第7話 ヒューバート・シュミット
それから二、三日が過ぎたある日、そのヒューバート様は突然姿を現した。すっかり習慣になって、用事はないかと書斎を覗くとレイフォードさんと見知らぬ男性がいた。
その人物はレイフォードさんと向かい合って会話していたので背格好しか見えなかったけれども、動きやすそうなシャツにズボンという軽装、スラリとした長身と広い肩幅が私の目に飛び込んできた。後頭部の低い位置で無造作にまとめられた濃い金色の髪が揺れている。
(あれが、ヒューバート様? いつの間に来たんだろう、全然気が付かなかった)
私に気がついたレイフォードさんが声をかけた。
「リリー、今呼ぼうと思っていたところだ」
その声で私の方を振り返った男性はレイフォードさんとは正反対の、それでいて非常に魅力的な容姿をした青年だった。
額にかかった柔らかな癖のある髪は、とろりと溶け出したような濃密な蜂蜜色に輝いている。結びきれなかった後れ毛が筋張った首筋に掛かっている。
黒目の大きな水色の瞳は、春の澄み切った空を映したかのような色合いで、ほんの少し下がった目尻が人懐っこい大型犬を連想させる。
「よろしく、ヒューバートだよ。皆にはヒューって呼ばれてる。レイとは学生の時からの付き合いなんだ」
彼は柔らかに鼻に抜ける声で言った。言葉の一つ一つに温かな息吹が含まれているかのようだ。真っ直ぐな若さを感じさせるクリスタルの音色を持つレイフォードさんの声とは真逆の、春の陽だまりのように他者を優しく包み込む響きだった。
少し背を屈めて差し出された手は握手すると私の手を完全に包むほど大きいが、意外にも穏やかな添え方だった。長身にもかかわらず威圧感がなく柔和な印象を与えるのは、彼がまとったほのかに甘い雰囲気のせいだろう。
砂糖菓子みたいに甘ったるいんじゃなくて、焼き上がったばかりのシフォンケーキみたいにふんわりと淡い甘さ。
レイフォードさんも背が高い方だが、二人が並ぶとその対照的な容姿がより際立っていた。
(まるでつんと澄ました気位の高い猫と、主人に撫でてもらうのを待っている大型犬みたい)
「ヒューバートさん、よろしくお願いします。リリアナと呼ばれています」
彼は太陽のような屈託のない微笑みで言った。
「ヒューでいいよ。レイから聞いたよ、リリーちゃんでしょ? あ、リリーさんって呼んだ方が良い?」
つられて私も微笑む。
「リリーちゃんでも、リリーでも、どちらでも大丈夫です」
「じゃあ、リリーちゃんね。その方が可愛い雰囲気で君に合ってるし」
(さり気なく褒めてくれる。見た目や声だけじゃなくて性格までレイフォードさんと本当に真逆なんだな)
ヒューさんは人の懐に入るのが上手なのだろう。上手いと言っても、狙っているのではなく裏表のない快活さによるもので全く嫌味がない。彼が心を開いているのが分かるから、こちらも知らず知らずのうちに心を開きたくなる。そんな不思議と周囲を素直にさせてくれる人のように思えた。
私たちのやり取りを見ていたレイフォードさんがせっかちに言った。
「いいから、ヒュー。ちょっとリリーを視てくれ」
「……は?」
笑顔のまま固まったヒューさんが、ゆっくりとレイフォードさんのことを見る。
「……視る? 僕が? リリーちゃんを?」
(なんだか、こういうことあったな)
初めてレイフォードさんに会ったときのことを思い出す。あの時、彼も今のヒューさんと全く同じ反応をしていた。一ヶ月も経ってないのに随分前のことのように感じる。
「……何で?」
次のセリフまであの時と寸分違わなかった。
「いいから、とにかく視てくれ。 ”コンフェ”、持ってきてるんだろう?」
理由を言わずにレイフォードさんは急かす。
(自分の時だって渋ってたくせに。というより、 コンフェって何だろう?)
「そりゃ持ってるけどさぁ……」
ヒューさんは腰元の革製のポーチから、透明な塊を取り出した。あの”大きな金平糖”。レイフォードさんのものより少し尖っていたけれど、その他はほとんど同じだった。
(ヒューさんも、あれを持ってるんだ)
「それ、 コンフェっていうんですか?」
「そうだよ。本当の名前は源素誘導核っていうんだけど、誰もそんな長ったらしい名前で呼ばないんだ。お菓子のコンフェに似てるから、僕たちはそう呼んでる」
「お菓子の名前なんですか?」
「コンフェ知らない? 砂糖菓子の。ちっちゃいトゲトゲしたやつ」
ヒューさんの説明してくれたお菓子は、まさに金平糖そのものだった。
(ここにも、金平糖と似たお菓子があるのかな)
「リリーは記憶喪失なんだ」
レイフォードさんがかなり端折った説明をしたが、ヒューさんは大して驚かなかった。
「マジ? すごいな、本物の記憶喪失の人に初めて会ったよ」
「ちょっと思い出せないだけです」
「ほとんど覚えてないだろう。まあ、いいから早く視てくれ」
レイフォードさんがしっしっと手を払うように促した。
「はいはい。ごめん、リリーちゃん、手を借りるよ。ちょっと視させてね」
ヒューさんは私の片手を取ると、その上にコンフェを乗せ、自身の両手で私の手を上下に挟むように包みこんだ。
そして、目を閉じると祈るかのように小声で詠唱を始めた。低い甘い声に呼応するかのようにコンフェは温かな金色の光を発した。
ヒューさんは目を開けると、微かに目を瞬かせた。あったはずのものが、忽然と姿を消してしまって「あれ、ここに置いておいたはずなのに」と戸惑っているかのような表情だった。
「え、ちょっとごめん、もう一回いい?」
困惑を隠せずにいるヒューさんに私はただ黙って頷いた。




