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恋を知らない素導師様は  〜君という難問に抗えない〜  作者: 井ノ上 杏
最終章 私たちの未来

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第64話 私だけの呼び名

 素導館(そどうかん)に帰ってから、レイフォードさんは私を常に視界に入れておきたいみたいだった。

大した用もないのにやたらと書斎に呼びつけたり、私が庭にいると書斎の机に頬杖をついて窓越しに見ていたりして、仕事になるのか心配になるほどだった。私は彼が旧都へ駆けつけるためにキャンセルした素視(そし)のスケジュールを組み直して、彼が見落とさないように毎日確認するのだった。

夕暮れの聖堂の戸締まりも復活して、私たちは二人で過ごすことが多くなった。


 帰った翌日、彼が手紙を見せてきた。マルガレーテさんに宛てて彼が書いたものだった。私のことが女性として好きだから君も知っておいてくれ。これまでも、これからも、妹として愛しているよ、と書いてあった。彼の意図は、こういう説明を彼女にするから、という私への誠意の証であることは分かっていた。でも、私の目はどうしても違う所に引っかかってしまうのだった。


「……マルガレーテさんのことは『愛している』のに、私のことは『好き』なんですね」

彼はびっくりした様子で手紙を読み直した。

「そういう差をつけたつもりはなかったんだが」

「別にいいの。『女性として好き』でも、嬉しいし……うん」

私の拗ねたような口調に、彼は慌てて書き物机に向かった。


「これでいいだろう?」

机に近寄ってきた私を見上げて、彼は新たに書き直した手紙を差し出した。

それには、私のことを非常に愛していてかけがえのない女性だと思っている、と書かれていた。

私は満足気に微笑んだ。

彼は安堵したように小さく息をついた。



 ある日突然、彼が不満そうに私に言った。

「君はいつまで俺を『レイフォードさん』と呼ぶんだ?」

書斎の長椅子に腰掛けて経費の計算をしていた私は、彼の言葉をとっさに理解しきれなかった。

「え? 何?」

「いつまで俺は『レイフォードさん』と呼ばれるんだ?」

「でも、他になんて呼べばいいの? レイフォード?」

「……なぜ呼び捨てになるんだ。普通、恋人を呼ぶのは愛称だろ」


恋人……彼の口から聞くとすごくいい響きだ。


 私は少し考えると言った。

「じゃあ、”レイフ”は?」

「レイフ?」

彼は意表を突かれた様子だった。

「そう、変?」

「変なことはないが、レイと呼ばれることが多いから」

「うん、だからなの。皆がレイって呼んでるから、私だけの呼び方がいいなと思って」


 彼は額に手をやって、深く息を吐いた。

(え、呆れられちゃった?)

「『私だけ』、か。……これを無意識に言っているだなんて、信じられないくらいだな……」

よく見たら耳が赤くなっていた。照れてたんだ。


「可愛い……あ、ごめんね。思わず心の声が出ちゃった」

きっと、私はとろけそうな瞳で彼を見つめていたと思う。

彼は頬まで赤くなった。

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