第68話 勘違いは仲直りの元
マルゴの帰る日、レイフと私で彼女を見送っていたとき私は彼女にプレゼントを手渡した。
「17歳になったお祝いに」
紫色のリボンの髪飾り。彼女の瞳の色をイメージして私が作ったものだった。彼女は早速付けてくれた。髪を上げたので露わになった彼女の小さなアメジストの耳飾りが、冬の昼の太陽光を反射してきらりと輝いた。
それに気がついたレイフが言った。
「それ、付けてくれているのか」
「だってお守りだもの」
――え? どういうこと?
「その耳飾りって……」
「レイがくれたのよ、私がここを出る時に」
アクセサリーをプレゼント? レイフが?
「あ、そうなの……」
私はレイフに鋭い視線を送った。彼は不思議そうに片眉を上げたが、私のピリついた空気には気がついていないようだった。
マルゴを笑顔で見送った後、私はレイフに詰め寄った。
「妹にはアクセサリーをプレゼントしてるのに、恋人にはあげないの?」
「何の話だ?」
「マルゴには耳飾りをあげたんでしょ? なんで私には身につけるアクセサリーをくれないの? というか、あなたが私に贈り物してくれたことなんて一度でもあった?」
私が突然怒り出したように見えたのだろう、彼は困惑していた。
「またマルゴとの比較か……?」
――また、って何? そもそも問題はそこじゃない。
私だけの、いつも身につけられるようなものが欲しいのに。
私がマルゴと比較してばかりみたいな言い方にカチンときて、売り言葉に買い言葉で言ってしまった。
「ヒューさんはくれたのに……」
途端に彼の顔が曇った。
「君こそ、なぜマルゴの前では『レイフォードさん』呼びだったんだ?」
「それは……気恥ずかしさと言うか……マルゴに気を使ったのもあるし……」
「なんで気を使うんだ? そんなに俺の恋人であることが恥ずかしいのか?」
「そんなこと、言ってない……」
「……ヒューの方が良かったって後悔してるんじゃないのか」
冷たい低い声だった。
「そんなわけないでしょ!?」
彼は何も答えず、足早に館の中に入っていった。
一人残された私はうなだれて涙をこらえた。
なんで、こんなことになっちゃったの? 私が怒ったから?
でも本当に何ももらったことがない。
レイフはマルゴにはあげてたのに。
ヒューさんの名前を出したのは少し心が痛んだけど、本当のことだった。
もっと可愛くねだればよかった。
そしたら彼だってプレゼントしてくれたかも。
だって、18歳になったお祝いだってもらってなかったから。
なんであんな言い方しちゃったんだろう。
どうしよう、恋人になってから初めての喧嘩かも。
こんな言い合いで別れるなんて、そんなことないよね……?
それは私が初めて感じる種類の不安だった。愛情を得たら安心できると思っていたのに、今度は失うことを恐れるようになるなんて。
どちらか一方が悪いのではなくて、お互いに反省すべき点があるように思えた。私は彼にどう謝ればいいのか分からなかった。ごめんなさいと言ったところで、何に対しての謝罪なのか説明できなければ彼は納得しないだろう。
ぎこちないまま、その日は過ぎようとしていた。
薄暗くなった夕刻に聖堂へ行ったときには、もう戸締まりがされていた。閉ざされた扉にコツンと額を当てて私はため息をついた。
ここは彼の心の象徴だ。愛情があるときは開いているし、彼の心が閉じているときは入れない。
――まだ怒ってるんだ。
私は白い息を吐きながら葉のすっかり落ちた木々の間を抜けて館に戻った。
夕食の間も私は彼の様子を上目遣いでこっそりとうかがったけど、彼はこちらにはほとんど視線を向けなかった。
食後に書斎へ行ったけど珍しく彼はいなかった。
――自分の部屋かな。
彼の部屋には入ったことがなかった。彼の自室は二階にあって、私はほとんど上の階へ行ったことがなかった。一階の客間や書斎と違って、そこは私の覗いたことのない彼のプライベートな空間だった。
恋人なのに、彼の部屋がどこにあるか分からないなんて普通じゃないよね?
