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恋を知らない素導師様は  〜君という難問に抗えない〜  作者: 井ノ上 杏
第一章 出会いと保護

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第8話 源素がないのか?視えないのか?

 ヒューさんが再び詠唱を始める。

ややあって、リリーちゃんありがとう、と言いながらヒューさんは私の手をそっと離した。

「……ちょっとレイ、手貸して」


 レイフォードさんは大人しく左手をヒューさんに無言で伸ばした。

差し出された手のひらにコンフェを乗せ、ヒューさんは片手をその上に軽く重ねた。呪文を唱え始めるやいなやヒューさんは、ほうっと胸をなで下ろした。

「視える視える。あー、びっくりした」


 ヒューさんは(いぶか)しげにレイフォードさんを見つめると言った。

「どういうこと? リリーちゃんの源素(げんそ)()えないんだけど。お前、また何か変な研究してるんじゃないよね? 肌に塗ると源素が視えなくなる軟膏の開発とかさ」


(ヒューさん、レイフォードさんのこと「お前」って言った。怒られないのかな)

ずっとヒューさんの様子を冷めた眼差しで観察していたレイフォードさんはどこか満足そうに言った。

「残念ながらそうじゃない。本当に()えないんだ。俺にも()えない」


(レイフォードさんが「俺」って言った……いつも澄ましてるのに)

完全に二人とは違うところに気を取られる私。


「嘘だろ……本当に視えないのか? レイ、何もしてないのか?」

「俺は何もしてない。仮にリリーが何かされてこうなっているのだとしたら、俺に会う前だ」

「でも、本当に……だって手袋とかの比じゃないって。本当に何も視えない」


(手袋?)

興味を引かれて質問してみる。

「手袋をしていると、視えなくなるんですか?」

「視えにくくなる」

端的なレイフォードさんの答えをヒューさんが補って説明してくれた。

「薄いベールを物にかけると、何かあるのは透けて見えるだろ? それと一緒なんだ。僕たちにも源素があるのは分かるし、はっきりしているなら予想もつく。でも判別しにくいんだよ。手袋や布越しに視ると、そういう状態になるんだ。なるべく視る人にコンフェが接触している方がいい」


「視られる対象が手袋をしないほうがいいんですか? それとも、視る人ですか?」

「両方だね」

ふと疑問が湧く。

「頭は? 髪の毛の上からでもいいんですか?」

レイフォードさんは面白がるように片眉を上げて私を見つめている。


「やっぱり分かりにくいな。素肌が一番視えやすいんだ」

「爪のかけらとかでも視えるんですか?」

この質問に、ヒューさんは明らかに引いた様子だった。

「やったことない……多分視えないと思う。……あのさ、一応、神聖な儀式なんだよ?」

それでも、苦笑いで説明してくれるのだった。優しい人にこんな表情をさせてしまって、罪悪感を感じる。


「すみません、変なことを言って」

「いや、純粋な好奇心だろう」

レイフォードさんが謎の加勢をする。

その言葉にヒューさんは肩をすくめ、「まあ、そうかもしれないけど……」と書き物机の縁に腰を預け、腕を組んでため息をついた。


ためらいがちに、私は前々から考えていた質問をした。

「……私には、源素がないんですか? ()えないだけなんですか?」

藤色と水色の二つの視線が、私の内側を見極めようとするかのように鋭く注がれる。

「……正直なところ、私にも分からない」レイフォードさんが答えた。


「もし源素がないと……私、どういう風に困るんでしょうか?」

「実務的にはほとんど影響しない。強いて言えば、公的な書類に書けないことくらいだ。そもそも自分の源素を書類に書く機会はほぼない」

「今までそんな人見たことないけど、まあ、罰せられることはないんじゃない?」

ヒューさんが気軽に言うと、さらに付け加えた。


「あとは、(いわ)(つき)が分からないから、いつ年を取るか曖昧になることくらいじゃない?」

ああ、それがあったか、とレイフォードさんが呟く。

「祝い月って何ですか?」

「それも忘れちゃってるのか。自分の源素の月のことだよ。祝い月に年齢が増えるから。まあ、一年の内のどこかの月を自分の祝い月として、仮に決めちゃえばいいと思うよ」

「……? 源素が年齢に関係するんですか?」


「……直接関係するというより、自分の源素の月を年齢の区切りにするんだ」

とレイフォードさんが口を挟んだ。

「誕生日ではなく?」

「タンジョウビって……誕生した日、つまり生まれた日ってこと?」

不思議そうにヒューさんが尋ねる。


「はい、もちろん」

「普通、生まれた日なんて覚えてないよ」

「え、生まれた日に年齢が増えるんじゃないんですか?」

「なんで?」

「なんでって……」


 二の句が継げなくなった私を見かねたのか、レイフォードさんが言った。

「ここでは自分の生まれた正確な月日ではなく、自分の源素の月である”祝い月”に年を取るんだ」

「はあ」

(数え年……だっけ、そういうやつなのかな)

「ヒューの言う通り、仮の祝い月を決めることで解消できる問題だ。気にするほどのことでもない」

「そうですか……」


 ふと、先程のレイフォードさんの言ったことが引っかかった。

「あの、実務的……以外で困ることはないですか?」

「困るかどうか、分からないというのが正確な表現だ。源素のない人間がいた記録がないからな。どう影響するのか分からない」


 冷淡なほどズバズバと言ってのけるレイフォードさんだが、かえってその事務的な口調は、私が事態を落ち着いて受け止めるのに役立っていた。

とはいえ、(もや)がかかったような重苦しい気持ちを隠しきれずに私は言った。


「……なんか、分からないことだらけですね」

「その通りだ」

私の心を暗く覆う不安を、その意志の強い眼差しでなぎ払うかのようにレイフォードさんは不敵に笑った。

「だが……だからこそ、研究のしがいもあるというものだ」

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