私を見かねたのか、レイフォードさんが言った。
「ここでは自分の生まれた正確な月日ではなく、自分の源素の月である”祝い月”に年を取るんだ」
「はあ」
(数え年……だっけ、そういうやつなのかな)
「ヒューの言う通り、仮の祝い月を決めることで解消できる問題だ。気にするほどのことでもない」
「そうですか……」
ふと、先程のレイフォードさんの言ったことが引っかかった。
「あの、実務的……以外で困ることはないですか?」
「困るかどうか、分からないというのが正確な表現だ。源素のない人間がいた記録がないからな。どう影響するのか分からない」
冷淡なほどズバズバと言ってのけるレイフォードさんだが、かえってその事務的な口調は、私が事態を落ち着いて受け止めるのに役立っていた。
とはいえ、靄がかかったような重苦しい気持ちを隠しきれずに私は言った。
「……なんか、分からないことだらけですね」
「その通りだ」
私の心を暗く覆う不安を、その意志の強い眼差しでなぎ払うかのようにレイフォードさんは不敵に笑った。
「だが……だからこそ、研究のしがいもあるというものだ」