甘やかすような愛情は沢山貰ったけど、心はそこまで許されてなかったのかな。
私はひんやりとした薄暗い階段を昇った。手近の部屋から順に扉をノックしてノブを回す。使われなくなった子ども部屋と思しき部屋、鍵のかかった部屋。ふと、扉の下からわずかに光が漏れている部屋があることに気がついた。
私はその扉をノックした。
「レイフ……いる?」
かなりの間があった。かすかに物音がして気配はある。気がついていないのだろうか。
それとも無視されているのか。
「……レイフ……」
もう一度声を掛けたとき、扉が開いた。
彼は濡れた髪を後ろに流して、シャツのボタンも留めずに羽織っただけの姿だった。
(お風呂に入ってたんだ……)
館の主の寝室には浴室がついているんだ、全然知らなかった。私の客間にはお湯を運んでもらっていたから。
私は咄嗟にうつむいた。目に毒すぎてとても直視できなかった。
いや、見たい。本当はすごく見たいけど。
「あの、ごめん。ほんとにごめんなさい……」
お風呂上がりに突然邪魔してしまって、と続けて言おうとしたのに、「いや……俺も……」と彼は少し照れたように言った。
(え? 今、私が謝ったのは、今日の喧嘩について謝ったことになったの?)
予想に反して彼はあっさりと許してくれた。それどころか、彼も仲直りするタイミングを見計らっていたような素振りだった。それなら、いいのかな。ちょっとズルしたような罪悪感を覚えたけど、仲直りしたい気持ちは本物だ。
「あの……風邪引いちゃうよね、また明日にするから」
「……中に入ればいい」彼は身を引いて扉を大きく開いた。
私はうつむいたまま部屋の中に入ると、おずおずと顔を上げた。彼は扉を閉めるとシャツの上にガウンを羽織った。ああ、ちょっと残念。
暖炉には火が入っていた。私はそちらに意識を向けるようにした。そうしないと顔がゆるんでしまう。駄目だ、真面目にならないと。
(……でも、ちらっとなら見てもいいかな。あー、口元が勝手にほころんじゃう……)
部屋には一脚しか椅子がなかった。暖炉の前でくつろぐための、ゆったりとした大きめの肘掛け椅子だった。
突っ立っている私に気づいた彼は椅子の代わりを探すかのように辺りを見回したが、やがて肘掛け椅子に腰掛けると私を手招きした。そばに行くと、彼は私を見上げて膝の上に招くように手のひらで示した。
膝の上に座るの? あ、もう無理。誘惑が強すぎる。
でもこんな機会を逃したら次はもうないかも。
私はそっと彼の膝の上に座った。
重いと思われたくなくて、ほとんど空気椅子状態だ。何の罰ゲームなの、これ。
私の内心を知ってか知らずか、彼は私の腰を抱き寄せた。
「……っ……」
距離が、近い。
服越しの彼の体温、私の好きな額が見える。それにいい香りまでする。
彼の膝の上に座っているから、いつもは私が見上げている彼の藤色の瞳が上目遣いになっている。そのあまりの魅力に耐えかねて思わず視線を下に落としたら、あらわになった彼の首筋や鎖骨が目に飛び込んできて、私は一体どこを見ればいいの?
私は目をつぶって胸を片手で抑え、呼吸を落ち着けようとした。なのに息は浅く、早くなるばかり。
「どうしたんだ?」
彼が驚いて私の顔を覗き込んだ。
――ああ、だから近いってば……。
謝りに来たのに、説明しようと思ったのに、全然できないよ。
「もう、好きすぎて、無理……」
絞り出すように発せられた私の言葉に、彼の心配そうな表情がふっと消えて瞳が艶めいた光を帯びた。
「君がそんなことを言うのは不思議だな」
彼は私の耳に唇を寄せると囁いた。
「それは俺の方なのに」
脳が溶けそう。
もうキャパオーバーだ。
私の顎に彼の指先が添えられて、親指が下唇をなぞった。私の意識はほとんど飛んでるのに、全ての感覚が彼で埋め尽くされてる。
この間の触れるようなキスとは違う、私を溶かしてしまいそうな熱をはらんだキスだった。




